【8話】付与
宿の部屋に戻り、増え続けたカードの束を眺めながら、俺はふと我に返った。
(俺、いつまでこの街でスライム狩ったり、ダンジョン潜ったりしてるんだろう)
カードは着実に増えている。
フェザーウルフという、それなりに戦えるカードも手に入った。
だが、このままここに留まり続けても、代わり映えのない毎日が続くだけのような気がした。
(そろそろ、次に行くべきなんだろうな)
この世界のことも、多少は本で学んだ。
金にも、当面困らない程度の余裕がある。
いつまでもこの街に居座る理由は、もうなかった。
旅立ちを決めると、途端に忙しくなった。
荷物をまとめ、必要な物資を買い足し、宿の女将に礼を言って部屋を空ける手続きを済ませる。
荷造りの最中、油断していたのか、手にしていたカードを一枚、床に落としてしまった。
拾い上げようとした矢先、女将に声をかけられ、そのまま少しの間、立ち話に付き合うことになる。
会話を終えて部屋に戻ると、床に置いていた自分の外套の裾が、妙にふにゃふにゃとした手触りに変わっていることに気づいた。
「……は?」
慌てて確認すると、床には外套の裾があるだけで、カードの姿はどこにもなかった。
(まさか……)
恐る恐る外套の生地に触れてみる。硬さも張りも失われ、まるで濡れた布のように、頼りない感触になっていた。
(カードが、外套に触れっぱなしだったから……?)
これまでの経験からして、「触れる」ことが、この力の様々な現象を引き起こす鍵になっていた。だとすれば、これもその一つなのかもしれない。
試しに、別のカードで検証してみることにした。使い古した布切れの上に、ゴブリンのカードを乗せ、そのまま一分ほど待ってみる。
何も起こらない。
次に、五分ほど待ってみたが、それでも変化はなかった。
(時間の長さが足りないのか?)
根気強く、今度は十分近く放置してみる。
それでも布切れに変化はなかった。
(じゃあ、さっきのは、もっと長い時間だったってことか)
思い返せば、女将との立ち話は、それなりに長引いていた。
一分どころか、下手をすれば数分は経っていたはずだ。
もう一度、今度はスライムのカードを使い、別の布切れの上に乗せて、しっかり一分以上待ってみる。
布の質感が、じわりと変わっていくのが分かった。
硬さが抜け、指で摘まむと、ぐにゃりと頼りなく形を変える。
(やっぱりだ。触れさせ続けることで、性質を移せるのか)
同時に、布の上に乗せていたはずのカードが、跡形もなく消え失せていることに気づいた。
(そういえば、さっきのゴブリンは何も起きなかったな……)
少し考えて、なんとなく納得がいった。
スライムには「柔らかい」という分かりやすい性質がある。
血コウモリにも「暗闇でも見える」という力がある。
だが、ゴブリンには、これといった際立った特徴がない。
ただの人型の魔物だ。
(移せるものが、そもそも何もなかった、ってことか)
誰にでも何かを付与できるわけではなく、その個体自身に、移すべき性質や能力が備わっている必要があるらしい。
ついでに、と甲殻虫のカードでも試してみることにした。
戦った時の印象からすると、あの硬そうな見た目に反して、実際の強度はさほどでもなかった。
付与しても、大した変化はないだろうと高を括っていた。
一分ほど布に乗せて待つと、確かに変化が起きた。
ごわついていた布地が、心なしか張りを増し、指で押してもわずかに押し返してくるような硬さを帯びていた。
劇的というほどではないが、間違いなく硬くなっている。
「……多少は硬くなる、のか」
拍子抜けするほど地味な変化だったが、見た目通りの効果ではあった。
派手さこそないものの、防具の補強程度には使えそうだった。
(頑丈さは、そこそこ、ってところか)
実用性は微妙なところだが、少なくとも見た目に見合った結果ではあったので、妙な納得感があった。
