あそこのギルド長が
「やったー! これで私もLv.1冒険者だぁー!」
ギルド連盟の受付ロビーに、甲高い声が響いた。
ただでさえ嫌いな場所なのに、騒々しい。ひよっこは黙って、簡単な依頼だけやってろってんだ。
「あ、すみません。もし良かったら、この依頼一緒にって――なんだ、野良かよ」
「野良がこんなとこウロつくなよ。まじ時間の無駄」
勝手に話しかけてきた二人組が、勝手に顔をしかめて去っていく。
胸元には連盟の登録章。その隣に所属ギルドの紋章。
オレには、どっちもない。
「群れなきゃ探索にも出らんねぇ腰抜け共が」
掲示板の端へ向き直る。
未登録者が受けられるのは、引き受け手のつかなかった仕事の一部だけだ。安い、汚れる、時間がかかる。登録冒険者が敬遠した依頼が、一般公募へ回ってくる。
実力の保証も補償もない。受けるなら自己責任。
それで採って、狩って、食っているオレらを、世間じゃ野良冒険者と呼ぶ。
「――相変わらず、しけてやがる」
角の破れた依頼書を剥ぎ取った。
この中じゃ拘束時間が短い。個人でもこなせる。選ぶ理由はそれで十分だ。
肩のクロスボウが、軋んだ音を立てた。古い弦へ指を滑らせ、掛け直す。こいつを手放す気はねぇ。だが、弦を直すにも金が要る。
「おや、エルド様。今日も依頼受諾ですか?」
受付の男が、仮面みたいな笑顔で迎えた。
オレが来ると、決まってこいつだ。あっちの女の方がまだましなのに。
「うるせぇよ。さっさと処理しやがれ」
「はいー。今回もおひとりですか? こちらは討伐対象より、地形的に遭難の――」
「ギルド受付風情が、冒険者様に探索を説くんじゃねぇ!」
声がロビーに響いた。
地図を囲んでいた連中まで手を止める。その静けさの中で、男は笑顔のまま依頼書に印を押した。
「あっはー。全くもってその通りですね。受注処理しました。毎回申し上げていますが、一般公募は自己責任となります。どうかお気をつけて」
「……本当に気味が悪いぜ」
依頼書を取り返し、踵を返す。
背中に視線がまとわりつく。誰も何も言わねぇのが、なおさら気に食わなかった。
「……ムニンちゃーん、四条二項、連絡入れといてー」
背後から、間の抜けた声が聞こえた。
振り返らずに入口を抜ける。閉まる扉の音だけが、やけに大きかった。
* * *
とあるギルドの書斎で、電話が鳴った。
「おや、お世話様です。久しぶりですね、ムニンさん。ええ――ああ、そうですかぁ」
受話器を取った男が、傍らの羊皮紙へ書き留める。
黒衣の冒険者。単独。デルア森林南西部。
「はい、分かりました。いえいえ、これもこちらの仕事なので」
受話器を置くと、ちょうど廊下を通りかかった少女へ声をかけた。
「リナさーん! これ、至急ミルヴス君にお願いしますー」
「あ、え? はーい!」
新しくなった胸の紋章を揺らし、リナが書斎へ入ってくる。
差し出された走り書きを見ても、意味は分からない。
「これを、渡すだけ……で良いんですか?」
「はい。渡してもらえれば――大丈夫です」
男は柔らかく笑い、羊皮紙を託した。
* * *
デルア森林南西部。
頭上を枝葉が塞ぎ、街道の気配はもう遠い。太い幹の隙間を、蔦と低木が埋めていた。
「ったく、歩きづれぇな」
鉈で必要な分だけ蔦を払う。何本か進むごとに幹へ浅い傷をつけ、足元へ折った小枝を置いた。
振り返れば、目印はちゃんと見える。森は行きと帰りで景色が変わる。前だけ見てりゃ、帰れなくなる。
頭上で葉が揺れた。
半歩下がる。黒い影が、さっきまで頭のあった場所を掠めた。
