9. バス事故被害者の会(フォルテ視点)
試合終了のホイッスルが鳴り響く。
背番号10をつけた青年は、勝利の余韻に浸ることもせず退屈そうに汗を拭った。
試合終わりの挨拶を交わし、青年がベンチへと視線を向けると、ひとりの女性と目が合う。
青年はさっきまでよりも足取り軽く、彼女の方へと寄っていく。
「来てたんだ」
「あなたが何回も言うからでしょ」
女性は照れたのを誤魔化すように、そっぽを向いた。
何回も、と言うが「試合いつだっけ」と何度も聞いてきたのは彼女の方だ。
「まぁ、おめでとう。良かったね、勝てて」
「惚れ直した?」
青年が聞くと、女性は顔を逸らしたまま横目で青年の姿を捉えた。
そして視線を落とすと、呟くように口を開いた。
「それはないけど、というか惚れてもないけど……格好良かった、のは認める」
あまりにもベタな彼女の反応に、青年は「素直じゃなさ過ぎでしょ」と笑った。
◇
その日、フォルテは一般には立ち入りが禁止されている、第一皇子の執務室へと繋がる廊下を歩いていた。
ピアーヴから皇都に戻ってから早数日。
あれからフォルテの邸宅には一人住人が増えた。当然、カノンのことだ。
最初は両親と離れることへのショックもあったようだったが、いまではフィーネと楽しそうに日々を送っている。
ペザンテと約束した通り、カノンの護衛を担当する騎士についてもラルゴと相談して手配を進めている。
ジュストとリエートあたりは先日の一件で距離を縮めていたようだし、カノンも肩肘張らずに過ごせるだろうと当たりをつけていた。
本来ならば自分が付きっきりで守りたいところだが、立場上そうもいかないことが多い。
こんなことなら戦果など挙げるんじゃなかった、とも思うが、そうなるとカノンを助け出すのがより遅れていたと考えると肝が冷える思いだった。
まさに、あちらを立てればこちらが立たずというやつだ。
そんなことを考えていると、目的の部屋の前に到着していた。
ほかの扉よりも少しだけ装飾の多いそれを数度ノックすると、中から入室を許可する声が聞こえてくる。
扉を開くと、外観からは全く想像できない光景が広がる。
畳に襖。テーブルの代わりにちゃぶ台。そこはまごうことなき和室だった。
「やぁ、やっと来たね」
和室が全く似合わない金髪の男の、両手を広げる歓迎の動きで出迎えられる。
「本当やっとよ。いつから私を待たせるほど偉くなったのかしら」
「姉貴、もう来てたんだ」
「なんとシノは一時間も前からそこで紅茶を啜っているよ。暇なのかな?」
シノは畳の上に置かれた彼女専用の一人掛けソファに座って、紅茶を啜っていた。
そして腰まで伸びた、フォルテと同じ黒髪を掬い上げると「あら?」と目を眇め、金髪の男を睨みつける。
「レガート、あなたもいつからそんな軽口が叩けるほど偉くなったのかしら?」
「僕がこの世界に生まれた時からかな。一応第一皇子だからね」
フォルテは二人のいつも通りのやり取りを無視して、自分用に置かれた座椅子へと腰をかけた。
辺りを見渡せば、レガート自筆の掛け軸や水墨画が目に入る。そしてすぐ隣には日本ではよく見る、鮭をくわえた木彫り熊が置かれていた。
「義兄さん、あれも作ったの?」
「いいや? 残念ながら僕に造形のセンスや知識はないからね。スケッチを元に職人に作ってもらったんだよ」
レガートはわざとらしく肩を竦めた。
「そしてもう一つ残念だけど、この世界ではまだ君の義兄さんではないんだよ。まだね」
「あんたがスル・ラーゴ公爵のとこの令嬢をさっさと振らないせいでね」
「……まぁ、まぁまぁ。とにかく三人揃ったんだし、さっさと本題に入ろうか」
逃げたな。とフォルテは思ったが、面倒なので口にはしない。
弟であるフォルテが気付いているのだから、当然、実の姉であるシノも気付いて……いる。物凄い勢いで睨む眼圧を上げている。
「さぁ──」
レガートが空気を入れ替えるように両手を叩く。
「というわけでバス事故被害者の会を始めようか!」
またはじまった、と思いながらフォルテは紅茶を啜り、シノはうんざりした様子で、片手で頭を抱えたまま天を仰いだ。
「あんた、それ毎回言うけど笑えないからね」
「お笑いで言っているわけではないから問題ないね。そんなことより、今回は今までよりもずっと重要な回だよ!」
レガートが畳に正座して、フォルテを指さした。
しかし、全くもって正座の似合わない男である。
「ずばり! フォルテくんから見てカノンちゃんの現状はどうだったのかな?」
今日のレガートは妙にテンションが高い。
もしかすると久方ぶりにシノと会えてテンションが上がっているのかもしれない。
余計なことを考えながら、フォルテは座椅子の背もたれに体重を預ける。
そうでもしないと平静を保っていられなさそうだったからだ。
「どうもこうもないよ。結婚してって言って断られた。そんだけ」
「あんたいきなり求婚したわけ? 我が弟のことながらドン引きなんだけど」
「見ず知らずの男にいきなり求婚されるとは……カノンちゃんもさぞかし怖かっただろうに……」
