15. エンデ
※流血描写があります
怒号、剣戟、魔法。
屋敷を包んでいた音が、突如として鳴り止む。
不自然なまでの静寂が居間に訪れる。
ただ、ひとつ。
誰のものとも知れない足音だけが、カノンたちに近づいてきている。
「リエート、カノン様を」
扉の前で構えるジュストが、視線を前に向けたまま背後のリエートへと指示を出す。
リエートはカノンの前で剣を構え、すぐに魔法を行使できるように魔力を集中させていく。
また静寂。
そして、近づいていた足音が部屋の前で止まる。
ドアノブが、静かに降ろされる。
金属の擦れる音だけが、やけに大きく耳に響いた。
「あれ、まだいんのかよ。人材豊富過ぎんだろ」
黒。
扉の向こうに現れたのは、闇夜よりもずっと深い、黒そのものを纏ったような男だった。
黒い髪はフォルテに似ているが、伸びた前髪の隙間に光る赤い瞳が、男の不気味さをより際立たせている。
カノンが黒装束の男の登場に圧倒されていると、ジュストが何も言わずに斬りかかった。
「は?」
声はジュストのものだった。
何が起きたのか、カノンは当然、リエートも、そしてジュストすら分かっていない様子だった。
ジュストが振り上げたはずの剣が、おかしな軌道を描き、自身の足に突き立てられていた。
「ぐぅ……あぁぁ……」
剣が突き立ったままの太ももを両手で押さえるジュストのうめき声が上がる。
鮮血が溢れ出し、白い団服を染めていく。
男は一歩も動いていない。
ジュストも剣を握ったままだった。
この状況で、彼ほどの騎士が自ら足を刺す理由がない。
「カノンさん! 窓から逃げ──」
言い終わる前に、リエートの体が真横に吹き飛ばされる。
壁に強く打ち付けられたリエートの口から、空気が一気に漏れ出す。
「俺はエンデ。良い名前でしょ? さすが神様って感じしない?」
二人のことなどどうでもいいように、エンデと名乗った男がカノンを赤い双眸で捉える。
逃げなければ。
そう分かっているのに足が竦む。
足音をひとつずつ鳴らしながらエンデが近づいてくる。
まるで自分のものじゃないように、全身が硬直している。
逃げられない。
諦めにも似た感情に襲われるカノン。
さらに近づいてくるエンデの前に、カノンを庇うようにフィーネが立ちふさがった。
「あー、メイドのお姉さん。俺、意外と女の人には優しくしたいタイプだからどいてくれる?」
「貴様……スオーロ公爵の手の者か?」
普段からは想像のできない低い声で、フィーネが構えた。
その構えにメイドとしての優雅さはまるでなく、歴戦の戦士のような凄みすら感じる。
──この人、うちのメイド……メイドだよね?
──はい。そのつもりでお仕えさせていただいています。
この家で目覚めたばかりの頃の、フォルテとフィーネの会話が頭をよぎる。
「公爵? あぁ、アレか。いや、全然手の者とかではないよ。アレももう自分で考えるとかできなくなっちゃったし?」
「……どういうことだ」
「分かんない? まぁ分かんない──」
瞬間。フィーネの姿が消えた。
「──か。って、お姉さん速いねぇ。マジで見えなかったわ」
いつの間にか短剣を握っていたフィーネが、エンデに向かって短剣を振り下ろしていた。
しかし、黒い霧のようなものに阻まれ、短剣は男にまで到達できずにいる。
「まぁ、でも。そういうのはだりぃわ」
霧が霧散し、支えを失ったフィーネの体勢が崩れる。
その一瞬の隙に、エンデが回し蹴りの要領でフィーネの体を蹴飛ばした。
蹴り飛ばされたフィーネの体は窓を割って外へと転がっていく。
床にはいつの間にか砕かれたフィーネのピアスが散らばっている。
「あぁぁぁあああ──ッ!!」
倒れていたはずのジュストが、エンデの背後で剣を振りかざす。
「だから、だるいって」
それはエンデが振り向いたのと同時だった。
ジュストの体が、まるで糸で引かれた人形のように後方へ吹き飛んだ。
ジュストの体が壁に強打し、塗装ごと剥がれ落ちる。
それでもジュストは立ち上がろうとしたが、意識を失ったのかその場に伏した。
「お、まえ……」
今度はリエートがふらつきながらも立ち上がった。
壁にもたれながら、剣を拾う。
足は震え、呼吸も乱れている。
それでも、一歩も退こうとはしなかった。
「すごいすごい。マジで立派だわ、あんたら──反吐が出るぐらい」
リエートに近寄ったエンデが、リエートの髪を掴んで腹部に膝を入れた。
呻くリエートが姿勢を崩すも、エンデはそれを許さず、リエートの髪を掴んだまま無理矢理に立たせる。
「や……め、ろ……」
エンデは抵抗するリエートなど意にも介さずに引き摺っていく。
そしてカノンから少し離れた場所にリエートを放り投げ、エンデは彼の背に乗るように腰を下ろした。
「あんたが現人神さまか。へー? 可愛い顔してんのにもったいないね」
カノンを舐めるように見つめるエンデは、およそこの場に似つかわしくない顔で微笑んだ。
その笑みに、カノンの中で何かが切れた。
カノンは全身に意識を巡らせ、手をエンデに向けて突き出す。
「燃えろッ!」
急速に集められた魔力にイメージが上乗せされ、火球となってエンデに向けて放たれる。
イメージが鮮明だったのか、訓練で行使したものよりもずっと強いものだった。
直後、窓を揺らすほどの衝撃音と共にエンデの頭が爆煙に包まれる。
この時のカノンは知る由もないが、それは中級魔法とも呼べる威力を持っていた。
「なんで魔法? 神の力使えばいいのに」
カノンの魔法を防いだであろう黒い霧を霧散させ、何もなかったかのようにエンデが首を傾げた。
歯が立たない。
騎士であるジュストとリエート、それにあれほどの動きを見せたフィーネを簡単にあしらったのだ。
当然の結果だった。
少しぐらいは自分の身を守れるようになったと自惚れていた。
だが、そんなことはなかったのだ。少なくとも、目の前のエンデ相手には。
カノンはその場に座り込み、顔中から血の気が引いていくのを感じていた。
「あぁ、やっぱまだ使えない? あんたが覚醒すんのはもうちょい後だもんね」
そう言ってエンデは虚空を見つめ、少し考えたあとに一人納得したように頷き、掌に拳を叩き合わせた。
「ちょっと早めてみよっか」
エンデはリエートの左手を床に押し付け、彼の手首を強く握ることで無理矢理に手を開かせた。
その光景に、カノンは自身の中に魔力とは異なる、別の違和感が燻ぶり出しているのを感じていた。




