83、魔の森と青年
×××年、××月、××日。
私は今、森の中にいる。一人で、そう、一人でこのとっても危険な森に放り出されている。
戦うことの出来ない私は、ただ襲ってくる魔物から逃げるしかないのだと落胆し、恐怖を味わっている。
この森は極めて危険だ。即ち強い魔物や魔獣がいるということであり、つまりは足の速い魔物や魔獣も多いというわけで。
そんな魔物や魔獣から逃げ切れる自身はないと少々落胆しながら、私はとにかく南を目指して歩いた。
なぜ、こんなことになっているのか。それは、私が興味本意でこの森に来たからだ。
とはいえ、ここは魔の森と言われているのでさすがに戦えない私が一人でこんなところに来ればすぐに死ぬはずだろう。
しかし、なぜ私がここに来るまで生き残れたのかと言うと、冒険者を途中まで雇っていたのだけど、途中でオーガの集団に出会った瞬間私を置いてみんな逃げてしまった。
護衛の役目果たしてないじゃん。
そう突っ込む間もなく、私は一目散に逃げた。いつの間にか後ろにはオーガはいなくて、なんとか振り切ったみたいだったけど。
「きゃっ!?」
私は驚いて、尻餅をついた。
目の前にオークの集団がいたからだ。
オークはAランクの魔物で、とても私の手に負えるような相手じゃない。更に言えばオークは人間の女性を攫って子を孕ませるらしい。
そう悟った私は、後ろへ向かって走り出す……けれど、振り向いた私の目の前にも、右にも左にも、オークの集団。
か、囲まれてしまった……どうしよう……?
足が震えて動けない。最悪死を覚悟して目を瞑った時、オークの叫び声が聞こえた。
『モブッ!?』
「えっ……?」
ザッ、ザッという足音が聞こえてゆっくり目を開けると、その場にいたはずのオークたちはいなくなっていた。
「やれやれ」
「わあっ!?」
「おっと、ごめんよ。驚かせちゃったね。それにしても、こんな美人をそれも集団で囲って襲うなんて……呆れた話だよね、お嬢さん」
後ろを振り向くと、薄い緑色の短髪の青年が立っていた。軽い口調で話しかけてきた青年は満面の笑みで私を見ている。
着ている服は和服で、なんというか、イケメンだ。
あまりにも雰囲気が軽いので、私は驚いたばかりなのに、なんだか気が抜けた。
「大丈夫かい?駄目でしょう、こんな所に一人で」
「えっ……あっ……すいません……」
「あはは、謝らなくていいさ。なんか事情があるんでしょ?」
え、なんで、当たってる。ていうか、青年は顔を私の真近に持ってきて、なおも笑顔で言ってくるんだけど。
「あっ、えっと、その、助けて、くれたんですよね……?」
「うーん、まあ、そうなるよね。一応、追い払ったんだし」
「じ、自覚ないんですか……いや、ありがとうございます」
「うんうん。あ、敬語やめてよ。僕はそういうの苦手なんだ。あ、僕の名前はナル。君は?」
「ナル、さん……私は、ユキナといいま……あっユキナっていうの。よろしくね」
「へえ……ユキナ、ね。あと、呼び捨てでいいよ。というか、呼び捨てにしてほしいな」
「あ、うん。わかったわ」
ナルは私を見て柔らかい笑みを浮かべた。先ほどまでの軽い感じじゃなくて、なんだか、こう……温かいというか……。
「あの……えっと……」
「おっと、ごめんね。で、なんでここに一人でいたの?」
「あー……一人で来たんじゃないの。冒険者を数人雇って、つい数時間前まで一緒にいたんだけど……」
「はぐれた?」
私は首を横に振った。
「ここに来たのは私の興味本意だったし、仕方のないことだとは……思う……」
ふと、ナルの顔が一気に険しくなった。私はその瞬間に顔が引き攣って、それ以上は言えなかった。
「……逃げたの、そいつら?」
「えっ……なんで、わかったの?普通、魔物に殺されたとか思うんじゃ?」
「まあ普通はそう思うだろうね。けど、血の臭いがしなかったからさ、ここ数日は」
「臭い……?」
あっ。今、初めて気づいたけど、頭に大きな耳と、それからお尻のところにも尻尾が………狐?
