89、一日と百年
「しっ、シノン!?」
「……………ああ。ただいま、カルナ………」
私は困惑して声を上げるけれど、シノンはただ黙って、しばらく私に抱きついたままじっとしていた。私も抱き返して、頭は駄目っぽいので背中を撫でてやった。
「くっ……………」
「っ!?」
また。まただ。シノンは嗚咽を漏らしながら私の肩の上でもう耐えきれないというふうに泣いている。
またも驚愕する私だけど、今は彼を慰めてやろう。大好きな人の匂いに包まれながら、私はただシノンを抱き締めていた。
そのまましばらく……おそらく数十分。シノンはやがて私から離れて、涙を拭った。
「ごめん。けど……ありがとう」
そう言って、シノンは笑った。
「ふふっ、おかえり、シノン」
約束を、破らないでくれた。私はそれだけで充分で、シノンを伴って部屋に向かった。
中に入ると、私はシノンを振り返る。
「………ねえ、シノン。話して。なんで、昨日はあんなに寂しそうにしてたの?なんで今日は――……ふぐぅっ!?」
私は最後まで言い切れなかった。また、彼の唇で私の口が塞がれたからだ。
普通なら後ろに一歩下がるだけで良かったんだろうけれど、私はシノンの両腕によって動きが封じられてそれが出来なかった。
「んっ………ぅ………」
やっぱり、彼との口付けをしている間は喉からそんな声が漏れてしまう。
私は少し恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じていた。
やがてシノンの口が離れて、片目を瞑り少し歯を見せながら人差し指を立てた。
そんな彼に少し胸を鳴らしながら、熱くなった顔を隠すようにシノンの胸へ顔をうずめた。
「ねえ、シノン。これから、どうするの?」
「ラトス皇国へ行く」
「……?何をしに?」
「ハプの花畑にな。俺がロウに拾われた所」
「えっ?」
私は意外な答えに驚いて、顔をシノンの胸から離した。
「ハプの花畑?場所、わかるの?」
「ああ、それに関しては心配いらない。ちゃんとわかる」
「そう、か……けど、なんで?」
シノンは微笑み、そして言った。
「ちょっと野暮用でな。どうする?行くか?」
「行くに決まってるでしょ――……むぐっ!?」
「こらこら、大声出さない」
「あぅっ……ごめん……」
私は即答したけど、無意識に大声を出してしまい、シノンに右手で口を塞がれて謝った。
しかし彼は笑って許してくれた。誰も起きなかったみたいだし、良かった。
「さて、もう夜も遅いし、風呂に入って寝るか」
「シノン、こっち」
「あっ、おい、ちょっと……」
シノンも帰ってきてからしばらく経ったので少し落ち着いたのか、いつもの彼に戻ってくれた。
私はシノンを寝台に引っ張って上着を脱がせ、無理矢理寝台に寝かせる。
「まずはその疲れた体を癒さないとね」
「おいおい……なんだその嬉しそうな笑みは」
「えへへ、今日も一緒に寝よ?」
「ああ……いいけど………」
私も結構疲れたけど、シノンはもっと疲れているみたいだ。一日しか離れていなかったはずなのに、よく見ると目の下には薄く隈ができている。
「ほらほら、私も寝るから、早く寝ようよ」
「いやいや、待て待て。まだ風呂に……」
「何言ってるんだ。今日はもう寝て、明日の朝に入りなさい」
「い、いや……でも………」
「いーいーかーらー、ほら」
「あぅ………」
私は半ば強引にシノンを布団に潜らせた。そして彼を拘束するように抱きついて、そして彼の胸に顔をうずめた。
シノンも渋々といった感じで私を抱き締めてくれた。
やがてシノンの寝息が聞こえてくると、私は彼の顔を見る。
柔らかい枕にほぼ半分顔が埋まった可愛らしい寝顔と規則正しい息遣い。深くゆっくりとした息で肩が上下に揺れている。
私はそんな彼の寝顔をしばらく堪能すると、私も大好きな人の匂いに包まれて眠った。
「カルナー?ちょっ……と………」
アリュスフィアがシノンとカルナの部屋に入るが、二人はまだ眠ったままだった。
シノンとカルナが一緒に寝ていたことにも驚いたのだが、基本朝が早い二人がまだ寝ていたことが何よりの驚きだった。
「ちょっ、ちょっとー!なんでまだ寝てるのよー!」
「んっ……んんっ……?」
「カルナ?ちょっと、カルナー!」
「あれ?朝………?」
「そうよ、朝よ。もう、昨日遅くまで起きてたんでしょ?疲れてたのになんで早く寝なかったのよ?っていうか、なんで同じ寝台にシノンがいるのよ!」
「ああ、フィア。ごめんね。シノンは………へへっ、私が無理矢理寝かせた」
