やたらと事務所を壊しにくる天使長のルチアってやつ③
「誰ですかあれ」
「他所の天使長」
「てん、え、天使長?」
アルカが驚くのも無理はない。
第一に、天使長とは神に次ぐ者であり、数も少なく他所のそれを見る機会などそうそうない。
第二に、天使長は各々で治める区画が厳密に規定されており、他所の区画へ無断侵入など普通はしない。まして事務所破壊など言語道断である。
第三に、目の前のそう、天使長は見た目と言動から天使長たるに相応しくないと思われても仕方がない。
なにせどこぞの魔法少女もかくやという衣装を着て、あどけない容姿を如何なく発揮して繰り出されるぶりっ子は、怒りを通り呆れさえ追い越してしまう。
もう幾度目かの事務所破壊に直面している俺でさえ言葉を失うのだから、他の二人が呆然するのも仕方のないことだろう。
とそんな俺たちをよそに、ルチアは視線を外して自身が吹っ飛んできたであろう方向へと目を向けた。
視線の方向、瞬きの内に現れたのは、足の代わりに人の手を生やした巨大な蝿だった。
瞬間移動でもなければ高速度で移動してきたであろうに、慣性を無視したように空中で静止制動し、あまつさえその不快な羽音さえ聞こえてこない。
複眼の目は、その格子の中の一つ一つにギョロギョロと、それと分かるほどの大きさの目玉が蠢いていた。
そう。有り体に言って不気味で気持ち悪い。
レギオンなのだろうが、ここまで嫌悪感に満ちたモノは久しぶりだ。
さてどうしたものか。
ルチアが戦っていた獲物を横取りしてしまうのは気が引ける。後でぐちぐちと文句を言われるのに付き合いたくはない。
かといってここは俺の管轄区域だ。他所から侵入してきたとはいえ、俺が対処したからといって何か問題があるわけでもない。
うーん。せめて相手方からこちらに攻撃してきてくれれば。
しかし、蝿はルチアとにらみ合って、互いにけん制し合っている。
あ、ちょうどいいのがいるじゃん。
「ネネ、ちょっと」
傍らにいるネネに顔を近づけ耳打ちする。
「はぁ? マジでやんの?」
「よろしく」
「でもそれ俺が」
「漢ならつべこべ言わず勝負してこい」
「……そんなん言われたら、やるしかねぇじゃんか」
ネネは意を決したのかごくりと唾をのみ、すっと息を吸い込んだ。
「キッッッッッモ。こっちみんなブサイク」
丹精込めた蔑んだ表情で言い放った言葉は決して大きな声ではないものの、確実に相手の鼓膜を揺らした。
というのも、明らかにネネへと向けられる瞳の数が増していたのだ。
だが中々に理性的なのか、はたまたルチアとの因縁が相当なのか、こちらを襲ってくる様子は見受けられない。
ならばもう一押しだ。俺はネネの背中をぽんと押す。
「くっさぁ。羽音は消せても消臭はできないんだ」
よしいいぞ。目に見えてヘイトが蓄積されている。
ルチアがこちらを気にしてちらちら見ているけど関係ない。
さあ、ほら最後だ。
「まあ死肉に群がるしか能がないもんね。
魂までうんこの臭いが染みついたクソ雑魚弱虫」
「ちょっ」
ルチアが何かを言い終えるよりも先に、堪忍袋の緒が切れたレギオンがものすごい早さでネネへと襲い掛かった。
器用に俺を躱してネネの顔面をわし掴み、突進の勢いでもって押し倒すと、そのまま地面に引きずりながら俺たちから距離を離す。
プロレスラーにも劣らない逞しい六本の腕……足? でネネの体をがっちりと拘束すると、ガチガチと鳴らした歯をその喉元へと食い込ませた。
「ガ、ギギ、ガギ」
肉も骨も喰い千切らんと何度か齧りつくが、薄皮一枚破くことすらできず、レギオンは困惑した様子で動きを止める。
それを見とめたネネはふっと鼻で笑った。
「くっさぁ」
続けざまに、ぷっと吐き掛けたネネの唾がレギオンの口腔を濡らした。
「あっごっめーん、排水口かと思っちゃった。下水で口ゆすいでんの?」
ネネを拘束する力が強さを増し、怒りに塗れたレギオンの体はぷるぷると震えている。
その怒りが具現化でもするみたいに、空間を歪めるほどのどす黒いオーラが体外へと噴出した。
これにはさすがのネネも危機を感じ取ったのかぎょっと顔を曇らせたが、事ここに至っては自身でどうすることもできない。
どうにかしてくれ、とでも言いたげな視線がこちらに飛んできたので、ようやく出番かと参戦しようとしたその時だった。
「『止まれ』」
ルチアが明朗に告げる。
「『離れろ』」
上官命令に従う新兵がごとく、レギオンがネネの拘束を解いて距離を取った。
「『吹き飛べ』」
自身の企図したものではない飛行、もとい強制的な戦域外への離脱に抗う術もなく、レギオンはその姿を一瞬のうちに彼方へとくらませる。
「部下を助けた。貸し一ね」
してやったりと言わんばかりの笑顔が俺へと向けられた。
まったく。図々しいにも程ってものがある。
「事務所破壊でチャラ、区画侵入で貸し一」
「あたしの獲物に手を出したので貸し借りなし」
「……はぁ、分かった。今回はそれで手打ちにしてあげるよ」
「物分かりが良くて助かるわ。じゃ、あれ片付けてくる」
片手を挙げて颯爽と、レギオンが飛んでいった方角へルチアも飛び発った。
「嵐のような方でしたね」
「ほんとにね」
もう二度と来ないでほしい。
瓦礫の山となった事務所を見ながら切実に願う。




