過去、シノン編
――――……―――――? ――――、―――?
「……うん。わかってる。けど……限界だ。仕方ないよ」
……――。――、―――――。――――。
どこかで誰かと、そんな会話をした。今では何を言っていたのか、俺が何に対してわかっていると、仕方がないと答えたのかなんて覚えてない。
今、目の前は暗闇ばかりだ。何もない、何も聞こえない、誰も……いない。
あるのは左腕と脇腹の激しい痛み、そして他に、全身に擦り傷や切り傷があるような鈍い痛みがあるのみ。
しばらく暗闇の中を放浪していると、声が聞こえてきた。男の声だ。しかも、大人の。
何か話しているようだが、うまく聞き取れない。
しばらくはその声をぼんやりと聞いていたが、俺はやがてうっすらと目を開けた。
身動ぎをすると、全身の傷が傷む。
「ぅいっ……つつ……」
「お、気がついたか?」
「……?」
暗い部屋だった。でも、暖かい。温もりを感じた。
男が歩み寄ってきた。
俺の脇に座ると、左手で俺の額に触れる。……戦士の持つ固くも優しい手は温かかった。数秒間はその気持ち良さに身を委ねていたが、俺はすぐに我に返って飛び起きた。
そして男と距離をとり、収納魔法でしまっていた短剣を取り出し、構える。
男の後ろには寝台があった。どうやら俺はその寝台に寝かされていたらしい。
空中の何もないところから取り出した短剣を見て、男は驚いたような表情になり、そして俺を見つめた。
「……ロウ、お前、なんかしたのか?」
「してねえよ。……警戒してるんだ、俺たちのことを」
入り口から、二人の男女が顔を出した。ずきっと身体中が痛み、俺は床に崩れた。
「……おいおい、無理を……」
「寄るなっ!」
再び短剣を突きつけると、男は立ち止まった。
いったいここがどこなのか、いったい自分が何者なのか。わからなくて、怖かった。見たところこいつらは俺のことを知らないようだし、信用できるかもわからない。
俺は、気がついた時には体が震えていた。わからないけど、こいつらに、関わってはならないという本能的な何かがそう言っている。
とにかくここから出たいが、窓は目の前の男の背後、出入口は二人の男女が立っていて塞がれている。
今の俺では、とてもそれを抜けることができるとは到底思えない。魔術は使える。しかし、魔力が足りていない。何かで一気に失って、そのままのようだ。
しかし、このままこうしていても時間の問題だ。見たところ相手は熟練の冒険者のようだし、もしかするとこうして短剣を構えている今の俺にも近づけるのかもしれない。
壁を壊してここから抜けるのもいい。だが、その体力はない。残った選択肢なら、こうすれば……!
「目眩しっ!!」
たちまち中は光に包まれ、三人のうめき声が聞こえた。中がこんなに暗かったんだ、いきなり光を浴びればしばらく目は開けられないだろ。
それにこれは魔力消費が少ないから、使った後でもその分はすぐに回復させられる。一番効率が良い。
俺は窓の方向に走り、突き破ろうとした。が、右腕を掴まれて、その場に転びそうになる。
なんとか片足で踏ん張ってそれを防いだが、また傷が傷んで結局その場に片膝をつく。
右腕を掴んでいる男を見上げようとした瞬間、後頭部に強い衝撃を感じた。
………今、何を、され、た……?
そんな思考を最後に、俺は再び闇に落ちた。
「……この縄を外していただきたいんだけど」
「おおっと、悪い悪い」
肘より上の辺りと両手首を、しかも後ろ手にぐるぐる巻きにされていた縄。それを外してもらい、俺は軽く右肩を回す。
短剣は没収され、こことは反対側の部屋の隅に立てかけてある。まあ、他にも武器はあるけど。
左腕のやや肩に近いあたりには深い切り傷があるので、簡単には動かせない。
目が覚めたらこんな状態になっていたのだ。それから、目の前の男たちには、悪意がないことを説明された。
未だ俺の警戒は解けないが、どうやら少しは信用してもいいようだ。これでも他人の感情には敏感だからな。
「ああ、そうだ。俺はロウ。まあ、旅人兼冒険者だ。よろしく。そしてこっちはこの宿の経営者で俺の古い友人、リム。その隣に座っているのは、奥さんのリナさんだ」
「どうも」
「よろしくね」
俺は軽くだが頭を下げた。ここ、宿だったのか。
「んで、お前は?」
「……名無し」
「ナナシか。よろしくな」
「違う」
は? と全員が声を出し、口をぱくっと開ける。つい大きな声を出してしまったが、すぐに持ち直して言う。
「わ……わからないん、だよ。自分が何者か、どこから来たのか、今まで何があったのか……」
俺はうつむいて、呟くようにそう言い、彼らの反応を待った。
みんな黙り込み、何も言わなくなった。そりゃ、そうだろ。人間なんて、所詮はこんなもんだ。俺はそんな人間を信頼することなんて、できるはずがない。どうせ、追い出される。
だが彼らは互いの顔を見合わせ、そして俺に微笑みかけ、優しく言った。
……なんで?
