24、 襲撃と妖怪
鋭い金属音が、屋敷中に響き渡っている。今、私の目の前でも。
激しく打ち合い、攻防を繰り返す二人を見ながら、私は呆然としていた。
同時に、シノンが心配だった。
シノンが敵と戦うところを見るのは、あの獣人との戦い以来だ。また大怪我をするんじゃないかと、心配でならなかった。
黒い頭巾を被った男が、いきなり襲いかかってきたのである。しかしシノンはそれを感じ取って、しっかりと防御をしたのだ。
ふと目の前に、赤い何かが飛んだ。
はっとして戦っているシノンの方を向くと、男が大量の血を流しているのが見えた。
肩から腹まで、スッパリと斬られていた。私は赤い血に夢中になって興奮状態だったので、その時のシノンの表情が見えなかった。
ばたりとその場に男は倒れ、呻きながらゆっくり立ち上がろうとしたが、すぐにそのまま事切れた。
シノンはその場に立ち尽くし、しばらくじっとしていた。……不思議だった。彼は、あれだけの血の量を一滴も浴びていない。
私はゆっくり彼に歩み寄り、そしてそっと手を取った。
「………お疲れさま…………ありがとう」
「………………………」
シノンは何も言わなかったが、わずかにこくりとうなずいた。
一歩踏み出すと、糸が切れたようにシノンが沈んだ。
「あっ……!シノン!?」
「ああ………わるい………」
シノンはすぐに立ち上がり、頭をおさえた。かなり苦しそうな顔で、少し息が荒かった。
すると、何かに反応して、さっと顔を上げた。反射的に私もそちらを向いてみるが、何もない。
「……うるさい。黙れ。お前に何がわかるってんだ!」
「シノン……?どうした?」
「お前には関係ない。まさか、この襲撃はお前の仕業か!……………っ、カルナは関係ないだろ!!」
なんだ?何に話しかけているんだ?私には何も見えないが、シノンには目の前に何かがいるように見えているようだ。
まさか、疲労で幻覚でも見えてるのか?
「ふざけるな!いったい何なんだよ、お前は!」
「ルミナ、シノン!無事か!」
「っ……!兄さん!助けてくれ、シノンが……!」
「どうした?」
兄さんがこちらに来て、シノンの肩を叩いた。はっとして振り返ると、シノンの表情はほんの少しだけ落ち着いたようだった。
「に……義兄さん………」
「どうしたんだ、一人で叫んだりして」
「………………」
また何かを聞いたようにはっとすると、シノンはもう一度先ほどの方向を見る。
「お前の言葉でどうかするほど俺は愚かじゃねえ。『転送』!」
シノンが転送魔法をかけると、空中に風が起こった。………本当に何かがいるらしい。
そう思うのは、基本、転送魔法のように対象がいなければ使えない魔法は対象が決まっていないと発動しないからである。つまりは、何かがなければ空中でこれが発動するなどありえない、ということだ。
いったい、シノンは何を見ていたのか………。
風がおさまると、シノンは地面に崩れ落ちた。
「お、おい!シノン!」
「シノン、大丈夫か!?」
「………ああ……心配かけてわるい」
私は首を横に振る。兄さんがシノンの腕を肩にまわして背におぶると、私に言った。
「すぐにここから避難するぞ。ここは危険だ。父上と母上はすでに地下へと避難している」
「わかった」
「あの……義兄さん……」
「お前はいいから、休め。あわよくばそのまま眠ってもいい」
シノンはこんな時でも少し遠慮していたが、兄さんがそれを払った。
私と兄さんはうなずきあい、走り出した。
「おお、二人とも、無事だったか!」
「良かった……よくぞ無事で」
「申し訳ございません。ご心配をおかけしました」
緊急避難場所として設けられていたらしい地下部屋で、私たちは父上と母上、そして他の使用人たちと合流した。
兄さんの背中の上でぐったりとしているシノンを見て、父上と母上の顔が青ざめた。
「まあ!どうされたの?」
「た、大変だ。おい!医術師はどこにおる!?」
「は!ここにおります!」
父上が叫ぶと、白衣を着た若い男が出てきた。黒髪で、フレームのない眼鏡をかけていた。
「頼むぞ、イユナ」
「はっ」
兄さんがシノンを降ろして、イユナと呼ばれた男は、シノンを診始めた。
シノンは顔が少し赤くなっていて、兄さんはそんな彼の肩を抱いている。息も苦しそうだ。
昨日から気になっていたが、やはり何かあったのだろうか。いきなりこんなに体調が崩れるなんて何かがおかしい。
