工作
翌日の放課後。雷翔は月詠とともに、大橋の許可で小原から出してもらった文化祭関係の資料を抱え、生徒会本部へ向かっていた。
昨日決めた通りなら、このあと大橋と石川へ同じ質問を別々にぶつける。軽音部と写真部の増額について、誰が最初に提案し、執行部でどんな話をしたのか。二人の説明を照らし合わせれば、どこまで事情を共有しているのかは見えてくるはずだった。だが、会長室へ向かう途中で雷翔は足を止めた。
「月詠。昨日の資料、もう一回見よう」
「聞きに行くんじゃなかったの?」
「行くよ。でも、その前に確認したい」
「また増えたね」
「何が?」
「やること」
雷翔は一瞬黙った。
「……気のせいだろ」
「そういうことにしとく」
月詠は特に異論を挟まず、そのまま雷翔について資料室へ入った。一般書記になって一か月ほど経つ。二人は文化祭関係の資料がどこに保管されているのか、だいたい把握していた。今年と前年だけではなく、過去十年ほどの予算記録まで引っ張り出して机の上へ並べる。
比較すると、今年の数字はやはり目立った。軽音楽部は二十五万円から四十万円へ六割増。写真部は二十万円から三十万円へ五割増。一方で、吹奏楽部は五十万円から三十五万円へ三割減、演劇部は四十万円から二十四万円へ四割減になっている。
過去にも、大きな増減がなかったわけではない。文化祭の目玉企画を担当する部へ、一時的に予算が寄った年もある。しかし、複数の主要団体から三割、四割と削りながら、同じ年に二つの部へ五割以上を上乗せした例は見当たらなかった。
「ここまで極端なのは今年だけだね」
「ああ。しかも写真部は部員が減ってる」
雷翔は今年度と昨年度の名簿を並べた。卒業した三年生の人数に対して、新入部員がほとんど入っていない。さらに前年の購入記録を開けば、カメラ二台と交換レンズをすでに購入していた。今年の申請にも別用途の説明はある。それ自体が嘘だと決まったわけではないが、増額の必然性は弱く見える。雷翔はしばらく数字を眺めたあと、椅子の背へ身体を預けた。
「やめた」
月詠が顔を上げる。
「帰るの?」
「それは魅力的だけど違う」
「残念」
「なんでお前が残念なんだよ」
雷翔は写真部の資料を指先で叩いた。
「今、大橋と石川に聞くのをやめる」
昨日とは違う結論だったが、月詠は驚かなかった。
「どうして?」
「まだ、聞く側が弱い。今の俺たちが持ってるのは、変な数字と怪しい関係だけだろ。大橋に『文化祭全体のためです』って言われたら、それ以上進まない」
「昨日は説明のズレを見るって言ってたけど」
「それもできる。でも、一回聞いたら、こっちが何を疑ってるかまで教えることになる」
大橋は馬鹿ではない。昨日の予算会議を見れば、それくらいは分かる。こちらが軽音部と写真部を疑っていると知れば、石川とも話を合わせる時間を与えることになる。雷翔は資料を見下ろした。
「何度も聞きに行くの面倒だし」
月詠が雷翔を見る。
「そこ?」
「重要だろ。一回で終わらせたい」
「急に説得力なくなったね」
「合理化と言ってくれ」
それなら先に、説明しにくい状態にしてしまえばいい。
「もう崩れかけてるところがあるだろ」
雷翔が写真部の名簿を持ち上げると、月詠が少しだけ眉を上げた。
「嫌な顔してるね」
「俺?」
「楽しそう」
「失礼な奴だな」
否定はしなかった。
◇
その日のうちに、吹奏楽部の三原と演劇部の諸星から追加で話を聞いた。目的は、写真部の現状をもう少し詳しく知ることだった。
写真部は新入部員が集まらず、部長がかなり焦っているらしい。他部活へ所属している一年生にまで声をかけ始め、そのやり方を巡って部内でも不満が出ているという。
「最近、写真部ちょっと揉めてるよ」
三原が言った。
「部長は人数増やしたいみたいだけど、残ってる部員は文化祭の準備を優先したいって」
「勧誘に人取られてる?」
「みたい。暗室とか機材の管理も、一部の部員に偏ってるって聞いた」
雷翔は少し考えた。予算の根拠が弱いだけではない。部そのものが、内側から不安定になっている。
「なるほど」
