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未来ー双冠の逆鱗

 玲央を狙った弾頭は、彼の額に届く三歩手前で止まった。


 海沿いの遊歩道には、まだ夕食を待つ店の匂いが漂っていた。宙に止まった弾頭の表面を、青白い電光が這っている。バチバチと鋭く弾ける放電が、傾きかけた陽の中で金属の輪郭を照らした。起爆回路を流れるはずの電流も、雷翔の意志に押さえ込まれていた。玲央の指は、隣を歩く雷翔の手を握ったままだった。


「……ライト?」


 呼ばれても、雷翔はすぐには答えなかった。空いている手を玲央の白い頬に添え、顔をこちらへ向けさせる。さらりと落ちた黒髪の下で、切れ長の目が雷翔を見上げた。歩いているだけで誰もが振り向く美少年の顔を、いまは傷の有無だけを探して見つめる。額も、首も、胸元も傷ついていない。その確認が済んでから、ようやく息を吐いた。


「守ってくれたんだね。僕は大丈夫だよ」


 玲央が宙の金属を見て、雷翔へ笑いかけた。それでも雷翔の端整な顔は険しいままだった。普段なら、自信に満ちた目元を緩め、玲央だけに少し意地悪く笑ってみせる。その顔から笑みが消えていることの方が、玲央には弾頭より気がかりだった。頬へ添えた指は離れず、雷翔はもう一度、傷のない額を確かめる。ここを貫くつもりだった。隣で笑っていた玲央を、いま、奪おうとした。


 喉の奥から、息とも唸りともつかない音が漏れた。玲央へ触れる手だけは優しいまま、海の向こうへ向いた顔が、近衛でさえ滅多に見たことのないものへ変わっていく。普段の気怠さも、面白がる余裕も、跡形なく消えていた。


「……やってくれたな」


 噛みしめた歯の間から、声が落ちた。玲央の頬を撫でる指とは裏腹に、海へ向けた目は、凍りつくほど険しかった。


 水平線の上に、二つ目の光が現れた。続いて三つ、十、数えきれないほどの軌跡が空を裂く。周辺の街区を巻き込むことなど、最初から承知している攻撃だった。


 双冠の名が国際秩序の一部となって、長い歳月が経っていた。国を率いる者たちが代替わりしても、二人は少年の面影を残す姿で隣に立ち続けていた。それだけの時間が過ぎても、雷翔がこの顔をする理由は変わらなかった。


 繋いでいた手を、玲央が握り直す。その小さな動きだけには、雷翔も視線を戻した。


「ここにいて」


「ライトの隣?」


「そう」


「わかった」


 雷翔は玲央を背後へ追いやらなかった。指を絡め直し、並んだまま空を見上げる。そこへ近衛からの通信が入った。


『周辺住民の誘導を開始しています。発射地点を照合中です』


「民間人を先に。こっちは俺がやる」


 返答は短かった。街路ではすでに近衛が人々を建物の陰へ導き、現地の警備担当者が交通を止めている。悲鳴と警笛が重なる向こうで、飛来する光の群れだけが不自然に速度を失った。


 停止は、海岸線の手前から沖合へ広がった。雷翔には、弾頭の金属も、内部を流れる電気も、その周囲の電磁場も、意識で触れられるものとして捉えられていた。電磁力を操る異能が、飛来する兵器の進路を押さえ込む。


 急減速し止まった弾頭を青白い放電が包み、次々に細い電光が枝分かれした。海岸の近くでは、バチバチと空気を裂く音が悲鳴の間を縫って響いていた。電光を纏った弾頭の列が夕空に縫いつけられ、その後ろへ新たな弾頭が重なっていった。


 推進を続けているはずの兵器が進めない。船から眺めていた漁師は、救命胴衣を抱えたまま膝をついた。


「玲央を殺そうとしたな」


 声が低く掠れた。握っていない方の手を開くと、指の間を白い光が走った。膨れ上がる力を、雷翔は海の向こうへ絞り込んでいる。視線の先にある発射施設を、一つ残らず叩き潰すために。


「玲央に向けて撃ったものも、撃たせた設備も、全部潰す。二度と照準を向けられないようにな」


 傍らの玲央が、絡めた指の強さを少しだけ増した。宥めるためではなかった。雷翔の怒りを、そのまま受け止めていた。


      ◇


 海の向こう、ロヴェスカ共和国軍の沿岸基地では、地下の作戦指揮室に並ぶ表示が灰色に変わっていた。共和国はこの海域で最大の軍港を持ち、隣国との緊張を理由に軍備を増やしてきた。今回の襲撃を指揮したのは、その沿岸軍の強硬派だった。


