82、聖族と英雄
「シノン……君はいったい、誰なの?」
「…………ごめんな」
心の底から申し訳なさそうなシノンの声を聞いて、私は首を横に振った。シノンは謝ることなんて、何もしてない。むしろ、盗み聞きをしていた私の方がどちらかと言えば謝るべきだろう。
「へえ、珍しいっスね」
シノンと戦っていた青年が、鎌をしまってこちらに歩いてきた。私は思わず警戒態勢に入り、青年を睨みつける。
「ははっ、そんなに警戒しなくても大丈夫っスよ。ね?」
「ああ。カルナ、安心しろ。この人はサラアオ。俺の、実の兄貴だ」
「えっ?」
私は驚いて、シノンとサラアオという人の顔を交互に見た。確かに、面影はない気もしない。けど、似てない。どう見ても似てるとは言い難かったので、思わずまばたきする。
「カルナ」
「ん、なに……っ!?」
シノンを振り返ると、不意に強く抱きしめられた。
「し、シノン……ちょっと?」
「…………………」
苦しくはないけど、ちょっとキツかった。でも、そこに彼の愛を感じた。………はずなのにとても悲しくて、うまく言えないけど、なぜか寂しい。
「ごめんな………」
シノンはしばらくすると私を離して、サラアオを見た。
「アオ兄、しばらく二人だけで話がしたい」
「うん。行ってらっしゃい。シノンの思うままに、話してくるっス」
サラアオが満足そうにうなずいてそう言うと、シノンもうなずいた。そして手を差し出してきたので、反射的に私は握り返す。
その刹那、視界が変わった。周りの木々が消えて、生暖かい風が吹いている、丘の上へ。
「…………シノ――……んっ!?ん………ぅ……」
私に有無を言わせず、完全に不意をつかれ唇を奪われた……。それは、唇に唇を重ねているだけのものだった。
「んっ……シノ、ン……ちょっ……うぅっ……」
言いたいことが山ほどあるから離れようとするけど、頭を抑えられて完全に動きを封じられてしまった。
それでも体に力を入れてもがくけれど、シノンの力が強くて動けない。
仕方がないので私は諦めて、彼が満足するまで付き合ってやることにした。彼も二人で話がしたいと言っていたから、充分に話はできるだろうと判断したためだ。
………その姿勢のまま、およそ五分ほど。
ゆっくりとシノンの顔が離れて、そのまま私を抱きしめた。
「ごめんな、カルナ」
私もシノンを抱き返して、そのまま問う。
「………シノン、謝らないでいいよ。けど、一体どういうことなのか、説明してくれる?」
「ああ………もちろん。落ち着いて、聞いてほしい」
私はうなずいた。そして彼はその姿勢のまま話をし始めた。
「………俺の名前はアルスレンド。アルスレンド=ヒューム=ダグリス」
「えっ……アルスレンド……?ダグリス……?」
「うん。聞き覚えあるだろう?アルスレンドは、プエルやフィーユに空の使いについての話を聞いた時。そしてダグリスは、リリーズ王国の四大公爵家のうちの一つ」
「つまりは、シノ――……アルスレンドは、あんなに嫌っていた貴族……なの?」
「いや、少し違う。俺はたしかにあの家の血縁ではあるけど、もともとあの家はこの世界を監視するために全王であるリュアンに協力してもらってできた家なんだ」
……………………………………え?
「ちょっ、アルスレンド?」
「シノンでいいよ。むしろそっちの方がいい」
「え、あ、うん。そ、そんなことよりも!」
私は驚きのあまり叫んで、シノンを無理やり引き剥がしてから両肩を鷲掴みにした。
「い、いま、全王さまの、お、お名前を、よ、よよ、呼び捨てにした………!?」
「あ……ああー………なんて言うか……リュアンはもともと聖族の一人なんだ。………俺もその聖族で、リュアンは俺よりも立場が低いところにいるから、本当は堂々とタメ語で話せるんだ」
「………………………………」
私は何も言えなかった。……シノンが………聖族?
聖族って、たしか、異世界に暮らしている、人と姿の似ている種族って、プエルとフィーユが……言ってた……ような……………。
「まさか……シノンが寂しそうにしていたのって……?」
「…………………………………」
シノンは何も言わなかった。……けど、少ししたら口を開いた。
「まあ、そうだな。カルナ、一日。一日だけ、俺の帰りを待っていてほしい」
「へ?」
思わず間の抜けた声が出た。一日。たった一日だけ、って、どういうこと?
いや、たしかに一日も離れ離れになれば私も寂しくてやばいかもしれない。けど、そこまで、かな?
