10. 心の距離
騎士団庁舎の二階にある騎士団長室は、物々しい雰囲気に包まれていた。
カノンはフォルテと共に、護衛騎士との挨拶のため、団長室で待機していたのだが、突如として多数の騎士たちが詰めかけてきたのだ。
圧倒されるカノンをよそに、訓練の手を止め「納得いきません!」と、団長に詰め寄る騎士たち。
なぜ、こんなことになっているかというと──
「なぜ、カノン様の護衛がジュストとリエートなのですか!」
──ということである。
つまり、護衛騎士の人選に納得できない騎士たちが、団長であるラルゴに説明を求めに殺到しているのだ。
「ジュストはまだしも、リエートは新人ですよ!?」
「フィウメ殿との誓いを果たすためにも! ここはぜひ私に!」
「カノン様のエスコートはぜひ、俺に!」
出るわ出るわといった勢いで、三者三様どころか十人十色の声を上げる騎士たち。
リエートの経験不足を心配する者が1割、若干の下心を覗かせる者が2割。そして残りの7割は、カノンの父であるペザンテとの誓いを、絶対に守るべき熱き男同士の約束だと語る者たちだった。
(よかったですね、お父様……大人気ですよ……)
騎士たちのあまりの熱量に、カノンは苦笑を漏らすしかない。
ラルゴも、大半の理由が理由だけに、あまり強気に出られないようだった。
ちなみに当事者でもあるジュストとリエートは、護衛前最後の休暇という名目で今日は休みを取らされているらしい。
恐らく、こうなることは目に見えていたのだろう。
怒号にも似た叫びが団長室を埋め尽くすなか、不意に、隣で仏頂面を浮かべていたフォルテに腕を取られる。
「行くよ」
「えっ」
「ここにいてもしょうがないでしょ。うるせーし」
待って、という声は無視され、フォルテに腕を引かれるままに外へと連れ出される。
途中、団長室に入り切らなかった騎士団員たちから視線を向けられ、少しばかり居心地の悪さ、というより気恥ずかしさを感じたカノンだったが、恨み言を口にするより庁舎の外へと出るほうが早かった。
「ちょ、ちょっと」
訓練場の前に着く頃、ようやく声が届いたのか腕を解放される。
強引だったわりに大した力は入っていなかったようで、痛みなどは全く無かった。
「急にどうしたの? うるさいのは最初からだったじゃない」
思わず本音を漏らしながら、フォルテの顔を見上げると、彼はいつも通り何を考えているのか分からない顔に戻っていた。
「カノン」
またしても突然、両肩を掴まれる。
「なに……?」
「男はみんな棘狼だって。この世界のことわざにあるの知ってた?」
真顔で一体なにを言い出すんだ、この男は。
第一、それはことわざなのだろうか、とカノンはぽかんと口を開いて眉根を寄せた。
「なんの話……?」
「……はぁ」
訳のわからないことを言い出したかと思えば溜息をついたフォルテは、疲れたと言って近くのベンチへと座り込んだ。
何となく自分だけ立っているのも癪だったので、カノンも少し距離を空けてベンチへと腰掛ける。
ベンチからは目の前に広がる訓練場がよく見えた。囲いには装飾などはほとんどなく、あるのは国旗と団旗ぐらいのものだ。
皇城内にある施設とは思えないほど簡素なデザインが、ここがどういった場所なのかを証明している。
特に会話もなく、ぼーっと訓練中の人影を眺めていたカノンがあることに気付く。
「あれ? 騎士団の人たち、じゃない?」
ピアーヴへの遠征を経て、多少なりとも騎士団員の顔見知りが増えたはずのカノンだったが、訓練場に見知った顔は一つもなかった。
「あぁ、あれは軍の人たちだから」
「なるほど、道理で」
平時は特に皇城を守護する騎士団と、皇都周辺を護っている皇都軍。明確な優劣が示されているわけではないが、基本的に軍の中でも秀でた者が騎士団に招集される、とカノンは学んだことがあった。
「やっぱり仲悪かったりするの?」
悪気などなかったが、言ってから、こんなところで聞くべきでない失言であることに気付き、カノンは口元を手で覆う。
そんなカノンをフォルテは咎めることなく、小さく笑って「いや?」とカノンの言葉を否定した。
「どっちも国を護ってることには変わりないし、仲が悪いとかはないよ。あんま関わることはねーけど」
「そ、そうなんだ」
カノンは自分自身の言葉が、ひどく幼稚なものに思えて恥ずかしくなる。