「ふふっ、気づいたかい?僕は見ての通り一応狐だから五感が鋭くてね、君が数日間で移動できるような範囲の臭いや音くらいは把握できるさ」
「すごい……」
「ま、冒険者を雇っても興味本意でここに来るもんじゃないさ。特に、君のような綺麗で可愛い子は」
ナルは私の背中まで伸びている髪を一束握って、さらりと撫でる。
「……口説いてるの?」
「あははー、そんなつもりはないんだけどな。姉さんや妹たちにもよく言われるよ」
「お姉さんや妹さんがいるの?」
「ああ、うん。ついでに兄や弟もいるよ。たくさん」
「だ、大家族なのね……もしかしてあなた貴族?」
「そう見える?」
「うーん、見え、なくもない……?」
「あははー、半分当たり。もしかして、僕の兄弟姉妹たちを養子だとか思ってた?」
「違うの?」
「違うね。ちゃんと、同じ親から生まれた肉親だよ」
「へえ……ちなみに何人?」
「それはさすがに言えないな。さて、あまり長く話していても仕方がないね。これも何かの縁だ、送っていってあげるよ。どこから来た?」
「え、いいの?」
「遠慮しないでよ。ちょっと暇だし」
「……えっと、ジガム王国」
「ふむ、ということは南東か。こっち」
ナルは向かって左斜め前に進み始めた。すかさず私は彼について行く。
「それにしても、君も僕も、今日は本当に運がいいよね」
「私はわかるけど、あなたのはどういうこと?」
「んー?まず君は僕がたまたまここにいたから助かったこと。で、君が興味本意でこの森に来て、不謹慎だけど君の護衛だった冒険者が逃げたおかげで僕は君という美人に知り合えたわけだ」
顔だけ振り向いて、彼は恥ずかしいことをさらりと言ってくる。私は思わずドキリとした。それを知ってか知らずか、ナルは隣まで来て、話を続けてきた。
「ねえ、僕のことを話せるだけ話したからさ、ユキナのことも教えてよ。親とか、きょうだいとか」
「あ……うん。親は……いないの」
ピクリ、とナルの耳と肩が動いた。けど、私は構わず続ける。
「兄弟は、弟が一人だけ。今は私のために一生懸命働いてくれているの。私は女だから仕事なんて就けやしないから、お金を稼ぐ手伝いはできないんだけどね。でも、優しくて、いい子なの」
「……変なこと聞いてごめんよ」
私は首を横に振った。
「いいの、気にしないで。物心ついた時から親なんていなかったし、弟がいるだけで私は幸せ。ねえ、ナルの家族のことも教えて」
「ん、いいよ。僕の兄弟姉妹には、色んな人がいるんだ。真面目だったり、天然だったり、チャラかったり、大人しかったり、元気だったり、無口だったり。そんな俺たちだけど、共通点がある。それは、みんなが互いを思い合って信頼しているのと、優しい性格だってこと。その中でも、末っ子がすごく可愛くてねー。みんな大事にしてるのさ。もちろん、僕もその一人さ」
「個性豊かなのね、羨ましいわ。今度紹介して?」
「あはは、さすがに全員は無理だけど、一人くらいはいいかな?誰がいい?」
「って、言われても………あ、なら、末っ子の子と会わせてほしいな」
そう言ったけど、ナルはなぜか苦笑いを浮かべる。
「あー、あの子はちょっと難しいんだよねー……特に人族は……」
「え……何かあったの?」
「うーん、まあ、あったと言えばあったかな?」
なんだか曖昧な答えを返されたけど、なんだか無理そうなので私は諦めることにした。
「あ、じゃあ、やっぱりいいわ。無理はさせたくないもの。また機会があったらお願いするわ」
「そうかい?いや、悪いね」
本当に申し訳なさそうに、ナルは言った。それに対して、私はまた首を横に振る。
「命の恩人だもの。強制するつもりはないわ」
「……へえ、そうか。助かるよ」
その後も、私達は他愛のない会話を続けた。ナルと話していると、なんだか落ち着くし、楽しい。会話が途切れることがないからだ。
うまく先導されているみたいで、暇にならなくていい。
けれど、なぜか気がつくと彼の顔を見ているようになり、妙に胸が高なっているような気がした。何でだろう。緊張してきてしまった………。
辺りが暗くなってきたかと思うと、私の暮らす街クラッセルが見えてきた。
「あっ……!街だ!」
「ふむ、疲れてないかい?」
「ああ……うん。正直、疲れたわ……」
「まあ、そりゃあ魔物に追っかけられればね。ほら、行こう?」
「うん!」
