11. はじめての魔法
翌日。フォルテの屋敷にある訓練場で、カノンはジュストとリエートの二人と顔を合わせていた。
「本日よりカノン様の身辺警護を務めさせていただきます、ジュスト・スル・フォーコです! カノン様に安心して暮らしていただけるよう、誠心誠意お仕えいたします!」
「同じくリエートっす! 同じく誠心誠意お仕えさせていただくっす!」
敬礼する二人に、カノンは「こちらこそよろしくお願いします」とお辞儀で返す。
「二人とも、これから一緒にいることが多くなるでしょうし、あまり堅苦しいのはなしにしましょう。私も、もう貴族令嬢じゃないわけですし」
自然に口をついて出た言葉に、ピアーヴへの道すがらフォルテが言っていたことを思い出す。
もしかすると、あの時点でフォルテはこうなることを想定していたのかもしれない。
ただ、カノンの言葉に「はいっす!」とすぐに破顔したリエートと違って、ジュストは初対面の頃の緊張をぶり返したように肩をこわばらせている。
ジュストの緊張を解くのは時間がかかりそうだ、とカノンは苦笑してしまう。
「そういえば、二人は護衛だけじゃなくて魔法も教えてくれるのよね?」
「はい。部隊長よりそう言付かっております」
「ジュストさんが支援中心で、俺が戦闘を中心に教えるっす!」
フォルテが話していた「準備を進めている」というのは、二人に指導をお願いしているということだった。
騎士団の訓練場での会話のあと、家に戻った時の会話を思い出して、フォルテの少し嫌そうな顔が浮かんだ。
◇
「訓練の話、ジュストとリエートに頼んどいたから」
夕食後、フィーネが皿を片付ける横でフォルテがそう切り出した。
「ありがとう! あの二人なら少し仲良くなったし、やりやすいかも」
「……はぁ。本当は俺が教えられたら良かったんだけどね」
いつの間にか用意された紅茶に手を付けながら、フォルテが視線を逸らして呟く。
確かに言われてみれば、やたらと構ってくるフォルテにしては、他人に任せるというのは珍しい気がした。
「忙しいからだと思ってたけど、違うの?」
紅茶を差し出してくれたフィーネに「ありがとう」と目礼し、カノンはカップの取っ手に手を伸ばす。
「俺、魔法使えないから」
「え? でも魔法陣とか使ってたじゃない。魔力はあるんでしょ?」
「あー、なんて言えばいいんだ。魔法が使えないっつーか、実用レベルでは使えないって感じ」
机に突っ伏して顔を逸らすフォルテは、どうにも居心地悪そうに唸っている。
フォルテにとって、あまり言いたい話ではなさそうだった。
「つまり、教えられることがないってこと?」
「そう。まぁ、転移魔法だけは使えるけど、あれは最初に教わるもんでもねーし」
転移魔法といえば、魔法陣とは異なる高等魔法だ。
それは、事前に陣を用意する必要がなく個人での転移を可能とする魔法。
カノンが幼少教育で使った教科書には存在程度しか記載のないものである。
確かに初めて魔法を使う人間が教わるようなものではない。
「だからまぁ……騎士団のなかでも実力のあるやつらに頼んどいたから」
まだ突っ伏したままの姿と、会話の中に少しだけ自慢げな言葉を交ぜる彼の姿が、年下の男の子らしさに溢れていてカノンは思わず顔を綻ばせた。
◇
「早速教えてくれる?」
昨夜のフォルテとの会話を頭の隅に寄せ、カノンがジュストとリエートに問いかけると、二人はそれぞれ頷いた。
「もちろんです。カノン様は侯爵家の生まれですから、魔法理論はすでに学ばれていますよね」
「そうね。といっても基礎も基礎だけど」
「大丈夫っすよ。俺なんて基礎どころか未だに理論もよく分かってねーっすから!」
笑い飛ばすリエートを諌めるようにジュストが咳払いをすると、リエートが口元を押さえて視線を泳がせた。
「全く……魔法理論を学ぶ中で、魔法を行使するには魔力が必要とあったかと思います。今日は初めてですし、魔力を感じ取ること、簡単な操作から学んでいきましょう」
「お願いします、先生」
「せ、先生はやめてください……! は、はじめますよ!」
