20. 第一皇子の溜息
ネーヴェ皇国皇都チェレステの中心。
どこよりも高い場所、そして何よりも高く伸びる皇国の象徴。
皇城、ストラヴァガンテ。
その正門をカノンがくぐるのは3年以上ぶりだった。
「でも、急に訪ねて通してくれるものなんですか? 第一皇子様なんてお忙しいのでは」
「大丈夫。あいつに、私のこと追い返すなんてできないから」
正門から進み、皇城の固く閉ざされた扉の前。
シノが笑みを浮かべながら扉の向こうを顎で指した。
「あいつって……レガート第一皇子のこと言ってます? 不敬ですよ」
カノンが普段より小声でシノに言うと、彼女は呆れたように斜め上を見上げ、そのまま首を回して周囲を見つめた。
その視線の先では衛兵がカノンたちをじっと見ている。
「不敬ねぇ。じゃあ賭ける? この扉が開くか否か」
「賭けないですよ。私が絶対負けるじゃないですか、それ」
「あら残念。またファッションショーが開けると思ったのに」
扉を見たままシノが笑い、カノンは目を閉じて溜息をつく。
やっぱりこの人はフォルテの姉だ、と改めて感じる。
軽い物言いなんてそっくりだ。
カノンの苦笑を合図にしたように、衛兵たちが扉の閂を外しはじめ、金属の擦れる音がした。
次に扉の向こうからも同様の音が響くと、衛兵たちによって扉がゆっくりと開かれていく。
隣を見ると、シノが「ほらね」とでも言いたげな顔でカノンを見ていた。
「ほらね?」
「結局言うんですか……」
「さ、行きましょ」
踵の高い靴を鳴らしながら先に城内へと進んでいくシノ。
追いかけるように歩き出すと、久しぶりに見る景色へと目を奪われる。
壁や床、階段。そのどれもに大理石が惜しみなく使われている。
室内を照らす灯りは蝋燭ではなく魔核を使った照明。
定期的な魔力注入もしくは交換が必要な魔核による照明は、貴族であっても相当な有力者でなければ手が出ない代物だ。
壁面や床に使われている大理石は、その歴史を考えれば価格をつけることもできないだろう。
それらをじっくり見る間もなく通り過ぎたカノンは、これまで入ったことのない通路へと案内された。
そして通路の奥。
ほかの扉よりも僅かに華美な扉をシノがノックすると、向こう側から「どうぞ」と声が返ってきた。
「シノ、頼むからせめて前日には教えておいてくれ……」
部屋の向こうはネーヴェとは別の国だった。
正確には、日本が広がっていた。
テーブルではなく、ちゃぶ台。
部屋の仕切りは襖。
そして、部屋の主である金髪の青年が畳の上で立ち上がる。
この国の第一皇子であるレガート・ファストーソ・チェレスティアーレ、その人だった。
「なに? 会いたいって私のお願いが迷惑なわけ」
「うっ……そういうわけではないけど」
シノは断りもなく部屋の奥へと足を踏み入れ、我が物顔で一人掛けソファに腰掛けた。
「それでも今の僕は第一皇子なんだよ、一応」
一国の皇子とは思えないほど背を丸め、レガートはちゃぶ台に紅茶の入ったカップを3つ置いた。
皇室御用達のカップは、庶民的な部屋にはアンバランスに映る。
この国において、この部屋が庶民的かと言われると微妙なところではあるが。
カノンが、まるで恋人同士のような会話をするレガートとシノに気圧されていると、レガートと目があった。
その瞳は何かを懐かしむような、そんな瞳だった。
「あぁ、挨拶が遅れたね。僕はレガート・ファストーソ・チェレスティアーレ。一応、この国の第一皇子様をやってる者です」
「一応一応って、いい加減腹括りなさいよ」
「仕方ないだろ……何なら君もやってみるといいよ。僕の気持ちが分かるから」
うんざりした声でレガートが座布団の上で胡座をかいた。
「それで、今日はカノンちゃんを紹介しに来てくれたってことでいいのかな」
胡座姿でカップを啜りながら、レガートがカノンをチラリと見遣った。
カノンは二人の会話に圧倒され、自己紹介のタイミングを逃していたことに気付き、勢い良く頭を下げる。
「か、カノンです……ええと、以前お会いして以来かと存じます。その、お久しぶりです、殿下」
「久しぶり、カノンちゃん。そうだね、3年前のパーティー以来かな?」
「えぇ、仰る通りかと存じます」
「そんなに固くなられると困っちゃうんだけど……あぁ、その座椅子にでも座って」
レガートが手のひらを優雅に差し向けた先には、これまた和風な造りの座椅子が置かれていた。
流石に座面は革張りのものだったが、その使用感の少なさから、どうやらレガートが普段使っているものではないようだった。
促されるままにカノンが恐る恐る腰掛けると、座椅子は木材特有の軋音を立てる。
「君は──」
やはり転生者の特徴なのかもしれない。
レガートは何かを言いかけ、ど忘れしたかのように首を傾げ、やがて納得したように頷いた。
「なるほど」
紅茶をまたひと口だけ啜り、レガートは少しだけ寂しげな顔をした。
(だから、何がなるほどなんだ……?)
カノンは未だどう振る舞うべきか悩みつつ、カップに口をつける。
第一皇子が転生者だと明かされた直後だ。これがただの挨拶でないことぐらい分かる。
ただ、カノンの知るレガートはもっと皇子然とした人だった。
それがこの態度である。
カノンが困惑するのも無理はなかった。
「あの……みなさん最初に会った時、何か言いかけて止めますけど、何かあるんですか? フォルテもそうだったんです。何か言いたそうだったのに、結局何も言わなくて」
シノとレガートが同時に動きを止める。
二人はゆっくりと互いを見合い、シノは首を縦に振り、レガートはひと言「分かった」と呟いた。
「シノはどこまで話したの? 僕らが元日本人ってことは?」
「ちょうどそこまで。まぁ、この部屋を見れば話さなくても分かるけど」
「まぁまぁ。でも、それならベストタイミングだね」
レガートはそう言って扉へと視線を向けた。
瞬間、部屋に訪れた沈黙。
静寂を打ち破ったのはノックの音。
カノンたちが部屋へ入る前に聞いたものと同じ言葉をレガートが返すと、扉が遠慮なく開かれた。
そこには、フォルテが立っていた。




