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うちのギルド長が高レベル冒険者なのにスライムしか狩らない。

 ギルド連盟総本部、大会議室。

 扉の横には「使用中」の札が掛けられている。廊下を行く職員は、その前だけ声を落とした。


 議場では、紙を揃える音がよく響いた。

 卓に向かうギルド長たちの背後には、随行者が控えている。椅子は一つ、まだ空いていた。


「此度の遠征は、本当にお見事でしたね」


 37歳にしてギルド連盟を率いるサミラが、右手の席へ声をかける。


「……任務をこなした。それだけだ」


 《バルムンク》のギルド長、現《竜殺し》。

 Lv9。名実ともに、現代最強の冒険者の一角を占める男だ。その左後ろには、遠征のたびに帯同する精鋭部隊「黒檀」の隊長、ギャヴェンが立っていた。


 向かいでは、一人の男が書類に目を通している。

 国家の主要危険区域二方を守護する《テオドシウス》。そのギルド長、Lv8冒険者カスティリアーノ――《堅城》だった。


 傍らに控えるのは、セルヴァン伯爵家の長兄エラノイデスと、三男エラヌス。

 エラヌスは会場の端へ目をやり、口元を緩めている。


 その先で、《ヤドリギ》のミルヴスが額に汗を浮かべていた。


 扉が開く。

 甲冑の擦れる音に続き、仕立てのよいスーツをまとった男が入ってきた。


「定刻前とはいえ、遅くなったことをお詫びしよう」


 王家を守護する《ロイヤルナイツ》のギルド長にして、公爵家の当主。

 レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア公。

 もう一人のLv9冒険者が席に着くと、カスティリアーノの書類をめくる手も止まった。


 王家守護の権利を認められた証、二つ名《王権》。


 サミラの背後には、補佐を務める双子の職員、フギンとムニンが控えている。普段はギルド受付に立つ二人も、今は口を開かない。

 後方の立会人席には、王家第三王子と執事長が着いていた。


 隣室のものだろうか。時計の音が、壁越しに届く。

 サミラは空席を一度見て、腕時計へ目を落とした。

 ミルヴスは顔を伏せたまま、直立している。


「――では、定刻となりましたので、これより議会を――」

「こ、こんにちは~。間に合っては……無いですよね」


 開いた扉から、困ったように笑う男が顔を出した。

 何度も頭を下げながら空席へ向かう。その足音を、誰も声で遮らなかった。


「……なんだ、あれは」


 ギャヴェンの低い声が、卓の向こうまで届いた。

 レオナールは入ってきた男を見たまま、動かない。


「それでは、これよりギルド連盟評議会を開会します」

「あ、あの……」


 遅れてきた男は、背後のミルヴスにだけ聞こえる声で囁いた。


「本当に反省してるので、見えないように背中ゴリゴリするの、やめてもらえますか? ミルヴスくん」

「黙れ」

「はい……」


 サミラが立ち上がる。


「皆様をご紹介いたします。まずは、本評議会の立会人であらせられる、王家第三王子ヘンリエット様」


 後方へ向き直る動きに合わせ、ギルド長たちが席を立った。

 随行者たちも姿勢を正す。


「ギルド長、立って。ビシッとして」


 小突かれた男も慌てて立ち、皆に倣って右手を胸に当てた。

 深く、頭を下げる。


「皆様、ご着席を」


 四人が腰を下ろす。背後の随行者は、立ったままだった。

 サミラの右手が、卓の一角を示す。


「ギルド《バルムンク》より、ギルド長様ならびに黒檀隊隊長ギャヴェン様」


 ギャヴェンが右手を胸に当て、先ほどより浅く一礼する。


「ギルド《テオドシウス》より、ギルド長様ならびに第一方守護隊長様、副守護隊長様」


 エラヌスの口元からも、もう笑みは消えていた。


「ギルド《ロイヤルナイツ》より、ギルド長様ならびに近衛長様」


 レオナールが浅く会釈する。

 サミラの手が、最後の席へ移った。


「ギルド《ヤドリギ》より、ギルド長様ならびに索敵班主任様」

「あっははー、よろしくお願いします。改めまして、遅れて申し訳ありませんでした」


 男がまた頭を下げる。

 その後ろで、ミルヴスの眉間に寄っていた皺が少し緩んだ。