笑顔で言うカルナに拍子抜けしたのか、アリュスフィアは困惑したような表情でわずかに顔を引いてまばたく。
「と、とにかく、今日は試験の結果発表なんだから、早くしてよね。みんなで見ようって言ったの、カルナでしょ?」
「あっ!そうだった!……っと」
カルナは大声を出したことに気づき、シノンがまだ眠っているのを見てほっと息を吐いた。
「待ってて。今行く」
アリュスフィアは微笑んでうなずき、部屋から出ていった。
シノンを見ると、体を左向きにして静かに眠っている。時々狼の耳がピクリと動くのが可愛くて、カルナは思わず笑みを浮かべた。
その後カルナは着替えてシノンへの書き置きをし、結果を見るためにアルファ達のもとへ向かった。
「お待たせー」
「大丈夫か?昨日は相当大変だったもんなぁ」
「あ、あははー……ごめんねー……」
「さ、行きましょ。もう混んじゃってるわよ」
アリュスフィアのその言葉で、まったく緊張感のないメンバーは依頼などが貼られている掲示板の所へ向かった。
「うわー………案の定混んでるな」
「私に任せてっ」
そう言って、アリュスフィアがその小さい体を活かして混雑した人混みの中へと入っていった。数分ほどすると、アリュスフィアが中から出てきた。
「全員合格よ!おめでとっ!」
「ありがとうフィア。みんな、おめでとう」
「おめでとう!やった!」
「おめでとうございます!皆さん受かって良かったです!」
四人で全員の合格を喜び合ったあと受付に並び、入団確約書を書いて提出した。
「おーい!カルナちゃーん!それとみんなー!」
奥の出入口から団長であるリアナが出てきて、カルナたちに話しかけた。
「全員合格、おめでとおめでとっ!」
「だ、団長さん。ありがとうございます」
「うんうん。素晴らしいねっ。あ、そうそう。君たち、ちょっとボクの部屋に来てもらえるー?」
「え、ええ?ちょっ……!」
リアナはカルナの手を引いて無理矢理ついて来させた。その後にアルファたちも首をかしげながらもついていった。
リアナは団長室の扉を閉めると、満面の笑みでカルナたちを見る。
「君たちはシノンの信頼を得ているからね、二年間の労働は免除にしようかと思って」
『…………………えっ?』
全員が困惑の声を上げる中、リアナは構わずに続けた。
「ついでに、君たちのランクは冒険者ランクそのまんま、依頼に出ても大丈夫だよ。ただし、しばらくはここの依頼を受けるのはやめた方がいいね」
「え、いや、えっと、何故、免除………?」
「言ったでしょ?シノンの信頼を得ているからって。それに、君たちは特別でしょ?旅してんだからさ。ここに連れてきたのは、特例だから。あんな所でこんな話したら他の合格者から非難の声飛ぶっしょ」
彼らは困惑の表情を浮かべたまま、さらに問うた。
「えっと、つまり、俺達はそのまま旅に出ても良いと?」
「そうそう。そゆこと」
「本当ですかっ!?ありがとうございますっ!」
カルナは素直にリアナへと礼を言った。シノンとともにラトス皇国へすぐに行けると思ったら、嬉しくなったからだ。
彼と旅をすることは、カルナにとっては喜びでもある。だから、すぐにでもここを出て旅ができるとなると気分が跳ね上がるのである。
「ありがとうございます、団長」
「やった!すぐに旅に出られるなんて、ね!」
「そうですね、ありがとうございます団長!」
「あははー、まあシノンが認めた人達だしね。それに彼の調査を滞らせる気はボクにはないってのが何よりの理由かな」
「なるほど、そう言えばそうだった………」
カルナが呟くと、リアナが笑って言う。
「まあ、シノンにはそのことを伝えてないから、旅の準備はできてないと思う。このことを教えてやって」
『はい!』
「ぅっ……んん………?」
白い光を感じて、シノンは目を開ける。寝ぼけ眼のまましばらくじっとするが、少しずつ覚醒していく。
「あれ………今、いつだ……?」
誰に言うでもなく呟くとシノンはゆっくり上半身を起こして頭をおさえ、焦点の合わない目で周りを見渡した。
すると、寝台の脇にある棚に書き置きがあったので読むと、カルナは試験の結果を見に行ってくると書かれていた。
「…………風呂、入るか」
呟き、シノンは寝台から降りて風呂へと向かう。
湯で濡れた髪を掻き上げて、獣のように頭を勢い良く振った。顔に張りついた髪を払ってから、シノンは顔を上げた。
「戻ってきたか」
カルナが戻ってきたのを感じて、シノンは風呂から上がった。
