19話 心音
――雨足が強まる。
さっきまで、雨なんて降っていなかったのに。
自宅アパートに帰る頃には、靴下までぐしょぐしょに濡れていた。
階段を上がり切ると――彼女がそこにいた。
「……舞ちゃん!」
黒髪を雫が伝う。
俺の部屋の玄関扉に寄りかかり、体育座りで俯いていた。
俺に気づくと、ゆっくりと顔を上げる。
彼女の顔に、涙と雨が滲んでいた。
「海人くん……海人くん……」
舞ちゃんは立ち上がり、俺の胸に飛び込んできた。
「……何かあった?」
「何かあったじゃ、ないですよ……昼間のことがあったから……私、探してたんですよ……そしたら、帰ってこないから……心配したんだから……」
彼女は俺の胸を何度も叩く。
「ごめん……ごめんね、舞ちゃん……」
「海人さんも泣いてください……私だけ不公平です……こんなに心配したのに……」
思わず舞ちゃんの背中に、手を回しそうになった。
――それだけはだめだ。彼女は同じ箱の先輩Vだ。
それだけは、越えてはいけないラインだ。
代わりに彼女の頭を撫でた。
毛先が濡れ、彼女の耳が冷たかった。
「舞ちゃん……とりあえず一回部屋に戻って、お風呂に入ってきてよ。このままじゃ風邪ひくよ」
彼女は動かなかった。
そして、黙って俺の服の袖を掴んでいた。
「……舞ちゃん?」
「どこにも行かないでください……離しませんから……」
「わかった。なら……舞ちゃんの部屋で待っておこうか?」
彼女はこくりと頷いた。
彼女がシャワーを浴びている間、俺は部屋から服を取ってきて手早く着替えた。
部屋が広く感じる。
彼女の部屋は配信機材が置いてあるだけで、やや殺風景だった。生活に最小限の物しか置いていない。
この部屋で生活しているのは間違いない。
ミニマリストなのか?
それだけでは説明がつかないような気もした。
シャワーを終え、濡れた髪のままで上がってきた。
――虚ろな瞳をしていた。
舞ちゃんは俺の前にちょこんと座ると、背中を預けてきた。
「ドライヤーは?」
「そんなのないよ……」
「……俺の部屋から取ってくるよ」
立ち上がろうとするが、彼女はより、体重を預けてくる。
小さな背中の感触が、伝わってくる。
普段の頼もしい彼女はどこにもいなかった。
しばらく何も言葉を交わさなかった。
「私――学校で嫌なことがあって……高校生を中退しているんです」
「そうなんだ……」
「毎日、引きこもって……毎日、人を避けてきた」
相槌だけ打ち、彼女の言葉に耳を傾ける。
「そんな時、海人くんのNFの配信を見たんです。
凄かった……あんな銃で単身で場を掻き乱し、突破口を切り開く姿――憧れました……私にも、あんな力があればって……」
そうか、そうだったのか……。
「私が、配信者を目指したきっかけは、海人くんなんですよ。私にも立ち向かう勇気があればって……でも、海人くんがその、非難を浴びて――姿を消して……」
舞ちゃんは、言葉を選んでいる。
「今度は、私が誰かを元気づけなきゃ……海人くんのように……でも、そんなの私のエゴだよね」
「そんなことない……そんなことないよ……俺、犬柴アカリの配信を見てまた、NFを始めようと思った。
また、前を向くことができたんだ」
俺たちは互いに助け合ってきた。
どちらか挫けた時、互いに支えてきたんだ。
――ずっと前から。
そんな彼女に、これ以上隠しごとはできなかった。
「……舞ちゃん、嘘をついててごめん。
俺が、霧雨レイなんだ」
一瞬、彼女の背中がビクッと震えた。
「……やっぱり」
「知ってたんだ……」
「時々、女の子っぽい話し方が部屋から聞こえてきたから……その話し方、レイちゃんとそっくりだったし……」
全部聞かれていたのか……それは、そうか。
俺だって、犬柴アカリが舞ちゃんだって分かったんだ。
「いつ、打ち明けてくれるのか……待ってたんだよ……」
「ごめん……」
俺は手を回し、舞ちゃんを抱きしめた。
彼女は俺の腕に手を添え、大事そうに抱える。
――雨音がやけに大きく聞こえた。
一章はここにて、終了です。
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