「上から来るたぁ、いい性格してんな」
人の胴ほどもある大蜘蛛が、八本の脚を広げる。
鉈を放り、大蜘蛛の跳躍を横へかわした。すれ違いざまに短剣を抜き、脚を一本斬る。
落ち葉の上へ転がった隙にクロスボウを構え、頭部を射抜いた。
すぐには近づかない。脚の痙攣が止まるのを待ち、短剣の先でつつく。
反応なし。矢を抜き、矢尻を拭った。弦を引き直すと、硬い手応えが返ってくる。
「……まだいけんな」
鉈を拾い、来た道を見た。幹の傷は薄暗い奥まで続いている。
「遭難リスク、ねぇ」
鼻を鳴らし、先へ進んだ。
依頼は、森コウモリの女王一体の討伐と証明部位の回収。
日中は洞穴や木々の隙間に集まり、滅多なことでは人を襲わない下位魔物だ。女王がいて数が増えたところで、一匹ずつなら大した相手じゃねぇ。
「もうちょい北か」
地図で位置を確かめ、依頼書の端へ目を移した。注意書きらしい文字は、擦れた線が残るばかりだ。
紙を傾け、目を凝らす。それでも判別できない。
「……まともな紙ぐらい寄越せってんだ」
読める箇所をもう一度確かめてから、依頼書を畳んだ。
木々がまばらになり、地面から岩肌が突き出し始める。
斜面に開いた大穴を見つけ、オレは木陰へ身を寄せた。入口の岩には、古い爪痕が残っている。ワイズベアの巣だ。
中位魔物が掘って、棲み処を移した後。その空き家を、森コウモリが使っているらしい。
「……多くねぇか?」
一匹が飛び出す。しばらくして二匹が戻り、また一匹。
依頼書の調査数を思い返しながら、もう少し待つ。やっぱり多い。
女王がいて、これだけ広い巣があれば増える。調査してから、どれだけ放ったらかしにしてやがる。
腰を下ろし、荷物を広げた。
クロスボウの弦と残りの矢。刃こぼれのある短剣と鉈。水、包帯。
止血剤の容器を振ると、底でかすかな音がした。
「……一回分ってとこか」
女王を仕留めても、残った連中に囲まれるかもしれない。奥の広さも分からねぇ。
無理かと聞かれりゃ――。
「ギリギリだな」
容器をしまう。
ここで帰れば今日の稼ぎはゼロ。矢も使った。飯も食う。クロスボウも、そろそろ修理に出さなきゃならねぇ。
何より、この程度で引き返したと認めるのが嫌だった。
立ち上がりかけて、ふと手が止まる。
鉈を逆手に持ち、隠れていた木の幹へ刃を当てた。
一度、二度。最後に斜めへ一本。
剥がれた樹皮の下に、見覚えのある形が残った。
「……なんだっけな、これ」
昔、どこかで習った気がする。
少し眺めてから、鉈を腰へ戻した。
「縁起でもねぇ」
湿った冷気の流れる洞穴へ、クロスボウを構えて入った。
「――《気配抑制》」
光の届かなくなったところで、術を使う。
呼吸が浅くなり、脈が静まる。身体から熱が引いていくのを感じながら、一歩ずつ足場を選んだ。
横穴の多い、広い巣だった。
壁の窪みに数匹。奥の通路には、見張りらしい一匹が張りついている。
壁際を抜けかけると、その耳が動いた。
止まる。
耳が伏せられるまで待ち、また進む。
ここで殺して騒ぎを起こす必要はない。狙うのは女王だけだ。
通路の先が大きく開けた。
岩棚に、普通の個体の倍はある巨体が休んでいる。脚から伸びる爪は、暗がりでも赤い。
緋色の爪。女王だ。
近くに他の個体はいない。出入口に見張りが一匹。
先にあいつ。それから女王。
クロスボウを構え、術を解いた。
心臓が強く脈打つ。その一拍に合わせ、引き金を引く。
見張りの頭を矢が貫いた。落ちる音を待たず、岩陰から駆け出す。
「――もらった!」
女王が羽を広げるより早く懐へ入り、短剣を胴へ突き立てた。
