うちのギルド長が高レベル冒険者なのにスライムしか狩らない。
ギルド連盟総本部、大会議室。
扉の横には「使用中」の札が掛けられている。廊下を行く職員は、その前だけ声を落とした。
議場では、紙を揃える音がよく響いた。
卓に向かうギルド長たちの背後には、随行者が控えている。椅子は一つ、まだ空いていた。
「此度の遠征は、本当にお見事でしたね」
37歳にしてギルド連盟を率いるサミラが、右手の席へ声をかける。
「……任務をこなした。それだけだ」
《バルムンク》のギルド長、現《竜殺し》。
Lv9。名実ともに、現代最強の冒険者の一角を占める男だ。その左後ろには、遠征のたびに帯同する精鋭部隊「黒檀」の隊長、ギャヴェンが立っていた。
向かいでは、一人の男が書類に目を通している。
国家の主要危険区域二方を守護する《テオドシウス》。そのギルド長、Lv8冒険者カスティリアーノ――《堅城》だった。
傍らに控えるのは、セルヴァン伯爵家の長兄エラノイデスと、三男エラヌス。
エラヌスは会場の端へ目をやり、口元を緩めている。
その先で、《ヤドリギ》のミルヴスが額に汗を浮かべていた。
扉が開く。
甲冑の擦れる音に続き、仕立てのよいスーツをまとった男が入ってきた。
「定刻前とはいえ、遅くなったことをお詫びしよう」
王家を守護する《ロイヤルナイツ》のギルド長にして、公爵家の当主。
レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア公。
もう一人のLv9冒険者が席に着くと、カスティリアーノの書類をめくる手も止まった。
王家守護の権利を認められた証、二つ名《王権》。
サミラの背後には、補佐を務める双子の職員、フギンとムニンが控えている。普段はギルド受付に立つ二人も、今は口を開かない。
後方の立会人席には、王家第三王子と執事長が着いていた。
隣室のものだろうか。時計の音が、壁越しに届く。
サミラは空席を一度見て、腕時計へ目を落とした。
ミルヴスは顔を伏せたまま、直立している。
「――では、定刻となりましたので、これより議会を――」
「こ、こんにちは~。間に合っては……無いですよね」
開いた扉から、困ったように笑う男が顔を出した。
何度も頭を下げながら空席へ向かう。その足音を、誰も声で遮らなかった。
「……なんだ、あれは」
ギャヴェンの低い声が、卓の向こうまで届いた。
レオナールは入ってきた男を見たまま、動かない。
「それでは、これよりギルド連盟評議会を開会します」
「あ、あの……」
遅れてきた男は、背後のミルヴスにだけ聞こえる声で囁いた。
「本当に反省してるので、見えないように背中ゴリゴリするの、やめてもらえますか? ミルヴスくん」
「黙れ」
「はい……」
サミラが立ち上がる。
「皆様をご紹介いたします。まずは、本評議会の立会人であらせられる、王家第三王子ヘンリエット様」
後方へ向き直る動きに合わせ、ギルド長たちが席を立った。
随行者たちも姿勢を正す。
「ギルド長、立って。ビシッとして」
小突かれた男も慌てて立ち、皆に倣って右手を胸に当てた。
深く、頭を下げる。
「皆様、ご着席を」
四人が腰を下ろす。背後の随行者は、立ったままだった。
サミラの右手が、卓の一角を示す。
「ギルド《バルムンク》より、ギルド長様ならびに黒檀隊隊長ギャヴェン様」
ギャヴェンが右手を胸に当て、先ほどより浅く一礼する。
「ギルド《テオドシウス》より、ギルド長様ならびに第一方守護隊長様、副守護隊長様」
エラヌスの口元からも、もう笑みは消えていた。
「ギルド《ロイヤルナイツ》より、ギルド長様ならびに近衛長様」
レオナールが浅く会釈する。
サミラの手が、最後の席へ移った。
「ギルド《ヤドリギ》より、ギルド長様ならびに索敵班主任様」
「あっははー、よろしくお願いします。改めまして、遅れて申し訳ありませんでした」
男がまた頭を下げる。
その後ろで、ミルヴスの眉間に寄っていた皺が少し緩んだ。
「ほぉ。君が《ヤドリギ》のギルド長……《スライム狩り》か」
