72話 後日談
ジャパンリーグ優勝から――はや一ヶ月が経過した。
ルミナスイリアとアストラの事務所で一通りの手続きを終え、屋上からビル街を眺める――。
「どうしても事務所を辞めるのか?」
欄干に手をかけ、寄りかかっていると、
充が隣に並び――欄干に背中を預けた。
「ああ……俺にはもう、霧雨レイの仮面は必要ないからな。これからは、泉海人として生きていくよ」
「――勝ち逃げか?
フロッグのリキャスト時間の仕様はわかった。
もう一度やったら、俺が勝つ!」
「ったく、お前はどんだけ負けず嫌いなんだよ」
……充はいつまで経ってもブレないな。
そんなお前は昔は嫌いだった。
迷ってばかりの俺は、いつも焦燥感に駆られていた。
「泉……達者でな……」
「ああ……」
これから先の人生――俺たちの道は交わらないかもしれない。それでも、お前は俺の親友だよ。
「あっ、充先輩〜!
私とデートに行く約束でしょ?」
詩音が駆けてきて、充の手を引っ張る。
「なんだ、お前らそういう関係なのか?」
「はい!」
詩音の声が跳ねる。
……充が黙って頬を赤らめている。
「えっ……本当に?」
「だからそうだって言っているでしょ!
泉先輩もしつこいな〜!」
「……」
充は目をそらしたまま何も言わない。
「弱みでも握られてんのか?」
「あっ、ひど〜い!
……って、由里先輩、隠れてないで出てきてくださいよ! このままじゃ、寿命が尽きますよ!」
詩音が屋上の入り口に向かって叫ぶ。
「おい、私がそんなに年寄りに見えるか?」
「それじゃ、泉先輩……売れ残りをよろしくお願いしますね!」
「おい、詩音……殺すぞ!」
「きゃ〜こわ〜い!
そんなんだから男性ファンが少ないんですよ!」
そう言って詩音は充を引っ張っていく。
充が去り際に軽く手を振る。
俺も軽く手を振り返した。
入れ違うように由里がこちらに歩いてくる。
「泉……」
「由里……元気そうだな……」
「あぁ……」
互いに何も話さないまま、時間だけが過ぎてゆく。
「泉……事務所を辞めた後はどうするんだ?」
「そうだなぁ……やりたいことがあってな。
しばらくは、勉強だな……」
「泉、澄んだ目になったな」
「はっ、なんだよそれ」
「……もう、私の手の届かないところに行ってしまうんだな」
「……」
何も言えなかったし、何かを言う資格は俺にはなかった。
「泉……?」
代わりに由里の手を取った。
いつでも手の届くところにいる……それだけ伝えたかった。
「またな」
「ああ、また!」
去り際に振り向くと、由里は街並みを眺めていた。
§
事務所に置いてあった私物を回収していると、結花さんが通りかかる。
「海人くん……辞めちゃうんだ。お姉さん寂しいな……」
「結花さん。みんなのこと頼みました!」
「任せて! 海人くんの亡き後――みんなの心のケアは私がするから!」
「ちょ、まだ死んでませんってば!」
「まだ……ね」
結花さんが不敵な笑みを浮かべる。
「ちょっと、怖いんですけど……」
「ふふっ、いつでも連絡ちょうだいね!
たまには若い男の子と遊びたいから!」
「はい、機会があれば……ぜひ!」
結花さんと別れを告げ、車に荷物を運び込む。
運転席に乗ってシートベルトを締めた。
「待って〜! 泉くん! 私も乗せてって!」
桃園さんが、いきなり車に乗り込んできた。
「桃園さんも帰るんですか?」
「うん! 今日はノー残業デーだから!」
「へぇ、うちにそんなシステムがあったとは……」
「いいえ、私のマイルールよ!」
「はは、桃園さんらしいですね」
「ちょっと、冷笑はやめてくれないかな?
私の方がお姉さんなんだよ!」
「ま、何もしてなくても歳は取れますからね」
「なによ、その皮肉……私だって頑張っているのよ!」
「桃園さんが頑張り屋さんなのは、
誰よりも見てきてますって」
「ふふん! それならよろしい!
……でも、泉くんがいなくなったら、仕事が減るね……」
「俺のプライベートの世話をしてくれてもいいんですよ?」
「えっ! うん! やるやる!」
「なんで、そんなに乗り気なんですか……冗談ですよ。静かに余生を送らせてください」
「なら、老後の介護は私がしてあげるわ!」
「その時は、老老介護になりそうですね」
車を屋敷の前に停めて、桃園さんを降ろした。
「泉くん……前に住んでたアパートに引っ越したんだよね?」
「ああ……ここにいると、みんなに甘えてしまうから」
「そんなの誰も気にしないのに」
「もう決めたから……」
「泉くん……また……会えるよね?」
「……たぶん」
「ちょっと、そこは会えるって言ってよね!」
「冗談だよ、それじゃあ、また!」
「うん……またね!」
吐いた息が白く滲む。 桃園さんは見えなくなるまで手を振り続けていた




