13. デートは夕日のあとで
皇都へ着いて最初に目に入ったのは、見知らぬ屋台だった。
花屋などの移動販売は昔からあったが、飲食物の移動販売というのを初めて見たカノンは、吸い寄せられるように店先に向かっていた。
「どれにする?」
「えー……じゃあ、このテヌエッラ・コン・フラーゴレで」
カノンがメニュー表の中からひとつを指差すと、屋台の店主は「あいよ」と慣れた様子で頷いた。
店主が乳白色の液体をすくい、鉄板に広げていく。
その工程は前世の知識で知っていたが、この世界で見るのは初めてだった。
「ねぇ、これってクレープだよね?」
生地の焼ける音に期待を高めながら、カノンは隣のフォルテに耳打ちする。
「多分……俺も初めて見るけど」
「もしかして、このクレープも第一皇子が?」
「いや、有名な料理屋のシェフが作ったって話だよ」
3年の間に色々なものが変わっていることに驚いていると、カノンの目の前にテヌエッラ・コン・フラーゴレが差し出される。
カノンが注文したそれは、薄く焼いた生地に生クリームと苺を包んだものだった。つまり、前世でいう苺のクレープである。
「いただきます!」
商品を受け取ったカノンは屋台の横へと移動し、目を輝かせる。
鼻先をくすぐる甘い匂いに心弾ませながら、一口かぶりついた。
すると口の中に生クリームの柔らかい甘味と、苺の程よい酸味が見事に調和して広がっていく。
「すごい、これまでのスイーツと全然違う!」
思わず感動の言葉が口をついて出る。
少し行儀は悪いが、口元を押さえただけマシだろう。
「ほら、フォルテも食べてみなよ。本当すごいから!」
興奮冷めやらぬカノンが、フォルテの口元にテヌエッラを寄せると、彼は驚いたように目を見開いた。
その様子に、カノンも自分がいま何をしようとしたのか気付く。
「あっ……ごめん……」
冷静になったカノンが差し出したテヌエッラを引き戻そうとすると、不意にフォルテに腕を掴まれ、その動きが止まる。
「くれるんでしょ」
フォルテがカノンの二口分かじり、テヌエッラが形を大きく歪ませた。
「あま」
「……食べすぎなんですけど」
赤くなった顔をテヌエッラで隠すようにしてカノンが呟く。
(どうするのよ、これ……)
テヌエッラとにらめっこをしていると、フォルテが手の甲で口を押さえて、笑いを堪えているのが聞こえてきた。
「なに笑ってるのよ」
「いや? べつに」
分かったうえでからかうフォルテを横目で睨みつつ、カノンは気を取り直してテヌエッラを一口頬張った。
幽閉される前は高級品だったはずの生クリームが、こんな道端で手軽に楽しめるようになったことに、カノンはつい頬を緩める。
すっかり上機嫌へと戻ったカノンは、そのまま屋台の脇で一口また一口と食べ進めていく。
前世であれば食べ歩きという文化もあったが、この世界でそんなはしたないことはできなかった。
そうしてテヌエッラを食べ終えたカノンは、そういえばこれが視察であることを思い出す。
「あれ、そういえばこれお仕事なんだよね……? こんな感じで良いの?」
「皇帝陛下は俺が見たまんまを知りたがってるし、別に気にしないでいいよ。仕事というより、休めって言われてる感じだし」
カノンは「そうだったんだ」と返すも、フォルテの帰宅時間の早さに首を傾げる。
もしかすると、という考えが浮かんだ。
「もしかして、いつも無理して早く帰ってきてくれてたりする?」
「なんで?」
「だって、皇帝陛下に休めとまで言われるなんてよっぽどじゃない。でも、帰りはそんなに遅くないし、だから無理してるのかなって」
目を見開いたフォルテが、すぐに噴き出す。
突然笑われたカノンが怪訝な表情を浮かべると、フォルテが「ごめんごめん」と笑いで滲んだ涙を拭った。
「やっぱそういう記憶はあんだね。朝から晩まで働くなんて、この世界じゃそれだけで働きすぎなんだよ」
「そうなの? でも、確かにお父様もそうだったわね……貴族だからなのかと思ってた」
「俺も普通に働いてるだけのつもりなんだけど、まぁ、でもそうだね。晩飯には間に合うようにしてるかな」
「じゃあやっぱり無理して……?」
カノンが隣を歩くフォルテを見上げると、フォルテが立ち止まる。
つられてカノンも立ち止まると、フォルテは小さく微笑んだ。
「一緒に食べた方が家族って感じするじゃん」
たった一言。
その言葉に鼓動が高鳴る。
朝食を一緒に食べ、夕食にも間に合うように帰ってきてくれる。