カノンからの呼び名にジュストは両手を振って顔を赤くしながら、一枚の紙を取り出した。
受け取ると、それは何の変哲もないまっさらな紙だった。
そして、ジュストも手元に同じものを用意し、目の前に掲げて見せる。
ジュストが親指と人差し指で紙の端をつまむように持つと、当然反対側がだらりと垂れ下がった。
「見ていてください」
そう言ってジュストが目を閉じた直後、垂れ下がった側が微かに動き始める。
次第に強く、最後には音を立てて上下に大きくはためいていく。
ジュストが目を開くと、紙は元通り垂れ下がった状態へと戻った。
「これが魔力操作です。通常、魔力そのものは外部に影響しませんが、こうして制御することで魔力そのものが影響力を持ちます」
「その現象にイメージを上乗せすることを魔法と呼ぶのよね」
「その通りです。学ばれたことがしっかりと定着していらっしゃいますね。では、まずは魔力を感じ取ってみましょう」
ジュストに言われ、カノンは彼と同じように紙を軽くつまむ。
風もなく垂れ下がった紙は一切動く気配がない。
「耳を澄まして呼吸の音、脈動の音に意識を向けてください。次に、身体を流れる血液、そして心臓の動きに意識を」
言われた通り、耳を澄まし全身へと意識を巡らせていく。
すると、身体を内側から突かれるような、妙な感覚がカノンを襲った。
「その中にむず痒い違和感はありますか?」
「ある……体を内側から触られてるような変な感じがする」
「それが魔力です。次に、その違和感を全身から手元へと集中させていってみましょう」
また言われた通り、全身の違和感へと意識を巡らせ、それを徐々に手元へとまとめていく。
頭からつま先。
手元から距離が遠い箇所にあった違和感が、それぞれ強度を増しながら集まっていくのを感じる。
やがてバラバラだった違和感が胸元で合流し、手元へと移動していく。
それが現象となって現れたのは、魔力が一箇所に集まるのを自覚したのと同時だった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴がカノンの口から漏れる。
持っていた紙がはるか上空へと吹き飛ばされたのだ。
「カノン様、すげー!」
「お見事です。さすがはフィウメ家の御息女ですね」
呆然とするカノンに、ジュストとリエートが称賛の声を上げる。
どうやら初歩は難なく超えることができたようだった。
「いま、カノン様が持っていた紙は飛んでいってしまいましたが、それを紙を揺らす程度に抑えるのが次の目標ですね」
「でもすげーっすよ! 普通逆っすから!」
「逆?」
「多くの者が初めは微かに揺れる程度なのです。なので、揺れ幅を大きくするよう練習していくことがほとんどですね。つまり、カノン様は魔力の保有量が多いということです」
貴族は魔力量が多い、というのは本当だったらしい。
これまで自覚はなかったが、初めて魔法の一端に触れたことでカノンは、つい頬を緩ませてしまう。
「ちなみに、いまの感覚に『燃えろ』とか『吹きとばせ』ってイメージを乗せると魔法になるっす!」
燃えろ、か。
と、炎のイメージがカノンの頭に浮かぶ。
「馬鹿! いまはまだ──」
瞬間。
カノンの右手のひらに魔法陣が浮かび上がり、炎の球体が現れた。
そして、急速に回転をはじめ、魔力を巻き込むように大きさを変えていく。
全身から何かが吸い取られていく。
血の気が引く感覚によく似たそれに、頭が冷えていくのを感じる。
「カノン様! 炎が消えるイメージを!」
ジュストが叫ぶも、目の前の炎を視認してしまっていることで、消えるどころかイメージがより強固になっていく。
カノンはなんとか何もない光景を思い浮かべようとするも、脳貧血を起こしたような状態では、それどころではなかった。
眼前で燃えながら回転する炎球。
周囲の土が、魔力の余波で抉れていく。
炎球のあまりの大きさに腕を前に突き出す。
それを手のひらに留めておくのも、いよいよ限界だった。
「──落ち着いて」
突き出した腕を、不意に誰かの手が包んだ。
「フォルテ!?」
どうしてここに、と続けるより早く、後ろから覆いかぶさるように引き寄せられる。
