9話 隣人
「あっ、こんにちは〜」
下の階の新しい隣人か?
同年代くらいだろうか。
彼女は華奢な腕で重そうな荷物を運んでいる。
「はぁ〜、ふぅ〜」
彼女は吐息を漏らしながら、横目で俺のことをチラチラ見ている。
まるで、助けてほしいなとアピールしているみたいだ。
「はぁ〜、仕方ない。乗せられてやるよ。
手伝いましょうか?」
「えぇ~、いいんですか? お兄さん〜」
ゆったりと喋る、独特な間を持っている子だな。
いわゆる不思議ちゃんタイプか。
「これくらいいいって」
殺風景な彼女の部屋に、荷物を運び込む。
途中から彼女は、俺への応援に徹して荷物を一切運ばなかった。
「優しそうなお兄さんでよかったです〜。
お礼にご飯でも一緒に食べませんか?」
「えっ……」
突然の誘いに困惑する。
「できれば、近所のスーパーとかも教えてほしいんです〜」
「でも……」
「もしかして、お兄さん彼女持ちですか〜?」
「いや、そんなことないけど……まだ、初対面だし」
「私はそんなこと気にしませんよ」
俺が気にするんだよ。
彼女は返事を待たずして、俺の手を引っ張る。
一人になりたかった半面、誰かにそばにいてほしかった。
矛盾する気持ちを抱え、彼女の手を振りほどくことはしなかった。
夜遅く、閉店間際のスーパーに駆け込む。
「これ……なに?」
彼女は当然のように、俺と恋人繋ぎをしている。
俺は握られている手を上げ、彼女に見せる。
「あら……イヤでした?」
「別に嫌じゃないけど……」
「伊藤楓って言います」
彼女は、ふっと微笑む。
「俺は、泉だ」
「泉さんは、素っ気ないですね。
私みたいな子、タイプじゃないです?」
「出会ったばかりだろ。
タイプもなにもないよ……」
「ふーん。泉さんは好きな食べ物とかあります?」
「うーん。ハンバーグとか?」
「和風? 洋風?」
「洋風かな……」
「わかりました!」
彼女は、俺に買い物カゴを持たせ、手際よく食材を入れていく。
俺……何やってんだろ。
それでも、一人になるよりはずっとマシだった。
§
流されるままに彼女の部屋にいた。
最低限の荷解きだけ、手伝い、伊藤さんは、新品のガスコンロで手際よくハンバーグの肉だねを作っていた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
伊藤さんは鼻歌を歌いながら、エプロン姿で調理を続ける。
「いきなり知らない男を招き入れて、無用心じゃないか?」
「あら、お兄さんは、楓に変なことをする気なんですか?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出す。
「そんなことしねえよ!」
「でしょうね」
伊藤さんはこちらを振り向くことなく、言い切る。
でしょうねって……。
これは俺が、善人に見えるのか、それとも手を出す度胸もないと思われているのか……どっちだ?
「できましたよー!」
彼女は熱々の鉄板に大きなハンバーグを乗せ、机の上に並べる。
とろとろのチーズの上にトマトソースが肉汁と混ざ合い、食欲をかき立てる。
思わず唾液がこみ上げてくる。
「あれ……伊藤さんは食べないんですか?」
「大きいから、半分こにしましょ!」
そう言って彼女は、俺の隣に腰を下ろした。
ハンバーグの香りに混じって、甘い花のような匂いが鼻先をかすめる。
「なんか、距離近くないですか?」
「泉さんは、楓のことキライですか?」
「好きも嫌いもないけど……ハンバーグは美味しそうです」
「ふふっ、泉さんって面白い人ですね。
聞いてた通りだ〜」
「聞いてた通り?」
「ううん、なんでもないですよ〜」
伊藤さんはそう言って、
ハンバーグをナイフとフォークで切り分ける。
「箸かフォーク、他にもないのかな?」
「一人だから、1セットしかありませーん」
伊藤さんは、湯気が立つハンバーグをふぅふぅと冷まして、俺の口元に運ぶ。
「ちょっと……持って……むごっ!?」
有無を言わさず口の中にハンバーグが押し込められる。
「んっ……うまい!」
肉厚なハンバーグをチーズが包み、口の中に肉汁が広がる。
とどめに鼻の中をトマトソースのかすかな酸味が抜ける。
「投げナイフより、殺傷能力高いな!」
思わずNFで例えてしまった。
「ふふっ、泉さんって面白い人なんですね~」
幸いにも、伊藤さんには引かれてないようだ。
一つのフォークで、彼女とハンバーグとご飯を分け合った。
俺の口に入れたフォークを、彼女はためらいもなく、自分の口に運んだ。
伊藤さんの艷やかな唇に、ついつい目を奪われる。
一瞬、頭の中を肉じゃががよぎる。
……加藤さん。
思わず伊藤さんの口元から目を逸らす。
「泉さん……好きな人でもいるんですかぁ?」
ギクッ……。
伊藤さんから鋭い質問が飛ぶ。
「……いませんよ」
「ふーん。そうなんだぁ〜」
伊藤さんは、たれ目で俺の顔を覗き込む。
ゆったりとした肩口の薄紫のカーディガンが下がり、彼女の肩が露出する。
「い、伊藤さん……近いです……」
「泉さんってば、赤くなってかわいい〜」
完全に彼女に弄ばれている。
§
「今日は、ご馳走様でした」
「いえいえ、こちらこそ手伝ってくれてありがとう。これからも、仲良くしてくださいね」
玄関先で、彼女はふっと微笑む。
——その時、階段から足音が響く。
ふと、目を向けると、加藤さんがゴミ袋を持って階段を降りてきた。
「あっ……」
彼女は、俺と加藤さんに気づくと、目を丸くした。
顔を背け、小走りでゴミ捨て場へと向かった。
……最悪のタイミングだ。




