第27話 杯の試練:百八十九の殺生
翌日。
ソルは目を覚ました。
朝の支度を済ませた頃、ドアがノックされた。
「ソル、まだ寝てるの!」
ドアを開け、ソルは微笑んだ。
「おはよう、マーニ」
「今日は一人で起きられたんだ」
ソルは口の端を釣り上げた。
「まだ少し眠いけどな」
拳を握り締める。
「今日はイケそうな気がするんだ」
「朝ご飯食べにいこう」
ソルはお腹に手を当てた。
「今日はいい。食べていると間に合わない、そんな気がするんだ」
「189人で戦うんだっけ」
「おう、帝都劇場までひとっ走りしてくる。じゃあな、マーニ」
ソルは駆け出した。
マーニは思わず手を伸ばした。
だが、その手は届かず、ソルの背中は遠ざかっていった。
一人残されたマーニはその手を胸元に当てて、か細い声で言った。
「うん。気をつけてね」
ソルは帝都劇場に到着し、広大な建築物を見上げた。
当時、巨大な切り出し石を人力で積み上げて建造された帝都劇場には修復された痕跡があり、歴史の重みを感じさせた。
ソルは思わず息を呑んだ。
深呼吸をひとつし、帝都劇場へ足を踏み入れた。
受付の列に並び、昂る気持ちを鎮めながら自分の順番が来るのを待った。
ソルの順番になった。
浄光教の信徒が受付を担当していた。
長袖で丈の長いワンピース型の服に、頭部を覆うベール。白で統一されていた。
受付は微笑んだ。
「杯の試練へのご参加でお間違いありませんか?」
「はい」
「お名前と出身地を教えてください」
「ソル・アルヘイナ。孤島村出身です」
受付は書類に書き記した。
「杯の試練へのご参加は初めてですか?」
「はい」
「それではご説明いたします。杯の試練は参加者189名が指定された戦場に集まり、最後の一人になるまで闘っていただきます。結界内で命を落としても死ぬことはありませんので、ご安心ください。注意していただきたい点として、結界に触れてしまうと場外へ弾かれて失格になります。ご質問はありますか?」
「魔法を唱えてもいいんですか?」
「はい。地相は四理ですが、魔素を変換して、三象の魔法を唱えても問題ありません」
「わかりました」
「奥に控室を用意しておりますので、お好きな部屋をお使いください。杯の試練が始まりましたらお伝えします。その場にいなければ失格処分となります」
ソルは頭を下げ、控室へ向かった。
控室は十部屋あり、ソルは一番奥に入った。
20人前後いるが、広々とした空間だった。
ソルは壁に背を預け、周囲を見渡した。
天井を見つめた。
風袋の中はきっとこんな感じなんだろうな、とソルは思った。
ソルは背中に悪寒が走り、身震いした。
全員が鋭い目つきをし、鼻息を荒くしていた。
不用意に物音一つ立てれば、今にも殺し合いが始まりそうなほど、この部屋は殺気に満ちていた。
ソルは息苦しさを覚えた。
通路から足音が聞こえ、全員の視線が一カ所に集中した。
ドアが開かれ、信徒が声高らかに言った。
「間もなく杯の試練が始まります。帝都劇場中央の戦場にお集まりください」
一人ひとり部屋から出ていき、ソルは全身に重圧を感じながら重い足取りで後に続いた。
歓声が通路にまで響き渡り、空気が震えた。
戦場に到着した時、ソルは膝に手をつき、浅い呼吸を繰り返した。
大衆から見られていることで、ソルは極度の緊張状態に達していた。
高齢者の信徒——教皇が高らかに宣言した。
「百八十九の欲の化身どもよ、穢れを払いて再臨せよ!」
教皇の声に応じて、結界が張られ、戦場を覆いつくした。
「白日の下で、醜悪な姿を晒せ。紛争の刻を始めよ!」
歓声がひと際大きくなり、戦いは始まった。
ソルはそのことに気づいていなかった。
誰かが魔法を唱えた。
次の瞬間、風が吹き荒れた。
それは竜巻となり、参加者を巻き上げながら直進し——ソルが顔を上げると、目前に迫っていた。
身体が軽くなったかと思うと、場外へ弾き飛ばされていた。
尻もちをついた衝撃で、我に返ったソルは失格したことを理解した。
地面に拳を叩きつけ、怒りを露わにした。
こんなはずじゃなかった。
ソルは立ち上がり、肩を落とした。
「くそっ、何もできなかった」
戦場を見つめ、拳を握り締めた。
あの場に自分がいないことが何より悔しかった。
ソルは息を吐き、退場した。
観客席で観ていたマーニは立ち上がり、ソルの背を追った。
ソルは帝都劇場の外で座り込んでいた。
マーニはソルに声をかけた。
「残念だったね」
「あれだけ調子の良いことを言って、何もできずに敗けた。情けないよな」
「それなら次の祭事にも参加すればいいよ」
「マーニ……?」
ソルは振り向き、マーニは微笑んだ。
「目標が一つだけなんて誰が決めたの?」
マーニは腰に手を当てて続けた。
「ソルの夢は知っているよ。それで、英雄になって終わりなの?」
ソルは俯いた。
「やりたいことがあるのなら、やってもいいんだよ。杯の試練は、誰かが許してくれないとやらせてもらえないようなこと?」
ソルは顔を上げて立ち上がった。
「言い訳はしない。身体が震えていた。俺は、恐怖に負けたんだ」
笑って続けた。
「ただ、それだけのことだ」
拳を強く握り締めた。
「次は、この恐怖に打ち勝ってみせる。マーニも知っているだろう。俺は負けず嫌いだからな」