イユナは、聴診器をシノンの胸に当てて、彼の心臓音を聞いていた。それから瞳孔を見て、喉の奥を見た。
「熱も出ており、かなり衰弱しています。このままでは、彼は死んでしまいます」
「えっ!?」
「なっ、なんだと!?どういうことだ!」
「は、おそらくは、“ヨウリョク”の類かと」
「ヨウリョク………とは?」
イユナは立ち上がり、はい、と言う。
「妖怪と呼ばれるモノの力でございます。通常は、妖怪とは秀亀にしか存在しておりませぬ。しかしごく稀に、他国へと妖怪が出てくることもあるのです。おそらく、こちらに妖怪がいたのではないかと」
「それで、その妖怪とやらに、シノンは当てられたと?」
「はい。その通りでございます」
妖怪の妖に力で妖力か。なるほど。
妖怪………ね。聞いたことがある。王宮で偶然見つけた本で見たことがあり、気になったので、かつて王宮で講師を勤めていたサブラに教えてもらったのだ。
詳しくはわからないが、人が作り出したあやかしもので、普段は人には見えないのだそう。しかしそういったモノがごく稀に、見える者がいるらしい。
多分、シノンが見えていたのはその妖怪なんだろうな。
そういえば、昨日助け出された時、シノンが何かにかなり驚いていたな。あの時からだったな、シノンの元気が急になくなったのは。
じゃあ、その時にはすでにその妖怪に当てられていたのか。
「なんとか、治す方法はないのか?」
「もちろんございます。ただ、わたしの力で扱えるようなものではなく………申し訳ございません」
「………むぅ、誰か、治せる者に心当たりは?」
「は、ございます。この街に暮らす魔術師で、強い妖力を持っております。あの者ならば、彼を回復させることができるかと」
「その者の名は?」
「羅治丸という老人です。秀亀の出身で、妖術も使うことができます。彼なら、必ずや成功するでしょう」
父上はうなずき、命令する。
「では、今すぐその者を連れて来るのだ。イユナ、お前も行け。顔を知っておる者は、おそらくはお前だけだからな」
「いえ、しかし………」
「案ずるな、他にも医術師はおる。彼らに任せておくのだ。さあ、行け!」
「「はっ!!」」
イユナも頭を下げ、護衛の兵士に続いて、私たちが入ってきた所とは違う出入口から出て行った。
「っ………!」
「シノン!?」
シノンは血を吐いた。床に血が何滴か垂れ、兄さんは彼の背をさすった。意識はあったらしく、シノンは四つん這いで何度も咳をしている。
私もしゃがんで、シノンの背にそっと手を当てた。
「シノン、大丈夫か?………ごめん。私にも妖怪が見えたなら………」
「…………………」
シノンは何も言わなかった。咳は治まり、真顔のままじっと私を見つめているのがわかった。
そして、何か柔らかいものが、頭の上に載った。
見ると、シノンはやっと笑顔を浮かべている、というような顔をしていた。息も少し荒い気がする。
「ほれ、寝台に寝かせなさい。床で寝るより体が休まるはずだ」
「ありがとうございます、父上」
兄さんはシノンを横抱きにして、寝台に運んだ。口元に残った血を拭ってやるとそっと寝台に横たわらせ、私が布団をかけてやった。
相変わらず息が荒く、熱も高いようだ。
父上と母上は寝台の近くにあるソファに座り、兄さんは、警戒を解かないために立っていた。
桶に水を汲んで、布を持ってくるよう使用人に頼んで、私はシノンの脇に座った。
「くっ………いったいなぜこんな時に………俺にも妖怪が見えたならば、何かが変わっていたかもしれないのに………」
「それは私も同感だよ、兄さん。でも、なんでシノンは妖怪のことを相談してくれなかったんだろう?」
シノンは、確かに何かを見たんだ。それはおそらく、妖怪と呼ばれるモノだ。
先ほども、シノンは何かと会話をしていた。転送魔法も反応したし、間違いなくあの場に何かがいた。
しかし、私たちには見えていなかった。シノンの幻覚などではなく、確かにいたんだ。
シノンが初めておかしな行動を取った時、おそらく、彼も初めて妖怪を見たのだろう。初めてでなければ、あんなに驚くはずがない。
………とは言っても、本当に至近距離に現れたとかならばあれだけ驚くのも無理はないと思うけど。
今の状態のシノンにそれを聞き出すには、少し無理があるな。休ませても、回復するどころか衰弱していく。
妖怪による妖力のせいでシノンの体調が崩れたとか言っていたな。その妖力をどうにかすれば、シノンの体力は回復するということか。
