過去、カルナ編
「どっ……どういうことなのですか! 父上!?」
「そうです! ルミナをあのような下劣な男などと……!」
父上は黙り、歯ぎしりをするばかりだった。父上がこんなことをするとは思えないけれど、たぶん、何か、そうならざるを得ない何かが起こったのかもしれない。
「ルミナは渡しませぬぞ、父上!」
「……すまない。わたしがもっとしっかりしておれば……」
「ご説明願えますか、父上」
「わかった。お前達には話さねばな」
一週間ほど前、ナーティス・ガルデン侯爵が王宮を訪ね、いきなり私との婚約を申し出たらしい。
だが、私とガルデン候はまったく交流がなく、社交界のパーティなどで何度か顔をあわせたくらいだった。
そんな侯爵が、私に一目惚れをしたらしい。だが、私は十二歳なのに対し、相手は三十七歳。未だ未婚なのは、その見た目と性格に原因があった。
かなりの女好きだが、女に対する無礼をいくつも重ね、平気で人を裏切る。しかしそれは奴の家内での事情なので、王家は手を出さない。いや、出せない。
法を犯すようなことはしていないのでなおさらである。
見た目は、私が持つ印象ならばボールのような体型だ。首がないんじゃないかと思えるほどでっぷりと、そして丸々と太っている。
いったいどんな生活をすればあんなことになるのか。
金色が好きなようで、いつでもどんな時でも金色の衣服を着用している。屋敷内さえも黄金色で、落ち着けないほどどこもかしこも輝いているのだと噂で聞いたことがある。
あそこに雇われる者は、たいてい性格の悪い者か、相当行き場所に困った者、そして奴の元で甘い蜜を吸いに行く者のみである。
執事さえも性格が悪く、私はあの家が元より嫌いだった。
もちろん父上は断った。だが、しつこく婚約をするよう言い立て、最終的には諦めて帰ったかのように思えた。
だが、その夜、倉庫から国印が盗まれ、騒ぎになった。
その国印は今でも見つかっていない。
そして一昨日、ガルデンが急に私との婚約を発表したのだ。もちろん父上に覚えはないらしい。おそらくガルデンが勝手に行ったのだろう。
その時父上は確信した。国印を盗んだのはガルデン侯だと。だが証拠がなく、家宅捜索を入れても何もなかったらしい。
でも、現に押してもいない国印が押されているのだ。何よりの証拠にもなりそうだし、父上が私の婚約を断固拒否していたのを何人かの兵士が目撃している。
しかし、そんな発言を聞く者はなく、結局私は、婚約することになってしまった。
その後、何度かガルデンが私に面会を求めてきたそうだが、私はちょうど街に降りていたので、会うことはなかった。
年齢的には婚約をしても良い歳だ。しかし、こんなに歳が離れていては私も嫌だ。
国民のほとんどは、ガルデンの容姿や性格を知らない。一部の貴族間では、私の婚約を反対する者もいる。いや、ほぼ全部か。
でもそれを押し切れたのは、奴の嘘の発言と国印があったからだ。
『私と王女はすでに何年もの付き合いがある。王女も私を、本気で認めてくださっておられる』
もちろん認めてない。私は奴と付き合った覚えはない。貴族はその一言で皆目を見開いていたけれど、あいつの発言力は大きかった。
街に降りると、婚約おめでとうございます、とか、ついにこんな歳になられましか、とか、そんなふうに声をかけられる。
そんな国民に悪気はなく、彼らの心遣いは嬉しいので、曖昧に返しておく。
ガルデンのことを知っている者は、あんな男でも王女のような美少女に好かれるのか、という言葉が流行った。私はレイヴァで、自分の顔立ちが他より整っていることは自覚している。でも、恋い慕ったことのない相手と結婚するのは、嫌だ。
いや、王族とか貴族とか、そういう立場を持つ人々は政略結婚とかよくある事だけど、私は父上に訴えてそれだけはやめてもらうことにしていた。
冗談じゃない。なんとか他の貴族を説得したいが、説得したところでどうにもならない。
婚約を破棄しようにも国印がなければ無理だからだ。
……どうしたものか。
「……ルミナ。大丈夫だ。必ず、国印を見つけ出してやる。ガルデンなどと結婚などさせぬ」
「……ああ。ありがとう、兄さん……」
私がうつむくと、兄であるルクスが肩を抱いてくれた。
王位を継ぐのは兄さんで、私は結婚すれば相手の家に嫁ぐことになる。どちらにしろここからは出ていかねばならない。
婚姻の儀は一年後。それまでになんとかせねば。私にもできることならなにかしたい。けど、無力な私は何かをすれば逆に迷惑がかかる。だからせめて、兄さんや父上を支えられれば……。
そう思いながら、私は兄さんに抱かれながら目を瞑り、しばらくじっとしていた。
十三歳になった。もうすぐ婚姻の儀だ。
王女の結婚ということで、国中が毎日祭りのような騒ぎになっていた。
今ではガルデンともよく話すようになった。もちろん私はしぶしぶ話してやっているようなものだ。
