第七話 髭を剃りながら
「お母さん、行ってきます!お父さんはまだ寝ているの?」
「えぇ、こういう時にしかゆっくり眠れない人だから、寝かせてあげたいのよ。」
「わかった!じゃあね!」
「はい、行ってらっしゃい。」
ジュニアスクールのスクールバスに乗って、スクールに向かうオルフェの後姿を見送って、ルミナは朝食の片づけをする。
アーヴィンはまだ寝ている、こういう時、つまりは戦争ではない時にしかゆっくりと睡眠をとる時間がないのだから、とルミナは基本的にアーヴィンを無理に起こす事はしなかった、夜寝る時間もばらばらで、基本的には酔っぱらって寝ているアーヴィンとは、セックスレスになってから何年経つだろうか、おもえばオルフェを身ごもった頃から、ずっとしていないな、と少しだけ寂しそうな表情を見せる、それもそうだろう、好きな男と結ばれて、子供を成して、これから先も愛しあいたいと思っていたのに、相手は戦争に片足を突っ込んでいて、そして家にいると時は深酒をしてそう言う気にならない、と言っていたのだから、それは寂しいだろう。
「さて、あの人のご飯も作ってから買い物に出かけましょうかね。」
アーヴィンの分の朝食にベーコンエッグにトーストを用意したルミナは、そろそろ冷蔵庫の中身がなくなってしまう、と言って買い物に出かける。
アーヴィンには書置きをして、一時間程度で戻ってくるから、と一言だけ書いてから買い物に出かける、今日は確かスーパーでは肉がセールをやっていたはずだ、それを買って、オルフェにたくさん食べさせてやりたい、それが今のルミナの生きがいだった。
「ふあぁ……。」
午前九時半、ルミナが買い物に出かけてからほどなくして、アーヴィンは目を覚ます。
「ふむ、髭を剃るか。」
戦争に行っている間は手入れを出来ない為に伸ばしたままだった髭を整えようと、シャワーを浴びて髭剃りを取りだす、アーヴィンが若い頃、と言っても二十年ほど前には、ネグルの裏路地には靴磨きの少年矢髭剃りを生業としていた壮年の男性達がいた、一回十セント、で髭を剃ってもらって、その技術がまた卓越していて、剃られている間は夢見心地に目をつぶっている、それがアーヴィンの趣味だったのだが、今このアクシュルに髭剃り屋の男性はいない、だから自分で剃るしかない、いまいちすっきりしないが、それも仕方が無いだろう、とアーヴィンは鏡を眺めながらシェービングジェルを取り出して、伸びてきている無精ひげに塗り込んで、肌に傷をつけない様に髭を剃っていく。
「ふむ、良いだろう。」
些か爽快さには欠けるが、自分で剃ったにしては上出来だ、とアーヴィンは機嫌よくシャワーを浴びて、お気に入りのジェリーカールヘアが崩れない様に、と丁寧にシャンプーをして、石鹸を泡立てて体を洗って、暖かくなってきた気候的に湯舟にはつからなくていいだろう、と浴室を出て、体を拭いてシャツを着る。
「ルミナは……、ふむ、買い物か。オルフェがいないというのも、少々寂しいもんだな。」
リビングに行って、バーボンを片手に庭に出ようとしたアーヴィンは、ルミナからの書置きを見つける、それを読んでからベーコンエッグトーストの乗った皿をもって、片手にはバーボンとウィスキー用のグラスをもって、庭に出て陽気に当たる。
「ふむ、いい陽気だ。ハナウタ混じりに愛銃を磨きたくなる様な、そんな陽気だな。」
バレットM82を持ってきて、ケースから取りだして磨く、トーストを齧りながら、バーボンを傾けながら、煙草を吸いながら、愛銃のメンテナンスをしていく。
