エンディング 桃園編
スマホの通知画面を開くと、桃園さんからメッセージが入っていた。
『事務所に泉くんの私物があるから、どこかで渡せないかな?』とのこと。
私物?
何かあったかなと思いつつも、久しぶりに桃園さんに会いたかったから詳しくは聞かなかった。
昼下がりの喫茶店――互いにモカコーヒーを注文する。
「泉くん……少し、やつれた?」
「最近忙しくて。
そういう桃園さんは、綺麗になりましたね」
「あらららあ、口が達者になったわね。
でも、今の時代セクハラになるぞー」
「そうですね。気をつけます。
最近はお仕事、忙しいですか?」
「マネージャーの子がもう一人増えて、少しだけ仕事が楽になったかな。
泉くんも辞めちゃったし、管理する人が減ったから……」
桃園さんは、コーヒーを冷ましながらゆっくりとカップに口をつける。
「へぇ、新しいマネージャーかぁ。
どんな人なんです?」
「ちょっと何、また、別の女の子に唾を付けとこうと目論んでいるわけ?」
「またってなんですか。俺、そんなことしませんよ」
「ふーん。どうだか」
桃園さんは目を細め、ジト目で俺を睨む。
「そんな相手がいたらどれだけいいか」
贅沢な話だが、一人になって始めて誰かがいることの有難さが身に染みた。
「加藤さんとは連絡とっているの?」
「お互い忙しくて、だんだんと疎遠になったんだ」
「そうなんだ。意外だね。てっきり付き合っているのかと思ってた」
「そうですね」
喫茶店の窓の外から街並みを眺める。
舞ちゃんの笑顔が、記憶から少しずつ薄れていくような気がした。
「……そういえば忘れ物の私物って?」
「ああ、そうだ。渡し忘れるとこだった。
これだよ」
桃園さんから写真が手渡される。
みんなで撮った集合写真だ。
失くしたと思っていた。
「ありがとうございます」
既に俺たちは別々の道を歩き始めた。
今さら過去に固執するのは、なんとなくダサい気がした。
「泉くん。また、誘ってもいいかな?」
「うーん……」
「そ、そうだよね。
忙しいのに、わがまま言ってごめんね」
桃園さんは、目を伏せた。
「今度は俺から誘いますよ!」
「え……う、うん!」
目を丸く見開く彼女が以前よりも可愛く見えた。
§
その日から、桃園さんと連絡を取るようになり、
互いに多忙な中、言葉を重ねていった。
意を決して、遊園地のお誘いをする。
桃園さんからは『行く♪』とだけ、即返事が返ってきた。
連休――桃園さんとデート当日。
自分でデートと認識するぐらいには楽しみにしていたのに……脇に挟んだ体温計を見ると……38.6℃!?
どおりでキツいはずだ。
仕方なく桃園さんに断りの連絡を入れる。
ピンポーン……インターホンが鳴る。
「桃園でーす! 泉くん、大丈夫?
いろいろ買ってきたから開けなさい!」
玄関を開けると、デニム姿の彼女が立っていた。
スーツ姿の彼女ばかり見てきたので、彼女私服は新鮮だ。
「今日はすみません……」
思ったより、落ち込んでいたみたいだ。
「いいんだよ。久しぶりに泉くんのマネージャーをしてあげるから、ゆっくり寝てなさい」
横になって休んでいると、額に冷たいものが貼られる。
熱冷ましシートか……桃園さんが頭をそっと撫でてくれた。
目を開くと、桃園さんの黄金色の瞳が見下ろしていた。
「泉くん、他には何かしてほしいことない?」
「そこ……手を握ってほしいです」
「えっ……ふっ、なによそれ」
風邪の時ってどうしても心細くなる。
「駄目ですか?」
「そんなに子犬みたいな表情されたら、断れないじゃない」
桃園さんは、俺の手を握り隣に腰掛ける。
彼女の手が柔らかく冷たかった。
……いや、俺が熱いだけだったのかもしれない。
§
目覚めると部屋の電気は消え、俺の頬に寝息がかかる。
解熱剤と桃園さんの看病のお陰で、倦怠感も頭痛もすっかり収まっていた。
「……くしゅん」
桃園さんが隣でくしゃみをする。
俺は彼女を抱え、ベッドの上に寝かせる。
……と反動でふらつき、俺も隣に倒れ込む。
――耳元で笑い声が囁く。
「ふふ、泉くん。
せっかくカッコつけてくれたのに、しまらないね」
「ちょっと、起きてたんなら自分で動いてくださいよ」
「せっかくの見せ場を奪ったら悪いじゃない」
「それに、俺がふらついたのは桃園さんが重かっただけですから」
「ああっ、ヒドい!
それは、聞き捨てならないわね!」
桃園さんは俺をベッドへ引き込むように、きつく俺を抱きしめた。
「ちょ、ギブですって。俺、病人ですから勘弁してください」
「病人なら、大人しく寝てなさい」
狭いシングルベッド――互いの体が密着する。
不思議と桃園さんの体が熱かった。
「なんか、私……熱っぽいかも」
「もしかして、俺のが感染っちゃいました?」
「そうかも……」
「今度は、俺が看病する番ですね」
「うぅー、てか泉くんの風邪なんだから返すよ!」
「いいえ、開封済みなので返品はお断りします」
「クーリングオフするもん!」
「むぐっ!?」
突然、桃園さんに唇を塞がれる。
彼女は息を吹き込んできた。
押しのけようと思ったのに、なぜか彼女を抱きしめていた。
――彼女の唇が離れる。
「桃園さん……」
「泉くん……私はいつまで“桃園さん”なの?」
「水葉――」
俺はそれだけ返し、再び体温を分かち合った。
俺たちは、互いに風邪を感染し合い連休が丸々潰れてしまった。
水葉は「風邪を分かち合うってロマンチックだよね」と意味の分からないことを言っていたので、
「発想が気持ち悪いですね」とだけ返した。
俺たちはまだ何も始まっていない。
それでも、水葉とのこれからに期待している自分がいた。