「映像を戻せ」


 作戦指揮官が命じた。担当士官は予備回線へ切り替え、別の衛星中継を呼び出す。表示されたのは、空に静止した弾頭の群れだった。


 作戦名も、正式な命令書も、国内の通常の審議には載せていない。新しい対異能装備を実戦で証明し、双冠への従属的な外交を終わらせる。それが、この部屋に集まった者たちの掲げる大義だった。


 新型の抑制装置は、軍が確保できた最高位の異能者を相手に、効果試験を通過していた。普段なら無意識に発現できる能力が、装置の作動中だけまともに制御できなくなる。その記録が、司令部の判断を変えた。双冠を完全に封じる必要はない。精神系の玲央へ攻撃を集中し、雷翔が守りに回ったところへ飽和攻撃を重ねる。反応をわずかにでも鈍らせれば、一発は届くという計算だった。


 双冠を相手に試せていない、と技術担当は付記していた。司令部は装置の増設で補えると判断した。だが試験が示したのは、測れる異能に対する効果だけだった。誰が双冠の異能強度を測れるというのか。


「抑制装置の出力を上げろ。第二波を――」


「出ています! 最大出力です!」


 士官の声が裏返った。直後、壁一面の映像の中で、弾頭の向きが揃って変わった。陸へではなく、船も人もいない沖へ。白い閃光が幾重にも重なり、遠い海上に膨れ上がった火球を、さらに白い光が押し包んだ。


 沿岸へ届いたのは鈍い振動だった。街を焼くはずの熱は海の上に封じられ、夕暮れの海岸線には、白く照らされた人々の顔だけが残った。指揮官は机を掴み、口を開きかけた。


 そのとき、基地内の照明がいっせいに落ちた。


 非常電源は生きていた。にもかかわらず、復旧しない。端末も、火器管制も、外周の無人兵器も、電気が流れているのに命令を受け付けなくなっていた。


 動かせることと、動かす権利があることは違った。基地を走るすべての電流が、いまは別の主を持っていた。


 沿岸の発射施設から、空へ直径数百メートルの一本の白い柱が立った。格納庫の屋根が内側から裂け、発射装置ごと白熱した骨組みが空へ捲れ上がる。次いで、別の岬にある管制塔が光の内側へ消えた。地下指揮所の映像はまだ見えている。見せられているのだと気づいた士官が、椅子を蹴って後ずさった。


 照準を失って沈黙しただけでは、雷翔は手を緩めなかった。玲央へ弾頭を送り出した発射台を、再起動すれば使える形で残すつもりはなかった。白い雷が同じ地点を幾度も貫き、設備の輪郭が崩れて融けるまで、その怒りは叩きつけられた。


 対異能装置の防護範囲を示す青い線は、最後まで消えなかった。その線の内側で、装置そのものが白熱し、融け落ちた。指揮官は出口へ駆けようとしたが、その足元にまで青白い電光が走っていた。


 次の瞬間、基地全体が白い光に吞まれた。格納庫も、兵舎も、発射施設も、形を保っていられなかった。厚い天井が白熱し、地下の作戦指揮室の壁も、端末も、そこにいた指揮官たちも、光の内側へ消えた。


 外から撮影していた観測映像には、白い柱が一瞬、海岸の輪郭を隠す様子が残った。光が引いたとき、基地はなかった。地上施設の残骸だけでなく、地下の作戦指揮室があった場所まで、大きく抉れていた。雷翔が消し去ったのは、攻撃能力だけではなかった。玲央を狙った命令が下された、その場所そのものだった。


『発射地点、ロヴェスカ軍の施設と一致。大統領府へ照会を送付しました』


 双冠府からの連絡を、雷翔は海岸で聞いていた。責任主体を確かめるための照合は必要だったが、飛んでくる兵器を止めるための許可は必要なかった。攻撃を続けた施設から順に、彼は消し去っていった。


「まだあるな」


 玲央は隣で空を見ていた。雷翔の怒りが冷えていないことは、彼にしか分からない仕方で伝わってくる。自分に向けられた弾頭よりも、今、その指がわずかに震えていることの方が気になった。


「ライト」


「分かってる。玲央を狙った奴らを、逃がすわけねぇだろ」


「うん。でも、僕もいるから。あいつらが狙ったのは僕だけじゃないでしょ」


 低い声に、雷翔が振り向いた。玲央は穏やかな顔をしていたが、視線の奥だけが笑っていなかった。


      ◇


 遊歩道からほど近い、使われていない荷役場には、ロヴェスカ軍の潜伏部隊がいた。作業員を装って前日までに入り、倉庫と車両に武器を隠していた部隊だった。沖からの攻撃で雷翔を迎撃に集中させ、その間に至近距離から撃つ。二人の足取りを監視していた隊長は、その役割を与えられていた。だが、近衛の避難誘導で人の流れが射線へ重なり、射撃班は潜伏を保ったまま機会を逃していた。


