47.灯
――ズズン!
激しい振動と物音に続いて、がらがらと何かが崩れる音に、私はがばっと飛び起きた。
天窓のガラスが割れて飛び散り、屋根にぽっかりと空いた穴から、眩い朝日が射しこんでいる。
一瞬、何が起きたのかわからずぼうっとしていた私の背後で、怯えきった子どもの声がした。
「ジル……」
振り向いた私の全身が粟立つ。
すぐ隣に横たわるノラの全身が。
――くまなく日光に晒されていた。
「ノラっ!」
キルトごとノラに覆い被さり、狂ったようにスキルを連発する。
「〈隔壁〉!」
〈隔壁〉!!
〈隔壁〉!!
『スキルの上限に達しました。これ以上〈隔壁〉は出せません』
「うるさい!」
私は絶叫する。上限なんて知ったことか。
〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉〈隔壁〉――――!!!!!
やがて天井に開いた穴が塞がり、部屋中が闇に閉ざされる。
けれど、ノラは。
『兄ちゃーん! あと、穴ん中変なのいるー!』
『えー!? ジルもう帰っちゃうの!? 嫌だ嫌だ、もっとここにいてよう!』
『広場にすっごく美味しい屋台がたくさんあるの! 串に刺した石兎のお肉を焼いたのでしょ、ピアラの砂糖漬けでしょ。あとね、あとね……』
『そんで、こっちは新しくうちの子になったジルだよ!』
食いしん坊で、お転婆で。
お兄ちゃんが大好きで、私にはすぐにお姉さん風を吹かせたがって。
「ノラ。ノラぁ……」
こぼれ落ちた涙がぽとぽととノラの頬に落ちていく。
けれど、その肌はすでに冷たく固く、私に笑いかけることも、「ジル」と呼んでくれることもなくなっていた。
それきり――。
ニルドとノドが息せき切って屋根裏部屋に飛び込んでくるまで、私は小さな石の身体を抱いて泣き続けた。
◆◆◆
ジャイアントロックボアは、結局、明け方まで城門を破れなかったという。
城門前の草原に、朝の最初の光が射した時、ボアは諦めたように踵を返し、岩山めざして歩き出した。
遮るもののない草原を歩くその姿を見届けて、吸血鬼や岩小人たち〈夜の子ら〉は地下に戻ってきたという。
けれど、城壁の上に僅かに残った人間の見張りたちは見た。
引き返すと見せかけた巨体のイノシシが、ふいに方向転換し、城門めがけて〈突進〉する姿を。
日射しに焼かれ、石化しつつもその勢いは衰えず、城門をバリケードごと吹き飛ばしてもその脚は止まらず。巨大な岩塊と化したその体は屋台広場の番小屋に激突し、もんどりうって横転した。
番小屋は地下に通じる入口の一つ。真下は吹き抜けで支柱がなかったこともあり、ボアの巨体は石畳を突き抜けて落下した。
〈石の根っこ亭〉は直撃こそ免れたものの、石畳の破片が屋根を打ち抜いて――……。
「な? んだがら、ジルのせいじゃねぇっぺよ」
「んだ。そったら自分を責めんでねぇ」
ニルドもノドも、ひと言も私を責めなかった。
――間に合わなかったのに。
――目覚めの後の、あの一瞬。あの時すぐに気づいていれば。
「つか、むしろ、ジルちゃんは俺ら全員の恩人だぜ?」
言いながら、ヴィンスが頭上を振り仰ぐ。
そこには、天井の崩落部分はおろか、地下空洞全体を覆うほど巨大な紅色のドームが出現していた。
『スキル〈隔壁〉がLv.10に上がりました』
喪失感と悲嘆の最中、そんな声が聞こえた気がしたけれど、今の私にはどうでもいい。
石化したノラの身体を二ルドがそっと抱き取った後も。
誰かの手で担架のような物に乗せられ、そのままトロッコに乗せられた時も。
蜂蜜色の光に満ちた岩山の中を、ゆらゆらと進んでいく間も。
私はまだノラを抱いた時の恰好のまま、虚ろな腕の中を見つめていた。
どのくらい、そうしていただろう。
ふ、と私の上に影がさし、焚き染めたような香の香りが漂った。
「泣くな、幼き人の子よ」
初めて聞く声が耳許で囁く。
「岩小人の恩人にして吸血鬼の友よ。望みはまだ潰えておらぬぞえ」
泣き濡れた目をのろのろと上げれば、夜そのものが凝固して人の形をとったような美貌の男が立っていた。
「万能薬は全ての歪みを正す。そなたの小さき姉も元に戻せよう」
「万能薬……」
ふと、脳裏に蘇る声。
『石化の解除なんて、万能薬でもなきゃできねーじゃん』
そして次々にフラッシュバックする記憶。
石の巨人の頭上に作られた庭園。その地下室で見つけたガラス瓶。ラベルに書かれた〈万能薬〉の文字。
――あの瓶は割れた。けど、あの地下室にならまだ……。
絶望に黒く塗りつぶされていた胸の底に、ぽつりと小さな灯が灯る。
「……行かなきゃ」
呟いて、立ち上がろうとしたところで目が覚めた。
そこはノドの家の中、ノドの亡くなったお母さんの寝室で。
私はベッドに寝かされており、そばには誰もいなかったけれど。
かすかに香る涼やかな残り香が、あれは夢ではなかったと告げている。
私はそろりとベッドから出ると、音を立てないように身支度を整えた。
魔法袋を斜め掛けしてきゅっと紐を締め、〈僕〉のゴーグルを首に下げる。
そうして、抜き足差し足、玄関のドアノブに手をかけた時。
「どこさ行ぐ?」
背後から掛かった声に、私はびくっと肩を跳ねさせた。
次回、第二章最終回!