「ギィィィィィィ――!」
耳の奥を殴りつけるような音が、洞穴に反響した。
顔を背けた隙に、女王の身体が浮く。振り下ろされた緋色の爪をかわすと、背後で岩が削れた。
「うるっせぇな!」
羽音が重なる。声を聞きつけた三匹が、通路から飛び込んできた。
一匹を短剣で叩き落とし、二匹目を壁へ蹴りつける。三匹目を追いかければ、女王に背を向ける。
追わない。
女王が、また口を開いた。
「二度もやらせるかよ!」
地面を蹴り、傷口へ刃をねじ込む。
羽に頬を打たれ、爪が肩を掠めた。浅い。短剣は離さねぇ。
「くたばれっ!」
体重を乗せて押し込むと、巨体が震えた。羽から力が抜け、女王が地面へ落ちる。
残った一匹にはクロスボウを向けた。射落としてから、ようやく息を吐く。
「……ギリギリじゃねぇか」
鼻で笑う。肩は血が滲んでいるが、止血剤を使うほどじゃない。
女王の脚を掴み、関節へ短剣を入れた。緋色の爪を一本、切り落とす。
これを持ち帰れば依頼は終わりだ。
袋へ収め、入口へ向き直った。
「…………あ?」
羽音がする。
来た道とは違う横穴から、重なり合う音が迫っていた。影が五つ。その後ろにも、まだいる。
入口で見た数とも、今倒した数とも合わない。
「……聞いてねぇぞ」
十を超える森コウモリが、暗闇から溢れ出した。
先頭へ短剣を振るう。浅い。横から来た爪を腕で庇った瞬間、柄が手から弾け飛んだ。
拾えば背中を晒す。クロスボウを引く暇もない。
「クソが!」
頭を守り、出口へ走る。
女王まで倒して、最後は逃げるだけ。情けねぇ。だが、死ぬよりましだ。
息が、戻らない。
長く抑えつけていた呼吸と脈が、走る身体についてこなかった。喉を鳴らして空気を吸い、どうにか外へ飛び出す。
「……あの木まで戻りゃあ」
見張っていた木に戻れば、自分の目印がある。
羽音を背に木々の間を抜けた。幹を見る。次の幹へ目を走らせる。
傷がない。
「待て……こっちじゃねぇ」
引き返そうと踏み込んだ土が、足元から崩れた。
「うおっ!?」
斜面を滑り、岩へ身体をぶつける。踏ん張った足に、鋭いものが突き抜けた。
「――っっ!」
底まで落ちてからも、すぐには動けなかった。
身体を起こす。裂けた靴底から、血が流れていた。
「……最悪だ」
足裏の深い傷へ、残りの止血剤を押し込む。歯を食いしばって包帯を巻き、血が収まるのを待った。
木に手をつき、立つ。
「――っぐぁ!」
一歩で膝が落ちた。足をつくと傷が開く。
森を抜けるまで、こんなことを繰り返せる距離じゃねぇ。
水はある。火も起こせる。クロスボウだって、まだ撃てる。
魔物が来りゃ戦える。
なのに、歩けない。
誰か一人でもいれば。
浮かんだ考えに、乾いた笑いが漏れた。
「……今さらかよ」
群れなきゃ出られねぇ腰抜け共。
ついさっき、自分が吐いた言葉だ。
袋を手繰り寄せる。女王の爪が、中で硬い音を立てた。
倒した。ちゃんと、オレ一人で。
木々の隙間では、日が傾き始めていた。
* * *
日が傾き、ヤドリギの待機室にも長い影が差していた。
ミルヴスが時計を確かめる。手元には、連盟から届いた羊皮紙。
予定帰還時刻を過ぎた。
「……はぁ。時間だ」
長机から身を起こす。その前には、装備を整えたギルド員たちが集まっていた。
「これより臨時クランを結成。任務は、遭難者と思われる冒険者の捜索、保護、帰還とする」
気怠げだった声が、短く引き締まる。
「クランリーダーはレベッカ。現場判断は一任する。いけるな?」
「はい、お任せを」
ミルヴスが頷く。レベッカは仲間へ向き直った。