「ほぉ。君が《ヤドリギ》のギルド長……《スライム狩り》か」


 カスティリアーノが、卓に肘を寄せた。


「おい、あの男は《スライム狩り》と呼ばれておるのか?」

「左様でございます、お坊ちゃま」


 立会人席の声が、そのまま議場へ通る。

 《スライム狩り》がそちらへ曖昧に笑い返しかけた時、レオナールが口を開いた。


「貴公は――何故この席に着いていると考えているのかな?」


 《スライム狩り》の動きが止まる。

 レオナールは卓上の書類には手を伸ばさず、返答を待っていた。


「難しい質問ですね。あー、えっと……何とお呼びすれば?」


 《スライム狩り》が、遠慮がちにレオナールへ顔を向ける。


「レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア」

「あ、ありがとうございます! レオ、レオナール・ド……レオナルド」

「失礼極まる!」


 ギャヴェンの怒声に、ミルヴスの肩が跳ねた。


「この方は《王権》、レオナール・アルヴェイン・ド・モンレシア公にあらせられる!」

「よい」


 レオナールが静かに制する。


「好きに呼べ。それより、質問に疾く答えていただこう。《スライム狩り》殿」


 ぱっと、男の顔が明るくなった。


「では、《王権》さん!」

「お、《王権》……さん?」


 一拍、返事が途切れる。


「……よい。続けたまえ」


 レオナールは眉間へ指を当てた。

 《スライム狩り》はほっとしたように笑う。


「《王権》さんが意図したところは分かりません。選定基準については、正直、僕自身が疑問ですし。なんなら辞退したか――」


 背中で、ドン、と鈍い音がした。

 男の身体がわずかに前へ揺れる。


「……ただ、ここに来た意味でしたら」


 少しだけ、考える。


「冒険者たちが自由に、なるべく安全に家族の元へ帰る」


 レオナールの手が、眉間から離れた。


「勇敢に戦って亡くなった人たちから学んで、次の人はちゃんと帰れるようにする」


 男の声は、先ほどと変わらない。


「冒険者が、冒険者として歩み続けられるようにする」


 少し首を傾げた。


「んーと……そんな感じじゃないでしょうか?」

「くっ、くかか」


 カスティリアーノが喉を鳴らす。

 《竜殺し》は何も言わない。椅子に深く腰かけたまま、《スライム狩り》を真っ直ぐに見ていた。


「ありがとうございます、《ヤドリギ》ギルド長様。レオナール公、進行させていただいてもよろしいですね?」


 レオナールが小さく頷いた。

 サミラは手元の書類へ目を戻す。


「それでは――」

「あ、ちょっといいですか?」


 ぴんと、手が挙がっていた。


「ここは学び舎ではありません。何でしょう、《ヤドリギ》ギルド長様?」

「すみません。ちょっと分析を進めていたものがありまして、その結果が出たので」


 《スライム狩り》が申し訳なさそうに頭を掻く。


「まぁ、そのせいでちょっと遅刻しちゃったんですけども」


 懐から取り出した小袋を、卓へ置いた。

 袋の中で、結晶と見紛うほど小さな何かが煌めいている。


「最近、冒険者たちの行動区域内で、特異個体と変異体が頻繁に確認されています」


 ギャヴェンが自らのギルド長を窺い、小さく手を挙げた。


「《スライム狩り》殿。『特異個体』と『変異体』、その区別を伺いたい」

「簡単に説明しますね」


 《スライム狩り》は小袋から手を離した。


「どちらも、生まれ持った性質の異常や、環境の急激な変化への適応などで起こる変異現象です。この二つを分けるのは、簡単に言えば分母です」

「ふむ?」

「変異体は、一体だけではなく、主に群れや集団の単位で発生します。稀に、特定の一族だけに現れることもあります」


 人差し指で、卓の上に小さな輪を描く。


「その変化が環境に適していて、世代を越えて定着していけば、やがて元の魔物とは別の種として分類されるようになります」

「では、特異個体は?」

「発生する原因のほとんどが、まだ解明されていません。そして、ほとんどの場合は元の個体より劣化します。身体が弱かったり、生存に適さない特徴を持っていたり。すぐに死んでしまうか、周囲の魔物に捕食されるんです」


