24. ここから貴方と
魔核の灯りに包まれた広い空間に、気品あふれる旋律が満ちていく。
幽閉から救出されてから2ヶ月。カノンはようやく戻ってきたという実感を覚えていた。
皇城でパーティーが催される際には、必ずこの夜会の間──平時には大広間と呼ばれることが多い──が使われる。
この2ヶ月で何度か皇城には来ていたが、夜会の間に足を踏み入れたのは実に3年以上ぶりだ。
「お待たせ、カノン」
手持ち無沙汰で辺りを見渡すだけだったカノンの元に、皇帝への挨拶を済ませたフォルテがやってきた。
「本当に私まで来ちゃって良かったのかな。もう貴族じゃないのに」
「いいんじゃない? 俺の招待状に連名で名前あるし」
「それ……普通は婚約者同士とかの扱いなんだけど……」
カノンが俯き気味にフォルテを見上げたが、当のフォルテは給仕から受け取った葡萄酒を雑に喉へと流し込んでいる。
今回のパーティーは上級、下級問わず多くの貴族が招待されていた。
皇帝直属部隊の部隊長という伯爵相当の地位を持つフォルテも、当然参加を許されている。
しかし、実質的に貴族扱いされているだけであり、厳密にはフォルテは貴族ではない。
本来ならば連名で出席者を追加することなどできないはずなのだが、彼曰くシノが手を回してくれたとのことだった。
「そういえばシノさんは? ドレスのお礼もしたいんだけど」
エンパイアドレスによく似たデザインのスカート部分を、カノンが軽く摘み上げる。
「シノなら、そのドレスを餌に営業の真っ最中じゃない? めちゃくちゃ目立ってるし」
胸元を覆うレース部分がアクセントになった紺色のドレスは、カノンのために作られた特注品だ。
同時に、日本での流行を発信しようとしている実験店の宣伝用でもある。
前世の感覚を持つシノは絶賛していたデザインだが、この世界の基準からは少し、いや大分浮いている。
その証拠に、先ほどから周囲の貴婦人たちの注目を集めていた。
「やっぱり目立ってるよね? この世界の流行から外れ過ぎだし……」
「そういう意味で見られてるわけじゃないと思うけど」
「やっぱり似合ってない……?」
周りの目を気にしながら、カノンがフォルテの耳元に口を寄せて小声で問う。
すると、フォルテは目をぱちくりさせた後、柔らかな笑みを浮かべた。
「いいんじゃない、お姫様みたいで」
「なにそれ。年下のくせに生意気な……私のほうが……ってさっきお酒飲んでなかった? ちょっと未成年?」
「この世界にそんなルール無いでしょ」
全く、と呆れ顔でカノンは自分も飲み物をもらいにフォルテの傍を離れた。
少し歩き出せば、周囲から様々な視線が向けられるのを感じる。
フォルテの評価通り、ドレスに対する好意的な声もあるが、それだけではなかった。
幽閉されていたことやフィウメ家の爵位返上、中には未だ特別扱いされているカノンへの嫉妬混じりの言葉。
色々な会話が方々からカノンの耳へと届く。
さっさとフォルテの元へ戻りたかったが、こんな時に限って飲み物を持った給仕が見当たらない。
代わりに、前方を歩く女性に目を奪われた。
灯りをキラキラと反射する銀色の髪に、空を映したような青い瞳。
纏っているのは流行の最先端、ノスタルジア本店の最新ドレス。
それに、彼女のドレスの胸元には禁色である青のワンポイントがあしらわれている。
皇家から許された者だけが身につけることを許された青。
彼女が高貴な家の人間であることは明白だった。
カノンは女性に小さく会釈し、ようやく見つけた給仕から飲み物を受け取る。
辺りを見渡せば、フォルテが周囲の令嬢を威嚇するようなオーラを出しながら壁にもたれているのが見えた。
苦笑いを浮かべながら、カノンは足早に彼の元へと寄った。
「やっぱり人気なんだね」