「皆さん、出発します」
「「おおう!」」
* * *
デルア森林南西部。
「ここから二人ずつ。離れすぎないでください」
レベッカの指示で、先頭の二人が地面と幹を確認する。
「足跡、一人分。依頼地点の方角です」
「追いましょう」
浅く刻まれた幹の傷。その先には折った小枝が置かれている。
間隔を確かめ、さらに進むと、大蜘蛛の死骸が見つかった。一本だけ切断された脚と、頭部の小さな穴。
「矢は回収されています。周囲に血痕はありません」
「ここでは無事だった可能性が高いですね」
レベッカは地図と照らし合わせた。出発前に連盟で確認した、正式な依頼記録の写しだ。
「この先は岩場です。南側に滑落注意地点があります。足元を確認してください」
「了解」
木々の向こうに洞穴が見えたところで、全員が止まる。
「洞穴には入らず、まず外周の痕跡を」
左右へ分かれた一人が、すぐに声を上げた。
「レベッカ! こっち!」
幹に刻まれた二本の傷と、斜めの一本。
レベッカが剥がれた樹皮を確かめる。
「救難標識……新しいですね。ここからは捜索を優先します。洞穴の確認は後回しに」
「走った跡もあります!」
乱れた落ち葉の先を見て、レベッカは地図へ目を落とした。
指が、南側の印で止まる。
「滑落注意地点へ向かっています。急ぎましょう」
歩調は上がった。それでも先頭は足場を確かめ、後続が通れる位置を示す。
やがて、崩れた斜面の手前で声が上がった。
「止まって!」
折れた枝。抉れた土。岩肌には、新しい擦過痕が続いている。
「二人は降下経路を確保。残りは周囲の警戒を。担架も準備してください」
各々が動き出した時、下から羽音が聞こえた。
「クソが! いい加減にしやがれ!!」
「対象者かも!」
確保した経路を下り、木々の隙間を抜ける。
木の根元に、片足を投げ出した男がいた。周囲を二匹の森コウモリが飛び回っている。
「援護します!」
「手ェ出すんじゃねぇ!!」
仲間が手をかざす前に、怒声が飛んだ。
レベッカは片手を上げた。
「射線へ入らないでください」
男のクロスボウが、枝の間を飛ぶ影を追う。
引き金が落ち、矢が一匹の頭部を貫いた。残る一匹は大きく旋回し、森の奥へ逃げていく。
「……ざまぁみろ」
男が弦へ手をかけた。
一度、二度。軋む音だけがして、弦は戻らない。
「……クソ」
レベッカは武器から、血の滲む包帯へ視線を移した。
裂けた靴底。地面へ投げ出された足。
仲間へ合図してから、男の前にしゃがみ込む。
「迎えに来ました。予定帰還時刻を過ぎています。あなたは現在、救助対象です」
「救助対象だぁ? てめぇら、オレより弱ぇだろうが! オレ様は冒険者だ!」
「ええ。さっきも見ました。見事な腕前です」
男の口が、一瞬止まった。クロスボウを胸元へ引き寄せる。
「だったら――」
「このまま一人で、夜を越えられましたか?」
「サバイバルくらいできる。火も起こせる。敵が来たって――」
「敵が来たって?」
「……戦える」
レベッカは頷いた。
「戦えるでしょう。ですが、今の足ではここから移動できません」
男が唇を引き結ぶ。
「戦い続ければ、最後には力尽きます。あなたほどの冒険者なら、分かっているのでしょう?」
「……ちっ」
「担架に乗ってください。一緒に帰りましょう」
「担架ぁ!? こんくらいで乗れるか! 自分で歩ける!」
木へ手をつき、男が立ち上がる。
「見てろ。こんなもん――っぐぁ!」
一歩で膝が落ちた。
横にいたギルド員が身体を支える。包帯に、新しい血が滲んだ。
「触んな!」
「はいはい」