 海の向こうで基地が消え、司令部との通信が途絶えた。観測担当が主基地の喪失を告げると、副官は撤収の指示を求めた。


「司令部がやられたなら、作戦は中止では」


「中止命令は来ていない。ここでは俺が判断する」


 隊長は観測画面を指した。雷翔の顔はまだ、基地を消し去った海の向こうへ向いている。隊長は隠していた抑制装置の起動を命じた。正常表示が灯ると、副官へ見せつけるように頷いた。今撃たずに逃げれば、基地にいた者たちは何のために死んだのか。副官が口を開くより先に、隊長は各射撃班へ指示を送った。


 民間人の退避を進める近衛が、荷役場から伸びる銃口を見つけた。その警告と、倉庫の扉が開くのは、ほとんど同時だった。


「雷帝を先に撃て。守る側を落とせば、残りも止まる」


 兵たちは照準を合わせた。雷翔の胸を狙った最初の銃声が、玲央の耳に届いた。


 弾丸はまた止まった。何十発もが二人の周囲に浮かび、雷翔は鬱陶しそうに眉を動かしただけだった。玲央の視線は、そのうちの一発に吸いついていた。雷翔の胸へ向いている。いつも頬を寄せ、抱きつけば腕が回ってくる、その場所へ。


 玲央は、雷翔の胸へ一度だけ手を置いた。服の下にはいつもの体温があり、顔を上げれば、雷翔がこちらを見ていた。触れた指に走った震えは、そこで止まった。


「ライト、少し待ってて」


 雷翔が頷く。玲央は胸元から手を離し、銃口の方へ向き直った。顔から、雷翔へ向けていた柔らかさが消える。弾が当たらなかったことも、命令に従っただけだという言い訳も、玲央の判断を変えなかった。


 誰かが再び引き金を引いた。玲央はその男から視線を外さず、異能を伸ばした。眠らせれば済むことは分かっていた。それでも、次に目を覚ましてまたライトへ銃を向けられる余地を、残す気にはなれなかった。


 最前列の兵士が、その場で膝を折った。玲央の異能が触れたのは、筋肉でも神経でもなく、その内側の精神だった。恐怖も、目の前のものを理解するための認識も、玲央には動かせる。何も言わず、その制御を崩していった。


 前列の兵士が、銃を取り落とした。彼は目の前の二人を見ているはずなのに、視線をずらし、何もない地面を両手で引っ掻き始めた。爪が折れても止まらない。隣の兵士が腕を掴んだ瞬間、掴まれた男は喉が裂けそうな声で絶叫した。


 玲央は雷翔と並んで荷役場へ向かった。銃口を向けた者から順に膝を折り、倉庫へ退こうとした兵士も、数歩先で崩れ落ちた。


 敵を敵と認識するための輪郭が、崩れていく。目の前の仲間が、最も恐れていた誰かに見える。自分の手が自分のものだという確かささえ失われ、逃げようとする足に意識が追いつかない。忘れたつもりの恐怖が現在を覆い、その現在を理解する力まで裂かれていった。


 笑い出した者がいた。泣きながら笑って、自分が何を笑っているのか分からず、今度は怯えて叫んだ。名前を呼ぶ声が聞こえても、誰の名前なのか分からない。銃も、防護装備も、鍛え上げた身体も残っていた。その中で命令を理解し、選び、動くはずの人間だけが、次々に壊れていった。


「射撃を続けろ!」


 隊長は自分の声を聞いて、まだ平静だと思った。次の瞬間、部下の顔がすべて自分の顔に変わった。口を開くたび同じ声が返り、どこからどこまでが自分なのか分からなくなる。彼は喉を押さえ、もう一度命令しようとした。


 出たのは、言葉にならない呻きだった。


 玲央は彼の前で足を止めた。雷翔がすぐ隣に来ていることを確かめ、それから、膝をついた男を一度だけ見た。男が口を動かしても、聞き取ろうとはしなかった。


「もういい」


 短い声には、何の熱もなかった。隊長は自分の名らしきものを何度も繰り返していたが、その音に意味を結びつけられなくなっていた。玲央は返事を待たず、視線を外した。


 玲央は雷翔へ手を伸ばした。握り返されると、初めて口元が緩む。指を絡めたまま、まだ人の気配が残る倉庫へ目を向けた。


 倉庫の奥では、潜伏部隊が持ち込んだ対異能装置がまだ稼働していた。作業車を装った指揮車へ逃げ込んだ士官たちは、施錠した扉の向こうを見つめていた。玲央が近づくと、一人が座席の下へ潜り込む。別の一人は窓へ向かって敬礼を繰り返し、最後の一人は許しを乞おうとして、誰に許しを求めるのかを忘れた。


