8. 明日へ
小屋の中は、かつて侯爵だった人間が住んでいるとは思えないほど質素な造りをしていた。
所々ささくれた、切りっぱなしの木で出来た机と椅子。部屋を仕切る土壁は一部が剥がれ落ち、隙間から骨組みを覗かせている。
席に着くと、ラルゴが「お話する前に」とカノンへと向き直った。
「カノン嬢、まず君に謝らせて欲しい。本来であれば、もっと早く君を助け出したかった。だが、この3年の間に起きた戦争によって、それが叶わなかった。本当にすまない……!」
ラルゴは机に両手をついて、深々と頭を下げた。
「戦争……?」
まさか自分が幽閉されている間に戦争があったなどつゆ知らず、カノンは困惑した表情を浮かべる。
「隣国のロブストとの戦争だ。そしてその戦争を終わらせたのが、カノンを助け出してくれたフォルテくんなんだよ」
「フォルテが!?」
「そう。まさに英雄さ。だからこそ、彼はあの若さで皇族直属部隊の部隊長の地位に就いているんだ」
さして年齢の変わらなさそうなフォルテが、なぜ皇族直属部隊の部隊長などという大仰な役職に就いているのか疑問だったが、ペザンテの言葉に得心がいく。
魔物に襲撃された際に彼が見せた比類なき強さに加え、国を救ったとなれば十分に理解できた。
「そしてそのフォルテが、件の戦争とカノン嬢の拉致が無関係ではないと主張しておりまして」
「それはつまり、どちらもリゾルートが関わっていると?」
ペザンテはスル・スオーロ公爵ではなくリゾルートと呼び、怒りを滲ませる。
「仰る通りです。公爵が何らかのきっかけでカノン嬢の特異な力を知り、拉致に繋がったのだと考えております」
「特異な力というのは、領地の作物の異常な成長のことを言ってるのかな」
ラルゴは「その通りです」と頷いて見せる。
一方、カノンは自身の存在が作物に影響を及ぼしていたことなど初耳で、思わず「え?」と声を上げてしまう。
現人神であるということは聞いていたが、その力については聞いていなかったからだ。
「知らないのも無理はない。私たちもカノンを攫われて、しばらく経ってから気付いたことだからね」
「本当に……本当に私にそんな力があるの?」
いまだに自身の力を信じられないカノンは唇を噛み、躊躇いがちにペザンテへと視線を送る。
「カノンが攫われた直後に肥沃の大地と呼ばれたフィウメ領が枯れ果てたんだ。それもたった数日でね。そしてそれとは反対に、枯れた大地だったはずのスオーロ領が突然豊穣の地となった……団長殿は現人神伝承をご存知かな」
「現人神というと、あの……?」
現人神、という言葉にカノンは小さく肩を跳ねさせる。
これまで信じきれずにいた言葉が父の口から出たことで、やけに鼓動が早くなっていく。
問い返したラルゴにペザンテは一度頷き、カノンを見て顔をしかめた。
「伝承では、現人神様はたった数日で作物を成長させ、時には万人の傷を癒して回ったと言い伝えられている。私はね、カノンは現人神なんじゃないかと考えているんだよ」
「まさか!」
ラルゴが動揺を隠しきれない様子で立ち上がり、勢いで倒れた椅子が音を立てた。
「お、お父様……? そんな、だって私はお父様の──」
「お前は私とミズーラの子だ。それは絶対に変わることのない事実だ」
カノンの言葉を奪うようにペザンテは断言する。
その上で、諦めたように首を横に振った。
「だがね、それほどまでにカノンが攫われた直後の現象は異常だったんだよ。あり得ないと言っても良い。それに……」
ペザンテは一度言葉を切り、カノンを一瞥すると指を組んで続けた。
その表情には、諦めの中に怒りが混ざっているように見える。
「侯爵令嬢を攫うなど、国を敵に回すような真似までしたんだ。公爵である奴の目的が収穫量の増加だけだとは、どうしても考えられない……そして、カノンが現人神であると考えれば、全て辻褄が合ってしまうんだよ」
組んだ指を震わせるペザンテに、ラルゴが椅子を戻して座り直してから口を開く。
「カノン嬢が現人神かどうかは分かりません。ですが、スル・スオーロ公爵は我々騎士団の手から逃れるためにロブストを手引きした。我々はそう結論づけております」
自分の存在が戦争にまで繋がったなどという話は、到底すぐに信じられるものではなかった。
だが、そんなカノンの思考とは裏腹に、ペザンテはラルゴの言葉に溜息混じりで頷いてみせた。
「私も同じ考えだよ、団長殿」
「ただひとつ厄介なのが……」
「確実な証拠がない、だね」
ペザンテは机に左肘を突き、こめかみを揉むように頭を抱えた。
「そうです。ペザンテ殿のおかげで食料の流れを掴むことができたため、カノン嬢の居所は突き止めることができました。ただ、カノン嬢を拉致したという決定的な証拠がないのです。戦争の手引きにしたって同様です」
ラルゴは苦虫を噛み潰したような表情で、僅かに顔を俯ける。
ただでさえリゾルートには苦汁を飲まされていることもあり、ペザンテも苛立ちを隠しきれない様子で、机を右手の指先で叩く。
「つまり、まだ奴がカノンを狙っている可能性がある、と……」
ペザンテとラルゴの視線がカノンへと向けられる。
少しばかりの沈黙。そして、ペザンテが意を決したように口火を切った。
「カノン。私は爵位を捨てることでしか、大事な娘一人探し出せなかった愚か者だ」