三原のところを出たあと、月詠が横から見る。
「また楽しそう」
「情報が増えたからな」
「仕事も増えたよ」
「それは言うな」
諸星からも似た話が出た。写真部員の何人かが、文化祭準備の進め方を巡って部長と揉めている。少なくとも、単なる噂ではなさそうだった。話を聞き終えた雷翔は資料を閉じた。
「行こうか」
「どこに?」
「写真部」
「結局また仕事増やしてるね」
雷翔は聞こえなかったことにした。
◇
実際に見ると、聞いていた以上に空気は悪かった。部室そのものは広く、壁には過去の文化祭や体育祭で撮影された作品が並び、活動実績も十分にある。だが、活動している部員は少ない。一方で部長は、文化祭準備の合間にも新入部員の勧誘へ出ようとしていた。
「今日も行くんですか?」
部員の一人が聞く。
「人数足りないんだから仕方ないだろ」
「でも暗室の管理、昨日も途中だったじゃないですか」
「戻ってからやる」
「またですか」
短いやり取りだった。それだけでも、部内の温度差は十分に伝わってくる。雷翔は廊下からその様子を眺めていた。
「何するの?」
月詠が聞いた。
「ちょっとだけ手伝う」
「誰を?」
「写真部を」
「その言い方、信用できない」
「ひどいな」
雷翔は答えず、部室の奥へ目を向けた。写真部では一部の作品を今もフィルムで撮影しており、暗室にはタイマーや現像用の電気設備が並んでいる。もちろん壊すつもりはない。設備を故障させれば学校側が介入する。それでは意味がない。
雷翔が欲しいのは、すでに存在している部内の不満が表へ出る程度の、小さなきっかけだけだった。周囲から視線が外れた瞬間、意識を暗室の奥へ伸ばす。壁の向こうを流れる電流と、それによって動くタイマーや温度管理の機器が、位置を持った感覚として浮かび上がった。
中学三年の一月にも、同じように世界が見えた。きっかけは、同級生の成田との衝突だった。雷翔の言葉に激昂した成田が異能を暴走させ、机も椅子も吹き飛ばした。崩れた天井から垂れた電線が胸へ触れた瞬間、雷翔には、校舎を走る電流と電波が分かるようになった。
痛みより先に、扱い方が分かった。外から入ってくる信号を意識の外へ捨て、教室の周辺だけへ感覚を絞る。照明を消し、また戻す。その程度のことなら、発現したその日から、ほとんど苦労せずできた。
誰もが成田を見ていたので、雷翔は自分の力を知らせなかった。暴走した成田は駆けつけた関係機関の職員に拘束され、校門から運び出されていった。さっきまで教室で誰よりも強かった男が、自分の行き先すら選べない。その姿を見れば、考えることは簡単だった。
持っていることと、見せることは別だ。こちらの手札を知られていないなら、その分だけ選べることが増える。事故について聞かれたことには答えたが、自分が何を手に入れたかまでは教えなかった。
今も、その判断は変わらない。ただ、あの日よりずっと細かく触れられるようになっていた。校舎の一角を暗くする必要はないし、派手な音も光もいらない。誰も能力を疑わない程度の変化で、目の前の状況を動かせる。
雷翔は一つの機器へ意識を絞った。ほんの一瞬だけ動作を乱す。壊れない。警報も出ない。ただ、今回の作業が上手くいかなくなる程度。それだけでやめた。しばらくして、暗室の方から声が上がった。
「また駄目じゃん」
一人の部員が、出来上がった写真を見ながら苛立ったように言う。
「最近こういうの多すぎない?」
「だから管理ちゃんとしようって言っただろ」
「部長が勧誘ばっか行ってるからじゃん」
「俺ら、文化祭間に合うの?」
別の部員が口を挟み、やがて部長も戻って言い争いが始まった。雷翔は廊下からそれを聞いていた。
自分が作ったのは、失敗一回だけだった。勧誘を巡る対立も、管理への不満も、その前から存在している。だからといって、自分が何もしていないわけでもない。そこを誤魔化すつもりはなかった。
倒れかけたものへ、指を一本かけた。それだけだ。隣から月詠の視線を感じた。
「今、何かした?」
雷翔は一瞬だけ月詠を見る。
「なんで?」
「何となく」
