2. その男、攻略対象につき
目が覚めると、見知らぬ部屋。
やたらと手触りの良い毛布を捲って上半身を起こしてみたが、鎖の音が鳴ることもない。
「どこ、ここ……」
「俺ん家。てか、意外と早く起きたね」
真横から聞こえた声に、カノンは思わず飛び跳ねるように身体を震わせた。
「な、なに、あなた……!」
率直過ぎる疑問に、声の主は小さく噴き出して笑った。
「助けたの俺なんだけど」
「んー……?」
目を細めて声の主を見る。
日本ほどケア用品が手軽でない世界で、艶のある黒髪に荒れ一つない肌。流れるような鼻筋に整った口元。
それだけで、彼が育ちの良い、上流階級の人間であることが分かる。
「近くね」
「え」
彼の顔の造形に集中していたせいで、気付けば鼻先同士が当たるほどの距離まで顔が近寄ってしまっていた。
「ご、ごめんなさい!」
「いいよ。3年も監禁されてた割に元気そうでよかった」
「3年も経ってたんだ……って3年も!? いや、この場合は3年程度で良かったと喜ぶべき……?」
「元気過ぎでしょ。まぁ、あんな地下に捕まってたら年数なんて数えられないか」
彼は立ち上がってカーテンを開くと、傍に用意されていたポットから紅茶をカップに注いだ。
漂ってくる香りが随分と懐かしい。彼の話が本当であれば、3年ぶりなのだから涙が出そうなほど感激してしまうのも無理はない。
砂糖とミルクの有無を聞かれ、カノンがそのままでと答えると、彼は「気をつけて」とカップを手渡してくれた。
少し息を吹きかけると、揺れる飴色に映る自分の顔に波紋が走る。
「あったかい……」
喉に流れ込んでくる熱が、助かったという事実を何よりも鮮明に伝えてきた。
「ちょっとは落ち着いた?」
「ありがとうございます。落ち着きました……で、あなたは……?」
「あぁ、俺はフォルテ・スクード。フォルテでいいよ」
「私はカノン・スル・フィウメです。私もカノンで大丈夫です」
カノンが名前を告げると、フォルテが一瞬顔を曇らせたように見えた。けれど、彼はすぐに「よろしく」と顔を緩ませる。
「流れで自己紹介しちゃったけど、フォルテは私の名前知ってたよね?」
地下牢で手を差し伸べられた時に名前を呼ばれたことを思い出す。
「フィウメ家の娘を探すのが任務だったからね。名前ぐらい知ってるよ」
「そ、そうだ! お父様とお母様はいまどこに!?」
冷静になったことで、ようやく自分のこと以外にも思考が巡り始める。
あの優しかった両親のことだ。娘が攫われ、そのうえ三年も行方不明となれば探し回っているに違いない。
「大丈夫。二人とも元気だよ。今ごろカノンが保護されたって連絡も行ってるはずだから安心して」
深呼吸するようにゆっくりと息を吸い込み「よかった……」と声を震わせる。
「でも3年かぁ……」
地下牢に繋がれていた時にはせき止められていた思いが、一気に溢れ出していく。
「二人とも私の制服姿を楽しみにしてたし、それにお母様なんて結婚相手探しに夢中だったのに……結婚どころか青春全部失くなるとか、どうするのよ、これ……」
「それ──」
何かを言いかけたフォルテが顔を歪めた。
まるで何かに耐えるように、額に汗を滲ませている。
しかし、カノンが首を傾げると、何事もなかったかのように微笑むフォルテ。
それどころか、今度は彼から顔を寄せてくる。冗談めかした軽薄な態度とは裏腹に、その黒い瞳はどこか縋るようにカノンを見つめていた。
「それなら俺と結婚すればいいじゃん。守ってあげるし」
いや、そうはならないだろ。と、カノンは突然のプロポーズに冷静さが戻ってくるのを感じた。
「いや、大丈夫です」
「大丈夫ってなんだよ……」
「私はね、好きになった人と結婚したいの」
「母親が結婚相手探してたんじゃなかったの」
それはそれ、これはこれ、とカノンは語気強く言い切る。
確かにこの世界では、特に貴族間では自由恋愛なんて概念は存在しないに等しい。
しかし、だ。
「いい? 世の令嬢は、家柄とか利益とかを考えた上で選ばれた、限りある選択肢の中から恋愛ができそうな相手を探すの。私だって自由に恋愛できるわけじゃないって分かってるし」
その通り、カノンも日本と同じ感覚で結婚ができるとは考えていない。
だが、いくら顔が良いとはいえ、見ず知らずのフォルテと結婚するなんて選択はあり得なかった。
「日本人の割に順応しすぎでしょ」
「は?」
唐突に聞こえてきた、この世界には存在しない単語に耳を疑う。
「だから。俺、元日本人。カノンと一緒」
「ん? どういうこと?」
突然のことに脳の処理が追いつかず、言葉を理解できないまま聞き返す。
「え、なんかドッキリとかそういうアレ? 転生者だって言ってんだけど」
「は!? えっ、は? というか、なんで私が日本人って知ってるの!?」
意味がわからない。というより、状況が飲み込めずに頭が真っ白になる。
フォルテが日本人だという驚きもさることながら、カノンは自分が転生者であることなど一言も話していないのだ。ましてや今の会話から分かるはずもない。
「あんた、両親に日本とか東京とか言ってたんでしょ。子どもの時に」
「あ」
確かに言った覚えがある。