「……そうか。そりゃ、辛かったな。すまない。なら、俺が名前をつけてやろう」
「は……?」
「うーん、そうだなぁ……」
ロウは、顎に手を当てて考えた。
なんで、そこまでしてくれるわけ………? わけわかんない。
けど、この人は人間じゃない。俺と同じ才を持つ子で、仲間であるからか、俺には決して嘘を言っていない。
やがて、ふっと何かを思いついたような顔で俺を見ると、にやりと笑った。
「よしっ、決めた。お前の名前は、『シノン』だ。よろしくな、シノン」
「し、の、ん?」
ロウは俺の頭に手を載せようとしたが、俺は反射的にそれを避ける。すると、リムやリナが、驚いたような表情になった。
「お、おい、良いのか?」
「いいんだよ。むしろその方が……」
どこか懐かしそうな笑みを浮かべながら、俺の頭にそっと手を載せる。……今回は、なんだか避ける気がなくなった。大きくて、温かくて……なぜか、落ち着いた。
「どうだ?」
「……っ」
俺は、目から熱いものが零れそうになりながらうつむき、コクリとうなずく。
「よしっ! 決まりだ!」
ロウは満面の笑みで、俺を見た。嬉しくて、有難くて、信じられる気がした。
この人なら、きっと……そう、思えた。
「それで、どうするんだい? 行く宛はないだろ?」
「ここに残っても良いですよ」
と、リナは笑顔でそう言った。リムも賛成のようで、同じように微笑みながらうなずいていた。
「あ、それとも、ロウと一緒に記憶が戻るまで旅に出るってのもありだと思うね」
「なるほど、俺は構わん。むしろ賑やかになって良いしな」
……うん、それもありか。少し迷惑になるかも知れないけど、旅に出るのも、悪くない。
「どうする? お前の自由だぞ」
自由、ね。旅に出てもいい。この人は、信用できる。過去に大きな何かがあるようだが、それは気にしない。
なんでどこの誰とも知らない俺のことを気にかけてくれるのかはわからないけれど、才を持つ子なら納得できた。
ここで宿の経営の手伝いをするのもいい。しかし、俺はひと所に留まっている気はなかった。記憶を取り戻すという意味でもそうだけど、色々な物をロウと見て回りたい。
それに、自分が嫌いな人間の相手をしているのも馬鹿馬鹿しくなりそうだ。
だから俺は、旅に出ようと思った。
「……ありがとう。それなら俺は、旅に出る。ロウ、よろしく」
俺は正座し、ロウに頭を下げる。
「おう、よろしくな。んじゃ、決まりだ!」
それから、俺たちは旅に出る準備を始めた。
……とは言っても、俺は傷が治りきっていないので宿で留守番をしていたが。
旅装や皮袋、それに髪色と目、顔を隠すために深く被れる頭巾のついた、丈の長い外套まで買ってもらった。
ここまで世話になって何も出来ないのはまずいので、少しずつ宿の手伝いをするようになった。
接客や食堂での注文取りなど、不本意だけどまずは傷を負った俺でもできるような仕事をした。だんだん傷が塞がってくると、掃除や洗濯など、体を使う仕事もするようになった。
完全に傷が治ったのは、ここに転がり込んで一ヶ月と半分経った頃だった。
ここはラトス皇国の東の街、ロクマシ。俺はここから西へ約五十キロ行ったところのラトス高原の花畑のど真ん中に倒れていたらしい。
ハプの花畑だ。ハプとは、真っ白な小さな花で繁殖力が高い。年中咲いており、治癒効果がある。しかし、ハプは高地にしか花を咲かさずその範囲も限られているため、高値で取引される。
俺はその中に倒れていたので、傷が膿むことがなかったらしい。
そんなこんなで、なにげに楽しかった日々はあっという間に過ぎ去っていった。
「すっかり世話になっちまったな、リム。ありがとう」
「いやいや、シノンが旅立つまではきっちり責任を取るって言ったろ?」
「シノン君、頑張って、気をつけてね」
「ああ。本当に、ありがとう」
俺はうなずき、そして頭を下げる。
一ヶ月間宿の手伝いをしてきて気づいた。どうやら俺は人見知りらしい。しかし、ロウやリム、リナに対しては、俺は平気だった。やっぱり、最初に出会って、助けてくれた人だったからだろうか。
まあ、旅をするわけだから、俺は色んな人に出会うんだろうけどな。
――これが、俺とロウの旅の始まりだったのである。