そして街の外れまで来ると、不意に後ろからナルが話しかけてきた。
「さて、僕はここまでだね。じゃあ、気をつけて」
「待って!良かったら家に――………あれ?いない……?」
振り返って彼を止めようとしたけど、後ろを見た時には彼の姿はなかった……。
「姉さん!どこに行ってたのさっ!?」
家に帰るなり弟のユキオが私の肩を掴んできた。
身長は私よりも一つ分くらい高く、ナルともだいたい同じくらいだ。私と同じ黒髪黒目で、どちらかと言えば大人しそうな印象を受ける顔立ちである。
「あ、ご、ごめんね。ちょっと出かけてた……」
「心配したんだぞ!?こんな時間まで出歩いて、最近物騒なことが多いんだから、頼むよ……」
「ふふっ、心配してくれてありがとう。ごめんね、今、夕食作るから」
「ああ。本当に無事で良かったよ。あ、おかえり、姉さん」
「あ、うん。ただいま」
そして、私は夕食を作って二人で食べ、お風呂に入って眠った。
森の奥深く。広いスペースのある洞窟の中で、とある青年と少年が話をしていた。
「まったく、なんで助けてあげないの?あんなに美人なのに?」
「知るかって。勝手に入ってきたんだから、そいつが死のうがそうでなかろうが、自業自得。俺には一切関係ない。俺はここを守ってるだけだし」
「はあ……まあ、アルの言ってることも間違いじゃないんだけどね……」
「むしろなんで人間なんか助けたわけ、クウ兄」
「え?そりゃあもちろん美人だからさ」
「違うでしょ。………まさか、『恋人』の気配がしたんじゃ?」
「………あはは、やっぱアルは誤魔化せない、か。そうだよ。僕の将来の恋人になりそうなんだよ、あの子。実際、僕は一目惚れだったし」
「………………………………」
アルと呼ばれた少年が、クウと呼んだ青年を睨む。
このクウと呼ばれた青年が、昼間にユキナを助けたナルであった。
アルは、白銀の髪に深い青目をもつ少年である。左目は前髪で隠れており、狼の耳と尻尾がある。
獣の種族は違うが、彼らはたしかに血の繋がった肉親である。
見た目の年齢は十二歳くらいで、まだ声変わりしていないアルの声に威圧感はない。ただその立ち振る舞いや目はたしかに長年生きてきた者のそれであり、強者はアルを一目見ただけでも、彼が相当な実力を持っていることがわかるだろう。
「とにかく、僕はしばらくユキナの所にいるからね」
「………まあ、やめろとは言わないけどさ」
「あははー、やっぱりアルは優しいなあー……あっ」
クウがアルの頬を人差し指で一度つつくと、アルはそれを片手で弾いた。
「やめろ、変態」
「変態って……ひどいなー」
「うるさい。だいたい、なんで俺の体を弄くり回すのがみんな好きなわけ?」
「そーれーはー………アルが可愛いからに決まってるのだー!」
「うわあっ!?」
突如、アルの後ろから、両目の眼帯を付けている女性が現れた。眼帯は白い布に大きな目が一つ描かれており、彼女には狐の耳と尻尾があった。
服装は白く模様のない和服で、後ろから『固有能力』の『霊体化』で気配と匂いを消してアルに近寄り、後ろからがっちりと抱きついたのだ。
「ああっ!ガルアンシア、ずるいぞっ!僕も混ぜろー!」
「うわっ!?来るな!てか離れろっ!シア姉、『霊体化』使ったなっ!?」
「いやいや〜、ボクの固有能力はこういう時のためにあるのだ〜。わあ〜スベスベなのだ〜」
「やめろってばこの変態っ!!うぅっ……ぬぅ……っ」
シアは常に乾燥していないアルの頬に自分の頬を擦り付けながらその感触を堪能している。クウはと言うと、アルによって放たれた水弾で空中から地面に弾かれ、今は沈黙している。
アルは兄弟姉妹の中でも末っ子で、実力的にも中では一番下である。そのためこうしてシアに不意をつかれるとどうしても避けられないし、力でも負けるので引き剥がせないのだ。
「姉さんっ、苦しいからっ……って、頭触んなっ!!」
「へぶっ!?」
空いていた右手で、自分の頭に触れられる前にシアの下顎へアッパーを食らわせた。
シアは地面に倒れ込み、アルは息を切らしたままやっと立ち上がったクウを見た。
「はあ……俺、帰るわ……」
「えー?僕にも抱かせてよー?」
「いーやーだ。絶対嫌だ」
「くそぅ、こういう時にシアの能力が羨ましくなる」
「俺にとってこの能力は脅威だよ。姉さんが目覚める前にさっさと帰るからね。じゃ」
アルはクウの返事を待たないまま姿を消した。




