幕間 ミアベル
自分は「お姫様」なのだ、とずっと思っていた。
だって、父も兄たちも、ことあるごとに「ミアは我が家のお姫様だ」と言っていたし、商会の店員も使用人も、ミアベルのことを「お嬢様」と呼んで、何でも言うことを聞いてくれる。
ただ一人、母だけがミアベルに厳しかった。
「周りの人がちやほやしてくれるからって、いい気になっちゃ駄目よ」
「あんたはマルーン商会の娘なんだから、商人の娘らしくわきまえないと」
でもミアベルは知っている。
父はカーマイン伯爵の弟で、ミアにも貴族の血が流れていることを。
だから「託宣の儀」のすぐ後で、伯父であるカーマイン伯爵夫妻から「私達の子にならないか」と訊かれた時も二つ返事で引き受けた。
――「ミアベル」ではなく「ジゼル」として、という点だけが、ちょっとだけ不満だったけど。
でもそれも、豪商で知られるマルーン家よりさらに豪華な伯爵家の荘園屋敷に迎えられ、広々とした部屋で専属のメイドに傅かれているうちに、別にいいかと思うようになった。
口うるさい家庭教師のおばさんに宮廷ふうの礼儀を習うことだって、王子様のお嫁さんになるために必要だと言われれば頑張れた。
そう。
ミアベルは「お姫様」なだけでなく、将来は「王子様のお妃さま」になるのだ!
「〈結界〉は聖女系スキルの中でも〈聖域〉の次に貴重なのよ」
カーマインの伯母様……じゃない、お母様が言う。
「第二王子のハリスリック殿下は十四歳。年回りも丁度いいし、王子妃はジゼルで決まりだな」
と伯父……お父様。
自分のものではない名前に、ミアベルは唇を尖らせた。
「ねえ、おじ……お父様。ミア、やっぱり名前は元のほうがいいなぁ」
「ジゼル」なんて好きじゃない。それはミアベルの大嫌いな「あの子」の名前だ。
「ミアベル」のほうがずっと素敵だし可愛らしい。
けれどカーマイン伯爵夫妻は、その言葉を聞くなり顔を見合わせた。
「あなた。これは……」
「そうだな。今のうちに手を打っておくか」
その日、寝しなに出されたココアは何だか変な味がした。
そして――。
◆◆◆
「で? 君は本当は誰なんだ?」
王宮の薔薇園でハリス王子に問いかけられたミアベルは喜んだ。
この王子様は気づいてくれた!
私が「ジゼル」じゃなく「ミアベル」だって!
ミアベルは満面の笑みを浮かべて言った。
「私はジゼル・カーマインです」
――っ!? 何で……。
私はミアベル・マルーンです。
そう言うつもりだったのに。
ハリス王子は、目に見えて失望した様子だった。
「なるほどね。ずいぶんと躾が行き届いていることだ」
「ち、違っ! 私……私はっ! ジゼ……ジゼ……っ!」
「もういいよ」
必死に訂正しようとするミアベルだったが、王子はため息をついて顔を背けた。
「では、そろそろ戻ろうか、ジゼル嬢。君と話すことはもうないよ」
その夜。
タウンハウスに戻ったミアベルはメイドを下がらせ、ひとり小さく呟いてみた。
「私は……ジ……ゼル。ジゼル・カーマイン」
ノートを出して書いてみた。
ジゼル。
ジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼル……。
「――――っ!」
破り取ったページを何度も引き裂き、暖炉の中に放り込む。
贅を尽くした家具に、高価な寝具。
今着ているワンピースだって、まるでお姫様のドレスのようだ。
けれど。
――ミアは我が家のお姫様だ。
ここにいる「お姫様」はミアじゃない。




