【4話】融合
日が傾き始めた頃、俺はいったん森を出て、街へと戻ることにした。
夜の森で野宿するのは、さすがに危険な気がする。
それに、寝る場所も食事も、まだ何一つ確保していなかった。
城下町に入り、宿屋らしき建物の扉を開ける。
カウンターにいた恰幅のいい女将らしき人物が、こちらをちらりと見た。
「一泊、いくらですか」
「銅貨10枚だよ」
すんなり返ってきた答えに、俺は懐から革袋を取り出す。
城で渡された、あの袋だ。
中身を確認すると、金色の硬貨がぎっしりと詰まっていた。
「……あの、これしかないんですけど」
一枚取り出して見せると、女将の目が丸くなった。
「あんた、金貨しか持ってないのかい?」
「ダメですか?」
「ダメっていうか……うちにそんな大金の釣り、置いてないよ」
金貨、という響きから、なんとなく高額そうだとは思っていたが、具体的な価値までは分かっていなかった。
恐る恐る尋ねる。
「これ、銅貨何枚分なんですか」
女将は呆れたような顔をしながらも、丁寧に教えてくれた。
「あんた、そんなことも知らないなんて貴族かい?銀貨1枚が銅貨100枚分。金貨1枚が銀貨100枚分だから……銅貨にしたら、1万枚分だね」
想像以上の数字に、内心たじろぐ。
銅貨1枚の価値もまだ分からないが、少なくとも、宿代の10枚を出すには、あまりに不釣り合いな硬貨らしい。
「うちじゃ両替できないから、冒険者なら、ギルドで両替してきなよ」
「……冒険者じゃないです」
女将が意外そうな顔をする。
「え、そうなのかい? 剣持ってるし、宿屋に泊まるなんて、てっきり冒険者だとばかり」
「まあ、そういうわけでもなくて……」
説明するのも面倒で、曖昧に濁す。
女将はそれ以上深くは追及せず、少し声を潜めた。
「そんなもん人前でホイホイ見せびらかしてると、身ぐるみ剥がされて森に埋められるよ。気をつけな」
物騒な忠告に頷きつつ、俺は宿を出て、教えられた通りにギルドへと向かった。
ギルドの建物は、想像していたよりも簡素だった。
窓口で両替を頼むと、職員の男は少し困った顔をする。
「両替は、ギルドに登録している方限定のサービスになります。冒険者登録は?」
「してないです」
「でしたら、まずは登録を。無料ですので、ご案内します」
流されるまま、簡単な手続きに応じることになった。
氏名、そして――職業。
「職業は、何ですか?」
少し考える。
剣聖でも賢者でもない。
自分にあるのは、この妙な力だけだ。
しかし、決闘者と言っても変な顔をされるだけだろう。
「……魔物使い、でお願いします」
職員は特に驚いた様子もなく、あっさりと書類に書き込んだ。
この世界的には、ありふれた職業らしい。
登録を終えると、ようやく両替をしてもらえた。
金貨を一枚差し出すと、代わりに銀貨が百枚、革袋に詰められて返ってくる。
ずっしりとした重みが手のひらに伝わった。
「ちなみに」と、職員が付け加える。
「まとまった額をお持ちでしたら、ギルドでお預かりすることもできますよ。保管料は多少かかりますが、身の安全のためにも、盗難や紛失が心配な方にはお勧めしております」
銀行のような役割も担っているらしい。
今日は疲れてもいたし、その場で預けるのは見送ることにしたが、頭の片隅に留めておく。
宿に戻り、女将に銀貨で宿代を払うと、あっさり部屋に通される。
案内された部屋は、質素ではあったが、埃っぽさや汚れは感じられなかった。
ベッドと小さな机、それだけの簡素な作りだったが、十分だった。
ベッドに腰掛け、あらためて手持ちを数えてみる。
金貨が九十九枚。両替に使った一枚を差し引いた分だ。
そして、宿代を差し引いた分のお金。
(意外と、渡されてたんだな……)
ギルドへ向かう途中、市場を少しだけ覗いた時のことを思い出す。
パンが一個、銅貨1枚で売られていた。