「ははっ、まあ、当然の反応、だよな………」
シノンは拍子抜けた私を見て苦笑を浮かべる。けれどなお寂しそうな表情なのは、私の気のせいではないはず。きっと、何かあるはずだと思い、思い切って聞いてみた。
「何か、あるの?まさか、一日だけって嘘ついて、ずっと帰ってこないとか」
「いや、それはない。俺が嘘を言わないのはよく知ってるだろうが」
「あ、いやまあ、そう、だね。じゃあなんで?なんでそんなに寂しそうなの?」
「……………ははっ、まあ、内緒、だな」
「えっ、ちょっ………っ!」
シノンは再び、私を強く抱き締めた。
それで、今まで訊く機会がなかったけれど、今、それを訊いてみる。
「記憶、戻ったんだね」
「ああ………戻った」
「いつから?」
「試験が始まるほんの数日前くらい、かな。まあ、それよりも前から少しずつ、なんとなくって感覚が戻ってきてはいたんだ」
「………ねえ、一つ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「………一日帰りを待っていてくれ、って言ったでしょ?」
「ああ」
「なんで?どこに、行くの?」
「本来聖族が暮らす場所に一度戻る」
「どうして?ずっとここにいるわけには……行かないの……?」
「無理……なんだよ………このままじゃ、俺もカルナも、この世の全ての生命体が一瞬で滅びることになる、から……」
「えっ…………?」
シノンのその言葉に、私は思わず固まる。
シノンが聖族の世界に帰らなければ、生命体が滅びる。彼は確かにそう言った。聞き間違いじゃない。でも、なぜ?
「どういう、こと?」
「聖族には役職がある。その役職ごとに地位が決まっていて、俺はその中でも一番上にいる。『聖神』という神の眷属だ。全部で二十人。全員が血縁で兄弟姉妹。あの、一万年前の英雄も俺達なんだよ」
「へっ?」
「世界のバランスが保たれているのも、俺達が存在しているからなんだ」
「………………………」
私はただ黙って、彼の声を聞いていた。シノンの声がわずかに震えているけれど、彼はそれを必死に隠そうとしている。それが、私にはよくわかった。
シノンが一万年前の英雄のひとりだと聞いて驚いたけど、聖族であるという事実を知った今なら簡単に納得できた。
そして歳下だと思っていたけど、本当は私なんかよりもずっと歳上の、それも人間とはまったくかけ離れた人だった。
でも、今は、私が歳上だと思って、シノンの肩に腕を回して、片手で頭をそっと撫でてあげた。
サラサラな、とても触り心地のいい髪の感触に、私はちょっとだけ驚いた。
一瞬だけシノンの体がピクリと動いた気がしたけど、特に何も言わなかったので、そのまま彼が続きを話し始めるのを待った。
「…………そう、だな。俺は、水属性の魔法が異様に得意だったの知ってるだろ?」
「そうだね。ついでに言えば、他の人の水魔法を吸収して更に魔法の威力が上がってた」
「そう。原因は、俺が『水の聖者』だから」
「………水の、聖者?」
「聖神は全員、聖者と呼ばれている。『○○の聖者』、というふうに」
「じゃあ、シノンは水の聖者、ということは……えっと、水……?」
「要するに、『水を司る神』だな。完全な神じゃなくて、眷属だけど」
「眷属……ね」
「俺が存在しているから、この世に水やその魔法がある、とそういうことさ。だから、俺は一度向こうに戻って、『聖魔力』を回復しなくちゃならない」
「さくりす?」
聞いたことのない単語に、私は首を捻った。
「『聖魔力』は、俺たち聖族が持つ……命の源だよ。こちらの世界でいう生命力で、まあ、簡単に言えば魔力だ。完全になくなると、俺達は死ぬ。聖魔力を回復できるのは、向こうの世界だけなんだ」
「え、じゃあ、シノン、まさか……」
「ああ。もう少しで、俺のその聖魔力が切れる」
「………………………………………」
また、私は言葉を失った。つまり、シノンが存在しているからこそこの世に水があるので、『聖魔力』が尽きてシノンが死んでしまえば、世界中の水が一瞬で消え去るということだ。
つまりはこの世の消滅を意味している、ということだと思う。
そして、ふと思った。
シノンの体が、体力が衰えたのは、その聖魔力が切れかかっていたからなのか、と。試しに、直接本人に訊いてみた。
「ああ、そうだな。今も、正直に言うとちょっと辛い」
「え?」
つまりは、聖魔力が切れかかっているせいで今も少し無理をしている、ということだろうか?