カスティリアーノが、卓に肘を寄せた。
「おい、あの男は《スライム狩り》と呼ばれておるのか?」
「左様でございます、お坊ちゃま」
立会人席の声が、そのまま議場へ通る。
《スライム狩り》がそちらへ曖昧に笑い返しかけた時、レオナールが口を開いた。
「貴公は――何故この席に着いていると考えているのかな?」
《スライム狩り》の動きが止まる。
レオナールは卓上の書類には手を伸ばさず、返答を待っていた。
「難しい質問ですね。あー、えっと……何とお呼びすれば?」
《スライム狩り》が、遠慮がちにレオナールへ顔を向ける。
「レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア」
「あ、ありがとうございます! レオ、レオナール・ド……レオナルド」
「失礼極まる!」
ギャヴェンの怒声に、ミルヴスの肩が跳ねた。
「この方は《王権》、レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア公にあらせられる!」
「よい」
レオナールが静かに制する。
「好きに呼べ。それより、質問に疾く答えていただこう。《スライム狩り》殿」
ぱっと、男の顔が明るくなった。
「では、《王権》さん!」
「お、《王権》……さん?」
一拍、返事が途切れる。
「……よい。続けたまえ」
レオナールは眉間へ指を当てた。
《スライム狩り》はほっとしたように笑う。
「《王権》さんが意図したところは分かりません。選定基準については、正直、僕自身が疑問ですし。なんなら辞退したか――」
背中で、ドン、と鈍い音がした。
男の身体がわずかに前へ揺れる。
「……ただ、ここに来た意味でしたら」
少しだけ、考える。
「冒険者たちが自由に、なるべく安全に家族の元へ帰る」
レオナールの手が、眉間から離れた。
「勇敢に戦って亡くなった人たちから学んで、次の人はちゃんと帰れるようにする」
男の声は、先ほどと変わらない。
「冒険者が、冒険者として歩み続けられるようにする」
少し首を傾げた。
「んーと……そんな感じじゃないでしょうか?」
「くっ、くかか」
カスティリアーノが喉を鳴らす。
《竜殺し》は何も言わない。椅子に深く腰かけたまま、《スライム狩り》を真っ直ぐに見ていた。
「ありがとうございます、《ヤドリギ》ギルド長様。レオナール公、進行させていただいてもよろしいですね?」
レオナールが小さく頷いた。
サミラは手元の書類へ目を戻す。
「それでは――」
「あ、ちょっといいですか?」
ぴんと、手が挙がっていた。
「ここは学び舎ではありません。何でしょう、《ヤドリギ》ギルド長様?」
「すみません。ちょっと分析を進めていたものがありまして、その結果が出たので」
《スライム狩り》が申し訳なさそうに頭を掻く。
「まぁ、そのせいでちょっと遅刻しちゃったんですけども」
懐から取り出した小袋を、卓へ置いた。
袋の中で、結晶と見紛うほど小さな何かが煌めいている。
「最近、冒険者たちの行動区域内で、特異個体と変異体が頻繁に確認されています」
ギャヴェンが自らのギルド長を窺い、小さく手を挙げた。
「《スライム狩り》殿。『特異個体』と『変異体』、その区別を伺いたい」
「簡単に説明しますね」
《スライム狩り》は小袋から手を離した。
「どちらも、生まれ持った性質の異常や、環境の急激な変化への適応などで起こる変異現象です。この二つを分けるのは、簡単に言えば分母です」
「ふむ?」
「変異体は、一体だけではなく、主に群れや集団の単位で発生します。稀に、特定の一族だけに現れることもあります」
人差し指で、卓の上に小さな輪を描く。
「その変化が環境に適していて、世代を越えて定着していけば、やがて元の魔物とは別の種として分類されるようになります」
「では、特異個体は?」
「発生する原因のほとんどが、まだ解明されていません。そして、ほとんどの場合は元の個体より劣化します。身体が弱かったり、生存に適さない特徴を持っていたり。すぐに死んでしまうか、周囲の魔物に捕食されるんです」