文字通り身を縮ませていると、訓練場から怒号が聞こえてきた。
「立たんか、貴様ァ! いまの過ちで何人が死ぬことになるか、分からんとは言わせんぞ!」
声の方へと視線が引き寄せられる。
まだ若い、10代半ばほどの少年が砂埃にまみれ、訓練場に倒れ込んでいた。
少年は既に限界のようで、何度も腕に力を入れて立ち上がろうとするも、すぐに崩れ落ちてしまう。
「立てと言うのが分からんのか、貴様は!」
暴力こそ振るっていないものの、あまりの光景にカノンは思わず立ち上がる。
どうするつもりなのか自分でも分からないまま駆け寄ろうとすると、座ったままのフォルテに腕で制止されてしまった。
「ストーップ。ダメだよ、邪魔しちゃ」
「で、でも! あの子、どう見ても限界じゃない!」
再び少年へと視線を向ければ、繰り返し嗚咽を漏らしているように見えた。
それでもフォルテは首を横に振って、カノンが駆け寄るのを許そうとはしなかった。
「ここであいつを助けても、そのせいでどっかで死ぬことになるよ」
フォルテが冷たい声で言い放つ。
「でも、いま学べば生き残れるかもね」
カノンは返す言葉もなく、絶句する。
いつものフォルテからは想像もできない言葉の裏に、彼がどんな生活をしてきたのかが垣間見えてしまったからだ。
「まぁ、気持ちは分かるけど。俺も最初は同じこと思ったし。考え方とかは年相応に戻るくせして、倫理観とかは消えないもんね」
変わらない、ではなく消えない、と話すフォルテの瞳は、訓練場で倒れる少年と自身を重ねているかのように遠い目をしている。
何度も立ち上がろうとしては力無く倒れ、それでも最後にはしっかりと立ち上がってみせた少年に、フォルテは「立てんじゃん」と顔を綻ばせた。
そんな彼の表情を見て、カノンは唇をキュッと噛みしめる。
これまで自分がいかに護られた場所にいたのかを痛感させられた思いだった。
「ここは平和な日本とは違うんだー、とか、守られてたんだーとか考えてる?」
「なんで分かるの!?」
「いや分かりやすすぎでしょ。めっちゃ眉間にシワ寄ってたし」
立ち上がったフォルテが、カノンの眉間を人差し指で何度か軽く突いた。
「私も自分の身ぐらい自分で守れるようにしなきゃって……」
棘狼の件もそうだが、公爵に狙われているという可能性も消えたわけではない。
だからこそ護衛が付くわけであり、万が一のことが起きた時にただ足を引っ張るのは嫌だった。
突かれた額を押さえながら、少し俯いてカノンが言葉を零すと、フォルテが「あぁ、それ」と何か思い出したような声を上げた。
「言うと思ったから訓練の準備進めてあるよ」
あまりにも先手を打ち続けるフォルテに、カノンは目を丸くする。
「棘狼に襲われた時、なんかビミョーな顔してたじゃん」
視線を逸らしたフォルテだったが、その言葉は、彼が普段からカノンのことをよく見ているかを如実に示していた。
「そ、そんなに分かりやすいかな……」
確かにあの時、カノンは自分の無力さに気落ちしていたが、声にしたわけではない。
あんな一瞬の心の浮き沈みを見抜かれていた事実に、むず痒い心地を覚えつつも、不覚にも少しばかり嬉しいと思ってしまった自分を誤魔化すように、カノンはそっぽを向いた。
「まぁ……みんな同じこと考えんじゃね、多分。でもそんな肩肘張らなくていいよ」
「え?」
思いがけない優しい言葉に、背けていた顔を戻す。
そこにあったのは、真剣な眼差しでカノンを見つめるフォルテの姿だった。
「言ったじゃん、守るって」
そう言った彼の表情は、いつものような気だるさもなく、余裕もない。
まるでカノンに誓いでも立てているかのような切実さを感じさせるものだった。
助けられてすぐ、彼は確かに言っていた。
それでも、あんな目覚めてすぐの言葉など単なる冗談だと思っていた。
もしかすると、フォルテは一度も冗談など言っていないのではないか、という飛躍しすぎた考えが頭をよぎる。
「まぁ、俺がいない時は不安なので訓練は真面目に受けてください」
「が、がんばります」
すぐにいつもの気だるげな表情に戻ったフォルテに、少しだけ心の距離が近づいたような気がして、カノンはそっと訓練場へと視線を向けた。
そこでは、先ほどの少年が先輩と思しき人影たちと楽しげに笑い合っていた。