振り返れば、そんな何気ない時間が、両親と離れてできた心の穴を少しずつ埋めてくれていた。
だから今になってようやく気付く。
これまでカノンがそのことに気付かなかったことすら、フォルテの気遣いだったのかもしれないと。
「ほら、ほかにも行きたいとこあんじゃないの」
口を開くも言葉が出るよりも先に、フォルテに手を取られる。
カノンは薄く開いた口を弧を描くように閉じて、足を踏み出した。
そのあとはフォルテに案内され、市場を巡ったり喫茶店に寄ったりと、視察という名目もすっかり忘れ皇都を楽しんだ。
途中、フィルマメントの店の前を通りかかったが、シノと約束していると断ったカノン。
その時のフォルテの顔は、何とも言えないものだった。
ともかく、これ以上はお腹も足も限界というほど皇都を堪能した。
その頃にはすっかり日が暮れ出し、オレンジ色に染まる皇都に夜の気配が漂い始めていた。
「すごい……綺麗……」
皇城の下に広がる皇都。
その中間地点に位置する高台で、手すりから身を乗り出したカノンは皇都を見渡しながら息を漏らす。
皇都チェレステ──別名、空の都。
高台から見下ろす街は、その名の通りまるで雲の上に築かれた都のようだった。
皇都に入ってすぐにある市場も、この場所からは随分と小さく見えた。
紙袋を抱えて歩く人々や外から戻ってくる兵士たち、店先を片付け始める店員、灯りの点き始めた酒場。
そこに息づく人々の営みが、この世界を形作っていた。
「前世の記憶なんてあるせいで戸惑うこともあったけど、こうしてると、ここがちゃんと生きた世界なんだって実感するね」
今も、この世界がゲームの世界という話は信じられない。
ただ、部分的とはいえ前世の記憶のせいで、何かフィルターがかかったような現実感のなさを抱いていたのは事実だった。
「なんだ。こうしてるとデートみたいだね、って言うのかと思った」
肩をすくめてカノンが横を向くと、フォルテはこちらをじっと見つめていた。
手すりに肘かけた彼が、オレンジに照らされながら口の端を吊り上げる。
「まだ言ってるの?」
カノンが口に手を当て、年下の冗談を躱すように笑う。
頭ごなしに否定しなかったのは──。
形を変えたテヌエッラを思い出して、カノンは皇都へと視線を戻す。
「そりゃ本気だからね」
彼の声は、冗談なのか微妙に判別のつかないものだった。
だから、カノンは素直な気持ちを冗談交じりで口にすることにした。
「別にいいんじゃない? デートだったってことで」
「いいんだ?」
「いいよ、デートぐらい。でも、ヒロインは神様なんじゃなかったっけ?」
わざとらしく片眉を上げてフォルテを見れば、彼は降参したように髪を掻き上げて笑った。
そして、現人神ね、とやっぱり細かく指摘してフォルテは溜息をつく。
「信じてなかったんじゃないの、それ」
「まぁね。まだ信じられるものがないもの。魔法を使えば何かあるかも、とも思ったけど何もなかったし」
そう。自分が特別だと言われても、まだ実感できるような出来事は何ひとつない。
強いて言えば地下牢の壁を壊したことぐらいだろう。
けれど、あれも咄嗟のことで、自分でも何が起きたのか分かっていなかった。
ラルゴやフォルテからは、三年の幽閉生活を健康なまま生き延びたこと自体が異常だとも言われた。
ただ、それも実感を伴ったものではなかった。
「だから今は、自分のことを知りたい。自分が何なのか、何をしなきゃいけないのか。そういうことを」
これまでだったら荒唐無稽な話だと、受け止めようとすら思わなかった。
それが変わり始めたのは、父もそう考えていたという事実だけでなく、フォルテに信頼を寄せ始めているからにほかならなかった。
「何も知らないまま狙われ続けるなんてごめんだもの」
フォルテはカノンを瞳に映したまま、困ったようにふっと笑みをこぼした。
「ほんと強いよね、奏音は」
一瞬だけ、彼の瞳に映った自分の姿が揺らいだ気がした。
自分の名前が呼ばれたはずなのに、自分に届かないような、妙な感覚だった。
「帰ろうか」
手を差し出され、胸の内に広がる形容しがたい思いを持て余したまま、カノンは手を重ねる。
これはデートなのだから、と言い訳めいた言葉を抱いたまま。
帰り道も手は繋がれたままだった。
カノンはどうしてか、その手を振りほどく気になれなかった。
それどころか、離してはいけない気すらしていた。