 輪を描いていた指が、止まった。


「ただ、ごく稀に、元の個体が持つ特性からは到底考えられないような、特殊な変異を起こすことがあります」

「それが、危険な特異個体か」

「はい。ただし、特異個体だから危険なのではありません。ほとんどは弱くなって消えていく。その中に、ごく稀に、とんでもないものが混ざるんです」


 小袋を持ち上げる。


「これは、スライムの特異個体から採取した分泌物の結晶です」

「がっはっは! ここでスライムか! 二つ名に恥じぬな、《スライム狩り》殿!」


 カスティリアーノが豪快に笑った。

 《スライム狩り》は気にした様子もなく、袋を卓へ戻す。


「この個体は、通常のスライムに見られる行動特性が、かなり薄くなっていました。代わりに見られたのが、対象への強い執着性。それから、自ら動きを止めて、相手の警戒が解けるのを待つ行動です」


 笑い声が途切れた。


「十分に近づいたところで、体内から針状の器官を伸ばして刺す。その先端からは、致死性の高い毒が分泌されていました」


 ギャヴェンの視線が、小袋へ落ちる。

 カスティリアーノは手元の書類を閉じ、脇へ置いた。

 卓の上で、小さな結晶が光を返した。


「続けてもいいです?」


 サミラは頷いた。


「お続けください」

「さらに、フリーボアの変異体コミュニティを発見しています。こちらはミルヴスくんを主体に観察を行いました」


 背後のミルヴスが一礼する。


「単独で行動していたので、最初は特異個体の可能性を疑いました。その後、僕自身も追跡調査を行って、コミュニティを発見。規模は小さいものでしたが、十一体のうち九体に、これまでのフリーボアには見られなかった行動が観測されました」


