14. 忍び寄る黒
フォルテとの外出から戻り、ぱんぱんのお腹に何とか夕食を押し込み終えた頃。
定時連絡のため、リエートが部屋へと入ってくる。
「報告するっす! 屋敷周辺に異常なし、これから交代に入るっす!」
すっかり慣れた様子のリエートが、規律正しく背筋を伸ばして敬礼する。
「お疲れ。リエートも休んでけば」
「いいんすか!? って言いたいとこっすけどまたジュストさんに怒られるんで……」
姿勢を崩したリエートが頭を掻きながら苦笑する。
つい先日、交代のタイミングでフォルテに誘われるがままフィーネの入れた紅茶を堪能していたリエートは、ジュストにこっぴどく叱られていた。
ジュスト曰く、勤務後であっても騎士たるもの云々……ということらしいが、カノンにはその感覚はイマイチよく分からなかった。
流石に同じことを繰り返すリエートではないようで「フィーネさんの紅茶美味いんすけどね……」と、若干の未練を覗かせるに留めている。
「そういえば、お二人は今日皇都に行ってたんすよね? どうでした?」
他意はなく、単なる世間話としてリエートは言っているのだと分かってはいるが、何となく気恥ずかしい。
自分で認めておきながら、デートという言葉にカノンは目を泳がせる。
「デートしてきた」
「いいっすねー! あそこ行きました? 頑固親父がいる工房!」
「デートだっつってんのに行くわけなくない?」
何でもないように、あっさりデートと口にするフォルテと、全く気にも止めずに話を続けるリエート。
二人してさも当然のように受け入れられてしまうと、ひとり悶々としているのが馬鹿らしく思えてくる。
カノンだけが居心地悪そうに視線を彷徨わせていると、廊下からドタバタと足音が鳴り響いた。
ノックの後、フォルテが「どうぞ」と返すと珍しくジュストが勢いよく扉を開け、一礼した。
「リエート!」
「定時報告してただけっす!」
姿勢を崩していたリエートが跳ねるように直立する。
ただ、ジュストは顔を強張らせ、どこか切羽詰まった様子でリエートに何やら耳打ちした。
「えっ、ボスコにっすか!? でもあそこはついこないだ調査したばっかっすよ!?」
「軍もかなり苦戦しているらしい。騎士団も討伐に加わることになったから、悪いがお前も急ぎ向かってくれ」
聞こえてくる不穏な会話に、カノンの胸に不安と戸惑いが広がる。
狼狽するカノンを横目に、フォルテがジュストの名を呼んだ。
「何があったの」
問われたジュストは一瞬躊躇ったようだったが、すぐに顔を上げてフォルテを見た。
「ボスコに魔物が現れました。現時点で火猿、それに鏡蛇の姿が確認されています」
「それだけならいつも軍で対応してるよね?」
「軍が苦戦している理由は不明です。ただ、報告では魔物が──黒い霧のようなものを纏っていると……」
ガタン、と椅子の倒れる音がした。
音の方へ視線を向けると、フォルテが目を見開いて立ち上がっていた。
彼の頬を流れ落ちる汗は戸惑い、恐怖といったものをない交ぜに映し出しているような気がした。
ただ、息を呑む彼の姿は、この状況を待ち望んでいたようにも見える。
カノンには、本当のところを彼の表情から読み取ることはできなかった。
「……俺が行く。二人はカノンの護衛をお願い」
返事も待たずに部屋の外へと歩き出すフォルテを、ジュストが呼び止める。
「しかし! 命令は我々騎士団に下されたものです! 今回シニストラには何も──」
「責任は俺が取るよ。二人は脅されたとでも説明してくれていい」
「ですが……」
言い淀んだジュストがカノンへと視線を向け、すぐに俯いた。
その意味ぐらいはカノンにも分かった。
もしフォルテが出てしまったら、屋敷を守る戦力は大きく低下する。
ただ、公爵は動きを見せる気配すらない。カノンからしてもそこまで警戒する必要があるのか、と思うほどだ。
だからこそ、ジュストはいまどうすべきかを葛藤しているようだった。
「……分かりました」
「助かる。そういうことだから、リエートもカノンの護衛頼んだ。交代後に悪いけど」
「いえ! 精一杯守らせていただくっす!」
どんどん進んでいく話の中で、カノンは一抹の不安を覚える。
軍が苦戦するほどの戦いにフォルテが赴くということが、少しだけ怖かった。
「すげぇ顔してる」
フォルテがカノンの髪を掬う。
「心配ぐらいするよ。訓練して魔法ってすごい、って思ったけど……同時に、怖いとも思ったから」
この2週間を振り返れば、魔法の凄まじさや便利さは否応なしに理解できる。
カノンが覚えた初級魔法ひとつ取っても、前世の銃をはるかに上回る威力を誇っている。
だからこそ、それ以上の魔法を行使できる軍が苦戦している戦場、というのがそら恐ろしいものに思えた。
「大丈夫。俺強いし。だからここで待ってて」
そう言われてしまえば、カノンは頷くしかない。
元より彼を止める術も権利もカノンにはないのだ。
だから、カノンはフォルテを見上げて微笑んでみせた。
「初級だけど治癒魔法も習ったから。かすり傷までなら治してあげられるからね」
「頼りにしてる」
そう言ってフォルテはカノンの頭を一度撫でた。
彼の大きな手の温もりに、込み上げていた不安が少しだけ和らぐ。
「じゃあ、あと頼んだよ」
ジュストとリエートが敬礼で返すと、フォルテはカノンを背にして立つ。
その場で宙空に陣を描き、魔法陣を足元に現出させると、あっという間に姿を消した。
「こちらをどうぞ」
カノンが居間を行ったり来たりしていると、フィーネが机にカップを用意してくれた。
「ソワルンの茶葉です。少し落ち着きますよ」
「ありがとう……」
透明感のある薄いオレンジ色をしたそれを口に含むと、ほのかな甘みが口に広がる。
ただ、いくら落ち着いても万が一を考えてしまう思考は、さらに勢いを増していくばかりだった。
そばにいるジュストとリエートの表情もどこか暗い。
「そういえばジュスト、シニストラって?」
逃避するように、さっきの会話でジュストが口にした聞き慣れない単語のことを聞くと、ジュストは「あぁ、それは」と眉間に寄せていたシワをほどいた。
「皇帝直属部隊の名称ですよ。騎士団とは違い、公に姿を見せることは滅多にありません。シニストラという名も、知っている者の方が少ないでしょう」
「またの名を、皇帝の左手って言うんすよ。超エリート揃いっす」
「ですから、その……」
そこで言葉を詰まらせるジュストにカノンが首を傾げると、リエートが小さく笑い出した。
「だから心配しないで大丈夫って言いたいんすよ、ジュストさんは。本当口下手っすねぇ」
「う、うるさい……」
顔を背けるジュストだったが、背けたことで赤くなった耳が丸見えだ。
こんな時に自分のことで余計な心配をかけてしまったことを反省しつつ、カノンはカップに入れられた紅茶を再び口に含む。
フォルテの強さは自分の目で見ている。
だから、自分が心配するようなことは何もない。
怒号が屋敷に響いたのは、カノンがそう言い聞かせた直後のことだった。




