25. 冷たい熱
初めてフォルテと皇城を訪れた際に転送された塔。
ドレスから動きやすい服へと着替えたカノンは、その塔の中で視線を巡らせていた。
各地に繋がる陣が設置された転送塔には、騎士団員が勢揃いしていた。
そして、その中にはいくつか見知らぬ顔もある。
フォルテと同じ隊服を纏う彼らこそが、皇国の誇る最高戦力──シニストラの隊員なのだろう。
「ボスコ山の地下洞窟より異常な魔力上昇を確認。皇室はこれをスタンピードの発生と判断。よって、我々に討伐指令が下された」
前方で、ラルゴが声を張りながらも作業のように淡々と告げる。
「転送後、我々騎士団は二重の扇状陣形を展開し、魔物どもを各個撃破する。シニストラには先行して発生源の対処を願いたい」
ラルゴがシニストラ、特にフォルテへと視線を向けると、フォルテは静かに頷く。
その様子を、カノンが場の空気に圧倒されながら眺めていると、周囲の騎士の声が聞こえてきた。
曰く「皇帝の左手のお出ましだ」、「こりゃ勝ったな」とのことだ。
隣にいるフォルテを見上げると、いつもの気だるげな雰囲気は鳴りを潜め、まるで別人のような顔つきをしている。
早速まだ知らない彼の一面を前にし、カノンは小さく息を吸って前を見た。
「ビビってる?」
フォルテが目線を動かさずにカノンへと語りかける。
「自分で言いだしたくせして、ちょっとだけ」
カノンもフォルテの顔は見ずに答える。
すると、不意に左手をフォルテの右手が包んだ。
こんな時でもフォルテは冷静らしく、左手には彼の少し冷たい体温が熱となってじんわり広がった。
互いに何も言わない。
ただ、カノンは自身の中にあった不安が和らぐのを確かに感じていた。
「では行くぞ!」
ラルゴの言葉を号令に、周囲の団員たちが宙空に陣を描く。
やがて、足元の転送陣が輝き出し、カノンを含めた全員を光が包んだ。
同時に僅かな浮遊感。
より眩い閃光が収まると、カノンの視界には雄大な山脈が広がっていた。
暗闇の中に時折浮かぶ光。森閑とした空気を爆音が震わせる。
どうやら、現地部隊による戦闘がすでに各所で始まっているようだった。
遠くで赤い光が走り、少し遅れてけたたましい音と共に消えていく。
山肌からは、鳥たちが一斉に逃げ出している。
「カノン」
左手を包む手に少し力が入ったのを感じ、カノンはフォルテの方へと顔を向ける。
すると、フォルテがカノンの耳元へと口を寄せた。
「これ、原作だとスオーロ公爵が犯人なんだけど……多分違う。何があるか分からないから、絶対に本陣から動かないで」
何があるか分からない。
それはエンデの襲撃のような、フォルテですら不測の事態が再び起き得るということだ。
カノンが顔に緊張を走らせながら頷くと、フォルテの手の力が微かに緩む。
そして左手に感じていた圧迫感が消え、彼の手が離れていく。
「じゃあ、いってくるね」
そう言って微笑むフォルテの後ろには、気付けばシニストラの面々が集まっていた。
「部隊長! 今度こそ、カノン様は我々が守り切ります」
「お任せください!」
傍に寄ってきたジュストとリエートが順に敬礼する。
二人は緊張よりも気合いの入った様子で、その声にも頼もしさが滲んでいた。
それを見たフォルテは、カノンに見せるのとはまた違った顔で小さく微笑んだ。
「任せた」
一言。
それだけ言って、フォルテは後ろへ振り向き、一度だけ首を縦に振る。
シニストラの隊員たちが返すように頷くと、彼らは山脈に向かって一斉に駆け出した。
凄まじい勢いで遠ざかっていくフォルテたち。
肌寒い夜の山の麓で、カノンは左手に残ったフォルテの熱をさすった。
「さぁ、俺らも準備するぞ。絶対に街へ通すな!」
ラルゴの声に騎士たちの勢いのある返答が上がり、いくつもの足音が駆けていく。
自分の力が必要になることなどないだろう。
それでも、何かあったときには自分の身ぐらいは守りたいと思っていた。
なのに、いざとなれば足がすくむ。
ただ、それでは前と何も変わりがない。
カノンは自分を奮い立たせるように、目を閉じて深呼吸した。
思い返すのはジュストとリエート、それにフィーネと過ごした訓練の日々。
初めて感じる戦場の空気に鼓動が早まるのを感じながら、カノンは顔を上げて縋るように細剣を握った。
「カノン様。こちらへ」
ジュストが指し示す方には、現地部隊が設営したであろう作戦本部。
麻の天幕の下に入ると、蝋燭の灯りがカノンたちの顔を照らし出す。
灯りの中、カノンはリエートの耳に見慣れないものが着けられていることに気付いた。
「あれ、リエートってそんなピアス着けてたっけ?」
カノンが問うと、リエートが右耳の装飾に軽く触れた。
赤い珠がぶら下がったそれは、これから戦闘をする人間が着けるには不似合いな代物に思える。
「え? あぁ、これっすか。これはお守りっすよ」
そう言ってリエートは少しだけ目線を泳がせた。
以前は着けていなかったように思う。
もしかすると戦場でだけ着けるものなのかもしれない、とカノンは「そうなんだ」と納得する。
少しして、先ほどよりも大きく、そして多くの爆音が山を震わせた。
近くでは騎士たちの怒号や剣戟の音が聞こえ出す。
カノンはもちろん、本陣に留まる騎士たちにも緊張が走った。
山に吹く寒風がカノンの肌を撫ぜる。
左手に残っていた彼の熱は、もう消えてしまっていた。