 レオナールが、小袋から男の顔へ視線を戻した。


「実は僕、以前から特異個体について一つ疑問がありました。幸運にも今回、変異体のコミュニティを発見できたことで、ある仮説を立てました」

「……その仮説とは?」


 隣から、低い声がした。

 《竜殺し》だった。


 《スライム狩り》はそちらへ顔を向け、いつもの調子で答える。


「特異個体は、人間の索敵では――元の個体と識別できないのではないか、という仮説です」


 時計の音が、また耳についた。


「このスライムは、僕の索敵では、どこにでもいる普通のスライムの一体として観測されました。実際の行動を観察して、初めて違いに気づいたんです」


 小袋を指し、それからミルヴスを振り返る。


「ところが、フリーボアの変異体の群れを索敵した時には、別種の群れの中に、通常のフリーボアが混ざっているように観測されました」

「別種、か」


 カスティリアーノが呟く。


「はい。ただ、僕の索敵はそこまで精度が高くありません。なので、ミルヴスくんにも何度か〈視〉てもらいました」


 ミルヴスが静かに頷く。

 さっきまで汗をかいていた男へ、ギルド長たちの目が向いた。


「結果は同じです。変異体は、通常個体とは異なるものとして、索敵でも明確に識別できました」


 《スライム狩り》は、再び小袋へ目を戻す。


「でも――特異個体の方は、僕にはできなかった」

「セルヴァン家の索敵能力は、国内でも群を抜いている」


 カスティリアーノの声から、笑いが消えていた。


「こと索敵精度に関して、ミルヴェスト殿を超える者はおらんだろう。変異体の観測結果は、確かなものとして扱ってよかろう」


 エラノイデスがわずかに口元を緩める。

 隣のエラヌスは、誇らしげな笑みを隠そうともしなかった。

 向かいに立つミルヴスは、気づかないふりをした。


「ふーむ。《スライム狩り》よ。つまり、国家にとってどういうことじゃ?」


 立会人席から、ヘンリエットが身を乗り出した。

 《スライム狩り》は少し考える。


「この仮説が正しければ、人間の防衛網を掻い潜って、とんでもない変異を遂げた個体が――」


 顔を上げる。


「関所の向こうで手を振っていても、僕たちには、索敵だけでそれを特定する術がない。ということです」


 サミラは書類の上へ置きかけた手を止めた。

 レオナールは背後の近衛長へ一度だけ目を向け、すぐに《スライム狩り》へ視線を戻した。


「つまり、どうしたいのじゃ。《スライム狩り》」

「え?」


 男が、きょとんとした。


「は?」


 今度はヘンリエットが目を丸くする。

 《スライム狩り》は小袋を見てから、居並ぶギルド長たちの顔を順に見た。


「えっと……みんなにも、これから気をつけてほしいなーって」


 返事はなかった。

 サミラが、ゆっくりと眉間を押さえる。


「ぷっ」


 立会人席から、小さな音が漏れた。


「ぶはっ。あははははっ!」


 ヘンリエットが腹を抱えて笑い出す。


「おい、じぃ。私はあの男が気に入ったぞ!」

「坊ちゃま、公の場にございます」

「あっははは! これは失礼」


 目尻を指で拭い、王子は椅子へ深く座り直した。


「続けてくれ、冒険者諸君」


 《スライム狩り》はまだ、首を傾げている。

 その背後で、ミルヴスが深く息を吐いた。


「それでは、本日の本題に移ります。フギン、ムニン」

「はい」


 二人の声が重なった。

 フギンが一礼して前へ出る。開かれた書類へ、議場の視線が戻った。


「先日、評議会入りギルド《ステラヴィア》の現ギルド長デネピア様が、長期療養に入られました。後任の選出についても、現在までギルド内部の合意形成には至っておりません」


