4. 一番に望むもの
その男は、ここが皇城の中であることを忘れさせるほどに、全身を泥にまみれさせていた。
「なんでそんな泥だらけなの」
フォルテが変わらず、気だるげな声で男を指さす。
誰が相手であろうと態度を変えるつもりはないらしい。
彼の不遜な態度に呆れながらカノンが男に目をやると、男は泥まみれのわりに身なりはしっかりしていることに気付く。
纏っている服も質の高いものであることから、一般人でないことは明らかだった。
(まぁ、皇城に一般人はいないか)
と、フォルテに負けず劣らず失礼な思考を働かせていると、男は「すまんすまん!」と快活に笑った。
「いやぁ、どうせお前のことだからすぐには来んだろうと思ってな。ちと孤児院の子どもたちと遊んできたんで、この有様よ!」
男が両腕を大きく広げると、側面にもしっかりと泥がこびりついているのが見えた。
「お疲れ様。でも泥ぐらい落とせば。ここ、一応皇城だし」
「相変わらず真面目なんだか適当なんだか分からん奴だな……」
言いながら男が右手を自身の前に翳すと、風と水が男を包み込んだ。
それらが緩やかに彼の周りを巡ったかと思えば、あっという間に男の服に付着していた泥が消え去っていた。
「複合魔法だ……凄い、初めて見た」
カノンが思わず感嘆の声を上げる。
「孤児院のおじさんにしておくには勿体ないよね」
「おいおい。騎士団長さんだ、俺は」
「いいからとりあえずカノンに挨拶したら?」
団長相手でも無視するのか、この男。
カノンは信じられないような顔でフォルテを見上げるが、当の本人はやはりどこ吹く風といった涼しい顔をしている。
「っと、挨拶が遅れて申し訳ない」
無視された団長も気にしていないようで、朗らかな表情のままカノンへと向き直って一礼した。
「ネーヴェ皇国皇室直下機関、クオーレ騎士団団長のラルゴ・スル・スクードと申します」
「か、カノン・スル・フィウメです! よろしくお願いいたします」
さっきまでの親しみやすい態度から一変し、凛とした声で挨拶をされ、カノンは思わずたじろぐ。
無駄や隙を感じさせない所作や軸の通った立ち姿は、彼がまさしく騎士団団長なのだと主張していた。
(あれ、スクード……?)
ラルゴが名乗った家名は、今朝フォルテが名乗ったものと同じだが、フォルテはスルの称号を名乗っていなかった。
二人の関係に疑問を抱きつつも、初対面でそれを聞くのは貴族令嬢として憚られた。
「こんなもんか?」
「台無しだよ」
表情を変えないままツッコミを入れるフォルテに、本当に真面目なんだか適当なんだか分からないな……と思いつつ、カノンは乾いた笑いで反応するしかなかった。
不意にラルゴが顔を強張らせ、鋭い視線をカノンとフォルテの間で往復させる。
「しっかし、本当に3年も幽閉されてたとは思えんほど元気そうだな……まぁ、ここで話すのもなんだ。場所を移そうか」
やっぱり異常ですよね、と心の内で頷いていると、先ほどまでの軽さが消えた声でラルゴが小さく手招きする。
それを見たフォルテが無言で歩を進めたので、カノンも倣って二人についていく。
てっきり皇城に向かうのかと思ったが、どうやら違うらしい。
前を行く二人は分岐路を前に皇城へと続く広い石畳の道ではなく、城の影に隠れた細い横道を進んでいく。カノンは初めて歩く道だ。
細道を抜けると風が吹き込み、カノンの腰元まで伸びた髪をさらっていく。
吹きつける風に目を細めながら顔を上げると、中規模ながらも石で出来た堅牢な造りをした建物と、すぐそばにある訓練場が視界に入った。
「久しぶりに来たけど、やっぱ転送陣からちょっと遠いよね」
「仕方ないだろう。お偉方にこんな汗臭い騒音を聞かせるわけにもいくまい」
騒音、とラルゴが評した訓練中の騎士たちによる活気ある声、そして剣戟の音が響き渡る。
確かに、上品さを求める上流貴族をはじめ文官たちは嫌がるかもしれない、とカノンは苦笑した。
案内されるままに建物──騎士団庁舎の中へと進むと、きらびやかさを排した構造の室内。最低限の掃除はされているが、少し埃っぽい匂いが漂っている。
質実剛健といえば聞こえは良いが、質素で事務的と言ったほうが正確かもしれない。
二階へと進み、少しだけ装飾の施された扉をくぐると、ラルゴに着席を促される。
ラルゴは箱の中から瓶を取り出し、中身をグラスへと注ぐと、カノンとフォルテの前に差し出した。
いただきます、と口をつけると中身は水だった。ただ、不思議と冷たい。