「シノン、一日くらい、私は我慢するよ。辛いなら、また明日ゆっくり聞かせて。だから今は、とにかくその聖魔力を回復させ――………むぐぅっ!?」
私は最後まで言葉を言いきれなかった。なぜなら、私の唇をシノンがその唇で、塞いでしまったからだ。
本当に私は不意打ちに弱いなぁ。
けど、今度は一切抵抗せず、私も目を瞑って彼の要望に応えた。
先ほどと同じく互いの唇を重ねるだけだけれど、長く、そして深く口付けを交わした。
そしてシノンは、いつも以上に貪りながら何度も何度も、その感触を体に刻みつけるように私の唇を奪っていく。
どれくらい時間がた経ったのかわからない。
ただ、かなり長い時間ずっとそのままでいたような気がする。
「………それから、お前、もう人間じゃないから」
「…………………は?」
え、何、どういうこと、人間じゃないって?
「『恋人』。聖神の次の地位にいる、俺達が心の底から愛する人のことを指す。つまりは、お前だ」
微笑みながら、だけどどこか苦しそうな顔でシノンは言った。突如私の顔は熱を帯び、俯いてしまった。けど、すぐにシノンによって強引に上を向かされる。
「うぐっ………」
「下を見るなよ。もっとお前の顔、見せてくれ」
「うぅっ………」
やばい。恥ずかしさで死にそう。いや、本当に死ぬとまではいかないけど、シノンという人間不信に近い存在にこんなにも愛されるって……私、本当に幸せなんだなぁ。
「ごめんな。もう少し時間が経っていれば連れていけたのに」
「え、あ、いや、うん。いいよ。けど、人間じゃないっていうのは……?」
「俺が自分から相手に口付けを求めて実際に交わした時、お前はその時点で人間をやめたことになる。とそんなところだ。あ、悪い意味は無いから安心しろ」
「…………つまり、私はつい数日前に聖族になった、と?」
「まだ完全ではないがそういうことだな。その時は俺もまだはっきりとは思い出してなかったから………」
突如、シノンの顔が一気に暗くなった。…………なんで?
「正直、後悔してる。ごめんな。聖族には寿命がないし、不老と言ってもいい。恋人はやっぱりもともとは人間なわけだから、聖族の下で働いている『神族』たちに変な目で見られることがあるんだ。ひどい時には、暴行に出る」
「は?」
「それが嫌なんだよ。……だから、ごめん」
「なんで、謝るのさ?」
「いや………だから――……」
「そもそも私はシノンといられれば構わない。不老ならば、私はシノンと永遠に一緒にいられるってことでしょ?」
私はシノンに微笑みかけて、優しく言った。彼は少し戸惑ったような表情でいるが、気にしないことにする。
「ちょっと欲深いとか思われるかもしれないけど、むしろ感謝してる。こんな私でも愛してくれたこと、そして婚約者にしてくれたこと、命を懸けてでも守ってくれたこと。だからこそ、私は君の意思や意見を尊重したい。いつでも、いつまでも、私のことを引っ張ってくれて、頼りになるシノンが私は好きだよ。いや、好きなんて言葉じゃ足りない。大好き。シノンがいい。愛してるって、今ならはっきり言える。数年前の私なら照れくさくて言えなかったけど、今ここで、はっきりと伝えるよ」
私は両腕をシノンの肩に回して、思いっきり抱きついた。シノンは少しだけ驚いた後、私の身体を抱き返してくれた。
「ああ………ありがとう。お前にはいつも励まされてばかりだ。こんな俺でも、愛してくれてありがとう。俺は、周りに流されず自分の意見をはっきりと言うカルナが大好きだ。俺も、今ならそうやって、堂々と言える。本当に、ありがとう………」
すぐ隣で、シノンの嗚咽が漏れ始めた。その時、私は驚愕した。
―――シノンが、泣いている。
こんなことは初めてだ。彼は今まで、私の前でも泣いたことはない。しかし今は、私とのたった一日の別れで涙を流している。
理由はわからないけれど、とにかく私は涙を流し始めたシノンにただ驚いていた。
けれど、私はそんなシノンに驚きながらも頭をそっと撫でてやった。またピクリと動いたけれど、すぐに体の力を抜いた。
そして、シノンはたぶん頭を触られるのが苦手なのだと、今、私は初めて知ったのだった。
「………カルナ」
「なに?」
「最後に、もう一度だけ」
「いいよ」
私達は互いに体を離し、そしてゆっくりと近づき………熱い口付けを交わした。