そんなこと! と口にすれば、ペザンテに手で遮られてしまう。
彼は首を横に振って「いいんだ」と続ける。
「そして、今の私には君を守れるだけの力が残っていない」
嫌な予感がした。
ここに来るまでにも薄々考えがよぎってはいたのだ。両親と会ったあと、自分はどうなるのか、と。
隣に座るペザンテと、何も言わず夫の言葉の続きを待つミズーラの間で視線を揺らす。
よく見れば3年前よりも痩せこけた頬。すっかり細ってしまった腕。そして、二人の表情を見た瞬間、両親がとっくに覚悟を決めていることを悟った。
「ラルゴ騎士団長殿。私も妻も今は何の権力もないが、娘を思う気持ちだけは本物だ。だからこそ、娘を君たちに託したい。どうか……!」
3年ぶりに再会できたのだ。
これからはまた一緒に暮らしていけると、どこかで希望を抱いていた自分がいたことに今更気付く。
それでも、喉まで込み上げていた「離れたくない」という我儘を口にできるはずもなかった。
椅子から立ち上がり、平身低頭して頼み込む父の姿を見てしまったからだ。
──どのルートでも共通してんのは、このあと公爵に狙われるってことかな。
それに、フォルテから聞かされたゲームでの出来事のこともある。
ゲーム云々の話がたとえ今は信じられなくとも、ラルゴの話も踏まえれば決して楽観視できるような状況ではない。
もし本当に公爵から狙われるようなことになれば、カノンがここにいることで両親に危害が及ぶ。
カノンとしてもそれは絶対に避けたかった。
俯けた顔を上げると、ラルゴと目が合った。
その瞳に問いかけの意図はなく、今回ばかりはカノンの意思に委ねることができないことを物語っていた。
「その願い、しかと承りました。我ら誇り高きクオーレ騎士団、全力を以って御息女をお守りすると、ここに誓いましょう」
カノンが騎士団で保護されることが決まったあと、ほんの僅かだが家族で過ごす時間をもらうことができた。
父が集めた食材を母が調理した、かつては考えられなかった食卓を囲み、幼い頃の話など他愛のない話で盛り上がった。
それは、こんな時が明日からも続くと錯覚してしまいそうになるほどに温かい時間で。
そして、父の白髪混じりの髪と母の荒れた指先から、二人がこの3年をどう過ごしてきたのかを感じ、胸が苦しくなった。
それでも、カノンにとってかけがえのない時間だった。
途中、父が「大きくなったなぁ」と感慨深く呟くと、母は涙ながらに「そうね」と笑っていた。
たったそれだけのことが、カノンには何より嬉しくて、そして救われた気がした。
「カノン、元気でね。ちゃんとご飯食べてね。それから、いっぱい幸せになってね」
ミズーラはそう言って、馬車に乗り込んだカノンへと小さな包みを手渡した。
「昔一緒に作ったクッキーよ。あの時とは少し違う味になってしまったけれど……あとで食べてね」
「……ありがとう、お母様」
小包を手渡す母の手が、小刻みに揺れ、その笑顔が時折引きつっていることに気付く。
そして、堪えきれなくなったミズーラの肩をペザンテが優しく抱き寄せた。
「我慢をさせてすまない。だが、どこにいようとも、私もミズーラも君を愛しているよ、カノン。たとえどんなことがあろうと、君は私たちの娘だ」
恐らくペザンテはカノンが現人神の生まれ変わりだと確信している。
だから、彼の言葉にはもしも、という言葉が隠れていたが、カノンはそれを正しく受け取って頷いた。
自分が神などと言われても、やはりすぐに信じることはできない。
ただ、それでもペザンテの言う通り、二人の娘であることだけは変わらないのだ。
ならば、ここで返す言葉はひとつしか無い。
「私も愛しています、お父様、お母様」
扉が閉められ、ゆっくりと馬車が動き出す。
小さくなっていく二人の姿が見えなくなるまで、カノンは何度も手を振り続けた。
速度を上げる馬車の中で、カノンは静かに座席につき、ミズーラから渡された小包を手に取る。
道中で感じていた疲労などすっかり忘れ、ゆっくりとリボンを解いていく。
包みを開くと、ほんのりと甘い香りが漂い、かつて作ったものよりもずっと不格好なクッキーが姿を現す。
カノンは2本指でひとつ掴み、口へと放った。
「なんでお前らが泣いてんの」
隣に座ったフォルテが、周りを憚らずに涙を流すジュストとリエートに呆れと優しさが混ざった声で言う。
二人とも口を開こうとするとさらに涙が溢れるようで、まともに声を出せないようだ。
そんな彼らの様子を眺めていたフォルテが、不意に背もたれへと頭を預け、天井を見つめた。
「……どう、クッキーの味は」
フォルテのその一言で、張り詰めたものが切れたようにカノンの視界が歪みだす。
なぜ、忘れていたのだろう。
幽閉生活の中では、自身の中から抜け落ちていた両親への思いが、せきを切ったように溢れ出す。
永遠の別れじゃない。
無事解決したら、また会える。
その時は、一緒に暮らすことだってできるはず。
そう思っているのに、一度溢れた思いはそう簡単には止まってくれなかった。
小包の中にあるクッキーが、水分に触れて少しだけ色を変えていく。
「全然……甘く、ないよ、お母さ、ま……っ!」
久しぶりに食べたクッキーは優しい味がして、だけど、少しだけしょっぱかった。




