12. 姉は突然に
「燃えろ──っ!」
拳大の火球が的に向かって放たれ、着弾と同時に小さな衝撃音が鳴り響く。
「おー! これで初級はばっちしっすね!」
「お見事です!」
訓練を開始してから2週間。
元々魔力量が多く、理論などの基礎がしっかりしていたカノンの習熟速度は相当に早いらしい。
その速度はフォルテをして「まぁ、早い方なんじゃね」と言わしめるほどだ。あまり面白くはなさそうだったが。
もちろん、初日のあれ以降、制御を失うことも魔力を枯渇させることもない。
あの日、家の中で寝かされたあと淡々と詰められたカノン。お姫様抱っこも大概だったが、正直かなり反省していた。
そして魔法が使えるようになった今、便利であると同時に怖いとも思った。
こんなものを必要とする場所で戦うフォルテやジュストたちを否が応でも想像してしまう。
「では、次はこちらですね」
ジュストが手のひらに黒く輝く石──魔核を乗せて微笑む。
「治癒魔法ね……」
正直言って、カノンは治癒魔法があまり得意ではなかった。
上手く発動すれば魔核は白く変色するのだが、昨日の訓練では魔力を込めすぎてしまったせいで真っ二つに割ってしまった程だ。
「よし、いきます!」
両手を魔核に向け、全身に意識を集中させる。
昨晩、難しいと嘆いていたカノンに「繊細な魔力操作が求められる治癒魔法や高位魔法では両手を使うと良い」とアドバイスをくれたのはフォルテだった。
確かに手元に集めた魔力の操作が、昨日までに比べると段違いにやりやすい。
教えられることがない、と言っていたフォルテだが、先日のことも含め、なぜか魔力操作に関しては相当の実力を持っているようだった。
「癒しを!」
手元へと集めた魔力に癒しのイメージを上乗せする。
カノンが想像したのは、大空の下で吹く優しい風だった。
魔法陣が浮かび上がり、周囲に粒子が舞う。
そうして魔法陣が僅かに回転し、やがて魔核へと触れると小さく光を放った。
「やった……!」
光が収束し、魔法陣が光の粒へと変わると、魔核が黒から白へと色を変えていた。
つまり、成功ということだ。
「やったっすね! カノン様!」
「ありがとう、リエート!」
喜びから上げられたリエートの右手を、カノンは自分の右手で軽く叩く。
「あれ……ジュスト、どうしたの?」
「あぁ、いえ……自分は治癒魔法の習得に1ヶ月かかったものですから……」
ジュストは呆然とした表情で遠くの空を見上げている。
かける言葉が見つからないカノンに、リエートが小さく「1ヶ月でも相当早いんすよ……」とフォローを入れるも、ジュストはさらに肩を落としてしまった。
「でも、2週間っていうとあれっすね、部隊長みたいっすね」
「そういえば部隊長も1週間かからず習得したって聞いたな……しかもまだ12歳で……」
「え? フォルテって魔法は使えないんじゃないの?」
正確には実用レベルでは使えない、という話ではあったが、治癒魔法が使えるのであれば十分に実用レベルなのではないか、という疑問が浮かぶ。
「それがよく分からないんです。剣も魔法も天才的だという噂はよく耳にしたんですが……」
「なんでか転移魔法以外は使わないんすよ。転移できるぐらいだから魔力制御は完璧なんすけどね」
ふとジュストが顎に手をあて、何か思い返すように俯く。
「これも噂ですが……昔、事故に遭って以来、転移魔法しか使えなくなったとか。まぁ、あくまでも噂ですが」
「フォルテにそんな噂が……」
「まぁ、剣と魔力操作だけであんだけ強かったら関係ないっすけどね!」
