45.血宴
――威圧!
城壁の上の人々が、凍りついたように動きを止める。
そんな中、
「ジルごめん!」
「悪い!」
ノドノラ兄妹の声が聞こえ、ほぼ同時に両側から思いっきり頬を引っぱたかれた。
「い、いひゃい……」
何も両側からぶたなくても。
――まあ、おかげで威圧は解けたけども!
どどど、という地響きに振り向けば、城壁の向こうに、こちらへ突進してくるロックボアの群れ。
――いや、あれ二十頭どころじゃなくね?
篝火のせいで暗視ゴーグルが使えないから、正確には数えられないけれど。
ぱっと見、五十頭はいそうな気がする。
「まずい! 城門が開いたままだっぺ!」
ノドが叫ぶ。
そうしながら、傍らでマグを掲げ、呼び込み中のまま固まっているヴィンスの向こう脛を思いっきり蹴りつけた。
「痛ってぇ!」
叫んで動き出したヴィンスに向かい、
「ぼさっとしてんじゃねぇ。ボアが来っど! 下で動ける冒険者はどんくらいだ?」
ヴィンスははっとした様子で城壁の縁に走り寄り、下をのぞきこむなり舌打ちした。
「今のところ二、三人がいいとこだな。しょうがない。俺、ちょっと行ってくるわ!」
言うなり、ひらりと城壁の縁を飛び越える。
え、ちょ、この城壁、高さ十メートルは余裕でありそうなんですけど!?
慌てて私も城壁の縁に駆け寄れば、ヴィンスはすでに下におり、動けない冒険者たちに片っ端から蹴りを入れて回っていた。
「起きた奴から中に入れ! 全員入ったら扉を閉めろ! 後は俺達で何とかする!」
一方、城壁の上ではノドとノラが、やはり凍りついた人達を片っ端からどついて回っている。
「いてっ!」
「ぎゃっ」
「おふっ」
多種多様な声と共に硬直が解けた人々は、すぐに近くの人にも同じことをする。
「戦える奴ぁヴィンスんとこさ行け! そうでねぇ奴ぁ地下さ逃げぇ!」
ノドが声を涸らして叫び、ノラは小さな子どもたちに「こっちだよ!」と声を掛けている。
その声に応えるように、ひらり、ひらりと城壁を越えて飛び降りていくのは、色白のはっとするような美男美女ばかりだ。
その横顔は、いずれも上気した頬に輝く瞳。堪えきれぬ笑みにきゅっと吊り上がった口角から、尖った八重歯がのぞいている。
(ええ? 本物のエルフってこんな感じなの?)
エルフといえば儚げ、というイメージからは程遠く、彼らの纏う雰囲気はえらく獰猛だ。
城門の前には見る間に十数人のエルフたちがずらりと並び、その背後で重たげな音を立てて城門が閉ざされた。
地響きを立てて突進してくるロックボアの群れを前に、ヴィンスが踊るような足取りで進み出る。
「さあ皆! 楽しい宴の始まりだ!」
そして、先頭切って走ってきたロックボアの鼻面に、「うらぁ!」と華麗に飛び蹴りを決めた。
◆◆◆
そこからはヴィンス達の独壇場だった。
ヴィンスに蹴りを入れられたロックボアがきりきり舞いをして宙を飛ぶ。
その横で、和服を着せればさぞ似合うだろう楚々とした美貌のお姉さんが、岩のようなロックボアの頭に拳を叩き込み、頭を割られた大イノシシが血煙を上げて足を折った。
まさかの武闘派! それも素手!
一方、城壁の上ではまだ残っていた人々が、
「あー、ありゃ一晩じゃとても食いきれねぇな」
「誰かギルドまでひとっ走りして倉庫さ開けてもらってこいや。夜のうちにしまっちまわねぇと、全部石になっちまわぁ」
などとのんびり話し合っている。
かと思えば、
「うええ、あれ全部俺たちで血抜きすんのかよ……」
などとぼやく声も聞こえてくる。
「ふだん岩小人達が持ち込んでくるのは、きれいに解体してあるもんなぁ」
「一体、何日かかるんだ……」
(――ん?)
一瞬、何かが私の心に引っ掛かった。
けれど、その時「わあっ!」と周り中で大歓声が上がり、浮かびかけた何かは消し飛んでしまう。
ヴィンス達がロックボアを倒し終え、てんでに獲物を担いで戻ってきたのだった。
◆◆◆
「ぶわはははっ! 何それ。ジルちゃん、俺らのことエルフだって思ってたって? ウケる~!」
――再び、屋台の広場にて。
ヴィンスが涙を流して大笑いする横で、私は真っ赤になった顔を両手で覆っていた。
「ジルちゃん、大人びて見えるのに、やっぱりまだまだ子どもなのね。可愛いわぁ」
と私の頭を撫でるのは、さっきロックボアを撲殺していた楚々としたお姉さん――ラミルカさんだ。
「だってぇ……」
(ドワーフだのロックノームだのが普通にいるんだから、エルフだっているって思うじゃんね)
そもそも王子妃教育では、辺境についてあまり詳しく教わってこなかった。
家庭教師の先生も、
「あのあたりは未開な土地も多いですし、辺境伯閣下も中央にはあまりおいでになりませんし……」
と何となく口を濁していたことを思い出す。
「まぁほら、ここってちょっと前まで別の国だったわけだし? 人の子の中には、未だに俺らのことをモンスターだって思ってるやつも多いしねー」
「えっ?」
辺境領が別の国?
そんなの教科書に載ってなかったけど??
「そうそう。ほんの七、八百年くらい前まで、ここら一帯〈夜の子ら〉の国だったわけよ」
「だから今でもヴァンパイアとかロックノームの方が人の子より多いのよねー」
いや、七百年て!
この国の建国より前ですがな。
これはあれか。京都の人が「先の戦」といえば応仁の乱を指す的な?
大急ぎで組まれたキャンプファイアのような焚火では、じゅうじゅうと音を立ててロックボアの肉が焼けており、あたりは陽気なざわめきに満ちていた。
ノドは少し前にシルヴィにつかまってどこかに引っ張っていかれ、ノラは少し離れたところでドワーフやロックノームの子どもたちと遊んでいる。
(そういえば、シルヴィもヴァンパイアなんだよね)
思い起こせば、ギルドの職員はほとんどがヴァンパイアかロックノームだったような気がする。
「……確かに、人間のほうが少ないかも」
その人間達も、ほとんどが冒険者の恰好をした人ばかりだ。
「あー。ここじゃ、人の子は日のあるうちしか出歩かないからね」
「そうよぉ。ギルド職員のシフトも、昼は人の子、夜はヴァンパイアとロックノームになるように組んでるし」
「お館様も、昼間は代官を立てるしな」
ロックボアの串焼きにかぶりついていたラミルカさんが、指に滴った肉汁をぺろりと舐めた。
「うーん。やっぱり素人の血抜きは甘いわねぇ」
「――っ!」
不意にがばっと立ち上がった私を、ヴィンスとラミルカさんが不思議そうに見た。
「ジルちゃん? どうした、いきなり血相変えちゃって」
「血です。ロックボアの血!」
城門の外の草地には、先ほどの戦いで流された大量の血痕が残っている。
ジグの小瓶に入っていたよりも、はるかに多いボアの血が。
私の考えを裏づけるように、遠く、ロックノームの山の方角から聞き覚えのある咆哮がかすかに聞こえてきた。