 一枚、紙がめくられる。


「これに伴い、ギルド運営ならびに評議会の職責の継続が困難と判断し、連盟は所定の規則に則り、同ギルドを評議会入りギルドより除名いたしました」


 《スライム狩り》も黙って聞いていた。


「欠員となる一枠には、連盟より、ギルド《ヤドリギ》を推薦いたします。本日は、その加入認証をお諮りいたします」


 フギンが書類を閉じ、一礼して下がる。

 入れ替わったムニンの両手には、一枚の書面が載せられていた。


 折れも、汚れもない紙面。

 上部に記された《ヤドリギ》の名と、その下に並ぶ押印欄が、卓の中央へ差し出される。

 脇には、小さな印台が添えられた。


 評議員三名の押印を経て、立会人の第三王子が認証し、連盟長が受諾する。

 その最初の一人へ、ムニンが顔を向けかけた。


 椅子を引く音がした。


「殿下?」


 ヘンリエットが立会人席を離れ、卓へ歩いてくる。

 書面を覗き込み、懐から印を取り出した。


「坊ちゃま」


 執事長の声に、王子は笑ってみせた。

 まだ誰の印もない紙面へ、最初の一印が落ちる。


「うむ」


 印を上げ、満足そうに頷いた。


「《スライム狩り》、余の期待を裏切るでないぞ」

「……ありがとうございます?」


 目をぱちぱちさせる男の向かいで、カスティリアーノが立ち上がった。


「くかか! 先を越されてしまったな!」


 自らの印を、迷いなく押す。

 二つ目。


 椅子の音が重なった。

 《竜殺し》は書面へ目を落とし、それから一度だけ《スライム狩り》を見た。

 何も言わず、印を押した。


 三つ目。


 レオナールは座ったまま、並んだ印を見ていた。

 視線が小袋へ移り、それを持ってきた男へ戻る。


 やがて、席を立った。


「この先の貴公の国家への貢献を期待する」

「――はい」


 《王権》の印が、最後の空欄へ落ちた。


 王家。《堅城》。《竜殺し》。そして、《王権》。

 サミラはその順に目を走らせる。


「……これでは、順序が」


 隣のムニンも書面を見たまま、動かない。

 サミラは一度息を吐き、書面を自らの前へ引き寄せた。


「ギルド《ヤドリギ》ギルド長様」

「はい」


 《スライム狩り》が姿勢を正す。


「ただいまをもちまして、ギルド《ヤドリギ》のギルド連盟評議会への加入を、正式に認めます」


 受諾した書面をムニンへ預け、サミラは卓を見渡した。


「なお、先ほど報告のありました特異個体ならびに変異体については、国家防衛上、看過できない事案として、連盟にて正式に取り扱います」


 レオナールが頷く。

 カスティリアーノも、もう脇へ置いた書類を開こうとはしなかった。


「早急に改めて評議会を招集し、各地の主要ギルド長にも出席を要請いたします。観測記録を共有の上、今後の調査ならびに具体的な対策を協議するものとします」


 サミラが立会人席へ向き直る。


「ヘンリエット殿下。本日はご臨席ならびにお立会いを賜り、厚く御礼申し上げます」


 王子が小さく頷いた。


「以上をもちまして、本日の議事はすべて終了いたしました。これにて、ギルド連盟評議会を閉会いたします」


 四人のギルド長が席を立つ。


 最初に動いたのは、カスティリアーノだった。

 立会人席へ右手を胸に当て、一礼する。


「ヘンリエット殿下。本日はお立会い、感謝申し上げます」

「うむ。大儀であった」


 次いで、サミラへ向き直った。


「サミラ女史」

「はい」


 ムニンの手に渡った書面へ、目をやる。


「あなたが推薦するだけの逸材のようですな、あの男は」

「――ありがとうございます」

「がっはっは! 次は遅刻せんよう、よく言い聞かせておいてくだされ!」


 笑い声を残し、二人の随行者を伴って議場を出た。


 《竜殺し》も席を離れる。

 ヘンリエットへ一礼し、サミラへわずかに頭を下げた。

 ギャヴェンがその後ろに続く。


 扉へ手をかける直前、足が止まった。


 振り返った先に、レオナールがいた。

 言葉はない。

 レオナールの厳格な表情が、ほんのわずかに和らいだ。


 《竜殺し》は再び前を向き、議場を後にする。


 閉じた扉を、《スライム狩り》はしばらく見つめていた。


 (……あれが、現《竜殺し》さん)