輪を描いていた指が、止まった。
「ただ、ごく稀に、元の個体が持つ特性からは到底考えられないような、特殊な変異を起こすことがあります」
「それが、危険な特異個体か」
「はい。ただし、特異個体だから危険なのではありません。ほとんどは弱くなって消えていく。その中に、ごく稀に、とんでもないものが混ざるんです」
小袋を持ち上げる。
「これは、スライムの特異個体から採取した分泌物の結晶です」
「がっはっは! ここでスライムか! 二つ名に恥じぬな、《スライム狩り》殿!」
カスティリアーノが豪快に笑った。
《スライム狩り》は気にした様子もなく、袋を卓へ戻す。
「この個体は、通常のスライムに見られる行動特性が、かなり薄くなっていました。代わりに見られたのが、対象への強い執着性。それから、自ら動きを止めて、相手の警戒が解けるのを待つ行動です」
笑い声が途切れた。
「十分に近づいたところで、体内から針状の器官を伸ばして刺す。その先端からは、致死性の高い毒が分泌されていました」
ギャヴェンの視線が、小袋へ落ちる。
カスティリアーノは手元の書類を閉じ、脇へ置いた。
卓の上で、小さな結晶が光を返した。
「続けてもいいです?」
サミラは頷いた。
「お続けください」
「さらに、フリーボアの変異体コミュニティを発見しています。こちらはミルヴスくんを主体に観察を行いました」
背後のミルヴスが一礼する。
「単独で行動していたので、最初は特異個体の可能性を疑いました。その後、僕自身も追跡調査を行って、コミュニティを発見。規模は小さいものでしたが、十一体のうち九体に、これまでのフリーボアには見られなかった行動が観測されました」
レオナールが、小袋から男の顔へ視線を戻した。
「実は僕、以前から特異個体について一つ疑問がありました。幸運にも今回、変異体のコミュニティを発見できたことで、ある仮説を立てました」
「……その仮説とは?」
隣から、低い声がした。
《竜殺し》だった。
《スライム狩り》はそちらへ顔を向け、いつもの調子で答える。
「特異個体は、人間の索敵では――元の個体と識別できないのではないか、という仮説です」
時計の音が、また耳についた。
「このスライムは、僕の索敵では、どこにでもいる普通のスライムの一体として観測されました。実際の行動を観察して、初めて違いに気づいたんです」
小袋を指し、それからミルヴスを振り返る。
「ところが、フリーボアの変異体の群れを索敵した時には、別種の群れの中に、通常のフリーボアが混ざっているように観測されました」
「別種、か」
カスティリアーノが呟く。
「はい。ただ、僕の索敵はそこまで精度が高くありません。なので、ミルヴスくんにも何度か〈視〉てもらいました」
ミルヴスが静かに頷く。
さっきまで汗をかいていた男へ、ギルド長たちの目が向いた。
「結果は同じです。変異体は、通常個体とは異なるものとして、索敵でも明確に識別できました」
《スライム狩り》は、再び小袋へ目を戻す。
「でも――特異個体の方は、僕にはできなかった」
「セルヴァン家の索敵能力は、国内でも群を抜いている」
カスティリアーノの声から、笑いが消えていた。
「こと索敵精度に関して、ミルヴェスト殿を超える者はおらんだろう。変異体の観測結果は、確かなものとして扱ってよかろう」
エラノイデスがわずかに口元を緩める。
隣のエラヌスは、誇らしげな笑みを隠そうともしなかった。
向かいに立つミルヴスは、気づかないふりをした。
「ふーむ。《スライム狩り》よ。つまり、国家にとってどういうことじゃ?」
立会人席から、ヘンリエットが身を乗り出した。
《スライム狩り》は少し考える。
「この仮説が正しければ、人間の防衛網を掻い潜って、とんでもない変異を遂げた個体が――」
顔を上げる。
「関所の向こうで手を振っていても、僕たちには、索敵だけでそれを特定する術がない。ということです」
サミラは書類の上へ置きかけた手を止めた。
レオナールは背後の近衛長へ一度だけ目を向け、すぐに《スライム狩り》へ視線を戻した。