「便利だな、お前」
「質問に答えてないけど」
「気のせいじゃない?」
「さっき僕がそれ言ったら信用した?」
「しない」
「じゃあ僕もしない」
雷翔は少し考えた。
「成長したな」
「誰のせいだろうね」
それ以上は追及しなかったが、月詠はしばらく雷翔から視線を外さなかった。
◇
翌日、写真部から二人が退部したという話が生徒会本部まで届いた。理由は、文化祭準備の進め方を巡る部長との対立。前日の言い争いがきっかけにはなったらしいが、それ以前から何度も衝突していたという。
雷翔は報告を読み、机へ置いた。自分が一度設備を乱したから二人が辞めた。そんな単純な話ではない。それでも、自分が何もしなければ、昨日の衝突があのタイミングで起きなかった可能性はある。雷翔はそこまで考え、特に表情を変えなかった。
結果として、写真部の活動規模はさらに縮小した。部員が減り続けている部へ、なぜ前年の五割増となる予算が必要なのか。石川が説明しなければならないことは、確実に増えた。
「これで写真部は、かなり苦しくなったね」
隣で資料を見ていた月詠が言う。
「元から苦しかったんだよ。俺は少し押しただけ」
「そういうの、好きそう」
「何が?」
「自分で全部壊さないところ」
雷翔は少し考える。
「だって、その方が楽だろ」
「やっぱりそこなんだ」
「最小労力で最大効果。大事だぞ」
「格好よく言ってるけど、面倒くさがりなだけでしょ」
雷翔は返事をしなかった。反論材料がなかった。
月詠の口元がわずかに動く。雷翔はそれを確認してから、今度は軽音部の資料を取り出した。
写真部には手を入れた。軽音部については、昨日すでに部長から大橋と数坂の関係を聞いている。大橋が数坂を目当てに部室へ頻繁に顔を出していること。数坂自身はそれを迷惑がっているらしいこと。ただし、それはあくまで第三者から聞いた話だった。次に必要なのは本人の言葉だ。
「月詠」
「何?」
「数坂先輩と話してきて」
月詠が顔を上げた。
「僕が?」
「大橋のこと、本当にどう思ってるのか確認してほしい」
「君が聞けばいいじゃん」
「俺よりお前の方が向いてる」
「何が?」
雷翔は月詠の顔を見る。
「顔」
無言で見返された。
「半分冗談」
「半分なんだ」
「いや、三割くらい」
「減ったね」
「残り三割は、お前の方が相手の本音を見るの得意だから」
「ずいぶん配分偏ってるけど」
「結果が出ればいいんだよ」
月詠は少しだけ黙った。
「別に無理に何か聞き出さなくていい。大橋を本当に嫌がってるのか。それだけ確認できればいい」
「嫌がってたら?」
「次を考える」
「嫌がってなかったら?」
「軽音の線は一回捨てる」
月詠が少し目を細めた。
「簡単に捨てるんだ」
「間違ってたらな。都合のいい証拠だけ拾っても仕方ないだろ」
月詠はしばらく雷翔を見ていた。
「いいよ」
「素直だな」
「君が次に何するのか、ちょっと見たいから」
雷翔が一瞬黙り、それから少し楽しそうに笑った。
「じゃあ期待しとけ」
「期待すると仕事増やしそうだから、やめとく」
「お前、最近俺の扱い雑じゃない?」
月詠は答えず、軽音部の資料を持って立ち上がった。その背中を見送りながら、雷翔はもう一度予算表へ目を落とす。
吹奏楽部には、今年修繕する理由がある。演劇部には、前年から先送りされ続けている設備がある。写真部は活動規模そのものが縮小し、さらに部員まで減った。軽音部については、数坂本人の言葉を取ればいい。
最初は、ただ四つの数字が不自然に並んでいただけだった。それが今は、一つずつ理由を持ち始めている。
そして一つずつ、大橋と石川の逃げ道は減っている。本人たちへ聞くのは、もう少しあとでいい。用意された説明だけでは逃げられなくなってから、一度で済ませればいい。
雷翔は積み上がった資料を見た。昨日より明らかに増えている。
「……なんで仕事減らすために、こんな仕事してんだろ」
誰も答えてくれなかった。
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