いつもの事だ、ルミナと夜の営みをしなくなってから七年が経った、そもそもがジグモンド家の跡取りを必要として子づくりをしていたアーヴィンからしたら、苦痛に満ちたセックスタイムから逃れる理由が出来た、オルフェが超記憶症候群を継承して生まれるかどうか、に関してはわからないところが大きかった、もしも継承して生まれてきていなかったら、もう一度苦痛に満ちたセックスタイムを繰り広げなければならなかっただろう、そう言う意味合いでは、アーヴィンにとってはオルフェは「有難い形」で生まれてきてくれた、ルミナは夜の営みに対して積極的な方で、したがっているという事もわかっていたのだが、アーヴィンの中の何かが、それを許そうとしなかった、それを許してしまったら、まるで自分が自分でなくなってしまうかの様に、それを拒否していた。
「ふむ、少しトリガーが痛んできたか、これは交換しなければ。」
部品を交換する、と言ってもアーヴィンの使っているM82は、その形を成しているだけの別の銃だ、神から与えられた権能、それが銃の形を成しているだけ、であるからして、そのメンテナンス方法も、己の魔力を物質化して交換する、のが当たり前だった。
魔力、この世界においては過去の遺物、過去の遺産、過去に「存在していた」回路、生物に与えられた超能力的な回路の名前であり、そして現在の人間達はそれを放棄して、より均一に分配の可能な科学にその知性を振っていた、魔力を持たない訳ではない、魔力は生まれ持って誰しもが持っている回路なのだが、それは個体差が激しい、均一均等ではないという理由から、現代人には忌避されかけている回路だった、それを捨て去っている訳ではない、占い師などと言った「魔力を商売にしている人間」も存在する、かくいうアーヴィンも、魔力の回路を使って、己の中に存在している魔力を活用して弾丸を精製したり、M82の形を成しているこの銃の、痛んでいる部分などのパーツを精製したりしている、魔力を発露しなければ使えない「奥の手」も存在する、ガンナーの英雄に代々与えられてきた権能、ある意味での「神からのギフト」を発動するのには、魔力を消費しなければならない、神からの贈り物だと言っても、何の代償もなしに発動できる程、都合は良くない、と言う話だ。
「ふむ……。」
バーボンがそろそろ空になりそうだ、次の瓶は冷蔵庫にしまってあったはずだ、とアーヴィンは銃を片手に持って庭から家に入り、リビングの冷蔵庫から新品のバーボンを取り出す。
何故銃を片手に持って家に戻ったのか、と問われたら、それはアーヴィンの、というよりは英雄の習性だ、とアーヴィンは答えるだろう、英雄はそれぞれに神から権能の一部たる武器を与えられている、そしてのその武器は驚異的な威力や性能を誇る事が殆どだ、だから安易に目を離して「誰かに奪われた」などという事が万が一にでも起こってしまったら、それは神との信頼関係を損なう事柄になりかねない、神が機嫌を損ねて「英雄たる証」をはく奪した場合、その英雄は生きていく価値を失ってしまうだろう、それがジグモンド家の家訓だった、英雄として生きていく以上は、その証を失ってしまったら生きるに能わず、生きる価値がなくなってしまうのだ、と。
「ふぅ。」
煙草を吸いながらバーボンを傾ける、この時間がアーヴィンにとっては安らぎだった、オルフェやルミナと過ごす時間もまた安らぎの時間ではあったが、しかし二人はアーヴィンにとっては守るべき対象、何から守るのかと問われたら、暴走してしまった英雄から、そして世界から守る対象である、それが家族と言う繋がりだ、それもジグモンド家の家訓の一つだった。
だから気を張っていないわけではない、今はスーパーにいるルミナや、スクールにいるオルフェの気配を察知して、何かが起こった際にはすぐに対応出来る様にしていた、ただそれでも、煙草を吸いながらバーボンを傾けて、春の陽気に少しうつらうつらと揺れるこの時間が至福だ、とアーヴィンは満足げに唸っていた。