ガルデンと直接話をして、私は悟った。奴が私と婚約をしたい本当の狙いは、王位だということに。
兄さんを何らかの理由をつけて退けさせ、自分が王位を継承しようとしているのが、話していてなんとなくわかった。レイヴァとして人の感情に敏感だからこそ、隠していてもわかるのだ。
それともう一つは、私のこの髪と目だ。
白髪を持って産まれるの子供は極めて少なく、どこの家系でも生まれる可能性はある。
更に青い目を持った子は、戦闘能力が高かった。私や兄さんのように、だ。それをレイヴァと言う。
ただ私は王女ゆえ、戦う機会はない。そのため訓練をしないので、私に戦闘能力はあまりない。兄さんは訓練でも、師匠である大将軍エジルをも破るようになり、今では国では五本指に入るほどの腕だ。
ガルデンは、そんな兄さんをどう扱うつもりなのだろう……。
「はあぁ……」
「どうされたのですか、ため息などお似合いではありませんよ、王女殿下?」
講義中、教師のサブラに心配され、私は彼を見た。
「サブラ、お前ならどう思う?」
「どう思う……と、おっしゃいますと?」
「ガルデンのことだ! 無理矢理婚約をさせられること、お前はどう思う? 王族に対してそのようなこと、あり得ると思うか!?」
サブラは、今も私の婚約に反対する数少ない存在の一人である。
こうして講義中でも、私が不満に思っていることや不安なことなど、いつでも相談に乗ってくれる。
父上の古い友人で親友でもあるサブラは、私の小さい頃からの教師なので、私は信頼している。
「ふむ、わたくしはそのような立場にはなりえぬ下賎の人間ですからな……まあ、ガルデン侯も、王女殿下のお気持ちをまったく考えておられないことはわかりますね。とにかく、まずは距離を取るべきかと。国印が見つかるまで我慢なさいませ、殿下」
私はもう一度ため息をつく。
まあ、国印がないことには婚約の破棄はできない。なんでみんなは、ガルデンの言うことが嘘だと言うことを信じてくれないのだろうか……もうよく分からない。
講義が終わり、庭の長椅子に座ってぼうっとしていると、人の気配がしてそちらを見る。すると歩いてきていたのは、兄さんだった。
「ルミナ。どうしたんだ?」
「……あ、兄さん。警備は終わったの?」
「うん。大丈夫か、ぼうっとして」
兄さんは私の隣に座り、微笑みかけてくれた。
「……うん。国印が見つからない限り、私は婚約を破棄できない。かと言って、国印を再び作るわけにもいかない……どうしたらいいんだ、兄さん?」
「……すまないな、ルミナ。お前に、辛い思いをさせて」
「いやいやいや、いいんだ。兄さんが気に病むことはないよ。ただ、私だって、ちゃんと恋をしてみたいなと思っていただけで……」
それはそうだろう、と呟いて、兄さんは空を見上げた。そして真剣な目で、そのまま言った。
「絶対に何とかしてみせる。残りひと月、絶対にルミナを守ってみせる」
私を見、再び微笑みかけた。
「ありがとう、兄さん。私は逃げないよ。私にも、何かできないだろうか?」
「うーむ、あ、なら、ガルデン候と会話をしていて何かわかったことはあるか?」
はっとして、私は、ガルデンの目的が王位の継承である可能性があることを話した。奴の行動には気をつけてほしいことや、奴が私と婚姻をしようと考えた理由として、私がレイヴァであることも含まれていることなどを話した。
なんとなく、話していればわかる。一応、そういうことも言っておいた。
あいつは自分が好きで、頭が悪いからかあんな姿でも自分が女にモテるなどと思っているらしい。貴族のくせに勉強をサボってたって噂があるほどだし。
理由は、雇っている女性は皆美人で、半分ハーレム状態になっているからなのだと、私は思う。
それだからか、街に降りては若い女性を見つけると、女好きが表に出てくるらしい。
「……なるほど、わかった。気にしておこう。ありがとう、ルミナ。わずかな情報でもいい。何かわかったら、俺に知らせてくれるか?」
「うん。わかった」
「ありがとう。じゃあ、俺は行く。ルミナ、お前も気に病むのではないぞ」
私はうなずいて、南側に去っていく兄の背中を見送った。
兄さんにも、ちゃんと相談したい。私は、一国の王女だ。
でも、私だって恋というものをしてみたい。しかし、それをする前に結婚などしてしまったら、人生の楽しみの一つである恋をする暇がない。
街に降りて、恋という言葉の意味を初めて知った時から、試してみたいという想いがあった。
でも、それは簡単なことではない。それを初めて知ったのは、十の頃だった。
私もどこまでも旅をする、呑気な白い雲を見つめた。左から右へ、ゆっくりと、少しずつ形を変えながら流れてゆくそれらは、いったいどこに行くのだろうか。
そんな風にしてしばらくじっと空を見上げていた私の耳に、たくさんの足音が聞こえてきた。
「お……王女殿下!!」
「なっ、何事だ?」
「国王陛下がお呼びでございます! 急ぎ、玉座の間へ!!」
……は? 何かあったのか……?
