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6. 夜空の下で

 焚き火から立ち上る煙と薪の燃える音に包まれるなか、カノンは両手を広げて天を仰いだ。


「こんなに綺麗な夜空、久しぶり!」


 設営の手伝いをしようとして騎士団員たちから断られたカノンは、フォルテをはじめとした馬車組の三人と森の中を歩いていた。


 頭上には満天の星空。

 頬を撫でる涼風も心地よく、世界は広いという当たり前のことを思い出させてくれる。


 調子に乗ってスキップを踏み始めたカノンに、フォルテが呆れた声をかけた。


「足元、気をつけなね。上ばっか見てると転ぶよ」

「あのね、子どもじゃないんだから──」


 転ぶわけない、と言いかけた次の瞬間、夜露で濡れた草に足を滑らせた。


「ひゃっ!?」


 短い悲鳴のあと、そばにあった樹木に頭をぶつける。

 幸い泥濘に突っ込むことは避けられたが、ぶつけた額がそれなりに痛んだ。


 額を押さえながら恥ずかしさに振り返ると、ジュストとリエートが気まずそうに視線を逸らす。ジュストは咳払いで誤魔化していたが、リエートは口元を押さえつつも肩を震わせている。


 そして、期せずして預言者となったフォルテが堪えられなくなったのか、小さく噴き出した。


「いま笑った?」

「言ったそばから転ぶとか、面白すぎでしょ」


 そう言われてしまえば反論ができない。

 確かに、転ぶと注意されながらも転び、その上で額にタンコブを作った元令嬢など滑稽でしかなかった。


「ほら、ちょっと見せて」


 後ろを歩いていたフォルテがカノンに近づき、額をまじまじと見つめる。

 距離が近いことよりも、良い歳してはしゃいだ挙句にタンコブを作ったという事実を確認される状況に、カノンはより羞恥に駆られるのを感じた。


「ジュスト、これ治してあげて。多分ちょっと腫れてるだけだけど」

「かしこまりました!」


 フォルテが身体をズラすと、ジュストが「失礼いたします」とカノンの前に立った。

 その表情はやはり笑いを堪えているように見えたが、藪蛇だと思ったカノンは言葉を飲んだ。


「──癒やしを」


 詠唱とともにカノンの額にかざされたジュストの手元に魔法陣が浮かび上がり、淡い光を放つ粒子が周囲へと舞い始めた。

 魔法陣が額へとゆっくりと近づき小さく回転すると、微かな温かさを伴いながら徐々に痛みが引いていくのを感じる。


 魔法陣が光の粒となって消え、周囲を漂っていた粒子に紛れていく。

 光が収まった頃には痛みは完全に消えていた。


 恐る恐る額に触れると、さっきまであった小さなコブが跡形もなくなっている。


「すごい、治癒魔法が使えるんだ!」


 治癒魔法の使い手が少ないことを幼少教育で学んでいたカノンが、素直な賛辞をジュストへと送ると、彼は少し照れたように頬を掻いた。


「ジュストさんは治癒魔法が認められて騎士団に入ったって聞いたっす!」

「そうそう。さすがだよね」


 自慢げに話すリエートの言葉に同意しながら、フォルテがジュストの両肩を掴んだ。

 なぜかジュストは全身に緊張を走らせている。


「なにしてるの……」

「いや、労いの肩モミでもしてやろーかと」


 そう言いながら、フォルテは半歩ほど後ろへとジュストを下がらせた。


「こ、光栄です……!」


 フォルテの両手には大して力が入っているようには見えなかったが、恐縮しきったジュストの背筋はぴんと伸びたままだった。


 少しして解放されたジュストを最後尾にして、設営中の野営地が見えるギリギリの場所まで森を進んでいくと、夜空を映した新緑が微かに揺れる。

 最初に異変に気付いたのはフォルテだった。


「待った」


 その言葉にジュストとリエートは剣を構える。


「魔物ですね」


 ジュストはそう言うが、カノンには魔物どころか物音ひとつ聞こえていない。