カノン自身もフォルテと出会ってまだ1ヶ月足らず。
当然、彼の全てを知っているはずもない。
どういった事故だったのか。後遺症や傷は残っていないのか。本当に魔法が使えなくなったのか。
噂話だとしても気になったことはある。
だが、そもそもフォルテとは友人でも何でもないのだ。
彼のあれこれを詮索しようとするのは、元とはいえ令嬢として育ったカノンには気が引けた。
「カノン様。少しよろしいでしょうか」
カノンが思案にふけっていると、背後から突然フィーネに声をかけられ、カノンは顔を上げた。
この家の人間は気配を消して近寄ってくるのが上手すぎる、と驚きを隠せないまま「どうしたの?」と言葉を返す。
「フォルテ様の姉君であるシノ様がお見えになっております。カノン様とお会いになりたいとのことですが、いかがいたしましょうか」
「お姉さんが私に?」
頷くフィーネに、急いで準備をしてほしい、とカノンは答えた。
その返答を確かめると、フィーネは音もなく──スカートの中でどうやって足を動かしているのだろう──邸宅の方へと戻っていく。
カノンも着替えのために、ジュストとリエートに今日の訓練への感謝を伝えて駆け出す。
世話になっているフォルテの姉となれば断るわけにもいかないが、せめて事前に教えてほしかった。
全く、この世界の貴族はどうしてこうも連絡を怠るのだろうか。
と、この世界の常識と前世の価値観が脳内で喧嘩しそうになる。
応接間の準備をほかの使用人へと任せたフィーネに手伝ってもらいながら、急いでドレスへと着替えていく。
土埃が気になったが、フィーネがあっという間に魔法でなんとかしてくれた。
(流石魔法……便利過ぎる……!)
戦闘魔法は恐ろしいが、こういった生活に溶け込んだ魔法はあまりにも便利だ。
そんな魔法の便利さに前世の価値観が吹き飛ばされそうになるなか、応接間へと辿り着くカノン。
フィーネが扉を開くと、その先にはフォルテと同じ黒髪を腰まで伸ばした、とんでもない美人がいた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。フォルテ様の元でお世話になっております、カノンと申します」
カノンがお辞儀をすると、とんでもない美人はすっと立ち上がり、同じように頭を下げた。
「シノ・スル・フィルマメントよ。弟に変なことされてない?」
「そんなまさか! とてもよくしていただいております」
出会ってすぐに求婚されましたけど、とは言わない。
といっても、あれきり結婚を迫られるようなことはなくなったので、特に問題はないのだが。
「本当に──」
まただ。
カノンがこの邸宅で目覚めた日のフォルテと同じく、シノが何かを言いかけてやめる。
姉弟は似るというが、こういったところも似るのだろうか。
カノンは困惑した顔を浮かべたが、シノはフォルテと違って額に脂汗を滲ませるようなことはなかった。
「なるほどね」
シノがひとりで納得したように呟く。
何がなるほどなのだろうか。
「あの、何がでしょうか……?」
「いや、聞いてた通りめちゃくちゃ可愛いなって」
ものすごい美人がものすごく軽薄な言葉を真顔で吐いた。
「まぁ立ち話もなんだわ。座りましょ」
「は、はい……」
1分足らずの時間ですっかり振り回されながら、カノンはシノに言われるがままソファへと腰を下ろす。
貴族称号を名乗っていたのだから当然ではあるが、シノの所作は元令嬢のカノンから見てもお手本のように美しかった。
(あれ?)