「冷たい?」
「あぁ、そうか。この箱は冷蔵庫って言うんだが、最近流通し始めたばかりだからカノン嬢は知らないか」
そう言ってラルゴは笑ったが、厳密には冷蔵庫という存在をカノンは知らないわけではない。
ただ、その知識はあくまで前世のものであり、この世界に存在するものではなかったはずだった。
「こいつは魔法なしでいつでも冷たい飲み物が飲める優れもんさ。いや、まさに第一皇子様々だよ」
口ぶりから、どうやら第一皇子による発明らしい。
もしかすると第一皇子も転生者なのでは……? と横目でフォルテを見るも、彼は静かに水を口に運ぶだけで反応は返ってこなかった。
「さて、まずはカノン嬢を拉致監禁した犯人の話から始めようか」
ラルゴはグラスの中身を一気に飲み干し、割れるのでは、と思わず心配する勢いでテーブルに叩きつけるように置いた。
「犯人はスル・スオーロ公爵に間違いない。皇族直属部隊が裏も取ってるしな」
面白くなさそうにラルゴがフォルテを一瞥した。
道すがら、フォルテは「このあと公爵に襲われる」と言っていたが、まさか自分を幽閉していたのも公爵だったとは……。
カノンは自分の預かり知らないところで、自分に関連して話が動いていることに辟易する。
「というわけで、あとは捕まえるだけなんだがなぁ。どうにも足取りが掴めん」
「皇都からスオーロ領まで範囲広げてるけど、まだ目新しい情報はないんだよね」
「流石は公爵閣下というわけか。カノン嬢にあやかってウハウハだろうしな」
不自然な流れで自分の名前が出たことに、カノンは首を捻る。
すると、フォルテが静かにコップを置いて、僅かに悔しさを滲ませた自嘲的な溜息をついた。
「そもそも、カノンが捕まってた場所を探し当てられたのも、カノンの両親のおかげだし。完全に後手に回らされてるよ、俺ら」
「え?」
思いもよらない両親の動向に、カノンは危なくグラスを落としそうになった。
「そうだな。元スル・フィウメ侯爵夫妻には感謝してもしきれん」
元、という言葉に背中が急速に冷えていくのを感じながら、グラスを持つ手に力が入る。
爵位に元、という言葉が付けられる場合はそう多くない。両親が罪を犯すとは考えられない以上、最悪の考えがカノンの頭によぎる。
カノンの動揺を察したのか、フォルテが「言い方」とラルゴを睨む。
「あぁ、言葉が悪かったな! 大丈夫だ、ご両親は今もご健在だよ」
焦り顔で両手を振るラルゴに急いで訂正され、カノンは「よかった……」と安堵の息を漏らす。
「ちょうど社交シーズンだし、本当ならすぐにでも会わせてやりたかったんだが……訳あってご両親は皇都にはいないんだ」
居心地悪そうにラルゴは目を伏せた。
フォルテも何も言わず、腕を組んでソファの背に身体を預けている。
そしてラルゴは指を組み、少しだけ考えた後に顔を上げた。
「カノン嬢。詳しいことは後で説明するが、嬢ちゃんには特別な力があると我々は見ている」
「特別な力って──」
言いかけて、フォルテに視線で制される。
どうやら現人神ということは、ラルゴには共有されていないらしい。
カノンが言葉を切ったのを単なる動揺だと受け取ったのか、ラルゴは頷くだけだった。
「最初は半信半疑だったが、その心身共に健康な姿を見て確信に変わった。普通のご令嬢は3年も幽閉されていれば、まず心が保たん」
「ま、まぁ、そうですよね……」
小さく俯いて、カノンは軽く唇を噛んだ。
普通なら、普通ならと、そう何度も繰り返さないでほしい。
仮に何か特別な力が備わっていたとしても、カノン自身には欠片ほどの自覚もないのだ。
そう言われ続けると、自分が異質な存在になってしまったような気がしてくる。
「嬢ちゃんが特別な存在だとすれば、公爵はまだ嬢ちゃんを狙ってる可能性が高い。が、それを踏まえた上で──カノン嬢はまずどうしたい?」
表情は穏やかだったが、それだけ言って口を閉ざすラルゴに、カノンは肩に力が入るのを感じた。
もし本当にフォルテの言う通り自分が現人神で、自分に特別な力があるならば、ラルゴの言う通り公爵が諦めていない可能性が高いことぐらいカノンにも理解できる。
しかし、ラルゴはカノンがそれを理解していると分かった上で、どうしたいかを問うたように聞こえた。
その証拠に、彼は保護といったような、騎士団なら真っ先に挙げそうな提案をしなかった。
だから、一番に何がしたいかと問われれば、答えは一つだった。
「両親に……家族に会いたいです」