それぞれに好き勝手言われつつ、フォルテは「あー……」と天井を見上げた。
「というより、あんた中身はともかく、この世界のカノンちゃんの見た目もそんなに好みだったの?」
「確かに。彼女がヒロインと同じだったのは灰色の髪ぐらいだっただろう? そもそも、ゲームではヒロインの顔は分からなかったからね」
「いや、好みというか、そういうんじゃなくて……それ以前の問題っつーか」
そう。フォルテにとって話はそう単純ではなかった。
この世界に転生する際、カノンがいることは分かっていた。しかし、まさかあんな形で再会することになるとは思いもしていなかったのだ。
「え、まさか……嘘でしょ?」
一つの可能性に思い当たったシノが、目を見開く。
レガートも同じ可能性に行き着いたようで、「そういうことなのかい……?」と呟いた。
「カノン、前と全く同じ顔してんだよね。あー……やばい。まじできつい」
レガートとシノが絶句する。
それもそのはず、フォルテがそんな弱音を吐くのは、前世を含めても初めてだった。
絶句したいのは自分の方だと言わんばかりに、フォルテは目元を腕で隠した。
「彼女に好きって言おうとしただけなのに言えねーの。おんなじ声で拒否られるのって、思ってたよりしんどいわ」
「女神の制約、か……」
浮ついた声を潜め、レガートが溢すように呟く。
「カノンが目覚ましてすぐに結婚したいって言ってたんだよ。だから、それならって、前世で付き合ってたこと話そうとしたら──全身めちゃくちゃ痛ぇし……あぁ、これマジで言えねーんじゃんって」
カノンを救うために駆け抜けた時間が、これまで感情をせき止めていたのかもしれない。
あの日彼女を守れなかった悔恨が、彼女をひたすらに想い続けた分だけ、濁流のように流れ出していく。
「フォルテくんの制約は、カノンちゃんに関する情報の本人への伝達禁止だったね」
頷くフォルテを見て、シノが歯を食いしばる。
「なによ……伝える意思をもって話しかけるだけでも制約に引っかかるってこと?」
「だろうね。もしかすると、僕たちからもカノンちゃんに伝えることはできないかもしれない。というより、伝えられない可能性の方が高いと僕は思う」
それはフォルテも同じ意見だった。
高い地位や能力などと引き換えに課される制約に、そんな抜け道が用意されているとは思えなかった。
「彼女はやはり前世のことは全く覚えていないのかい?」
「なにも」
言って、フォルテは力なく頷いた。
前世でシノがあれだけ語っていた『楽園のソルテルーチェ』のことも、フォルテという存在も。
彼女は前世のことを何ひとつ覚えていなかった。
「ただ、覚えてねーくせして前世と全く同じこと言うし、本当、ありえねー……」
目元を隠したままいると、不意に両側から抱きしめられた。
「なに」
「いいから。こんな時ぐらい素直に慰められてなさい」
「そうだよ。僕たちは前世からの仲だからね。一人で抱え込む必要はないさ。そのためにバス事故被害者の会を開いたのを忘れたのかい?」
「だから笑えないからね、それ」
フォルテはしばらく言われるがまま、二人の腕の中で目を閉じていた。
何も見えない暗闇の中で、消しても消しても、浮かぶのは彼女の笑顔ばかりだった。
「いい加減暑いんだけど」
「復活が早いわね。もう少ししょぼくれてても良いのよ」
「切り替えの早さは昔からフォルテくんの美徳のひとつさ」
二人の腕から抜け出し、「じゃ、そろそろ仕事だから」とフォルテは立ち上がる。
「フォルテくん、最後にひとつだけ。カノンちゃんが現人神であることは彼女に伝えたのかい?」
「最初にね。でも全然信じてなかったよ。父親に言われても信じてなかったっぽいし」
カノンは頭ごなしに否定している、というよりも単純に信じられる要素がないといった様子だった。
当たり前だ。突然自分が神様だなどと言われ、すぐに信じるような人間はどうかしている。
そう思えば、カノンが信じない現状はカノンが真っ当な精神の持ち主であることの証拠だった。
「そうか……やはり、シノの言う“イベント”を通さなければストーリーは進まないのかもしれないね」
レガートが顎に手を当て、独り言のように言って考え込む。
「強制力、なんてものがあるのかは知らないけどね……。そもそもカノンちゃん救出だって1年早まってるわけだし」
畳の上に置かれたソファへと座り直したシノが顔に影を落とした。
この三人のなかで、この世界の筋書きを誰よりも熟知している彼女にとって、どうなるのか分からない現状は不安でしかないのだろう。
「関係ないよ。どうなろうと、カノンを守るだけだから」
それだけ言って、フォルテは部屋を出た。
そう。たとえ彼女が自分のことを覚えていないとしても、フォルテがやるべきことに変わりはない。
──今度こそ、彼女を守り抜く。
ただ、それだけだった。
「奏音……」
誰もいない廊下に、いまはいない人の名前が少し響いて溶けていった。
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