「つまり、どうしたいのじゃ。《スライム狩り》」
「え?」
男が、きょとんとした。
「は?」
今度はヘンリエットが目を丸くする。
《スライム狩り》は小袋を見てから、居並ぶギルド長たちの顔を順に見た。
「えっと……みんなにも、これから気をつけてほしいなーって」
返事はなかった。
サミラが、ゆっくりと眉間を押さえる。
「ぷっ」
立会人席から、小さな音が漏れた。
「ぶはっ。あははははっ!」
ヘンリエットが腹を抱えて笑い出す。
「おい、じぃ。私はあの男が気に入ったぞ!」
「坊ちゃま、公の場にございます」
「あっははは! これは失礼」
目尻を指で拭い、王子は椅子へ深く座り直した。
「続けてくれ、冒険者諸君」
《スライム狩り》はまだ、首を傾げている。
その背後で、ミルヴスが深く息を吐いた。
「それでは、本日の本題に移ります。フギン、ムニン」
「はい」
二人の声が重なった。
フギンが一礼して前へ出る。開かれた書類へ、議場の視線が戻った。
「先日、評議会入りギルド《ステラヴィア》の現ギルド長デネピア様が、長期療養に入られました。後任の選出についても、現在までギルド内部の合意形成には至っておりません」
一枚、紙がめくられる。
「これに伴い、ギルド運営ならびに評議会の職責の継続が困難と判断し、連盟は所定の規則に則り、同ギルドを評議会入りギルドより除名いたしました」
《スライム狩り》も黙って聞いていた。
「欠員となる一枠には、連盟より、ギルド《ヤドリギ》を推薦いたします。本日は、その加入認証をお諮りいたします」
フギンが書類を閉じ、一礼して下がる。
入れ替わったムニンの両手には、一枚の書面が載せられていた。
折れも、汚れもない紙面。
上部に記された《ヤドリギ》の名と、その下に並ぶ押印欄が、卓の中央へ差し出される。
脇には、小さな印台が添えられた。
評議員三名の押印を経て、立会人の第三王子が認証し、連盟長が受諾する。
その最初の一人へ、ムニンが顔を向けかけた。
椅子を引く音がした。
「殿下?」
ヘンリエットが立会人席を離れ、卓へ歩いてくる。
書面を覗き込み、懐から印を取り出した。
「坊ちゃま」
執事長の声に、王子は笑ってみせた。
まだ誰の印もない紙面へ、最初の一印が落ちる。
「うむ」
印を上げ、満足そうに頷いた。
「《スライム狩り》、余の期待を裏切るでないぞ」
「……ありがとうございます?」
目をぱちぱちさせる男の向かいで、カスティリアーノが立ち上がった。
「くかか! 先を越されてしまったな!」
自らの印を、迷いなく押す。
二つ目。
椅子の音が重なった。
《竜殺し》は書面へ目を落とし、それから一度だけ《スライム狩り》を見た。
何も言わず、印を押した。
三つ目。
レオナールは座ったまま、並んだ印を見ていた。
視線が小袋へ移り、それを持ってきた男へ戻る。
やがて、席を立った。
「この先の貴公の国家への貢献を期待する」
「――はい」
《王権》の印が、最後の空欄へ落ちた。
王家。《堅城》。《竜殺し》。そして、《王権》。
サミラはその順に目を走らせる。
「……これでは、順序が」
隣のムニンも書面を見たまま、動かない。
サミラは一度息を吐き、書面を自らの前へ引き寄せた。
「ギルド《ヤドリギ》ギルド長様」
「はい」
《スライム狩り》が姿勢を正す。
「ただいまをもちまして、ギルド《ヤドリギ》のギルド連盟評議会への加入を、正式に認めます」
受諾した書面をムニンへ預け、サミラは卓を見渡した。
「なお、先ほど報告のありました特異個体ならびに変異体については、国家防衛上、看過できない事案として、連盟にて正式に取り扱います」
レオナールが頷く。
カスティリアーノも、もう脇へ置いた書類を開こうとはしなかった。
「早急に改めて評議会を招集し、各地の主要ギルド長にも出席を要請いたします。観測記録を共有の上、今後の調査ならびに具体的な対策を協議するものとします」
サミラが立会人席へ向き直る。
「ヘンリエット殿下。本日はご臨席ならびにお立会いを賜り、厚く御礼申し上げます」