日本円にしたら、だいたい100円くらいの感覚だろうか。
だとすれば、銅貨1万枚分の金貨一枚は、単純計算で100万円相当ということになる。
それが、九十九枚。
(あの王様、地味に太っ腹だったんだな……)
城を追い出された時は、正直、恨みがましい気持ちもあった。
だが、こうして数字にしてみると、決して蔑ろにされていたわけではないのかもしれない、と少しだけ思い直す。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
今日一日で、ずいぶんいろいろなことがあった気がする。
スライムを何十体と狩り、決闘のルールも少しずつ分かってきた。
疲労がどっと押し寄せてくる。
俺はろくに考える間もなく、ベッドに倒れ込むようにして目を閉じた。
翌朝、目を覚ました俺は、まずギルドへ向かった。
昨日の忠告を思い出すと、九十九枚もの金貨をずっと持ち歩くのは、さすがに気が引ける。
襲われでもしたら元も子もない。
窓口で「昨日話していた、預かりのサービスをお願いしたいんですが」と切り出すと、職員はすぐに手続きを進めてくれた。
「こちらの札があれば、いつでも引き出せますので」
差し出された札は、木でも紙でもない、妙に硬質な質感の板だった。
表面には見覚えのない文様が細かく刻み込まれ、触れるとほのかに温かい。
よく見ると、俺の名前らしき文字が、彫り込まれたというよりは、じわりと浮き出るようにして刻まれていた。
「偽造防止の魔法加工が施されておりますので、他人には使えません。紛失にはくれぐれもご注意を」
なるほど、と頷きつつ、俺はその札を大事に懐へしまい込んだ。
軽くなった革袋を確認しながら、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
手元に残したのは、金貨一枚分のお金だけ。当面の生活には、十分すぎる額だろう。
ギルドを出て、あらためて手持ちのカードを眺めた。
スライムのカードばかりが増えていくのを見て、ふと思う。
(これ、いつまでスライム狩ってるんだろうな……)
役に立つかどうかも分からないカードを量産したところで、意味があるとは思えない。
そろそろ、違う相手を探すべきだろう。
宿を出て、昨日は避けていた森の奥へと足を踏み入れた。
木々はより深く、日差しも遮られて薄暗い。
少しばかり心細さを感じながら進んでいくと、やがて前方の茂みがざわめいた。
現れたのは、緑がかった肌をした小柄な人型モンスター――ゴブリンだった。
しかも、一体だけではない。
数えると、四、五体はいる。
(うわ……)
思わず後ずさる。
囲まれる前に、と考えるより先に、口が動いていた。
「決闘」
視界が白に染まる。
いつものリングだ。
だが、目の前には一体のゴブリンだけが立っていた。
周りにいたはずの他の個体は、影も形もない。
(一体だけしか連れてこられないのか)
群れで襲われずに済んだのは、正直助かった。
リングの大きさも、心なしか前回のスライム戦より一回り広い気がする。
カァン、とゴングが鳴る。
ゴブリンは、粗末な棍棒を振り上げると、まっすぐこちらへ突っ込んできた。
スライムよりも動きに勢いがある。
俺は咄嗟に剣で受け流そうとしたが、完全には防ぎきれず、棍棒の先端が肩を掠めた。
鈍い痛みが走る。
「痛っ……!」
だが、何度もスライムを相手にしてきたおかげか、剣を握る感覚には、以前よりいくらか馴染みが出てきていた。
むやみに振り回すのではなく、相手の間合いを見て、少しだけ引いてから踏み込む。
ゴブリンの攻撃は、単調だった。
棍棒を振り上げて叩きつける、その繰り返し。
知能はあまり高くないのか、フェイントも駆け引きもない。
ただ、繰り出される一撃一撃は、スライムとは比べ物にならないくらい重かった。