まだ幼かった頃、ここが本当に日本でないのかを確認するため、うわ言のように両親に伝えたことを思い出す。その時の両親の反応と表情から、カノンはここが日本でないことを確信したのだ。
「調書のメモ書きにあったよ。ニホンとかトーキョーとか言ってたことがあるって。何かの暗号なんじゃないかとか書いてあってウケた」
ウケんな。そんなもん。
洗練された所作で紅茶を口へと運ぶフォルテに、カノンはジトッとした視線を送る。
「カノンはこの世界のことどんぐらい知ってんの?」
「どういう意味で」
幼き日々の限られた行動範囲の中でもがいた過去を“ウケられた”カノンは、不貞腐れた声で言葉を返す。
「いや、この世界が『楽園のソルテルーチェ』って乙女ゲームの世界ってのは知ってんの?」
「なにそれ。ゲーム? この世界が?」
別に、乙女ゲームというゲームジャンルが存在していたことは知っている。
ただ、自らに関する記憶のないカノンは、自分がそういったゲームをプレイしたことがあるかも分からないし、『楽園のソルテルーチェ』というゲームに覚えもなかった。
「そうそう。ゲームだと主人公が現人神で、神様とか皇子とか騎士と恋愛すんの」
「へー……? なんか凄いゲームだね? 神様が主人公とか」
「現人神ね。人間だけど神様みたいな」
微妙に細かいな、と思いながらカノンは紅茶の残りを啜る。
転生自体、とんでもない話ということもあって、ここが乙女ゲームの世界だということにはそこまで驚きはなかった。
「他人事みたいな感じだけど、ヒロインってかその現人神がカノンなんだけど」
むせた。
中途半端に流れ込んでいた紅茶が気管に入りかけ、身体がそれを防ごうとしたために咳が止まらなくなる。
「ヒロインって……なに、私が……」
「一回落ち着けば?」
「いや、急にお前は……神様だとか言われて……落ち着けるわけ、なくない?」
「現人神ね。てか、普通の人間だったら3年も監禁されててそんな元気なわけなくない? というか、とっくに心折れてると思うけど」
やっぱり細かいな。
まだ咳が止まらないなか「どっちでもいいよ」と内心でツッコミを入れつつ、「普通の人間だったら」という言葉に少し納得してしまう。
元々日本人である上、貴族令嬢として13年間生きてきたという恵まれた環境から、いきなり地下牢で3年も幽閉された割に心が折れていないどころか、肉体も変わりなく動く。
人間じゃないみたい、と思っていたのが、みたいではなく本当に人間ではなかったのだとすれば、3年間の幽閉中に変化のなかった肉体への気味の悪さにも説明がついてしまう。
「た、たしかに……?」
「地下牢にバカでかい穴開けてたし。どう考えても普通じゃないでしょ」
フォルテが呆れを滲ませながら、ベッドに片肘をついた。
「穴を開けたというか、崩れてた気もするけど……やっぱりアレは魔法じゃなかったのね?」
「魔法って勉強してない人がたまたま使えるようなもんじゃないよ」
カノンは唇を軽く噛み、拳に少しだけ力が入る。
確かにその通りだった。
理論だけ知っていても使えない上、かなり複雑に体系化されているのが魔法だ。
だからこそ学校というものが存在するのであり、感覚派などという存在はありえない。
強大な魔法を行使できる人間ほど、尋常じゃない努力をしていることはカノンでも知っていることだった。
「まぁ、その辺はまた説明するとして」
まるで続きを話したくないような顔で誤魔化したフォルテが、急に立ち上がってベッドへと手をついた。
「な、なに?」
「攻略対象なんだよね、俺」
「ちょ、ちょっと、近い……!」
逃れようと距離を取ろうにも、ベッドの上だ。逃げ場がない。
身体を反らした分だけ、フォルテが身を寄せてくる。
転生してから17年。ただでさえ男性との付き合いなど、ほとんど皆無だったのだ。免疫などあるはずもない。
こんな至近距離に──それも、あまりにも造形の整った顔に迫られ、顔が紅潮していくのを誰が責められよう。
「攻略してみない?」
ほとんど触れるような距離で、吸い込まれるような黒い瞳が真っ直ぐにカノンを捉えていた。
「し、しません! そもそもあなたいくつよ」
「16だけど」
見た目はともかく、話し方からして同い年か少し上ぐらいだと思っていた。
しかし、なんと年下である。といっても1歳しか違わないが。
「って、まだ結婚できないじゃない!」
「それ日本での話でしょ」
「関係ありません!」
関係ないことはなかったが、勢い任せに拒否の姿勢を示す。
すると、フォルテは少し離れ俯き、長めの溜息をついた。
「本当、そういうと、こ──」
またフォルテが何かを言いかけて、ベッドのシーツを強く握った。その額にはやはり冷や汗のようなものが浮かんでいる。
その姿は、まるで何か痛みに耐えているように見えた。
「ねぇ、さっきからどうしたの? 大丈夫?」
「……大丈夫。まぁ、それは追々ということで。とりあえず飯にしよっか」
あっさりと離れていくフォルテに対し、追々も何もないんだけど……と、カノンは未だ熱を持った頬を両手で押さえることしかできない。
ただ、幽閉されている内に感じなくなっていた空腹感が、息を吹き返すように戻ってきているのを感じていた。
ここからしばらくは明るい話が続きます!