王子が小さく頷いた。
「以上をもちまして、本日の議事はすべて終了いたしました。これにて、ギルド連盟評議会を閉会いたします」
四人のギルド長が席を立つ。
最初に動いたのは、カスティリアーノだった。
立会人席へ右手を胸に当て、一礼する。
「ヘンリエット殿下。本日はお立会い、感謝申し上げます」
「うむ。大儀であった」
次いで、サミラへ向き直った。
「サミラ女史」
「はい」
ムニンの手に渡った書面へ、目をやる。
「あなたが推薦するだけの逸材のようですな、あの男は」
「――ありがとうございます」
「がっはっは! 次は遅刻せんよう、よく言い聞かせておいてくだされ!」
笑い声を残し、二人の随行者を伴って議場を出た。
《竜殺し》も席を離れる。
ヘンリエットへ一礼し、サミラへわずかに頭を下げた。
ギャヴェンがその後ろに続く。
扉へ手をかける直前、足が止まった。
振り返った先に、レオナールがいた。
言葉はない。
レオナールの厳格な表情が、ほんのわずかに和らいだ。
《竜殺し》は再び前を向き、議場を後にする。
閉じた扉を、《スライム狩り》はしばらく見つめていた。
(……あれが、現《竜殺し》さん)
初めて間近で見た、現代最強の冒険者の一角。
その姿が消えても、目はなかなか離れなかった。
「ギルド長」
「あ、はいはい」
ミルヴスに促され、慌てて立会人席へ頭を下げる。
「ヘンリエット殿下。ありがとうございました」
「うむ。また会おうぞ、《スライム狩り》」
「はい」
続いて、サミラへ向き直った。
「サミラさんも、ありがとうございました」
「次回は定刻までにお越しください」
「……はい」
今度は少し深く頭を下げた。
ミルヴスが無言で背中を押す。
「では、失礼します」
扉が閉じた。
最後に残ったギルド長が、静かに席を離れる。
「《王権》レオナール」
ヘンリエットの声に、足が止まった。
「何でしょう、殿下」
王子は、空いたばかりの席へ目をやった。
「お前は――あの男をどう見た?」
サミラも顔を上げる。
レオナールは閉ざされた扉を見つめていた。
しばしの沈黙の後、その口が静かに開く。
*
ギルド連盟総本部の重厚な扉を抜けた瞬間、《スライム狩り》は大きく両腕を伸ばした。
「あー、流石にちょっと疲れましたねー! おや?」
階段の下で、先に議場を後にしたはずの二人が、こちらを見上げていた。
エラノイデスとエラヌス。《テオドシウス》第一方守護隊の隊長と副隊長であり――ミルヴスの兄たちである。
もちろん、《スライム狩り》はそんなことを知らない。
「あれ? さっき後ろにいた人たちですよね。忘れ物ですか?」
「……いえ、ギルド長」
ミルヴスが小さく息を吐いた。
二人の顔を見て、何かを察したらしい。
「あー……ギルド長。先に行っててください」
「え? でも」
「すぐ追いつきます」
「そうです? じゃ、お先にー」
ぺこりと頭を下げ、《スライム狩り》は一人で歩き出した。
その背中が十分に離れたところで、エラヌスが口を開く。
「相変わらずだなぁ、ミルヴェスト」
「何が」
「お兄ちゃんたちを見つけて、嬉しそうな顔できないのか?」
「……してたよ」
「してないって」
エラノイデスが、弟の顔をまじまじと見た。
「……してたのか?」
ミルヴスは露骨に嫌そうな顔をした。
「……何しに待ってたんだよ」
エラノイデスは答えず、遠ざかっていく《スライム狩り》の背中を見る。
「良いギルド長だな」
ミルヴスの表情が、わずかに緩んだ。
「まあね」
「お前があそこにいる理由も、少し分かった」
それだけ言うと、エラノイデスは弟の肩を一度叩いた。
「またな、ミルヴェスト」
「うん。また」
二人と別れ、ミルヴスは足を速めた。
少し先では、《スライム狩り》がすでに立ち止まっている。
「あ、《スライム狩り》さん! 今日はスライム狩らないの?」
道端から声が飛ぶ。
「今日はもう仕事したので、狩りませんよー」
「《スライムの人》!」
今度は子どもの声。
「はい、《スライムの人》ですよー」
