未来ー世界の後始末
ロヴェスカ共和国のザルニク大統領は、双冠が入室する前から立っていた。
沿岸の主基地と地下作戦指揮室が消滅してから数日。政府は、失われた人員と軍事機能の把握さえ終えていない。隣の国防相が資料をめくるたび、大統領は同じ頁を見直した。
会議卓には隣国、武器供与国、融資国の代表が並んでいた。扉が開くと、紙をめくる音が止まった。
雷翔は玲央と並んで入ってきた。礼服を纏っても、古い記録の中と変わらない少年の姿だった。玲央の黒髪が揺れ、その美しい顔へ目を留めかけたザルニクは、切れ長の目がこちらを向いた途端、視線を下げた。
玲央は反応せず、雷翔が椅子を引いたときだけ表情を和らげた。後ろに双冠府の担当者が控える。二人は手を繋いで席についた。
「座れば」
ザルニクは立ったまま、用意してきた原稿を読んだ。
「このたびの一部軍人による暴挙が、ご両名の尊厳と安全を脅かしたことを――」
「玲央をミサイルで攻撃したんだぞ。綺麗な言葉で薄めるんじゃねえ」
雷翔の爪が卓を掻いた。卓の下で、玲央が繋いだ手を強く握った。
「で、一部って、どこまでだ」
「指揮官は基地とともに死亡し、基地外の関係者も拘束しました。政府が承認した作戦ではありません」
「じゃあ、予算と施設と装備はどこから出た?」
玲央が調達と輸送の記録を各席へ送った。命令書に大統領の署名がなくても、兵器と燃料を動かした署名は残る。国防相が顔を伏せた。
「調査委員会を設置し――」
「照合期限を決めろ。調査される部署に記録を預けたままにするな。そこまで書いてから、委員会って言え」
返答があるまで、雷翔は視線を動かさなかった。閣僚が条件を受け入れると、関係者の一覧を全員の画面へ送った。送金や輸送を手配した者の供述には、「直接撃っていない」とあった。
「襲撃だと知って協力した奴は、全員死刑だ。命令した奴も、金を出した奴も、運んだ奴も、現地で撃った奴も。玲央を殺すための仕事を引き受けて、生きて帰れると思うな」
担当者が処罰条件を文書へ入れた。証拠と本人の認識を照合し、襲撃を知って加担した者を確定させる。
「供述で上の名前を出せば助かると思ってる奴にも伝えろ。取引はしない。返金も謝罪も、減免の理由にはならない」
「国外分も」
玲央が技術支援名簿を加えた。供与国の首相はその名簿を読み、自国の無関係を主張するのをやめた。軍事契約の停止、利益の返還、記録の提出を受け入れる。
「俺たちを撃つために使った系統は解体しろ。部隊も、調達部署も、訓練も全部だ。名前を変えて同じ連中を戻したら、次は基地だけでは済ませない」
国防相と監督責任者、調達部署の幹部は職を失う。大統領の軍事支出と機密会計への裁量も停止され、辞任しても調査は続く。故意の協力が判明すれば、処刑対象へ移る。その条件を確認するザルニクの手で、謝罪原稿が折れ曲がっていた。
「俺はまだ怒ってる。玲央を狙った奴らを庇うな。記録を消すな。もう一度、政府ごと敵に回るなら――国ごと消すぞ」
ザルニクは頷いた。原稿へ戻ることは、もうなかった。
◇
責任を認めても、港を動かす話は進まなかった。
共和国は商業港を再開して復旧費を得たい。隣国は軍事転用を恐れ、融資国は返済を止められないと言う。同じ地図が三度映されたところで、雷翔は頬杖をついたまま口を挟んだ。
「……もういい。俺がやった方が早い。玲央、港の資料」
玲央はすでに開いていた。雷翔へ送り、残っている商業港を指す。
「ここ、空いてるよ」
「使えるな」
雷翔は軍の再建費を計画から外した。