 初めて間近で見た、現代最強の冒険者の一角。

 その姿が消えても、目はなかなか離れなかった。


「ギルド長」

「あ、はいはい」


 ミルヴスに促され、慌てて立会人席へ頭を下げる。


「ヘンリエット殿下。ありがとうございました」

「うむ。また会おうぞ、《スライム狩り》」

「はい」


 続いて、サミラへ向き直った。


「サミラさんも、ありがとうございました」

「次回は定刻までにお越しください」

「……はい」


 今度は少し深く頭を下げた。

 ミルヴスが無言で背中を押す。


「では、失礼します」


 扉が閉じた。


 最後に残ったギルド長が、静かに席を離れる。


「《王権》レオナール」


 ヘンリエットの声に、足が止まった。


「何でしょう、殿下」


 王子は、空いたばかりの席へ目をやった。


「お前は――あの男をどう見た?」


 サミラも顔を上げる。

 レオナールは閉ざされた扉を見つめていた。

 しばしの沈黙の後、その口が静かに開く。


*


 ギルド連盟総本部の重厚な扉を抜けた瞬間、《スライム狩り》は大きく両腕を伸ばした。


「あー、流石にちょっと疲れましたねー! おや?」


 階段の下で、先に議場を後にしたはずの二人が、こちらを見上げていた。

 エラノイデスとエラヌス。《テオドシウス》第一方守護隊の隊長と副隊長であり――ミルヴスの兄たちである。


 もちろん、《スライム狩り》はそんなことを知らない。


「あれ? さっき後ろにいた人たちですよね。忘れ物ですか?」

「……いえ、ギルド長」


 ミルヴスが小さく息を吐いた。


 二人の顔を見て、何かを察したらしい。


「あー……ギルド長。先に行っててください」

「え? でも」

「すぐ追いつきます」

「そうです? じゃ、お先にー」


 ぺこりと頭を下げ、《スライム狩り》は一人で歩き出した。


 その背中が十分に離れたところで、エラヌスが口を開く。


「相変わらずだなぁ、ミルヴェスト」

「何が」

「お兄ちゃんたちを見つけて、嬉しそうな顔できないのか?」

「……してたよ」

「してないって」


 エラノイデスが、弟の顔をまじまじと見た。


「……してたのか?」


 ミルヴスは露骨に嫌そうな顔をした。


「……何しに待ってたんだよ」


 エラノイデスは答えず、遠ざかっていく《スライム狩り》の背中を見る。


「良いギルド長だな」


 ミルヴスの表情が、わずかに緩んだ。


「まあね」

「お前があそこにいる理由も、少し分かった」


 それだけ言うと、エラノイデスは弟の肩を一度叩いた。


「またな、ミルヴェスト」

「うん。また」


 二人と別れ、ミルヴスは足を速めた。


 少し先では、《スライム狩り》がすでに立ち止まっている。


「あ、《スライム狩り》さん! 今日はスライム狩らないの?」


 道端から声が飛ぶ。


「今日はもう仕事したので、狩りませんよー」

「《スライムの人》!」


 今度は子どもの声。


「はい、《スライムの人》ですよー」


 駆け寄ってきた子どもと手を合わせる。


 市場へ入れば、今度はパン屋の店主が店先から顔を出した。


「ギルド長さん! ちょうどいいところに。これ持ってってください」


 紙袋を押しつけられる。


「え、いいんですか?」

「昨日の残りですけどね。ギルドのみんなでどうぞ」

「ありがとうございます! みんな喜びます」


「ギルド長」


 足早に追いついてきたミルヴスを、《スライム狩り》が振り返る。

 にこりと笑った。


「用事は終わりましたか、ミルヴスくん?」


 そう言って、紙袋からパンを一つ取り出し、差し出した。


「……はい」


 ミルヴスはそれを受け取り、隣に並んだ。


 二人になってからも、足は何度も止まった。


 声をかけられ、頭を下げ、時にはどうでもいい世間話に捕まる。


 そんな帰り道の途中。


「あれ? ギルド長?」


 聞き慣れた声に振り向く。


 昼食を終えたらしいリナとエレナ、それにトウマが向こうから歩いてきていた。


「おー。三人とも、お昼ですか?」

「はい。ギルド長は……評議会でしたよね?」

「そうなんですよー。もう大変でした」

「遅刻したんですか?」


 エレナが即座に聞いた。


「……なんで分かったんです?」

「ギルド長だからです」

「ひどい」


 トウマが吹き出し、リナも笑う。


「笑い事じゃないからな」


 ミルヴスが呆れたように言う。


「ちゃんと間に合うつもりだったんですよ?」

「間に合ってないだろ」


 五人分の笑い声が、昼下がりの通りに混ざっていく。


 評議会のこと。昼食のこと。パン屋でもらったパンのこと。

 取り留めのない話をしながら歩くうちに、《ヤドリギ》の看板が見えてきた。


 もう目と鼻の先というところで、《スライム狩り》の足が止まった。


「……」


 何も言わずに顔を上げる。

 街の向こう――関所のある方角を、見ていた。


「どうしたんですか?」


 リナが尋ねる。


 返事はない。

 リナとエレナ、トウマが目を見合わせる。

 ミルヴスだけは何も言わず、同じ方角へ目を向けた。


「ギルド長?」


 もう一度呼ばれ、《スライム狩り》が瞬きをした。


「……あ」


 三人の視線に気づき、いつものように笑う。


「すみません。なんでもないです」


 そう言って、再び歩き出した。


「ほら、帰りましょう。せっかくパンも貰いましたし」

「それ、ギルド長が一人で食べないでくださいよ?」

「食べませんよ!」

「どうだか」

「エレナちゃんまで!」


 再び、賑やかな声が戻ってくる。


 《ヤドリギ》の扉が開き――


 五人は、いつものギルドへと帰っていった。


*


 その男は臆病者だ。

 だからこそ、傷つくことを正しく恐れることができる。


 その男は臆病者だ。

 だからこそ、他人の死を許すことなどできない。


 その男は臆病者なので、憧れた《竜殺し》のように竜種の討伐はできていない。


 その男は臆病者なので、誰もが抱えられるリスクの中で、安全に、自由に冒険できることを希う。


 冒険者Lv7。


 ギルド《ヤドリギ》を率いるギルド長であり、つい先日、ギルド連盟評議会入りを果たした。


 二つ名は《スライム狩り》。


 討伐魔物数31,206体。うち、スライムの討伐数31,206体。


「あれー? ギルド長?」


 ある朝、リナがギルドの廊下を急ぎながら、その男を探していた。


「こら、走らないのー」

「ギルド長なら外に行ったぞ」

「外? 外って?」


 リナはギルドを飛び出し、関所へ向かった。

 外から戻ったその男が、門番と談笑している。その手には、事切れたスライム。


 討伐魔物数(スライム討伐数)31,207体。


「おや、リナさん、おはようございますー!」

「おはようございます! じゃなくって、ミルヴスさんが呼んでますよー!」

「ミルヴスくんが?! 嫌な予感がしてきましたねぇ。急ぎます!」


 そう言って、ギルドへ走り出す。

 ローブの裾がはためいた。


 その背中はどこか頼りなくて、威厳なんてほとんど感じない。でも、なぜかあの人となら、これからも冒険者を続けていけるような気がしている。


「うちのギルド長は――」


 うちのギルド長が高レベル冒険者なのにスライムしか狩らない。

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