 何を根拠に警戒しているのかは分からないが、皇都の中でも一握りの精鋭たちが構えたことで、理由のわからないままカノンも身を縮める。


 周囲を流れる張り詰めた空気にカノンは息を飲む。

 未だ何も聞こえない。ただ、三人の表情が確かに何かが近づいてきているのだと物語っている。


「リエート!」


 フォルテが声を張り上げたのと同時に、リエートが何かを剣で弾いた。

 弾かれた影が木々に打ち付けられ、鈍い衝突音を響かせる。


 暗闇の中で目を凝らすと、それは全身から棘を生やした黒い狼のように見えた。


「棘狼(こくろう)です!」

「まだ来るっす!」


 ジュストとリエートがカノンを挟むように、互いの立ち位置を変えていく。

 カノンが辺りを見渡していると、野営地からも「総員警戒!」とラルゴの怒声にも似た号令が聞こえてくる。向こうにも魔物が現れたようだった。


「俺がやる。二人はカノンを」


 声がカノンに届くと同時に、フォルテの姿が消えた。

 次の瞬間には棘狼のうち一匹が、血飛沫と共にけたたましい断末魔を上げて倒れ込む。


 視線が追いついたかと思えば、またフォルテの姿を見失う。

 右へと目線を動かした時には既に左に。

 左を向いた時には、また別の棘狼が倒れている。


 姿を認識できないまま、棘狼が斬られ、倒れる音。そして命が終わる声だけが耳を刺した。


 そうして彼の圧倒的な速度にカノンが翻弄されている内に、一匹、また一匹と倒れていく。


「速すぎ、というより強すぎ……」


 棘狼が残り一匹となった頃、フォルテの動きに圧倒されたカノンが感嘆の声を漏らした。


「当然です。部隊長はネーヴェ皇国が誇る最強の騎士ですから」

「なんたって皇族直属部隊の部隊長っすからね。俺らとは格が違うっす」

「ら? お前いま俺のことも巻き込んだか?」

「いやぁ、いくらなんでもジュストさんと部隊長じゃ比べ物になんないっすよ」


 軽口を叩きながらも、二人から油断や隙といったものは感じられない。

 そんな彼らの姿は、これこそが騎士なのだと、言葉以上に強く示していた。


「終わったよ」


 返り血一つ浴びた様子もなく、フォルテは涼しい顔で剣を軽く振り払う。

 彼の後ろには棘狼が折り重なるように倒れているが、いつ倒したのかカノンには見当もつかなかった。


「おぉ、お前らも無事……に決まってるわな」


 野営の設営地にいたラルゴが草木をかき分けながら、呆れたような笑みで近づいてきた。

 お前らも、という言葉通りに、彼もケガ一つないどころか鎧にも傷一つない。


「そっちも終わった?」


 フォルテが何でもないように聞くと、ラルゴは肩を軽く回して頷く。


「あぁ、問題ねぇ……なんだこっちも棘狼か。珍しくもねぇが、数を見るに近くに巣でもあったかね」

「念のため付近を調べますか?」

「いや、もうほかの連中に行かせてある。お前らはカノン嬢のそばから離れるんじゃねぇ」


 ジュストの問いにラルゴは即座に答える。

 改めて騎士団の強さとラルゴの統率力を目の当たりにし、カノンは強張らせていた全身から自然と力が抜けていくのを感じた。


 ただ、自分の身も守れず、こうして護衛してもらえなければ両親に会いに行くことすらできない自分が、少し情けなく思えた。


「ね、護衛がいてよかったでしょ」


 横からフォルテに肩を叩かれる。

 図星をつかれたカノンは頷くしかなかったが、せめてもと笑顔を浮かべる。


「うん。フォルテもありがとう、守ってくれて」

「惚れ直した?」


 これがなければ素直に惚れることもあるだろうに、と思いもしたが、カノンは素直に答えることにした。


「それはないけど、というか惚れてもないけど……格好良かった、のは認める」


 顔を逸らすカノンだったが、意外なことにフォルテは何も言わなかった。

 気になって彼の表情を見ると、呆気にとられたように目を見開き、押し黙っていた。


(私、なんか変なこと言った……?)


