エンディング 由里編
ナイフを置いて……5年が経過した。
あの時浴びてた歓声を今でも夢に見る。
小さな事務所だ。営業からイベントの企画まで全てこなさないといけない。
時刻は、今日に終わりを告げようとしていた。
「泉代表……お疲れですね」
「由里、キミもそろそろ帰って休んでくれ」
「代表……呼び捨てはやめてください。
お互い社会人なんですから」
「相変わらず手厳しいね」
由里はもともとストリーマーとして、配信活動にはそこまで熱を入れていなかった。
アストラを脱退してから、うちの事務所の経理で働いてもらっている。
「ああ……明日はようやく土曜日か……」
両手を挙げぐっと背筋を伸ばす。
「もう、今日になりましたけど……終電なくなりましたね」
「おい……わざとだろ?」
「ふふっ、バレました?
この後、飲みに行きませんか?」
敬語の由里も始めは新鮮だったが、
慣れとは恐ろしいもので、今では違和感は感じなくなった。
「おっ、いいね。今夜は寝かさないぜ」
「泉代表……今の発言、録音しましたので」
「えっ、冗談じゃん」
「冗談でもセクハラはセクハラです。
もしバラされたくなかった、今年のボーナス、期待していますからね」
「くっ、俺を脅すとは……現金な奴だ」
由里は仕事人だ。時々、ふざけるが基本的には手際よく業務をこないている。彼女がいてくれて本当に助かっている。
§
いつものように、行きつけの寂れた居酒屋に向かう。
昭和の雰囲気のレトロな建物。
看板の電灯は点滅していて、文字がかすれていた。
暖簾を潜り店に入ると、炭火の香ばしい香りとと、熱気で充満していた。
「親っさん、いつもの下さい」
カウンターに並んで座り、注文する。
瓶ビールに焼き鳥の盛り合わせ。
お通しのキャベツ。
これが、俺たち二人の《《いつもの》》だ。
さっそく、瓶ビールにコップ二個並べられる。
互いにコップに注ぎ合う。
「「乾杯――」」
静かな店内にコップがぶつかる音がかすかに響く。
仕事の疲れとともにビールを喉に流し込む。
「くぅー!」
「由里も完全におっさん化したな」
「う、うるさい。せめておばさんにしてくれ。
って、誰がおばさんだ!
それに、泉だってもうおっさんだろ!」
「バカ言え、27はまだお兄さんだ」
「私だってまだ28だ!」
社外ではいつもの由里として接してくれる。
ここまで器用に切り替えができるのが、羨ましくもある。
「そういえば、充と詩音がとうとう結婚するんだってね」
「ああ、式は挙げない代わりに、お祝いパーティーをアストラのメンバーで開催するんだろ?」
「夫婦でプロで同じチームってのも、珍しいね。
結婚かぁ……いいな」
由里がぼそっと呟いたが、聞かなかったことにした。デリケートなお年頃だ、あまり深く触れないようにしよう。
「どうぞ、串盛りだよ。由里ちゃん、また一段と綺麗になったね。大好きな砂肝、一本サービスしといたよ」
「やったー。親っさんありがとうございます!」
由里は今日一で目を輝かせていた。
「砂肝で喜ぶ28歳は可愛くねえなあ」
「うるさいわね。
串の好みはその人の人生がでるらしいわよ」
由里はそう言って砂肝を
「なんだそれ、初めて聞いたんだけど……」
「ちなみに泉は何の串が好き?」
「俺は……そうだな……ねぎまのタレだな」
俺たちは他愛もない話で盛り上がった。
§
夜は深まり、酒とともに進んでいく。
「はぁ、私ってこのまま行き遅れるのかなあ」
俺たちの前には既に焼酎の一升瓶が二本空いていた。由里の頬は真っ赤で呂律も回っていない。
「もう行き遅れているだろ」
「ああー! 泉、言ったなー!」
由里は俺の肩をポカポカ叩く。
「ほら、飲み過ぎだって……タクシー呼ぶから帰るぞ」
「それじゃあ親っさん、ごちそうさま」
「おう、また来てくれや!」
「また来るー」
由里はベロベロに酔っ払っていた。
店の外に出ると、秋風が酒に浮かれた体を冷ます。
「泉――家に泊めてくれ――」
「えぇ、やだよ。酔っ払いの介抱はしたくないよ」
「私、酔ってなーい!」
由里は路上で騒ぎ出した。
周囲は閑静な住宅街で、彼女の声がいっそう響く。
「おい、近所迷惑だからやめろって……はぁ、仕方ない」
とりあえず自宅が近いので、アパートに連れ帰る。
帰ると、由里をベッドの上に寝かせた。
「スーツのままだけど仕方ない」