何度目かの振り下ろしを、ぎりぎりで見切る。
棍棒が空を切った瞬間、がら空きになった脇腹に向けて、俺は剣を突き入れた。
ゴブリンが短く呻き、その場に崩れ落ちる。
肩で息をつきながら、剣を下げた。
見ると、白い空間の隅の数字は、まだ02:50を示していた。
余裕を持って決着をつけられたことに、少しだけ安堵する。
目の前に、白いカードが浮かぶ。地面に転がる石――今度はゴブリンの成れの果てらしい――に重なると、吸い込まれるようにして消え、カードの表面に緑色の人型のイラストが浮かんだ。
カードは宙を漂い、ケースへと収まっていく。
同時に、リングと白い空間が消えて、薄暗い森の景色が戻ってきた。
俺はその場に座り込み、あらためてケースの中身を確認する。
大量のスライムのカードに混じって、一枚だけ違う絵柄の「ゴブリン」のカードがあった。
(やっとスライム以外が手に入ったな)
しばらく眺めていると、頭の中に、聞き覚えのある機械的な声が響いた。
『スライムとゴブリンを融合しますか?』
驚いて、手にしていたカードを見る。
確かに、いつの間にかスライムとゴブリンのカードが、指の中で軽く触れ合っていた。
カードを選ぼうと何気なく持ち替えていたうちに、重なっていたらしい。
(融合……? そんな機能もあるのか?)
何が起きるのか、まるで見当がつかない。
もしかしたら、弱くなる可能性だってある。
それでも、これを逃す手はないという直感があった。
「する」
そう答えた瞬間、二枚のカードが淡く発光し、宙に浮かび上がった。
互いに引き寄せられるように近づき、やがて一つの光の塊となる。
まばゆい光が収まると、そこには一枚の新しいカードが残っていた。
書かれていた文字は、「ヌメリネズミ」。
イラストに描かれていたのは、ずんぐりとした体つきのネズミだった。
毛並みはどこか湿っぽく、粘液でも被っているかのようにてかてかと光っている。
お世辞にも強そうには見えない、なんとも冴えない見た目だった。
スライムともゴブリンとも、似ても似つかない姿だった。
二枚あったはずのカードは、跡形もなく消えている。
手元に残ったのは、この一枚だけだった。
「……なるほど。合体して、元とは全然違うモンスターになるってことか」
独り言をこぼしながら、俺は新しいカードを陽にかざしてみた。
強くなったのか弱くなったのか、それすらもまだ分からない。
少なくとも見た目だけなら、強化されたとは到底思えなかったが。
(そういえば、これまでも接触がきっかけになることが多かったな。今回もそうなのか、確かめてみるか)
カードにするときも戻す時も、この力は「触れる」ことに反応してきた。
だとしたら、さっきの融合も、偶然の接触が引き金だったのではないか。
そう当たりをつけて、今度は意図的に、手持ちのヌメリネズミのカードとスライムのカードを重ねてみる。
しばらくすると、頭の中に、あの機械的な声が響いた。
『ヌメリネズミとスライムを融合しますか?』
「する」
短く答えると、二枚のカードが淡く発光し、また一つに溶け合っていく。
光が収まった後に残っていたのは――「スライム」のカードだった。
(弱くなった……?)
相性が悪かったのか、それとも別の理由があるのか。
とにかく、掛け合わせれば必ず強くなる、というわけではないらしい。
念のため、今度はスライムのカードを二枚、意図的に重ねてみる。
だが、待てど暮らせど、あの声は聞こえてこなかった。
(同じ種類同士だと、そもそも発動しない、ってことか)
一つ賢くなった代わりに、手元のカードがまた一枚減っていた。
溜息をつきながら、俺はケースを閉じた。
この力には、まだまだ知らないことが多い。
俺は小さく息を吐くと、腰のケースを閉じ、また森を歩き始めた。