駆け寄ってきた子どもと手を合わせる。
市場へ入れば、今度はパン屋の店主が店先から顔を出した。
「ギルド長さん! ちょうどいいところに。これ持ってってください」
紙袋を押しつけられる。
「え、いいんですか?」
「昨日の残りですけどね。ギルドのみんなでどうぞ」
「ありがとうございます! みんな喜びます」
「ギルド長」
足早に追いついてきたミルヴスを、《スライム狩り》が振り返る。
にこりと笑った。
「用事は終わりましたか、ミルヴスくん?」
そう言って、紙袋からパンを一つ取り出し、差し出した。
「……はい」
ミルヴスはそれを受け取り、隣に並んだ。
二人になってからも、足は何度も止まった。
声をかけられ、頭を下げ、時にはどうでもいい世間話に捕まる。
そんな帰り道の途中。
「あれ? ギルド長?」
聞き慣れた声に振り向く。
昼食を終えたらしいリナとエレナ、それにトウマが向こうから歩いてきていた。
「おー。三人とも、お昼ですか?」
「はい。ギルド長は……評議会でしたよね?」
「そうなんですよー。もう大変でした」
「遅刻したんですか?」
エレナが即座に聞いた。
「……なんで分かったんです?」
「ギルド長だからです」
「ひどい」
トウマが吹き出し、リナも笑う。
「笑い事じゃないからな」
ミルヴスが呆れたように言う。
「ちゃんと間に合うつもりだったんですよ?」
「間に合ってないだろ」
五人分の笑い声が、昼下がりの通りに混ざっていく。
評議会のこと。昼食のこと。パン屋でもらったパンのこと。
取り留めのない話をしながら歩くうちに、《ヤドリギ》の看板が見えてきた。
もう目と鼻の先というところで、《スライム狩り》の足が止まった。
「……」
何も言わずに顔を上げる。
街の向こう――関所のある方角を、見ていた。
「どうしたんですか?」
リナが尋ねる。
返事はない。
リナとエレナ、トウマが目を見合わせる。
ミルヴスだけは何も言わず、同じ方角へ目を向けた。
「ギルド長?」
もう一度呼ばれ、《スライム狩り》が瞬きをした。
「……あ」
三人の視線に気づき、いつものように笑う。
「すみません。なんでもないです」
そう言って、再び歩き出した。
「ほら、帰りましょう。せっかくパンも貰いましたし」
「それ、ギルド長が一人で食べないでくださいよ?」
「食べませんよ!」
「どうだか」
「エレナちゃんまで!」
再び、賑やかな声が戻ってくる。
《ヤドリギ》の扉が開き――
五人は、いつものギルドへと帰っていった。
*
その男は臆病者だ。
だからこそ、傷つくことを正しく恐れることができる。
その男は臆病者だ。
だからこそ、他人の死を許すことなどできない。
その男は臆病者なので、憧れた《竜殺し》のように竜種の討伐はできていない。
その男は臆病者なので、誰もが抱えられるリスクの中で、安全に、自由に冒険できることを希う。
冒険者Lv7。
ギルド《ヤドリギ》を率いるギルド長であり、つい先日、ギルド連盟評議会入りを果たした。
二つ名は《スライム狩り》。
討伐魔物数31,206体。うち、スライムの討伐数31,206体。
「あれー? ギルド長?」
ある朝、リナがギルドの廊下を急ぎながら、その男を探していた。
「こら、走らないのー」
「ギルド長なら外に行ったぞ」
「外? 外って?」
リナはギルドを飛び出し、関所へ向かった。
外から戻ったその男が、門番と談笑している。その手には、事切れたスライム。
討伐魔物数(スライム討伐数)31,207体。
「おや、リナさん、おはようございますー!」
「おはようございます! じゃなくって、ミルヴスさんが呼んでますよー!」
「ミルヴスくんが?! 嫌な予感がしてきましたねぇ。急ぎます!」
そう言って、ギルドへ走り出す。
ローブの裾がはためいた。
その背中はどこか頼りなくて、威厳なんてほとんど感じない。でも、なぜかあの人となら、これからも冒険者を続けていけるような気がしている。
「うちのギルド長は――」
うちのギルド長が高レベル冒険者なのにスライムしか狩らない。




