第31話 決別
ソルの瞳が潤み、涙が頬を伝った。
「言いたいことが山ほどあるんじゃなかったのかよ」
手帳には何度もページを破った跡があった。
指先でその跡を撫でる。
マーニとの記憶が、波のように押し寄せてきた。
涙がとめどなく溢れた。
「夢を追いかけてって何だよ。くそっ。これじゃ、さっきの俺がバカみたいじゃないか」
手帳を握り締めた。
「こんな姿、マーニに見られたら笑われてしまうな」
手の甲で涙を拭い、深呼吸をひとつした。
「俺はマーニのことを忘れない。だから——」
顔を上げ、族長を見据えた。
「俺を不老不死にしろ」
族長は立ち上がった。
「不老の魔法は数日の間、激痛を伴う。死ぬほどの苦痛に耐えなければならない。外見も大きく変化する。生殖機能も失う——それでも、後悔しないね?」
「ああ。始めてくれ。あいつのためにも、足を止めるわけにはいかない」
「わかった。キミの意思を尊重しよう」
族長はソルに近寄り、頭に手を置いた。
詠唱を始める。
「太古の理よ、彼の者に宿れ。朽ちることなく、変わることなく、ただ在り続けよ。刻まれし姿を失うことなく、流転の時を退けよ。刻の契約を、今ここに果たさん」
手を離し、踵を返した。
「僕は失礼するよ」
足音が遠ざかった直後、変化が始まった。
ソルは吐血し、のけ反るように倒れ込んだ。
歯を食いしばり、声を押し殺す。
全身の骨がわずかにずれ、筋肉が隆起し、血管が裂ける。
頭に激痛が走り、脳が焼き切れそうに熱くなる。
嘔吐し、絶叫した。
「があぁぁぁぁぁ——!」
白目を剥いたまま気絶した。
だが、激しい痛みがすぐに意識を引き戻す。
呼吸ができなくなり、首を掻き毟る。
爪で皮膚を裂き、肉を削る。
頭がどうにかなりそうだった。
何度も地面に頭を叩きつける。
牢から声にならない声が漏れ続けた。
それが五日に渡り続いた。
六日が経過した。
族長は格子の前で足を止めた。
破れた服を纏った銀髪の少年が倒れていた。
地面には凝固した血が広がり、岩肌を掻きむしった血痕の下には爪が落ちていた。
抜け落ちた赤い髪が散乱し、噛み砕いたであろう奥歯が転がっていた。
族長は自分の前髪を摘まんだ。
「なるほど。不老不死になると髪の色は僕と同じになるのか」
少年は起き上がり、赤い瞳で族長を見た。
「途中から意識を失った。俺は不老不死になったのか?」
「僕の時もそうだった。なっているはずだよ」
少年は前髪を摘まんで目を見開いた。
「髪の色まで変わるのか」
「瞳も赤くなっている」
少年は足元の手帳に手を伸ばし、地面と癒着したそれを引き剥がして見つめた。
「こんなことになるなら、あんたに預けておけばよかった」
手帳をポケットに入れ、顔を上げた。
「マーニの遺体は、埋葬してくれたのか」
族長は頷いた。
「キミに断りもなくやらせてもらった。ただし、キミが想像している方法ではない。我々は自然に生かされている。だから、自然に還すことにしている」
少年は俯いた。
「キミの持ち物と彼女の遺品も保管してある」
族長は顎にそっと手を当てた。
「キミのことを何と呼べばいい。手帳にはソルと書かれていたが」
「あんたたちの言語で『ソル』はどう発音する」
族長は一拍置いた。
「Losen」
「わかった。今後、俺はロゼンと名乗る」
族長が閂板を外し、ロゼンは外へ出た。
「キミの服を用意してある」
「あんたと同じものを着るのか?」
「外の世界に興味を持たれては困るからね」
族長の後をロゼンは続いた。
「あんたは魔王ネクロヴァルと盟約を交わしたと言ったな。本当に実在するのか?」
「300年前の話だから、今はわからないよ」
「わからない?」
「彼は何というか……人の形をしていなかった。それに、今も生きているのかわからない」
「魔王ネクロヴァルは生きている。浄光教は魔王ネクロヴァルの存在を隠していた」
「なるほど。彼も不老不死だったのか」
「あんたは歴史の真実を知ったと言った。それは俺と関係のある話か?」
族長は足を止め、振り向いた。
「不死と不老の魔法——いや、僕たちにとっては呪いだね。この二つの呪いを編み出したのは、魔王ネクロヴァルだ」
ロゼンは族長の胸倉を掴んだ。
「魔王ネクロヴァルはどこにいる!」
「教える代わりに条件がある」
ロゼンは族長に頭突きをした。
「不老不死になっても痛みはあるんだな」
そのまま族長を岩肌に押し当てた。
「居場所を教えろ!」
「ロゼン、彼に会っても何も解決しないよ」
「なぜそう言い切れる!」
族長はロゼンに冷たい眼差しを向けた。
「キミは不死になった原因が、彼にあると考えている。だが、彼がどうやって僕やキミを不死にしたと言うんだい? そんなことをする目的がわからないよ」
ロゼンは言い返すことができなかった。
「わかったら、その手を退けてくれないか」
「くそっ!」
ロゼンは族長を解放した。
族長は喉元を押さえながら言った。
「それに、僕は魔法についてあまり理解していない。不老の詠唱も、キミが運ばれて慌てて暗記したからね。当時、彼が何を言っているのかわからなかったよ」
一拍置いて続けた。
「ヴェラの民も一枚岩じゃなくてね。一部の者はロゼンに強い反感を持っている。話し合った結果、ロゼンには試練を受けてもらいたい」
ロゼンは族長を睨みつけた。
「断っても構わない。ただし、記憶を消すことになるがね。キミには選ぶ権利がある」
ロゼンは舌打ちをした。
「何をすればいい」
「ヴェラの民は、試練の洞に入り、ヌシを殺して牙を持ち帰る。そうすることで、ヴェラの戦士として認められる」
族長は一拍置いた。
「ただし、一点だけ注意してほしい」
ロゼンを真っ直ぐに見た。
「声が聞こえても、耳を貸してはいけない」