振り払おうとした腕が、途中で止まる。
男は支えられたまま、黙って足元を睨んでいた。
レベッカは担架を指し示す。
「……なんか言えよ」
「担架、こちらです」
「クソが!!」
* * *
「おい! 今揺れただろ!」
「木の根です」
「避けろよ!」
「避けてます」
「じゃあ揺らすな!」
最悪だ。
知らねぇ連中に担がれて、森を移動している。こんなみっともねぇ格好を、よりによってこいつらに見られてる。
レベッカとか呼ばれていた女も、一対一なら負ける気はしない。
「段差です。前を少し上げてください」
「了解」
「右側、足場悪いです」
「では左へ」
担架が傾く前に、横から手が添えられた。前のやつが道を選び、後ろが足元を確かめる。
誰かが立ち止まってから、慌てて相談するようなことがない。
――ちゃんとしてやがる。
「……おい。なんでオレがあそこにいるって分かった」
「木の傷、折った枝、足跡。あなたが残した跡を追いました。洞穴の近くにあった印にも助けられました」
「……あれか」
どこで覚えたかも忘れた、縁起でもねぇ印。
「あれ、あなたが?」
「昔どっかで習っただけだ」
「あの印がなければ、発見はもっと遅れていました」
「どういう意味だよ?」
女が、少し目を見開いた。
「冒険者が初めに習う救難信号ですよ」
「…………」
鉈を当てた時の、樹皮の感触を思い出す。
なんであんなもんを刻んだのか、分からなかったはずだ。
「ご自分で、見つかる準備をしていたんですね」
「してねぇよ!」
女の口元が、わずかに緩んだ。
「そうですか」
「してねぇっつってんだろ!」
返ってきたのは、短い相槌だけだった。
気に食わねぇ。否定しねぇのが、余計に。
木々の向こうが明るくなる。
森を出ると、空は赤かった。太陽が地平線へ沈みかけている。
もしまだ、あの木の根元に座っていたら――。
「おーい! こっちですー!」
街道で、いくつものランタンが揺れた。先頭の小柄な少女が、一つを高く掲げている。
まだ増えんのかよ。野良一人のために、ぞろぞろと。
「レベッカさん! 見つかったんですね!」
「はい。足裏に深い裂傷があります。止血はされていますが、自力歩行は無理です」
「誰が無理だ! オレは歩ける!」
「先ほど、一歩で倒れました」
「てめぇ!!」
少女が目を丸くして、それから笑った。
「元気そうで良かったです」
「良くねぇよ!」
「毛布ありますよ。夜は案外冷えますからねー」
「要らねぇ!」
返事を待たず、毛布が掛けられた。
跳ねのけようとした腕を、少女の手が押さえる。
「怪我してる時は、冷やさない方がいいですから」
「怪我人扱いすんな!」
「……怪我してますよね?」
もう嫌だ、こいつら。
「帰りましょう」
レベッカの声で、担架が持ち上がる。
ランタンが前へ回り、別の連中が周囲についた。
「装備、お預かりしますね」
鉈に水袋、道具袋。オレの荷物が、他人の手へ移っていく。
落とすなと言いかけた。だが、袋を受け取ったやつは、中身を確かめるようにそっと持ち直していた。
「クロスボウも、重いでしょう?」
「――これは渡さねぇよ」
「分かりました」
腕の中へ抱え込む。もう弦は戻らない。
それでも、勝手に持っていかれるのは嫌だった。
「道具袋、中身もオレ様のもんだからな!」
「大事なものですか?」
少女が袋を見る。
「討伐証明だよ。女王は仕留めた」
「えっ」
顔が明るくなった。
「依頼、達成したんですね! すごーい!」
「――当たり前だろ」
そこだけは譲れねぇ。