その言葉にフォルテはうんざりしたような表情を浮かべ、カノンを一瞥した。
「うろうろして飲み物溢すとかやめてね」
「やっぱり子ども扱いしてるよね? たしかに社交デビューはしてないけど……」
会場にいる令嬢たちは皆が13歳の頃に社交デビューを終えている。
幽閉の一件さえなければ、カノンも社交界に足を踏み入れるはずだった。
ただ、そうはならなかった。
今更悲しいだとかそういった感情はなかったが、後ろ髪引かれるものが全くないと言えば嘘になる。
そんなカノンの胸中を察したのか、フォルテがグラスを軽く揺らして小さく微笑んだ。
「今度うちでやろうか。姉貴とかレガートさんとか呼んで」
「え?」
「俺とやり直そうよ。全部」
突然そう耳打ちされ、胸が高鳴るのを隠しきれないカノン。
彼となら失ってしまった時間もやり直せる気がした。
2ヶ月前と比べ、自分の中でフォルテの存在が大きく変化していることをカノンは自覚している。
ただ、彼のことをまだほとんど知らないことも分かっている。
──もっと頑張ったやつがいるから。
少し前に訓練場で彼が見せた、悲しげな瞳が頭をよぎる。
きっと、彼は何かを背負い込んでいる。
それだけではなく、制約のことだってカノンはほんの一端しか知らされていない。
そう分かっているが、フォルテの隣はいつの間にか居心地の良い場所になっていた。
(離れたくない、な……)
カノンが口元を隠すようにグラスに口をつけると、気付かない内にフォルテの傍へ1人の女性が立っていた。
皇帝直属部隊──シニストラの隊服に身を包んだ女性は、フォルテに何かを言付けるとすぐに去ってしまった。
「なにかあった?」
フォルテは答えず、グラスを握る手に力を入れる。
すると、にわかに騒然としだした会場の中で、数人の騎士団員が動き出していた。
その内の1人がフォルテの元へと駆け寄り、素早く敬礼した。
騎士の額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「報告です。ボスコ山脈にてスタンピードが発生。陛下より討伐の勅命が下りました」
パーティー客がパニックを起こさぬよう、騎士団員は小声だったが、焦りからかフォルテの隣にいるカノンには内容が聞こえてしまう。
フォルテがカノンへと一瞬目を遣る。
そして騎士へ「分かった」とだけ返すと、騎士は再び敬礼し、会場の出入り口に駆けていった。
「私も行く」
何かを言わせる前に、カノンは会場を見たまま言い切る。
「ダメに決まってるでしょ」
「スタンピードってことは、魔物の大群が相手なんだよね? 私の護衛に付けてる二部隊を遊ばせておく余裕なんてないでしょ」
指揮系統の異なる騎士団が、皇帝直属部隊所属のフォルテに情報を共有したのだ。
それなりの規模の問題が発生していることは容易に想像がつく。
そもそもスタンピード発生時は優先度が入れ替わり、スタンピード対策が最優先事項となることを、カノンはこの2ヶ月で学んでいる。
平時には王都周辺の治安維持を行っている皇軍が騎士団の通常任務を行い、全ての騎士団員はスタンピードの対策に当たるのが通例だ。
「それに、もしかしたらまたあいつが来るかもしれない……だから、私がここに残ってると関係ない人まで巻き添えになるかも」
前回、魔物の討伐へ向かった最中にカノンが狙われている。
あの男、エンデがまた襲撃してくる可能性を否定しきれない。
だからこそ、同行の申し出をフォルテが断れないことをカノンは半ば確信していた。
フォルテは目を強く閉じ、諦めたように息を呑んだ。
そして、片腕でカノンを抱き寄せた。
「でも俺はそばにいられないから。絶対団長のそばから離れないで」
肩を抱き寄せられたまま、カノンは静かに頷いた。