頭をタオルで拭きながら脱衣所の扉を開けながら、シノンは言う。
「カルナ、合格おめでとう」
「あ、シノン。起きたんだ、おはよう。っていうか、なんで合格したってわかったの?」
「は?逆に訊くけどカルナが落ちる理由は?」
「あっ……えっと……うん。ありがとう……?」
カルナは、過信しすぎじゃないかと思い少し戸惑うような声を出すが、シノンは微笑んで彼女の頭の上に手を載せた。
「じゃあとりあえずはギルドでの労働だな。頑張れよ」
「あ、シノン。その事についてなんだけど……」
カルナはシノンに、リアナからの特例について話した。シノンは特に驚いたような様子はなかった。むしろ苦笑を浮かべて言った。
「ははっ、団長らしいや………」
その顔は、どこか懐かしそうだった。
「そういうことなら、数日くらいここで休んでから出よう。早めに行けるならありがたい」
「うん、そうだね」
昼まではあと二、三時間ほどあるが、シノンもカルナも朝食がまだだったので空腹であり、二人は食堂に向かうことにした。
シノンは自身の大好物であるオムライスを注文していたので、カルナも同じものを頼んだ。
シノンは相変わらず幸せそうに食べるので、カルナの顔も自然と綻んでいた。
遅い朝食を食べ終わって食堂を出ると、ルクたちに出会った。
「あ、シノンさん!」
「しっ、こら。ユウだろうが」
「あっ、スミマセン………」
ルクは両手で口を塞ぐ。周りには誰もいなかったので、シノンはほっと息を吐いた。
「なんだよ。急にどうし……た……?」
シノンの声が小さくなっていった。カルナも驚きのあまり固まっている。なぜなら、ルクや勇希、勇奈の他に、ラトス皇国第三皇子である悠がいたからだ。
「で、殿下……?」
「悠で良い。わたしはしばらくは平民だ。それにここは他国。わたしも偉くはないからな」
「わかりま……いや、わかった。それはそうと、なんでルクたちと一緒に………?」
「俺が誘ったんです。悠は一人じゃ危ないかなとか思ったんで。まあ、今は一緒にいて楽しいんですけどね」
「名前が同じだと紛らわしいか……しょうがない。俺のことはシノンでいいよ」
シノンは頭巾を被り、顔を隠した。
「なるほどな。で、悠。俺がシノンでありユウでもあるってのは、ここだけの話にしてほしい」
「わかった。そなたにはここに預けてくれた恩があるからな」
「それだけで恩になるのか………」
「わたしにとってあの場所はすごく居心地が悪かったからな。だから兄上の願いを聞いてくれたそなたには感謝している。ありがとう」
そう言って、悠は頭を下げた。慌ててシノンが頭を挙げさせた。
しかしシノンとしても、悠がここに来てからが少し気になってはいたので、ルクたちと一緒にいるならば安心だと思ったのは内緒だ。
その後もしばらく他愛ない話をし、彼らは別れたのだった。シノンとカルナは遅めの朝食兼早めの昼食だけで充分だったので、とりあえずは部屋に戻ることにする。
「えっと、じゃあ、明日までは休むか。明後日の朝出発」
「わかった。馬車の方は大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ルドは厩に預けてある」
「了解。それで、まず最初の目的地は?」
「そう、だな。まずはロクベイ村で宿を取って、それから北の方へ、街や村に寄りながらラトス高原に行く」
シノンは、机に広げた地図を指で撫でながら、カルナに今現在考えている予定について話した。
「今は特に急ぎじゃないから、ゆっくり行こう」
「そうだね。それで、その後どうするのか決まってるの?」
「ああ。その後はもう一度こっちに戻って来て、リリーズ王国への直航に乗る。そしたらリュアンに会いに行く」
「全王さま?」
カルナは首を傾げた。シノンは黙ってうなずき、もう一度地図を見て言った。
「大事な用事があってな。四大公爵家の方にも寄るから、その間、カルナはアルファたちと一緒にいてほしい」
「………あ、わかった」
カルナはシノンの言いたいことを察してうなずいた。
アルファたちと言えどシノンの出自を話すわけにはいかないので、全王であるリュアンとの会話を聞かせたくないのだろう。
だから、事情を知っているカルナならばシノンがリュアンと話している間の相手を安心して頼めるというわけだ。
「なんの用事があるの?」
カルナは気になって聞いてみるが、シノンは人差し指を口に当てるだけで答えてくれなかった。
「まあ、そのうち話すさ」
そう言って、シノンはにこりと笑った。