彼女に掛け布団だけ被せて、俺はシャワーを浴びた。シャワーの熱が酔いを覚ます。
由里はほんとに昔から変わらないな。
普段は大人っぽいのに酔うと子どもになる。
§
「うぉっ……!」
ベッド脇で寝ていたら、由里が上から落ちてきた。
「すぅすぅ……泉……寒い……」
「はぁ……ったく」
手探りで、由里が蹴脱いだ掛け布団を手繰り寄せ、一緒に布団に包まる。
「泉……好き……」
「えっ?」
不意のひと言に思わず声が漏れる。
「寝言か……?」
由里とはすれ違ってばかりだったけど、
こうして二人でいられるだけで幸せだった。
でも、既に俺たちは恋人になるタイミングを失っていた。自分でも変だとは思う。
共に過ごす時間が長引けば長引くほど、機を逃してしまう。
§
翌朝――
「うぅ……頭痛い……」
由里が俺の上で酒臭い吐息を漏らす。
「あんだけ飲めば突然だよ……」
「……ええっ!? なんで、私、泉の上にのっているの!」
「なんも、覚えてないんだな……」
「あっ! 化粧も落としてないし、髪も解いてなかった!」
彼女は慌てて飛び起き、バタバタと洗面台に駆け込む。
「ふぁ――」
俺はもう一眠りするか……。
どれぐらい寝ていただろうか。
台所から小気味の良い音が響く。
目を開けると、部屋着姿の由里が台所に立っていた。
飲みに行った後、俺の家に泊まることがよくあるから彼女は俺の部屋に、衣類や最低限の生活用品を置いていた。
これで付き合っていないというのも不思議だ。
それでも、由里は、俺の生活の一部になっていた。
「泉、朝ごはん食べないか?」
「うん。ありがとう。食べるよ」
……俺も、少しだけ頭が痛い。
さすがに飲みすぎたな。
テーブルにはご飯と味噌汁、だし巻き卵に大根おろしがのっていた。焼き魚の香ばしい匂いが食欲をそそる。
「いただきます!」
由里は髪を留め、すっぴんだけど、
既に見慣れていた。
「何だよ……人の顔をまじまじと見て。
どうせ、私はもうおばさんですよ!」
「誰もそんなこと言ってないだろ」
昨日の件、根に持っているな。
普段さばさばしている癖に、変なところで女性っぽいんだよな。
「ふん」
彼女はそっぽを向き、互いに無言のまま朝食を済ませた。
些細なことで不機嫌になる。そんなところも変わらない。
「私……帰るね……」
彼女は洗い物だけ済ませて、荷物をまとめる。
そのまま、玄関へ向かった。
「ご飯、美味しかったよ。ありがとう」
「いえいえ。これぐらいお安い御用ですよ。
泉代表!」
少しずつ、会社の部下としての由里に戻っていく。
俺は、そのまま去ろうとする、彼女の服の袖を掴んだ。
「……どうしたの?」
「いや……つい……もう少し、一緒にいたいな……なんて」
「……」
静寂の中、小鳥の囀りだけが響いていた。
「――泉!」
「うおっ!」
由里が突然振り向き、俺の胸に飛び込んできた。
「泉、行き遅れた私をもらってくれー!」
「なんだその、可愛くない告白は……」
「うるさい! どうせ、可愛くないもん!」
「はぁ、仕方ない。もらってやるよ」
「くっ……それはそれで何かムカつく。
もっと言い方があるだろ?
逆に告白し返すとか、アツい愛の言葉で受け入れるとか……」
「はいはい。愛してる愛してる」
「なんだその、投げやりな言葉は!
泉だって私しかいないだろ? 私で妥協しようよ」
「そんなことないぞ。
最近、くるみちゃんとも仲良いんだよね」
「もういい、私帰る! 泉なんか嫌い!」
由里は俺を突き放し、踵を返す。
「おい、冗談だって」
「もういい、知らない!」
由里の声が震えていた。
俺は由里を背後から抱きしめた。
「由里……俺は由里が大好きだ。由里の手料理、仕事への姿勢、普段はしっかりしているのに、ポンコツな一面もある。そして、いつも俺を支えてくれてありがとう」
「……」
彼女は何も言わなかった。
「……由里さえよければ、付き合ってくれ」
由里は手で涙を拭っていた。
「……を前提にならいいよ」
「えっ?」
「結婚を前提にならいいって言ったの……」
「ふっ」
「ちょっと、何がおかしいの?」
由里がこちらを振り向き、潤んだ目で俺を睨む。
「いや、こんなグダグダな告白ってないなと、思って……」
「ふっ、本当だな」
由里も自然と笑みがこぼれる。
「それで……返事は?」
彼女は、プレゼントを開ける前の子供のような表情で、俺の言葉を待っていた。
「俺の返事は当然――」