 主基地と作戦指揮室は、雷翔によって消滅した。現地へ送り込まれ、なお銃口を向けた潜伏部隊を、玲央が壊した。


 白い雷の下で消滅した基地と、人の声だけが響く荷役場。その二つの映像を並べて見た者は、双冠という名が、二人をまとめて呼ぶための便利な言葉ではないことを思い知った。


      ◇


 各国が動き始めたのは、潜伏部隊との戦闘が終わる前だった。基地消滅の報告に続き、現地でなお銃撃が続いているという情報が、世界中の政府へ届いた。各国からロヴェスカ共和国へ電話が殺到する。双冠に自制を求める声明など、誰も待っていなかった。まず、まだ銃を向けている自国軍を止めろ。


 共和国の大統領は、生き残った軍首脳を呼び出した。全軍への攻撃停止と、基地外にいる作戦関係者の拘束を命じる声が裏返った。軍を止められなければ、次に何が消えるか分からなかった。


 装備を供与していたベルシュタール連邦も、軍事顧問の撤収と支援停止を命じた。共同訓練用の兵器が襲撃に使われたなら、自国も無関係では済まない。首相は、玲央の前で兵士たちが壊れていく映像を途中で止めさせ、契約と輸送の記録を出せと担当者を怒鳴った。


 国境と輸入路を脅かされた隣国は、攻撃停止を共和国へ迫った。港湾開発に金を貸していた国は、政府まで崩壊すれば融資を失うと、決済記録の保全を急いだ。自国の関与を切り離そうと送った資料が、別の国の隠し事を暴いていく。双冠府は届いた記録を保存し、照合を始めていた。


 一方、日本と友好国は、避難と商船の迂回へ動いた。軍事支援を切ることと、巻き込まれた人々への支援を切ることは別だった。双冠府へ向かう連絡回線には、攻撃停止の確認と、食料や医療物資を通す相談が重なっていた。


『ロヴェスカ政府が全軍停止を命令。主要部隊の受領を確認しました。残存する攻撃準備拠点は、現地当局が封鎖しています』


 荷役場の入口で報告を聞き、雷翔は空を見た。こちらへ向かう新たな軌跡はない。電流の向こうに残っているのも、もう攻撃の命令を運ぶ信号ではなかった。


「再開する奴がいたら、すぐに知らせて」


『承知しました』


 玲央は雷翔の手へ触れた。彼の周囲では、倒れた兵士たちが救護を受け始めている。身体に傷がなくても担架を必要とする者ばかりだった。


「帰る?」


 玲央が聞くと、雷翔は少しの間、彼を見つめた。それから額を寄せ、ようやく、戦闘中とは違う息を吐いた。


「……玲央に当たるかと思った」


「当たってないよ」


「分かってる」


「僕も、ライトに向けて撃ったのが、許せない」


 玲央は雷翔の服を掴み、その胸へ額を寄せた。背へ回った腕にも、強く力がこもる。敵の前では口にしなかった怒りを、玲央は雷翔にだけ聞かせた。


「ライトに触れていいのは、あいつらじゃない」


 新たな攻撃はなく、二人はそれ以上の力を振るわなかった。雷翔は玲央を抱いたまま、通信の向こうへ命じた。


「関係者の記録、一つも消させるな。まだ終わってねぇぞ」


「今日は、海を見て飯食うだけの予定だったんだけどな」


「まだ食べてないね」


「……めんどくせぇ」


 玲央はようやく、声を立てて少し笑った。その笑顔を見て、雷翔も玲央の髪へ口づけた。恋人へ向ける眼差しだけが柔らかくなる。海の向こうを振り返ったときには、まだ、さっきと同じ怒りが残っていた。


 だが通信の向こうでは、すでに各国が戦後協議の日程を求めていた。謝罪だけで閉じられる事件ではない。軍の再編、攻撃を可能にした資金、失われた安全保障、そのすべてを誰かが片づけなければならなかった。


『両名に、会議へのご出席をお願いしたいとの申し入れが――』


「後で」


 雷翔は即答した。玲央を連れ、迎えの車へ歩いていく。


 世界は久しぶりに、双冠の力を思い出した。しかし、二人を怒らせた側が支払うものは、まだ決まっていなかった。


お読みいただきありがとうございます。

初めの1話2話は、未来の主人公二人を描いたエピローグ的な話になります。この話の方向性や雰囲気を感じていただきたく、一番初めに持ってきました。

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