ふと、気になって試してみる。この布に、今度は別のカード――血コウモリを重ねて、さらに一分ほど待ってみた。
だが、何も起こらなかった。布地はすでに硬さを帯びたまま、それ以上の変化を見せない。
カードの絵柄も消えることなく、そのまま残っていた。
(一度付与したものには、上書きできない、ってことか)
一つの道具には、一つの性質しか宿せないらしい。
欲張って重ね掛けできれば便利だったが、そう都合よくはできていないようだった。
(考えて使わないといけないやつだよな……)
それに、付与に使うと、そのカードは消費されてしまうらしい。
新しい発見に興奮しつつも、少し複雑な気分になる。
貴重なカードを、こんな地味な使い方で消費するのは、なかなかに勇気がいる。
(でも、これ、案外馬鹿にできない気がするな)
剣の硬度を奪うようなマイナスの効果ばかりではないはずだ。
他の性質――例えば、フェザーウルフが纏っていたあの風なら、何かの役に立つかもしれない。
そこまで考えて、ふと思いついた。
(そうだ。世話になった連中に、何か礼をしたいと思ってたんだよな)
蒼太たちからもらった剣と胴着。
あれをさらに強化する、というのも一瞬考えたが、すぐに首を振った。
あいつらは、もっと良い装備を新調したばかりだと言っていた。
今さら多少付与を施したところで、大した意味はないだろう。
(武器方面じゃ、これ以上喜ばれそうにないな……)
だったら、と別の使い道を考えてみる。
頭に浮かんだのは、さっきの外套の一件だった。
あの、ふにゃふにゃになった生地の感触。
硬さを失う代わりに、妙に心地よい柔らかさがあった。
(これ、枕とかベッドに使ったら、案外良いんじゃないか?)
試しに、丸めた布切れの束にスライムのカードを押し当て、一分以上待ってみる。
出来上がったのは、ちょっとした枕くらいの大きさの、ふにゃりと沈み込むような柔らかい塊だった。
触れてみると、ひんやりとした感触が指先に伝わってくる。
寝苦しい夜にはちょうど良さそうな、心地よい冷たさだった。
「これは……」
思わず頬が緩む。
剣や防具とは違う方向性だが、これはこれで、なかなかの掘り出し物のように思えた。
(これ、普通に売れるんじゃないか?)
ふと、商売っ気が頭をよぎる。
ひんやりして寝心地のいい枕なんて、需要はいくらでもありそうだ。
うまくやれば、それなりの稼ぎになるかもしれない。
だが、すぐに思い直した。
(いや、待てよ。こんなの売り出したら、絶対「どうやって作ったんだ」って聞かれるよな)
製法を誤魔化し続けるのも面倒だし、下手をすれば、この決闘者という力そのものに注目が集まりかねない。
目立ちたくない今の自分には、割に合わないリスクだった。
(……やめとくか)
商売の道は、あっさり諦めることにした。
それでも、この柔らかい塊自体は、旅の道中で自分用に使う分には十分すぎるほど役に立ちそうだった。
荷物に加えておくことにする。
礼の品については、もう少し考える必要がありそうだった。
そう思いながらも、あらためて手元の柔らかい塊を眺める。
(いや、待てよ。別に売るわけじゃないんだから、これでいいんじゃないか?)
商売にするから面倒なだけで、個人的に贈る分には話は別だ。
あの四人なら、多少の非常識には慣れているだろうし、事情を詮索してくることもないだろう。
(作り方は内緒にしてもらう、って条件付きなら、まあ)
そう決めて、もう少し丁寧な生地でいくつか作り直しておくことにした。
ただの布切れよりは、餞別としても見栄えがするはずだ。
柔らかい塊をいくつか鞄に詰めながら、俺は小さく独り言をこぼした。
「渡す時は、ちゃんと口止めしとかないとな」
変に噂が広まれば、面倒なことになりかねない。
渡すなら渡すで、そこだけは念を押しておこうと決めた。