「集中して。制御は俺がするから。カノンは炎を留めることを意識して」
カノンは炎球へと意識を戻す。
その場にあり続けるイメージを浮かべるのは、炎が消えることをイメージするより容易かった。
やることがひとつになったおかげで、残った集中力でもそう難しくない。
腕を包むフォルテの右手に少し力が入る。
漫然と散らかっていた魔力の感覚が再び一箇所に集まり、徐々に全身へと分散されていくのが分かる。
轟々と燃え盛っていた炎球が燃料である魔力を失い、急速に小さくなっていく。
「蝋燭の火を吹き消すイメージを浮かべて」
フォルテに言われ、夜、寝室で蝋燭を吹き消す時のことを思い返す。
頭の中でそっと吹き消すと、手のひらに残っていた小さな火の玉がふっと消えた。
何とか事なきを得たことで、カノンの全身から一気に力が抜けた。
「び、びっくりした……」
「それはこっちのセリフなんだけど。気になって来てみればなんか燃えてるし」
後ろから抱きかかえられたまま上を見ると、フォルテが呆れた顔でカノンを見下ろしていた。
無事だったという安心と助けられたことによる安堵が混ざり合う。
そんななか、二つの足音が土埃を立てながら近寄ってきた。
「部隊長! 私が付いていながら、大変申し訳ございません……!」
「申し訳ございません!」
目線を落とすと、ジュストとリエートが地面に擦り付ける勢いで頭を下げていた。
リエートに至っては普段の口調も鳴りを潜め、顔を青ざめさせている。
「何があったの」
フォルテが淡々とした口調で二人に質問を投げる。
カノンを抱く両腕に力が込められ、身体がさらにフォルテと密着した。
「魔力操作の訓練中でして、カノン様の手元に魔力が残留しているにも関わらず、炎のイメージをお伝えしてしまいました……ッ! 私の責任です……!」
「違うっす! 俺が攻撃魔法のイメージの話をしたのが悪かったんす……!」
二人の謝罪を聞き、カノンはバツの悪い顔で再びフォルテを見上げた。
元はと言えばカノンが勝手にやったことだ。
事前にどの過程で魔法が発動するのかを確認していたにも関わらず、明確にイメージを乗せたカノンに非があるのは間違いない。
確かにリエートの言葉のタイミングも悪かったのかも知れないが、今回のことはカノンに落ち度があった。
「あ、あの、二人は悪くないの!」
フォルテの腕の中で弁明しようとしたカノンだったが、溜息をつかれてしまう。
カノンを見下ろす彼の瞳は、何か懐かしむような、そんな瞳だった。
「いいよ。どうせこの人が説明も聞かずにやったんだろうし」
腕を外す様子もないまま、フォルテが二人へといつもの気だるげな目を向けて答える。
図星をつかれたカノンが羞恥から顔を染めていると、心なしかカノンを包む腕が緩まった気がした。
「ただ、次からは気をつけてあげて。この人、意外に好奇心旺盛っぽいから」
「二人とも本当にごめんなさい……!」
動きをフォルテによって制限されながら、カノンが頭を下げる。
二人は首を振って、改めて腰から深く上体を傾けて謝罪の言葉を繰り返した。
「フォルテもごめんね。助けてくれてありがとう」
「ん」
「ただ、そろそろ離してくれると……」
今度は先ほどまでとは違った恥ずかしさが立ち込めるのを感じながら、フォルテに抗議の視線を送ると、離されるどころか再び引き寄せられる。
「ダメ。というか、いま離すと倒れるよ」
彼の言葉に首を傾げると、突然彼の腕から解放される。
すると、足に力が入らずにその場で崩れ落ちそうになった。
「ほらね?」
すぐに抱きとめたフォルテが、したり顔でカノンを見つめた。
そのまま流れるような動作で姫抱き──俗に言うお姫様抱っこの形で抱きかかえられる。
「魔力切れでまともに動けないから、今日はもう終わりで。二人とも、悪いけど地面均しといてくれる?」
背筋を伸ばし「承知いたしました!」と敬礼する二人をよそに、フォルテは邸宅の方へと進んでいく。
顔を真っ赤にしたカノンは、まともに動かない体でもがくも無駄だと悟り、そのまま身を委ねるしかなかった。




