18. 人であること
終盤にフォルテ視点が入ります
目を開くと、また見知らぬ部屋。
まだぼんやりした頭を働かせ、部屋を見渡せばすぐ隣にはやっぱり彼がいた。
「フォル、テ……?」
カノンが名前を呼ぶと、フォルテは一瞬だけ表情を強張らせた後、すぐに頬を和らげた。
「おはよう。流石、皇城の要人治療室のベッド。随分寝心地が良かったみたいじゃん」
「どれくらい寝てた……?」
「3日。まぁ、あんなことがあったんだし、無理もないけど」
そう言いながら、フォルテが小さく拳を握ったのが見える。
軽いもの言いの割に、随分と心配をかけてしまったようだった。
カノンは大丈夫だと伝えようと、彼の握りこぶしに触れようと左腕を持ち上げる。
ただ、その瞬間に妙な違和感があった。
その違和感は魔力に意識を巡らせた際に感じる、体の内側から触られるような実際的なものではなく。
もっと曖昧で、感覚的なもの。
まるで、自分の体ではないような、そんな感覚だった。
一瞬だけ感じた違和感にカノンが左腕を不思議そうに眺めていると、フォルテが医者を呼びに病室から出ていく。
その間にカノンが病室を改めて見渡すと、白塗りの壁が目に入る。
要人治療室の名に恥じることのない革張りのソファや気鋭の作家による絵画、そして見慣れない魔法陣の数々。
多少なりとも魔法を実際に学んだ今ならば、その魔法陣の精緻さが分かる。
少なくとも庶民や下級貴族が使えるような代物ではないことぐらいは。
それから然程待つことなく、治療室の扉が再び開かれた。
「あらま、本当に起きてるね」
真っ白なフロックコートに身を包んだ老人が、カノンのことを見るなり感心したように息を漏らした。
「まぁ、眠っていたことの方が僕は不思議だったけどね。外傷はないし、中身だって健康体だったんだから」
「あの……失礼ですが、貴方は……?」
老人は見かけの年齢の割に筋の通った背を伸ばし、面倒くさそうに頭を掻いた。
「僕はプレガンド・アラ・ポルト。ここでお医者さんをやってる」
「プレ爺さんは要人治療専門の医者なんだよ。普段は研究棟に引きこもってるけど」
「要人治療なんて魔法陣を使うだけで、誰がやっても同じだからね。僕は面倒なのは好きじゃないんだ」
傍にあったソファをベッド近くまで引き摺り、プレガンドは肘掛けに両手をかけて落ちるように腰を掛けた。
「プレじい……? 二人は仲良いの?」
「仲良くなんかないさ。このお坊ちゃんは僕に非協力的だからね。ただ、このお坊ちゃんに限らず、みんな失礼なことに僕のことをプレ爺と呼ぶんだよ」
「あんたに協力なんかすれば、どこまで見られるか分かったもんじゃねぇだろ」
「そりゃ、隅々まで見るだろうね」
プレガンドはフォルテと会話しながら、カノンの全身へと視線を這わせる。
確かに、彼の好きにさせたなら、全身を隈無く調べ上げられそうだ、とカノンは苦笑した。
「じゃあ、そろそろ検査を始めるとしようか」
不意にプレガンドが立ち上がり、カノンが反応を示す間もなく宙空に陣を描いた。
それは、治療室に設置されている陣よりもずっと高度なものに見える。
これまで見たことがないほど緻密な陣が、プレガンドの指先から幾重にも紡がれていく。
やがて完成した陣はプレガンドの手元で複製され、カノンの足元に滑り込んだ。
陣は淡い光を纏いながら、前世でいうところのCTスキャンのようにカノンの身体をゆっくりと走査していく。
「これは?」
「検査魔法だよ。これを作ったから僕はここにいる。準男爵なんていう面倒くさいものまで押し付けられてね」
「凄いですね。叙爵されるほどとなると」
「あー、ちょっと静かに。動かれると困るから」
ちょうど胸元あたりを通り過ぎた陣の、眩い光にカノンは反射的に目をつむる。
まぶたが照らされ、真っ暗な視界が柔らかとは言い難い光で染まった。
さらに目を覆いたくなるような眩しさが止み、ようやく目を開けるとチラつく景色の中でプレガンドが天井を見上げていた。
「なるほどねぇ。そりゃ僕のとこに来るわけだ」
プレガンドがフォルテに目をやると、フォルテが黙って頷いた。
「お嬢さん。君が使ったのは少なくとも僕らが知る魔法じゃない」
「……じゃあ、なんなんでしょう?」
「なんだろうね? よく分からないけど、魔法を使って身体がそんなになるなら、この国の魔法使いたちはとっくにくたばってるよ」
プレガンドが頭を掻きながら、ただ、楽しそうに口元を歪めた。
あの力を使った時のことは、おぼろげながらも覚えている。
魔力が完全に切れ、それでもリエートの指を元に戻したい一心で魔法を行使しようとした。
そして白く染まった世界のなかで、感じたことのない冷たさに襲われた。
体の底から、内臓まで凍りつくような──それでいて震えることも許されないような冷たさ。
それは、魔法を使う時の感覚とは全く別種の異質なものだった。
「魔力神経がズタズタだ。何をしたらこんなになるのか、全く想像がつかないほどにね」
「え? でも痛みなんて……」
「ないだろうね、そんなもの。魔力神経には痛覚なんてないからね。まぁ、今の僕が言えるのはこれぐらいかな。あとはお坊ちゃんから聞いてくれる?」
プレガンドは席を立つと、コートの後ろを軽くはたいた。
「このことはしばらく内緒にしておこう。厄介事は好きだけど面倒事は嫌いだからね」