「ここへ商船を入れる。軍事転用の検査は第三者にやらせろ。襲撃を支えた国に、単独で監督させるなよ」
「安全確認には時間がかかります。それまでは我が国の港を経由する必要が――」
「その間、そっちの倉庫会社はいくら取る?」
隣国の首相は、民間企業の判断だと答えた。玲央が特定の会社へ輸送枠を優先配分する政府承認書を送る。
「署名」
雷翔は承認書と料金表を並べた。
「待たせるほど、こっちの金額が増えるわけだ。実費と上乗せした利益、分けて出せ」
首相が口を閉じた。玲央が横顔を窺うと、雷翔もこちらを見て口の端を上げた。玲央は資料から手を離さず、椅子を少し近づけた。
日本と友好国が食料輸送と迂回航路を引き受け、救援を隣国一つに握らせない形ができた。雷翔はその輸送計画へ、融資国の返済猶予と、同国の支援枠を使った銀行へのつなぎ資金を組み合わせた。
「正常な融資は守る。その代わり、軍に流れた金と分けろ。最後に受け取った奴まで出せ」
玲央が仲介会社と兵器の調達会社を並べる。持ち主は同じだった。融資国の代表は、自国の銀行を支えるために、隠れた取引を調べる側へ回った。
共和国の財務相が、補償と復旧の総額を示した。
「これを増税で賄えば、政権が持ちません」
「国民へ回す前に、お前らが吐き出せ。関係者の資産、軍の特別会計、国外に逃がした金。役所の名前で囲ってる利権も全部だ」
資産の保全と復旧への充当が実施表に入った。解体する部隊の兵士も関与を調べ、使える者は港の復旧や危険物の撤去へ回す。人手不足を理由に犯行へ加わった者を戻すことは認めなかった。
玲央は処罰と開示の欄を指した。
「実施方法は、別案でもいい。この条件を満たすなら」
ザルニクが答える前に、融資国の代表が隣国へ輸送の確約を求めた。港を戻す日程がなければ、銀行団との調整が進まない。
「実費と適正な対価で引き受けます。検査の日程も、ここで決めたい」
「検査は受け入れます」
ザルニクが答えた。供与国は民生用契約を残すため、設備の引き渡し記録を提出する。各国の担当窓口が実施表へ入り、期限が埋まっていった。先ほどまで他国の譲歩を待っていた代表たちが、今度は履行を求め合っていた。
「国境の向こうだから関係ない。民間だから政府は知らない。そうやって切った線、全部繋ぎ直してやるよ」
資料を渡す玲央の指へ、雷翔が軽く触れた。玲央は笑いかけ、次の資料を送った。
ザルニクが処罰、軍の解体、資産と記録の開示を受け入れ、政府へ履行命令を送った。署名に各国の代表が続く。互いの記録を照合し、双冠が席を離れても履行を確認できる形になったところで、雷翔は背もたれへ身体を預けた。
「で、あとは条文と日程?」
双冠府の担当者が頷いた。
◇
細部を引き渡そうとしたところへ、隣国の専門官が別の資料を開いた。
「滞留貨物の扱いについても、ご判断をいただければ」
融資国から別港の返済調整が、日本の代表からは退避便の優先順位が続いた。雷翔の端末に、会議の冒頭にはなかった案件が増えていく。
「……なんで増えてる」
「ライトなら決まるって、分かっちゃったから」
玲央は小さく笑っていた。
「早く終わらせるためにやったんだけどな」
「うん。格好よかった」
雷翔は言い返しかけ、玲央の顔を見てやめた。追加案件へ担当部署を割り振り、双冠府へ送った。
「追加はそっちで整理してくれ。権限の範囲で決めていい」
担当者が引き受け、協議は実施文書の確認へ移った。雷翔は端末の同じ行を二度読み、繋いだ手を引かれて顔を上げた。
「飽きた?」
「玲央は?」
「ライトがやってるところは、面白かった」
「今は?」