水の入った桶と布が持ってこられたので、私はそれを受け取り、布を水に浸した。
布を絞って、シノンの汗を拭ってやる。そしてもう一度浸して絞ると、彼の瞼に被さるようにして額に載せた。
それからしばらくして、イユナ達一行が戻ってきた。
白髪混じりの老人で、黒いローブに木製の杖を携えている男もついてきている。
「お初にお目にかかります。わたしは、アラクダ街で魔術師をしております、羅治丸と申します。さて、患者さまはどちらに?」
「こちらです。お願いします」
私が手を挙げてそう言うと、老人はうなずき、こちらに歩いてきた。
額に手を当てると、その細い手は白い仄かな光を放った。
「ふむ、山地乳の類かと。おそらくは眷属ですね。妖気が少し違いますからな。…………む?」
「どうされた?」
羅治丸は布団をめくり、シノンの服の袖を少し上げた。
すると、シノンの腕に赤い何かの模様が見えた。
それは心臓が脈打つように、暗くなったり明るくなったりしていた。
「印をつけられましたな。おそらくこの印主は、ここからこの者の体力を奪っておるようですな」
「それを消せば良いのか?」
「ええ。低級のあやかしものの術ですから、簡単に破れますよ。ほら」
羅治丸がシノンの腕に指をとん、とつくと、その赤い印はふっと消えた。
シノンはわずかに体に力を入れて呻いたが、すぐにその力を抜き、呼吸を安定させた。
「これでよろしいでしょう。あとは一日休ませれば、大丈夫です」
「そうか、感謝するぞ、羅治丸殿」
兄さんが羅治丸の前に来て、頭を下げる。
「私からも、ありがとうございます」
「よくやってくれた。本当に、ありがとう」
「感謝致します」
「いえいえ、人を助けるのが私の生き甲斐です。どうかお気になさらず」
「報酬を用意しなさい。幾らが良いか?」
「いえいえ、お気になさらず。金には困っておりませぬ故」
「しかし…………」
「現在のお国の状況を理解出来ぬ老いぼれではありませぬ」
「………すまない」
私はシノンの顔に浮いた汗を拭って、水に浸した。そして再びシノンの頭にそれを載せると、兄さんに言った。
「兄さん、この襲撃って、もしかして………」
「…………ガルデンか………」
「それ以外には考えられぬな」
使用人たちも少しざわめき、しばらくそれが続いた。
「…………多分、そのガルデンってやつ、憑かれてたみたい、ですよ………」
「え?し、シノン!?待て待て、起きなくていいから!」
シノンが半身を起こそうとしていたのを慌てて止めるが、彼はそれに抗うようにして起き上がる。
「憑かれていた?妖怪にか?」
「………ああ。初めて、あいつを見た時、魔力とは別の、何かを感じた。それは、カルナを救出する際、ガルデンを見た時と、その後に現れたヤツと、庭で見たあいつと、まったく同じ気配だ………長いこと、取り憑かれていたみたい、だし………けほっ」
ああ、もう。また咳き込んでる。無理しなくていいのに…………。
「……やっぱり、何か見えていたのか?」
シノンは声を出さず、こくっとうなずいた。
「山地乳の類、だろ?アイツを、俺は知ってるよ。亜種だ。最初は見たことない奴だと、思った、けど、あとでよく考えてみたら、前に見たことが、あったのを思い、出して………けほっ」
「あああ、もういいから、何も話さなくていいから!まだ熱はあるんだからさ!」
シノンがしぶしぶうなずくと、私はため息をつく。
「でも………良かった。今度こそ死んでしまうんじゃないかって思ったよ。だから、良かった………」
うつむいて涙をこらえたが、シノンが私を抱き寄せて、背中をさすってくれた。
少しの間、シノンの胸に顔をうずめていた。やがてシノンから離れると、すぐに彼を寝台に寝かせた。
すると、シノンは何か言いかけたがそのまま眠ってしまった。
「…………今ので疲れたのでしょうな。丸一日は目を覚まさないかと思われます」
「そうか。わかった」
羅治丸の言葉には、兄さんが答えた。私もコクリとうなずき、シノンを見る。
…………こんな時にこんなことを思っても良いのだろうか。安らかに眠るシノンの寝顔が可愛いだなんて、誰にも言えない。
不謹慎だろうか。でも、やはりその感情は私の中から消えることはなかった。
早く、元気になってくれ、シノン。
そう思いながら、私は歳下の彼の髪をそっと撫でた。
柔らかく、さわり心地のよい髪だった。




