3. そのメイド、有能
「あ、やば。忘れてた……まぁいいか」
やばいって言ったのに? と、カノンは柔らかなパンを齧りながら、フォルテへと視線を向ける。
結婚すればいいじゃんだの、攻略してみないだの言ったばかりの口で、カノンと同じくパンを口に運んでいた。当然こぼすようなこともなく、器用に。
視線に気付いたのか、パンを飲み込んだフォルテが小首を傾げた。
「なに、どうしたの」
「何でもない。それより、忘れてたって?」
「あぁ、カノンが起きたら連れてこいって団長に言われてたの忘れてたなって」
あまりにもマイペース過ぎるフォルテに、カノンは呆れたと言わんばかりの目で彼を見た。
出会ってまだ数日、意識がある中で言えば数時間ながら、彼のあまりの無気力さに「本当に騎士なのか?」と疑問符が浮かぶ。
「全然まぁよくないでしょ、それ」
「フィーネ!」
カノンの言葉を無視したフォルテが、部屋の外に向かって声を張り上げる。
すると、間髪入れずに扉が開かれ、メイド服を着た女性が「お呼びでしょうか」と頭を下げて部屋に入ってきた。
金色の髪をお団子状にまとめた、いかにも上流階級の家に仕える使用人といった出で立ち。当然、エプロンにはシワ一つない。
フィーネと呼ばれたその女性と目が合うと、軽く礼をされ、カノンも合わせて目礼で返す。
「この人、うちのメイド……メイドだよね?」
「はい。そのつもりでお仕えさせていただいています」
「だって」
「よろしくお願いいたします、カノン様」
どういう会話なんだ……と、二人の会話に内心で首を傾げながら「よろしくお願いします」と困惑した声で再び目礼した。
「カノンの服、準備してもらえる?」
「既に用意しておりますので、食事を終えられましたら客間にお連れいたします」
淡々と答えたフィーネは「一度失礼します」と頭を下げて部屋を出ていく。
二人の会話から、このあと団長へ挨拶しに行くと察したカノンは、少し急ぎ気味に食事を進めることにする。
せっかくの、久々のまともな食事を前に惜しい気はしたが、世話になっている以上は不満を口にする気にはなれなかった。
途中、パンを喉に詰まらせそうになりながらも食事を終えたカノンが部屋を出ると、すぐ傍に直立不動で立っていたフィーネに客間へと案内される。
軸が一切ブレることなく歩いていく後ろ姿に、彼女の熟練具合を感じながら進んでいくと、実家のそれと同等の広さの客間に辿り着く。
ソファやテーブルをはじめとした調度品もひと目で分かるほどに良質なものが揃えられている。
恐らく普通の騎士ではないだろう、とフォルテの階級の高さが窺えた。
「こちらにお着替えいただきます」
フィーネが指し示す先、部屋の中央にはドレスを纏った、パンドラと呼ばれる等身大の蝋人形が鎮座している。
ドレスは無難ながらも上質なデザインのもので、団長に挨拶するに当たって最適と言って良いものだった。
「これ、フォルテが選んだの?」
「いえ。僭越ながら私が選ばせていただきました。フォルテ様にお任せするとヤバ、いえ、少々不安でしたので」
もし彼が選んだのだとすれば、悪くないセンスだと思っていた、が。
どうやらカノンの思い過ごしだったらしい。
主人の悪口をほとんど全部口走ったメイドは、悪びれもなく澄まし顔でドレスをパンドラから脱がせている。
「いま俺の悪口言いそうにならなかった?」
いつの間にか後ろにいたフォルテが、カノンの肩越しにフィーネの失言を気だるげに指摘する。
着替えるという話だったため、まさかついて来ているとは思っていなかったカノンは、あまりの不意打ちに肩を跳ねさせた。
「これから着替えるんですけど?」
「手伝ってあげよーかなって」
「ありえないでしょ」
同意するように頷いたフィーネが「邪魔ですので」とフォルテを見ると、彼はすぐに部屋の外へと出ていった。
結婚の話もそうだが、距離感を一気に詰めてくる割にしつこくはない。発言が突拍子もないだけで。
