エンディング 楓編
近所のスーパーの喫煙所で紫煙をくゆらす。
「ふぅー」
コーヒーのような渋い苦みが口の中に広がる。
神宮寺ムラサキの煙草の銘柄紹介動画に感化され、俺も気づけば喫煙者の仲間入りだ。
仕事のストレスか、日に日に吸う本数が増えてきた。
「お兄さーん! 私にも一本ちょーだい!」
懐かしい声に振り向くと、
楓が後ろで手を組み、微笑んでいた。
「楓、久しぶり!」
俺は煙草の箱を確認する。
……あと、一本しかない。
「もらい!」
楓が手早く、箱から最後の一本を奪い取る。
「あ……最後の一本……」
「ふふふ、海人くん。
FPSはコンマ一秒の差が勝敗を分かつのだよ」
楓は得意げに煙草を見せつける。
もはやツッコむ気にもなれない。
「お姉さん、どうぞ」
ライターで火を灯し、楓の煙草に点ける。
「海人くん……ちゃんとご飯食べてる?
なんか、やつれているよ」
「事務所の立ち上げで忙しくてな。
煙草まで吸うようになって……」
「あの頃の輝いていた海人くんは、もういないのね」
「そういう楓は、最近どうなんだ?
配信活動も調子良さそうじゃん」
「そんなことないよ……私は燻ったままだよ。
海人くん、一緒に落ちぶれようね」
楓は煙草の煙を口に含むと――俺の唇に自身の唇を重ねた。
「むっ!?」
楓の口内の煙が、俺の口に流れ込む。
重なった唇がゆっくりと解ける。
「こうすれば、一度で二度おいしいでしょ?」
「公衆の面前で何やってんだよ……」
平静を装っているが、心臓の鼓動が跳ね上がっている。
「あ、そうだ! 海人くん、今から予定ある?」
「いや、特になんにもないけど」
「なら、私が晩ご飯作ってあげよっか?
何がいい?」
「ホントか! それなら、久しぶりにオムライスを食べたい!」
「ふふ、いいよ。作ってあげる!」
§
包丁が食材を刻む小気味よい音――
食材を炒め、部屋中に広がる香ばしい香り。
俺の部屋が久しぶりに、家庭的な雰囲気で満たされる。
「おまたせ!」
オムライスの上には、
ケチャップで“海人くんLOVE”と書かれていた。
昔の俺なら、遠慮なく突っ込んでいたが、
今は、楓の悪ふざけですら嬉しかった。
あの頃の生活に戻ったみたいだ。
「海人くん。さっきから黙りっぱなしだけど、
お口に合わなかった?」
俺は首を左右に振った。
言葉は出なかった――泣いていたから。
自分から前の生活を捨てたのに、カッコ悪いよな。
楓は机の上に、両手で頬杖をつき、微笑ましそうにオムライスをかき込む俺を見ていた。
「他のみんなは元気なのか?」
「うん、元気だよ。
舞ちゃんは結婚式の準備で忙しそうだけどね」
「えっ……!」
どういうことだ。楓の言葉は聞き取れるのに、脳が理解することを拒絶している。
「もしかして、海人くん……知らなかったの?
ごめんなさい……てっきり聞いているものかと……」
「そっか、それはおめでたいな!」
上手く笑えているか、自信はなかった。
相手は? いつから?
疑問は尽きない。
舞ちゃんの結婚を心の底から喜べるほど俺は大人じゃなかった。
忙しくて、何度か舞ちゃんの連絡を返さなかった。
少しずつすれ違い、次第に疎遠になっていった。
彼女はいつまでも待ってくれている、
そんな、傲慢な考えがいつの間にか、自分の心に深く根付いていた。
……そんなことありえないのに。
楓は何も言わなかった。
洗い物だけ済ませて、
「じゃあ、そろそろお暇するね!」
と玄関口へ向かった。
また、一人になるのか……俺はなんて、弱い人間なんだ。
いつの間にか、強くなれた気でいた。
でも、本当はみんなが支えてくれてたから、
俺は前を向いて生きてこれたんだ。
「海人くん……」
楓が玄関で靴を履き、背を向けたまま立っていた。
「今、私を選んでくれたら――
海人くんを一生そばで支えるよ?」
突然の提案に言葉が出なかった。
しばらく沈黙が続いた。
――楓の肩が震えている……えっ、泣いている?
「じゃあね」
楓はそれだけ言葉をこぼし、玄関のドアノブに手をかけた。
また、去っていく……。
一人、部屋に残された。
いや……俺自身が選択したんだ。
いつも周りに委ねていた。
選ばないことを……選んできたんだ。
これでいいのか?
§
気づけば俺は走り出していた。
靴も履かず、雨をかき分け……。
しばらく走ると、雨の中にけぶる楓の後ろ姿が見えた。
「楓!」
俺は彼女を背後から抱きしめた。
楓は俺の手をそっと握りしめた。
「海人くん……遅いよ……濡れちゃったじゃん」
「ごめん……ごめん楓……」
「ううん……いいんだよ」
§
二人で俺の部屋に戻り、
濡れた服を脱ぎ捨て、灯りもつけずに二人で布団に潜り込んだ。
冷えた体を温めるように二人で体温を分け合う。
これまでの時間を――埋められなかった距離を――言葉は交わさずに――。
気づけば、夜が明けていた。
「海人くん……」
「うん?」
「私、できちゃったみたい……」
「おい、さすがに早すぎるだろ。
人間やめたのか?」
「あっ、ひどーい! うりゃっ!」
「いでっ!」
楓が俺の胸に噛みつく。
「海人くん……私、誰かの代わりは嫌だよ……ちゃんと伊藤楓として……愛してね」
「当然だ。だから、楓もいつまでもそばにいてくれ……」
「うん……」
これから先の未来なんて分からない。
でも……今だけは二人はずっと一緒なんだと、
確信できる。




