42話 将来
三月半ば――少しずつ、寒さが和らいできた。
ふぁぁ〜朝飯でも買いに行くか……もう昼過ぎだけど。
町では、スーツ姿の社会人をちらほら見かける。
そっか、就活の時期か……若い女性が、新調されたスーツのまま、公園のベンチでうなだれていた。
俺なんてほぼニートみたいなものだから、
本当に頭が下がるよ。
大きなため息がここまで聞こえてくる。
ふと、彼女が顔を上げた。
「って、桃先輩!?」
「えっ、泉くん!?」
思わぬところで、思わぬ人と出会った。
「先輩、どうしたんです。その格好?」
「私もさ、そろそろいい歳じゃん?」
「そうですね」
「そこは、否定しなさいよ!」
「ははは、いつもの桃先輩だ」
なんだか、彼女といると安心する。
「てか、泉くん……どうせ、暇でしょ?
私の愚痴に付き合いなさいよ」
「いやいや、俺だって忙しいですよ?」
「何か予定でもあるの?」
「はい! 地球の平和を守っています!」
桃先輩が冷ややかな目で俺を見ている。
「じょ、冗談ですよ。
それで、どうしたんです?」
「私ね、就活始めたんだ。
大学出て、そのままフリーターやって……私の人生、このままでいいのかなって思ってさ」
「そうなんですね」
「でも……」
「でも?」
「やっぱり、新卒ブーストのない私じゃ厳しくてさ……」
彼女は空に向かって、ため息を吐く。
「桃先輩って、何の仕事がしたいんですか?」
「そうなんだよ。私って何がしたいんだろう……」
桃先輩にしては、珍しく落ち込んでいる。
「先輩なら、何でも器用にこなせそうですけどね。明るいし、先輩がいるだけで楽しい雰囲気になりますよ!」
「泉くん……君は本当にいい男だねえ。
私の彼氏候補に入れたいぐらいだよ」
「それは、光栄ですね!
僕の召使いとしてなら、家に置いてもいいですよ!」
「ほほう、この私をずいぶん低く見積もっているね?
これでも、私は結構モテるんだよ」
「桃先輩がモテる……それは、都市伝説かなにかですか?」
「ぐっ……弱っている乙女にとどめを刺すとは……」
桃先輩との会話はなんとなく楽しい。
「はぁ……私って……ダメな奴なんだよ……」
結構、落ち込んでいるな。
――仕方ない。
俺は、顔を伏せる桃先輩の手を引いた。
「えっ、泉くん!?」
「ほら、ご飯食べに行きますよ!
僕が奢りますから……」
「で、でも……何か、わるいわ……」
「いいんですよ。水葉には、いつも元気をわけてもらってますので……今度は俺の番ですよ」
「なんで、急に名前呼びなのよ!」
「今日は先輩後輩としてではなく、友人として、あなたのそばにいますよ」
「なら、私も海人って呼ぶから……」
「いいですよ。桃先輩!」
さすがに水葉呼びは、馴れ馴れしいか……。
「結局、その呼び方に戻るのね……」
§
煙が立ち上る中、桃先輩は豪快に上ハラミを頬張る。
「う〜ん! 美味しい!」
彼女は満面の笑みでビールを流し込む。
「焼肉なんて久しぶりですね」
「ホントそれ! 海人くん、ありがとう!」
「いえいえ、こちらこそ。
なかなか一人だと焼肉、行きませんから」
「てか、酒が進んでないなあ。
じゃんじゃん飲んでよ!」
「アルハラは自重してください」
「あらゆるハラスメントを海人くんにしてやるわよ!」
「もう、酔ってます?」
「まだまだ、これからよ!」
桃先輩は既に三杯目のビールの大ジョッキを飲み干す。
「ぷは~!」
「ほら、泡がついてますよ」
桃先輩にお手拭きを差し出す。
「ん〜」
彼女は顔を突き出した。
「……ったく」
仕方なく、桃先輩の口周りを拭いてあげた。
§
夜は深くなり、桃先輩は完全に酔っ払っている。
「桃先輩……そろそろ帰りますよ」
「イヤだ〜今日は帰りたくな〜い!