そんなことを考えながら着せられたドレスは、やはり質が良い。
久しぶりに袖を通す感触に、そしてドレス特有の重みに、カノンは少しだけ心をときめかせていた。
「じゃあ行くよ。ちゃんと掴まってて」
フォルテ宅の離れにそびえ立つ塔。
その中に設置された転送陣の上で、言われるがままに、カノンはフォルテの腕に掴まる。出会って間もない相手ではあるが、不思議と嫌悪感などはなく、むしろ安心感すらあった。
曰く、転送陣は遠く離れていても転送陣同士であれば行き来のできる、魔力持ちにとっては大層便利な代物、らしい。
らしい、というのはフォルテが言っているだけで、カノンは使ったことがないからだ。
というわけで、使い方を知らないカノンは、どの道フォルテに掴まる以外の選択肢がなかった。
「ちょっと待って、飛ぶ時ちゃんと言ってね!」
「なに、ビビってんの?」
「当たり前でしょ! 転送陣なんて普通のご家庭にはないんだから!」
「侯爵令嬢は普通のご家庭生まれじゃないでしょ、別に」
その侯爵家にすらなかったんだって! と言う前に、フォルテが宙空に陣を描いた。
すると、足元の陣が呼応したように光りだし、目の前が光に包まれるのと同時に僅かな浮遊感。
内心で「だから飛ぶ時は言ってってば!」と叫ぶも、景色が歪み、反転する。
閃光のような光を感じ、反射的に目を閉じたカノンだったが、再びまぶたを開いた時には視界に広がる光景が変わっていた。
「ねぇ、話聞いてた?」
「普通のご家庭の話?」
それの一個前! と文句をぶつけるも「はいはい、行くよ」とあしらわれてしまう。
置いていかれないように渋々ついていくと、少し開けた場所に出る。後ろを振り向くと、どうやら転送陣はフォルテの邸宅にあったのと似たデザインの塔の中にあったらしい。
そして、再び前方に視線を移すと、そこには塔よりもずっと高く伸びる城。
記憶の中にある光景と照らし合わせれば、ここがどこなのか自ずと答えが出た。
「皇城……随分久しぶりに見た」
最後に見たのは、幽閉される直前に開かれたパーティーへ参加した時だ。
その時は、こんなにも時間が空くことになるとは思っていなかったが、いつ見ても荘厳な造りをしている。見る者へ雄弁に語りかける威圧感は、まさに皇帝の居城と言ったところだろうか。
「……そういえば、この世界ってゲームが元になってるんだよね?」
「そうだけど。何か気になる?」
「フォルテが攻略対象の一人ならほかの攻略対象ってどんな人なのかなーって」
隣を歩いていたフォルテが急に立ち止まった。
「気になんの?」
気になるかと言われれば、正直そこまで気にならない。
そもそも、いくら前世の記憶があるとはいえ、17年生きてきた世界の元がゲームなどと言われてすぐに信じられるはずもない。
「いや、別にそこまで。ただ、乙女ゲームってストーリーがあるゲームでしょ? 私がそのゲームのヒロインなら、どんな話になるのかな、っていうのはちょっと気になるかな」
それは事実だった。
ゲームの世界云々を信じたわけでなくとも、もしも本当にそうなら、彼はこの先の出来事をいくつか知っていることになる。
そのことが全く気にならないか、と言われれば、気になるというのが正直なところだった。
「まぁ、ルートとか色々あるし、先のことは分かんないけど……どのルートでも共通してんのは、このあと公爵に狙われるってことかな」
「え、私また襲われるの?」
「そうさせないために俺がいるんじゃん」
フォルテはそれだけ言って微笑むと、どこか満足したような顔でまた歩き出す。
別の区画に入り転移陣のあった塔が見えなくなった頃、突然大きな声で誰かがフォルテの名を呼んだ。
「おー! フォルテ、嬢ちゃんが目ぇ覚ましたのか!」
背後から聞こえた野太い声に振り返ると、シャツを泥だらけにした筋骨隆々な男が強面な顔を緩ませ、大きく手を振っていた。