勢いに気圧されて気付かなかったが、シノが「スル・フィルマメント」と名乗ったことに遅れて引っかかりを覚える。
「どうしたの?」
「い、いえ。フォルテ様とは領地名が違うな、と」
「あぁ。あの子が継承権を捨てて家を出ていったから」
「継承権を捨てた……? あのフィルマメント家の……?」
にわかには信じられない話だった。
フィルマメント家といえば、皇都でも絶大な影響力を持つ名門侯爵家だ。
斬新なデザインのファッションでネーヴェ皇国のトレンド最先端を走り続けており、社交界ではフィルマメント家のブランドによるドレスを纏うことが一種のステータスになってさえいる。
そのフィルマメント家の継承権を捨てるなど、通常考えられないことだった。
「そ。だから今は私が当主」
用意されたカップに口をつけ、シノが何でもないことのように言う。
カノンの記憶ではフィルマメント家の当主は気さくな紳士だったはずだ。
8歳の時に参加したパーティーで、まだ幼かったカノンにも丁寧に接してくれたことをよく覚えている。
それに前当主はまだ若く、当主が交代する理由など思い当たらなかった。
不思議そうにカノンが首を傾げると、シノが「あぁ」とカップをテーブルに置いた。
「そっか、カノンちゃんはちょうど知らないか……前当主は亡くなったの」
「そんな……」
「馬車での事故でね。お母様もその時に」
事故という言葉に、ジュストが話していたフォルテの噂が頭をよぎる。
「もしかしてフォルテもその時……」
シノが小さく肩を揺らす。
一瞬だけ、これまで軽い調子で話していた彼女の表情が陰ったように見えた。
一度に両親を失ったのだ。
そう簡単に傷が癒えるはずもない。
「……えぇ。あの子も一緒に乗ってたわ。そのあとすぐよ。あの子が家を出たのは」
「そのあとラルゴ騎士団長の元に?」
「そう。それでいつの間にか、こんな屋敷に住めるほどの地位に就いてたってわけ」
部屋を見渡したシノは、カップを手に取り中身を一気に飲み干した。
「ま、この話はここまでにして。それより、今度一緒に買い物にでも行きましょ」
話題を変えるようにシノが顔を綻ばせる。
カノンもつられるように小さく笑みを浮かべた。
「良かったら私の店も案内するわ」
「いいんですか!?」
「もちろんよ。似合いそうなものをいくつか選んでおくわね」
あまり服に頓着しないカノンだが、フィルマメント家のものとなれば話は別だ。
以前は幼かったこともあり、カノンが羨むような服は着られなかったが、17歳となった今なら着こなすこともできるはず。
そんな考えについ頬を緩ませていると、扉がノックされた。
扉は、こちらの了承を待たずに開かれた。
「シノ。来るんだったら言えって」
そこにはこめかみを押さえながら立つフォルテの姿があった。
「あら。了承もなしにレディのお茶会に入ってくるあなたに言われたくないわ」
「了承もなにも、ここ俺の家だし。ノックしただけマシじゃね」
言い合う二人は、どちらも本気で話しているわけではなさそうだった。
きっといつも通りのやり取りなのだろう。
シノが足を組み直すタイミングで、フィーネが空のカップにおかわりを注ごうとすると、シノは「もう大丈夫よ」と手で制した。
「なに、もう帰んの?」
「今日はカノンちゃんの顔見に来ただけだから。じゃ、近いうちにね、カノンちゃん」
そう言ってウィンクするシノの姿は、それだけで結婚を申し込む令息たちが殺到してもおかしくない美しさだった。
カノンは終始圧倒されながら、なんとか返事を返す。
部屋を出ていこうとするシノをフォルテが見送ろうとすると、シノは「ここでいいわ。転移で帰るから」と手を振った。
転送ではなく、転移。
恐ろしくハイスペックな姉弟だな、と部屋をあとにするシノの背を見送りながら、カノンは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「そういえば、フォルテがこの時間に帰ってくるの珍しいね?」
この2週間、フォルテの帰宅はいつも日が暮れてからだった。
それにあわせてフィーネが夕食の支度を整えているのだが、今日はまだ陽も高い。
「あぁ、皇都の視察に行くから。一緒に行く?」
思えば地下牢から助けられてから、一度も街に出たことがなかったカノンは、その言葉に心を踊らせた。
ただ、仕事なら邪魔になってしまわないか少し迷う。
しかし、もしそうだったならフォルテは誘ってこないと自問自答する。
彼はいつも気だるげではあるが、仕事に関してはかなり真面目だ。普段の言動を見ていれば、それくらいは分かる。
だから、カノンはわずかな逡巡のあと、すぐに頷いた。