それに、働きたくな〜い!」
「もう、子どもみたいなこと言わないでくださいよ」
「あっ、そうだ、私、海人くんの……お嫁さんになる! そんで、専業主婦になる!」
「はいはい、なれるといいですね」
桃先輩がお嫁さんか……
一瞬、彼女が出迎えてくれる姿が、頭をよぎる。
「むっ! 本気にしてないな!
もういい、今日は海人くんの家でとことん飲み直しだ!」
「僕の家ですか……」
あの壁が薄いボロアパートのことだ。桃先輩の声の大きさなら一発で、他の住人にバレてしまう。
やましいことなんて、何もないけど、
バレたらいろいろと面倒だ――舞ちゃんとか楓とか。
§
……どうしてこうなった。
考えろ――泉海人。
俺の家はダメだ――桃先輩が自宅に帰りたくないとごねて……。
一面ピンクの部屋――あり得ないぐらい大きいベッド。
ガラス張りの浴室――桃先輩が鼻歌を歌いながらシャワーを浴びている。
流されるままにラブホに来てしまった。
俺の思い描いていた初ラブホとは違う……。
好きな人同士で、人目をはばかりながら、ぎこちなく入店する。そんな、甘酸っぱい妄想が……。
桃先輩の裸――覗きに行けばすぐに見える。
――見たくないといえば嘘になる。
でも、それだけは超えてはいけない気がした。
「海人く〜ん、あがったよ!」
彼女はガウン姿のまま、髪をタオルで拭いていた。
「桃先輩……」
「きゃっほ〜」
「うおっ!?」
桃先輩が突然抱きついてきて、そのままベッドに押し倒される。
お風呂上がりの火照った体温が――湿った肌が伝わってくる。
――シャンプーの匂い――耳にかかる吐息――そのすべてが五感を刺激する。
「桃先輩……重い……のいてください」
「誰が重いって……むにゃむにゃ……」
呂律が回っていない――ってあれ?
気づけば、桃先輩は寝息を立て始めた。
はぁ……この人は……。
「海人くん……水葉って呼んで……」
寝言か……?
まったく……たまには甘やかしてやるか。
「水葉……おやすみ……」
彼女を引き剥がすのを諦め、そのまま目を閉じた。
§
ふぁぁ――って、まだ抱きついているのか。
うっ……寝返りがうてなかったせいか、体中が痛い。
「あれ……海人くん……?」
「おはようございます……あの、いい加減どいてほしいんですけど……」
「えっ!? えぇっ~!」
桃先輩はベッドから飛び起き、壁際に退避する。
「えっ……ここって……えっ!」
「過去一テンパってますね」
この人が慌てれば慌てるほど、なぜか俺は冷静になってきた。
「えっ、てか私、下着もつけてないじゃん……海人くん……もしかして……」
「大丈夫ですよ……っ痛てててて……こ、腰が……」
ずっと、上に乗られて寝ていたせいか、腰が痛い。
「そんなに激しく、私たち……したの?
それに、その余裕――もしかして、卒業したから?」
「なんか、盛大に勘違いしていませんか?」
「……勘違い?」
「そうですよ! 帰りたくないだの、家に連れて行けだの。挙句の果てにラブホの前で駄々をこねだすし――水葉って呼んでとかも言ってましたし……」
「ぎゃぁぁぁ、恥ずかしい――し、死にたい」
桃先輩は両手で顔を覆う。
「これに懲りたら、お酒はほどほどにしてくださいね」
「海人くん……その、寝ている私に何もしていないわよね?」
「はい! 安心してください!」
「そうなんだ……」
なんで、少し残念そうなんだよ。
「ほら、桃先輩、着替えたら朝ごはん食べに行きましょ。家まで送りますから!」
「う、うん……あの……その……」
桃先輩はなぜかもじもじしている。
「……昨日のことおぼえてないからさ……もう一度だけ、水葉って呼んでくれないかな」
なんだそれは……。
「仕方ないですね……ほら、水葉、帰りますよ」
俺は彼女の手を引き、部屋をあとにした。