 軽口が返ってくると思っていたカノンは肩透かしをくらった気持ちになる。

 

「フォルテ! ボサッとしてねぇで魔核拾うの手伝え!」


 二人の間に流れていた微妙な空気を吹き払うかのような、ラルゴの叫声が飛んでくる。

 カノンの横を歩いていたフォルテが、頭を掻きながら「声でっか」と呟いて僅かに歩速を上げた。


「指揮系統が違うんじゃなかったっけ」

「バカ。拾えなんて命令してねぇだろ。手伝えって言ったんだ、俺は」


 ラルゴはしたり顔を浮かべ、黒く輝く石を掲げた。


「それが魔核ですか……? 浄化前って本当に黒いんですね」


 初めて見る浄化前の魔核を前に、カノンも気持ちを切り替えるように早足で近づく。

 掲げられた魔核は、見ているだけでもどこか陰鬱な気持ちにさせられそうだった。


「おぉ、よく勉強してるなぁ。そう、浄化前のもんは黒い。で、こいつに治癒魔法をかけてやると嬢ちゃんも知ってる白に変わるってわけよ」

「……素手で触って大丈夫なんですか?」

「身体に入れたりしなきゃ問題ない。触ってみるか?」


 あまり触りたい感じはしなかったが、ものは試しと恐る恐る手を伸ばしてみる。

 手のひらに乗せると、ひんやりとした冷たさは感じたものの、そこらに落ちている石と何ら変わらないように見えた。


「ちなみに身体に入れると?」

「そんなこと試すわけにもいかんし、実際どうなるかは分からんが……まぁ、ろくでもないことになるだろうな」


 カノンの手のひらから魔核を回収しながら、ラルゴは言葉を濁した。

 確かに、あまり聞きたい話ではなさそうだ。

 

 それから会話も大してないまま黙々と回収作業を終えて、野営地に戻るとスパイスの効いた香りが漂っていた。


 辺りを見渡せば、戦闘の際に消したであろう焚き火に魔法で火を起こし直す者。飲用の水を魔法で湧き出させている者。

 ほかには担当業務を終え休息に入っている者など、団員たちが思い思いに過ごしている。


「団長!」


 はっきりとした声を上げ、団員の一人がラルゴの元へと駆け寄ってきた。


「おぉ、戻ったか。で、どうだった?」


 ラルゴが問うと、団員は背筋を伸ばし調査結果の報告を始めた。


「付近に棘狼のものと思しき巣を確認。ただし、中はもぬけの殻でした! 先ほどの戦闘にて全滅したものと思われます!」

「あの数いれば、まぁそうだろな。分かった、ご苦労だった。お前も休め」


 ラルゴの返答に団員は敬礼で返し、無駄のない動きで団員たちの元へと戻っていく。

 団員の背を見送ったラルゴが「よし!」と振り返った。


「飯にするぞ。今日は皇都で話題のカレーだ。味わって食えよ!」


 真面目な表情から一転、ラルゴが歯を見せて笑うと、真っ先に目を輝かせたのはリエートだった。


「まじっすか!? ジュストさん、早く行きましょう!」


 勢いよく走り出すリエート。その後ろを、仕方ないと言いつつ頬を緩ませたジュストが追っていく。


「カレーってあの?」

「そのカレー。最近流行ってんだよね」

「へー……そんなことってあるんだ」


 思えば今朝フォルテの家でご飯を食べてから何も食べていない。

 自覚してしまうと余計にお腹が空くというもので、カノンは「ほら、私たちも行こ?」とフォルテを伴ってカレーへと向かう。


 転生から17年。まさかこの世界で前世にあったものを食べることができるとは思わなかった。

 知識はあったものの、カノン自身が口にするのは初めてだった。カレーは少し大味だったが、不思議と懐かしい味がする。


 ただ、夜空の下で輪になって食べるそれは、これまでに味わったことがない美味しさに感じられた。

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