とにかく今は急ごう。急な用事なようなので、すぐに行かねば。
「わかった。ありがとう」
兵士達に頭を下げられながら、私は急いで玉座の間に向かった。
「おお、ルミナ !さあ、こちらへ!」
「何かあったのですか、父上?」
王座の隣にある、王妃が座る玉座にも、母上の姿があった。
そして、大将軍エジル、同じく女将軍であるニキサが二人の両脇に立っていた。
その横にも、二人の召使いが布のようなものを持って控えている。
「詳しい話はあとでエジルに聞け。とにかくお前はここから、この国から逃げるのだ!」
「えっ? な、ちょっ、どういう………!?」
召使いたちに皮袋を背負わされ、長い外套を着せられた。
今の服装はドレスではなくいつも街に降りるときの動きやすい服装だったので、そのまま着替えずに、ということなのだろうか。
……いやいや、違う、そうじゃない!
「父上! 何なのですかっ!?」
「……キリカがスラム出身であることが貴族に知られた。それで、どうやらその子であるお前とルクスを狙っているようなのだ。だが、ルクスは自身に戦闘能力がある故、心配はいらない。それは貴族もわかっておる。しかし、お前はそうもいかぬ。守ってやれれば良いのだが、どうも、そうはいかない事情があってな。エジル、ルミナをよろしく頼む」
「は」
「お……お待ちください! 何がなんだか……!」
扉が勢いよく開かれ、ひとりの兵士が大声で叫んだ。
「勝手に失礼致しまして申し訳ございません! 貴族側の兵士らがこちらに向かっております! 数にして、五千ほどはいるかと!」
「わかった。では、ルミナ。しばしの別れだ。急ですまない。こんな父だが、許せ」
「殿下、参りましょう」
何がなんだかわからない。どういうことだ? 貴族側に母上がスラム出身であることがバレた? どうして?
私は抵抗する間もなく、エジルに連れられて緊急脱出用の出入口に向かっていった。
「はあ……はあ……」
「大丈夫か」
「うん。大丈夫だ。ありがとう」
あれから一ヶ月経った。現在は、東側の大陸のコペル王国にいた。
ルミナという名は今は使うことができないので、父上にカルナという仮の名をもらった。
風の噂で、ダンジル王国王家は滅びたと聞いた。もう、帰る場所はなくなった。それに、同時にラトス皇国が国を攻めてきたとも聞いた。
国民の数百人ほどがそれで死んでしまい、早くも王都をラトス皇国が占領しているらしい。
せっかく逃がしてくれたのに、私は、もう生きる希望をなくしたような気がしていた。優しかった両親と、兄を亡くした。
なぜか、自分のせいだと、自分も死ぬべきだと、そう思った。
けどエジルに一度だけ強く、生きろと言われた。
いつか国を取り戻す気はないのかと。仇を討つ気はないのかと。生きていれば何かきっと、良いことがある。悪いことだらけではない、だが死んではそれきりだと。
エジルはこんな私でも、励ましてくれたのだ。けれど、私は元気になることは出来なかった。
……そんな時に、あの人に出会った。
私と同じ、美しい白髪の後ろ姿。右側に垂れた横髪と深く被られた頭巾の端が風になびいて、こちらを振り向く。
透き通るような瑠璃色の目が、こちらを見下ろした。まるで宝石のような、深い海を連想させる、濁りのない美しい瞳だった。日焼けしていない白い肌が太陽の光に反射して、少し眩しい。
「あ……あの……」
「ああ……だ、大丈夫。怪我は、ないな?」
ぎこちない喋り方で、無表情な少年だった。けれど、その目に冷たさはない。人との交流に慣れていないのだろうか。
私はほうけた顔のままコクリとうなずく。顔が少し熱くなるのを感じた。心臓が激しく脈打っている。
なんだろう、これは……? 今までに感じたことのない、不思議な感覚だった。
「……あ、なら、良かった」
……それは、一目惚れだった。私は嬉しくなり、しばらくその少年を眺めていた。
これが、恋というものなのだろうか。異性の人に惚れ、好きになる。人生を共に過ごしてくれる人と添い遂げることで、二人で困難という名の大きな山を乗り越えて行く。
少なくとも私は、恋というものをそう解釈していた。
そしてその第一の困難が、この海賊の襲撃なのではないか、と。そう思った。……そう、思えた。
2018年9月28日、修正しました。




