6.越境
ぼふり。
見るからに使い古された感じの「それ」は、私の両手におさまるくらいの、汚れた巾着袋だった。
長い革紐は手垢で黒ずみ、本体にもあちこち正体不明の染みがついている。
「何これ」
自販機を見れば、さっきまであった「大容量モバイルバッテリー」のボタンは、いつの間にか、
山刀(中古) 6,000G
に戻っていた。
やだ。もしかして私、騙された?
10,000Gも出して、1Gでも買いたくないようなゴミを掴まされたわけ?
いやいやいやいや。
ひょっとして、中にものすごく高価な宝石とかが入ってるかもしれないし。
………触った感じ、何にも入ってなさそうだけど!
それでもあきらめきれなくて、私は袋の口紐を解いた。
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旅人のパン 20個
汲みたての井戸水 24本
オークジャーキー 2束
ドライベリー 1袋
茶葉(中級) 1缶
カーマイン新聞(最新号)
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「嘘っ! これ、魔法袋だ……!」
【魔法袋】
ティール迷宮群に生息するB級モンスター〈グレイスプリンガー〉の四つの胃袋。第一胃が最も容量が多く、第二、第三、第四と進むにつれて小さくなる。稀に見つかる第五胃には時間停止機能があり、「売れば黄金の城が建つ」と言われるほどの稀少品。
――って地理の本に載ってた!
「マジか……」
こんなお宝アイテム、10,000Gぽっちじゃ絶対買えないじゃん!
てか、中身も入れたらお値段どんだけするのよ。
私は自販機に向かって両手を合わせ、深々と頭を下げた。
ありがとう。ありがとう、中の人!
生きてここを出られたら、この袋は絶対返しに行こう。
◆◆◆
『カーマイン伯爵家の新聖女、早くも王子妃候補入りか』
旅人のパンを齧りながら、新聞記事に目を通す。
でかでかと躍る大見出しの下には、丸抜きされた二枚の顔写真が並んでいた。
一枚はこの国の第二王子。もう一枚に写っているのは。
『先日〈結界〉のスキルを発現させたカーマイン伯爵家の長女ジゼル嬢(10)が、王妃主催の春のお茶会に招待されたことを受け、関係者の間では、第二王子ハリス殿下の婚約者に内定したのではと噂されている』
カーマイン伯爵家の長女ジゼル嬢。
モノクロ写真の中の、ぎこちない笑顔には見覚えがあった。
私と同じ黒髪と、私よりもいくぶん茶色がかった赤い瞳を思い出す。
ミアベル・マルーン。
彼女は父様の弟、つまり私の叔父様の娘だった。
三男だった叔父様は爵位を継げず、平民だが裕福なマルーン商会の入婿になったのだ。
――しっかし、いくらハズレスキルを引いたからって、実の娘を迷宮に捨てさせるか、普通?
――何でも、同じ日に〈結界〉のスキルを引いた娘が、伯爵家の『本当の娘』ってことになったらしい。
「……なるほどね」
――〈聖域〉はともかく、〈結界〉……いいえ、たとえ〈封印〉程度のスキルであっても、発現しさえすれば王子妃に選ばれることは間違いないのですからね。
――いやいや、前回〈聖域〉が出てからかれこれ百年は経つ。ジゼルに発現したとしても、何らおかしいことはないぞ。
――うふふ。
――ははは……。
あの人達にとっては、王子妃に選ばれるスキルさえあれば、「娘」は誰でも良かったのだ。
『スキル〈線〉から〈区切り〉が分化しました。任意の範囲を区切れるようになりました』
――んん?
久々に聞いた無機質な声に、私はこてりと首を傾げた。
そういや、しばらく見てなかったな。ステータス。
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スキル:
〈線〉Lv.2 任意の場所に線を引く
〈境界線〉Lv.4 任意の場所に越えられない線を引く
〈紅線〉Lv.1 任意のターゲットに対し熱線を放つ
〈区切り〉Lv.1 任意の範囲を区切る
パッシブスキル:
〈防衛線〉Lv.3 敵意に対し自動で〈境界線〉を引く
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知らないうちに〈線〉のレベルが上がっているのはあれか。カードに署名をしたり、毎朝正ちゃんマークを書いたりしていたからか。
そして、新たに生えた〈区切り〉。
「任意の範囲を区切る」って。漠然としすぎててようわからん。
こういう時は、とにかく使ってみればいいんだよね。
目の前にある新聞の『早くも王子妃候補入りか』の記事を線で囲むようにイメージしてみる。
「〈区切り〉。………おわっ!?」
切れた。
一瞬、赤い線が記事を囲んだかと思うと、見えないカッターを使ったかのように、そこだけすぱっと切り取られる。
スキルのせいか、元々の紙の性質か、切れた拍子にくるんと丸まった記事は、折からの風に吹かれてころころとどこかに転がっていった。
『迷宮封鎖 遅くとも来週には解除の見込み』
「おん?」
切り抜きの穴から、次のページの見出しがのぞいている。
私は慌ててページを捲った。
第五層の階層主だったシャドウパンサーが死に、その後に出てきた新しい階層主が、むちゃくちゃ強い変異体だったらしい。
迷宮は現在封鎖されており、伯爵家は今日、変異体討伐のためにカーマイン騎士団を送り込むと発表――。
ええと。
これはもしかしてかなりやばいのでは。
階層主が倒されれば、ここの祠の転移門が開く。
それ自体はいいことだけど…………。
(問題なのは、真っ先にそこを通って来るのがうちの騎士団だってことだ)
彼らに見つかったが最後、私は確実に消されるだろう。
何たって私、いなかったことにされた子ですから!
石畳の向こう、身の丈ほどもある草原に目を向ける。
吹き渡る風が草を鳴らす。その奥から、獣の唸りと、ギチギチギチッ! という虫の声。
喉の奥がひりつく。気がつけば、全身に鳥肌が立っている。
怖い。
怖いけど。
――ここに留まり、死を待つよりは。
魔法袋を斜め掛けにして、深く息を吸い込んだ。
そして。
私は、石畳を踏み越える。