「もう、ライトを独り占めしたい」
玲央は肩を寄せ、雷翔だけを見ていた。さっきまで代表たちへ向けていた淡泊さは、その顔に残っていなかった。
「……帰ってからな」
「じゃあ、帰ろう。ライトがいないと決まらないこと、残ってる?」
雷翔が担当者を見ると、主要な合意事項と委任範囲が示された。
「残りは履行確認と、実施文書の調整です。処罰と開示の条件は通知済みです。履行拒否や隠蔽が確認された場合は、直ちにご報告いたします」
「じゃあ、任せていいな」
「はい」
玲央が目を細め、雷翔の襟へ指を添えた。上着の縁をたどる指を見て、雷翔は小さく息をついた。
「……玲央。まだ会議中なんだけどな」
「うん。だから、終わってほしい」
雷翔は玲央の髪へ手を伸ばした。頬を寄せられると、そのまま顔を近づけ、唇に短く触れた。玲央は目を閉じ、離れてもすぐには顔を引かなかった。
通訳が黙った。向かいの首相は水のグラスを持ったまま止まっている。雷翔は気にせず、もう一度、触れるだけの口づけを落とした。
「ライト、早くベッド行こ」
声は静まった会議室へはっきり響いた。ザルニクは資料へ目を落としたが、どの頁を開いていたか分からなくなった。
「玲央、ここで言う?」
「ここで言わないと、また仕事拾いそうだから」
「……玲央には勝てねぇな」
雷翔が笑って立つと、代表団も反射的に椅子を引いた。玲央は繋いだ手を離さず、隣へ並んだ。
「じゃあ、後よろしく」
双冠府の担当者へ告げ、扉へ向かう。出る直前、雷翔はザルニクを振り返った。
「決まったこと、やれよ。誰か一人でも庇って隠したら、次はお前ら自身の話になる」
ザルニクは頭を垂れた。扉が閉まると、双冠府の担当者が次の資料を開いた。
「それでは、対象者の確保と証拠の照合から確認いたします」
ザルニクが隣国の首相を見るより先に、その担当者から港の検査日程が届いた。融資国の代表は返済猶予の条件を確認し、供与国は原本の提出期限を答えていた。
双冠が去っても、誰も会議室を出なかった。自国の取り分を守るには、他国に約束を果たさせなければならなかった。
◇
廊下へ出たところで、雷翔は玲央を引き寄せた。玲央はその胸へ頬を寄せ、撃たれるはずだった場所に手を置いた。
「ライト。あいつらのこと、終わりにはしないよ」
「ああ。逃がさない」
額へ口づけてから、雷翔は担当者へ後の連絡先を告げた。二人は手を繋ぎ直し、歩き始めた。
「ライト、昔から変わらないね」
「面倒事を拾うところ、って言いたいんだろ」
「片づけてるところが好き」
雷翔は横目で恋人を見た。会議中はもう少し、と言うつもりだったのに、玲央の笑顔を見たら出てこなかった。
「……玲央も、煽る側だっただろ」
「うん。もっと近くで見たかったから」
握った手に、同じ強さが返ってきた。今はこんなに簡単なことが、初めからできたわけではなかった。
まだ双冠という名も、双冠府という組織もなかった頃。世界を変えるためではなく、少しだけ自分たちが楽に過ごすために動いていた頃。始めたことが、ここまで大きくなるとは思っていなかった。
その始まりは、ずっと昔の四月へ遡る。
都立東雲学園。入学式の朝、首席と次席として同じ場所に立つ二人は、まだ互いを、ライトとも玲央とも呼んでいなかった。
お読みいただきありがとうございます。
1話同様2話も未来の主人公二人を描いたエピローグ的な話になります。この話の方向性や雰囲気を感じていただきたく、一番初めに持ってきました。
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