神様の影法師①
執務机の引き出しから、錆びてぼろぼろになった古臭い五寸釘とトンカチを取り出す。
コン、コン、コン、とリズムよく釘の頭を叩き空中に打ち付けた。
胴部分が完全に埋まって見えなくなり、叩かれすぎて少し歪んだ頭の小さな円がぽつりと宙に浮いている。
その頭の部分に触れるとあら不思議。
円が輪郭をぼやかして不気味に広がり、兎の巣穴くらいの大きさになる。
穴は黒より黒く、というと少々語弊があるだろう。
あれだ、あのー、なんだ。人というか生物、いや現界からでは認知のできない、虚色と呼ばれる特殊な色なのだ。
とにかく、虚色に満ちた穴が広がり、
「バエル君、あーそーぼー」
穴に向かって呼び掛ける。
ちなみにだが、この儀式と出てくるやつを他者に見られるのは非常に都合が悪いので、アルカたち四人には外回りに出てもらった。
呼び掛けてから数秒、「はーい!」穴の奥から声が響く。
「なにして遊ぶ?」
俺が空けた穴とは別のところに穴を作ったバエルがひょっこりと顔を出した。
毎度毎度のことでもう慣れっこだけど、こいつはひねくれている。
例えるなら、インターフォンを押して呼び掛けると、トイレの窓や二階の窓、ひどい時にはマンホールの穴からやってくるような、そんなやつである。
「こっちの穴から出てこい」
「ルメル君は細かいなぁ」
唇を尖らせたバエルはやれやれとでも言うように戻り、今度はちゃんと俺が開けた穴から顔を出した。
「珍しいじゃん君の方から呼び出すなんて」
「ちょっと調べてもらいたいことがあってさ」
「またぁ? 僕は君の召使じゃないんだけど?」
言葉では嫌と言いつつ、表情は相変わらずニコニコとしている。
俺としてもバエルに借りを作ったりするのは避けたいところなのだが、他に頼るあてもないので仕方がない。
神を相手にするよりはまだマシという判断だ。
「それで何を調べればいいのさ」
「そっちの失踪者とか行方不明者の推移」
「うへぇ、えげつないこと頼むね」
使うと決めたのなら最大限活用するのが合理的だろう。
どうせ暇してるんだろ。それにこいつの能力をもってして不可能などとは言わせない。俺はできないことをやれとは言わない主義なのだ。
「ちなみに理由を聞いても?」
「白紙が二人うちにきた」
「うっそぉマジ?」
「大マジ」
「あー、それで失踪者ね。地獄の方は?」
「そっちは俺が調べとくよ」
「よっさすが天使長」
囃子のつもりかはたまた皮肉のつもりか。本当に天使長へとなってしまった今では、そのどちらであってもただの事実として処理されるばかりだ。
笑顔を貼り付けた仮面からでは、その奥の表情を見ることもかなわない。
「調査報酬はなにをくれるの?」
「次の冥界清掃の日時と戦力」
「わぉ太っ腹。甘いものの食べ過ぎかな」
「味わえるほど舌を肥やしたつもりはないよ」
「でもでも、その報酬はちょーっと払い過ぎかもよ?」
「なら追加できな臭い話でも聞かせてちょーだい」
バエルは穴から手を出して、人差し指を下唇へと押し当て、「うーん」何を教えようかと悩んでいますというポーズをとった。
「最近さ、レギオンの出現件数が多いのは知ってる?」
「まあ、体感的には」
たしかにこれまではレギオンが出現することは稀であった。
時期としてはアルカを雇う前後くらいだろうか。
レギオンの魂葬件数が増えているのは事実である。
ただし過去のデータ分析や他所との比較をしたわけではないので、あくまで体感として、「なんか最近多い気がするな」程度だ。
だがしかし、バエルの言を信じるなら、その感覚は正しいらしい。
「他の区画でも軒並み増加傾向にあるんだって」
「偶然か?」
「まっさかぁ。それは君が一番よく理解してるでしょ」
世界とは常に何者かの意志によって変遷していく。
一見して偶然のようにしか思えない事象であっても、他の視点や観点に立って見れば、実は誰かの意図が絡んでましたなんて日常茶飯事だ。
また大抵の場合、その意図は複数であり、それらが寄り集まって一つの大きな流れとなり、気付かぬうちに飲み込まれている。
得てして偶然と口にする者とはつまり、必然を観測する立場にいない者であり、翻ってそれは大河に流るる木の葉がごとき矮小な存在でしかない。
俺たちとて、どんなによく見積もっても大海原へと漕ぎ出す小舟と船員くらいなものだろう。
さりとて木の葉よりかは抗いようのあることもたしかだが。
「レギオンの格も高くなっているみたいだし、気を付けた方がいいかもね」
「それ俺に言ってる?」
「そうだよ。僕ってば心配性だから」
「はっ、どの口が言ってんだか」
「うるわしいこのお口さ」
口を開けて舌をべっ、と出したバエルは挑発的な笑みを浮かべる。
でも、そうだな。俺にも部下ができてしまったのだ。俺一人ならどうにでもなることだったとしても、俺以外がそうとは限らない。
守るものがあるってのは、大変だね。
「そ・れ・と、輪廻に神が介入してるとこ見ちゃったんだ」
「……は?」
「因果関係は分かんないけど、無関係でもなさそうだよね」
「お前、それ」
「あはは、あ、これオフレコで」
ん~~~~、じゃあ言うなよ。それにおまけにしては払い過ぎだ。
「誰かさんの甘さが移っちゃったのかも。口移しで」
「やめろ縁起でもない」
「んふふ、僕の演技を一度でも君が見破ったことがあったのかい?」
「お前が一度でも演技しなかったことがあるみたいな言い草だな」
「えーん、ルメルがイジメてくるよぉ」
「もう呼ぶのやめようかな」
「じょーだんだよ。珍しく呼び出されて浮かれちゃっただけだもん」
可愛い子ぶった仕草に、幼さを残しつつ整った中性的な顔立ちと口調から、何も知らなければ毒気を抜かれていたことだろう。
他のやつらならいざ知らず、腐れ縁で中身を知っている俺は騙されないけど。
「でもさ、あのルメルが天使長になって部下を持つなんて、ほんと何が起こるか分からないよね」
「不可抗力だけどな」
「またまたぁ、照れちゃってこのこのー痛い」
ぐりぐりと頬を押してくる指先がうっとおしいので、持っていたトンカチで思わず叩いてしまった。うん、いい気味だ。
「じゃ、そろそろ行くね」
「はよ帰れ」
「ほんとは寂しいんじゃないのぉ?」
「釘抜いて首だけ残してやろうか?」
「それはマジでやめて」
「ちゃんと調査しろよ」
「期待して待ってな。そんじゃまたね」
顔の横で小さく手を振ったバエルは、そう言い残して穴の中へと消えていった。
バエルが去ったことで穴は元の輪郭を取り戻し、ぎゅっと小さくなる。
空間に埋まっていた釘が抜け、カランと音を立てて机に転がった。
わずかに残った鈍色に、にわかに錆の浸食がじわりと進む。
「あいつらを鍛えるか……」
これから忙しくなりそうだ。
予感めいたものに辟易としながら、釘とトンカチを引き出しに入れたのと、召喚によって体が強制転移したのはほとんど同時だった。