そのまま治療室を出ていくプレガンドの背中を見送ったフォルテが、何も言わずに近くの椅子を引き寄せカノンのすぐ傍に腰掛けた。
彼の顔にはいつもの軽薄さはなく、どこか思い詰めたような表情に見える。
「神様の力……実感ないなぁ」
「……信じてないんじゃなかったの」
「流石にもう無理でしょ。指までくっつけちゃって」
カノンは抗うことを諦め、受け入れた。だから笑ってみせた。
「まぁでも、これでもっと強くなれるし、フォルテが傷ついてもすぐ治せちゃうね!」
笑えば笑うほど、フォルテは俯いていく。
フォルテの反応を見れば、神の力がただ良いものでないことは分かる。
それでも、現状を鑑みれば自分が使った力こそが、彼らの散々言う神の力であることを受け入れざるを得なかった。
感じたことのない冷たい感覚。
自分の体が自分のものでないような感覚。
そして、プレガンドの言葉。
そのどれもが、カノンが普通の人間でないことを証明するようだった。
「それにしても私が神様かー! 祀られちゃったりする──」
突然、温かさに包まれる。
体ごと引き寄せられ、気付けばフォルテの腕の中にいる。
彼の熱に体が驚いたように、浮かべていた笑顔が固まった。
「いいよ、笑わなくて」
耳元に寄せられた彼の声が振動となって鼓膜を揺らす。
「ちょ、ちょっとフォルテ……?」
言葉では抵抗しても、彼を遠ざけようとはしなかった。
「泣きたい時に笑わなくていいから」
「私……いま笑ってた、と思うけど……?」
声が上擦り、震える。
「そんぐらい分かるから」
カノンを包む腕に力が入り、フォルテとの距離がゼロになる。
温かさと、心地良い圧迫感。
カノンは自分の体温よりも少し熱を持ったものを頬に感じ、初めて自分が泣いていることに気付いた。
「守れなくてごめん」
頭を抱き寄せられ、カノンの頬がフォルテの襟元を濡らす。
「仲間を助けてくれて、生きようとしてくれて、ありがとう」
次々にあふれる涙。
フォルテの腕の中が、なぜか懐かしくて、また涙が零れる。
前にもこんなことがあったような、ありもしない記憶が、泣くのを止めさせてくれなかった。
ようやく落ち着いた時には、濡れた頬が少し乾きだしていた。
皮膚が突っ張ったような引きつったような感覚が、少し照れくさい。
カノンはフォルテの腕の中からおずおずと抜け出し、咳払いした。
「あのね、起きた時から変な感じがするの。自分の体が自分のものじゃないみたいな」
目元を少しだけ擦りながら、カノンは自分の腕を見下ろす。
「私、訓練を続けるよ。もっと強くなって、今度はみんなも、自分のこともちゃんと守れるように。神様の力に頼らなくていいように」
カノンが顔を上げると、目を丸くしたフォルテと視線がぶつかった。
彼はわずかに沈黙した後、表情を和らげ、声を出して笑った。
「な、なんで笑うの!?」
「いや、強すぎでしょ」
手の甲で口元を押さえながら笑うのを止めないフォルテに、カノンは抗議の目を向ける。
ただ、治療室に響く彼の笑い声が何だか可笑しくて、つい笑いだしてしまった。
◇
──数時間前。
「やっと見つけた」
顔に影を落としたシノが、柱に寄りかかってフォルテを見つめていた。
「どういうこと!? このタイミングでカノンちゃんが襲われるなんて原作にはなかったわ!」
シノが掴みかかる勢いでフォルテに詰め寄る。
充血した目は、彼女が寝ていないことを物語っていた。
化粧用品の充実していないこの世界で、寝不足は大敵だ。
社交界の華である彼女は、普段なら睡眠を欠かさない。
そんな彼女が眠ることを放棄してしまうほどに、現状は芳しくなかった。
「カノンが襲われるのはまだ先だったし、犯人は公爵のはずだった、でしょ」
「やっぱり、私たちが少しずつ変えちゃったことが、ゲームの展開に影響してるんじゃ……」
よろけるように後ずさるシノの手を引き、フォルテは庁舎の裏へと場所を移した。
訓練中であれば人通りはほぼないとはいえ、目立つする場所でする会話ではないと判断したからだ。
「ねぇ、カノンちゃん倒れたって……まさか神力を使ったんじゃないわよね……?」
庁舎の裏で、シノがフォルテの袖を掴んだ。
フォルテは何も答えなかったが、その沈黙は肯定でしかなかった。
「嘘でしょ……? そんな、だってそれじゃあ代償が足りなくなるわ!」
「分かってる。俺だってこのタイミングで覚醒するなんて思ってなかったんだよ」
苦々しげに目を逸らすフォルテの態度に、シノはそれ以上問い詰めることはせずに押し黙った。
「もし原作通りなら……個人的にはカノンちゃんに神力を使ってほしくない。けど……」
言い淀むシノの言葉の合間を縫って、訓練中の騎士団員たちの声が響く。
小さく口を開いては閉じ、歯を軋ませるシノ。
そして、薄く開いた口から長く息を吸ってからフォルテを見た。
「私たちはトゥルーエンドを目指すしかないのよ。例え、カノンちゃんが人でなくなるとしても」
シノの瞳は揺らぐことなく、フォルテを捉えていた。
こうなるまでに、シノが何度涙を流してきたのか、フォルテは知っている。
原作──『楽園のソルテルーチェ』の知識をフォルテと第一皇子・レガートにもたらした彼女が、どれほど悩み、どれほどの思いの上で覚悟を決めたのか。
だから、フォルテは一言だけ「分かってる」と、同じ言葉を発することしかできなかった。