女王を仕留めた。緋色の爪も持って帰る。嘘でも、まぐれでもない。
担架が揺れる。文句を言う前に、横からまた手が添えられた。
ランタンの明かりが、足元の窪みを照らしている。
「もうすぐですよ」
「……見りゃ分かる」
街の灯りが見えた。
胸元には、壊れたクロスボウ。傍には、女王の緋色の爪。
自分の足じゃない。知らねぇ連中に担がれてる。
死ぬほど気に食わねぇ。
それでも、オレはその日のうちに街へ帰った。
* * *
「エルドさーん、調子いかがです?」
「これが、よく見えんのか、てめぇには」
運び込まれたのは、《ヤドリギ》の救護室だった。
森で会った連中のギルドらしい。治療に出てきた優男まで、似たように柔らかい顔をしてやがる。
こいつがギルド長で、あの《スライム狩り》だと知ったのは後のことだ。
「――クロスボウ」
「あ? まさか捨てたりしてねぇだろうな!」
「あんなに丁寧に手入れされた装備を、捨てるわけないじゃないですか。余計とは思いながら、弦だけは修理させてもらっています」
「……勝手にしやがって」
「傷が癒えたら、試し打ちして調整してくださいね」
足へ手が当てられる。
「……ほぉ」
思わず声が出た。
微かな熱が、足の内側へ染みてくる。手が温かいんじゃない。冷えきったオレの足が、熱を取り戻している。
脈に合わせて足先まで血が通い、強張っていた筋肉が緩んだ。傷口の疼きも、少しずつ遠のく。
これほど繊細な回復術は、初めてだった。
だが、傷が消えたわけじゃない。動かそうとした足を、優男の手がそっと留める。
「まだ休ませてくださいね」
そう言った口で、上手くもねぇ鼻歌を歌い始めた。
本当に、わけが分からねぇ。
「……気持ち悪ぃギルド作ってんなぁ、おまえ」
「えー、すごいこと言いますね」
「オレんとこに来たやつら。後から増えた連中もだ。誰一人、オレより強いやつはいなかった」
優男は、否定しなかった。
「はい。でも――みんな、誰かのために頑張れる。いい子たちだったでしょう?」
担架を支えていた手と、道具袋を受け取った手が浮かんだ。
オレは男に背を向け、上体を捻る。
「――はっ」
それ以上、笑いもしなかった。
「そうだな」
「え? 何か言いました? エルドさん? おーい?」
* * *
救助から二日後。
ギルド連盟のロビーに、黒い麻布のローブが現れた。古いクロスボウは、今日も手入れが行き届いている。
「おい、男!」
「あー! 森で迷ったエルド様じゃないですかー! ご無事で何よりです、本当に」
「うるせぇ」
エルドは道具袋から緋色の爪を取り出し、受付台へ置いた。
「ほぉ、これは状態も良い」
「たりめぇだ」
肘をついて頬杖をつく。
眉間の皺は深い。だが、その視線はフギンを通り越し、ロビーへ向いていた。
登録章をつけた冒険者たちが、地図を囲んでいる。仲間の装備を指して、何か確かめ合っている。
エルドは黙って、その様子を眺めた。
「おやおや。エルド様、これ――欲しくなってきました?」
フギンが、登録申請書を広げた。
「フギン、やめなさいよ。エルドさん怒るわよ」
隣の受付からムニンがたしなめる。
しかし、怒号は飛ばなかった。
「ほんとにいけ好かねぇ。早く報奨金よこしやがれ」
フギンとムニンが目を見合わせる。
受付の奥から小柄な女性が盆を運んできた。金額を確認したフギンが、報奨金を差し出す。
その笑顔は、いつもよりほんの少し柔らかかった。
エルドは金を受け取り、懐へしまう。
「じゃあ、またな」
乱暴な、小さな声だった。
登録申請書には手を伸ばさず、エルドは受付を後にした。




