31.ロックボア
本日2話投稿しています。この前に「幕間 カーマイン伯爵邸」がありますのでご注意ください。
木立の中を歩いていたノドが、ふいに「しっ」と囁いて立ち止まった。
「ロックボアだ。こっがらは音たてんなよ」
「?」
そう言われても、ゴーグル越しに見えるのは、楕円形の泥溜まりと、その中に転がる三つの大きな石だけだ。
が、見ているうちに、中のひとつがもぞりと動いた。
苔むした岩のような、灰色に緑の筋が入った毛並み。突き出た鼻づらの両脇に、上向きに湾曲した小さな牙が生えている。
泥溜まりに寝そべっていたのは、大型犬くらいの三頭のイノシシだった。
濃緑色のビー玉のような瞳は、どれも私達の方を向いている。
「大丈夫だ。こっちが何もしねげりゃ、あっちも何もしてこねがら」
私は無言でこくこくと頷いた。
イノシシって、確か、突進されると車も吹っ飛ぶことがあるんだよね。
一般道でイノシシと衝突して、対向車線に跳ね飛ばされる車の衝撃映像が頭を過る。
「絶対、石を投げたり、大声出したりしちゃダメなんだよ」
脇からノラがお姉さんぶって口を挟んだ。
――ウィングエイプに石を投げるのはいいのかな?
と、ツッコミを入れそうになった時。
ビシッ。
どこからか飛んできた石つぶてが、一頭のイノシシの柔らかそうな鼻面を直撃した。
「ブキーッ!」
イノシシが痛みに悲鳴を上げる。
そこへ、
ホアーッ、ホアッホアッホアッ!
夜闇を引き裂く甲高い声に、バサバサという羽音。
少し先の木の枝に、得意そうな顔をした金トサカの子ザルが舞い降りた。
◆◆◆
息を呑むような一瞬の静寂。
次の瞬間、三頭のイノシシが次々に泥から立ち上がった。
うん。イノシシじゃないね。
イノシシには足が六本もないもんね!
「逃げろっ!」
ノドが叫び、私とノラの手を掴んで一散に走り出した。
真後ろから、ドドドドドッという重たい足音と地響きが伝わってくる。
――が。
『〈防衛線〉が発動します』
『〈防衛線〉が発動します』
『〈防衛線〉が発動します』
頭の中に響く無機質な声。
そこへ、重たい物が地面に落ちるドサドサドサッという音が続く。
『ベビーロックボアを倒しました』
『ベビーロックボアを倒しました』
『ベビーロックボアを倒しました』
それきり、木立の中は静かになった。
「………へあっ?」
何事かと振り向いたノドが変な声を出す。
「こんな所さ罠なんてあったけ?」
そっか。
例の無機質な声は私にしか聞こえないし、〈防衛線〉は相手が死ねば消えるから、ノドには何でイノシシが死んだかわからないんだ。
「それも、あんなばっつり……見だごどねぇ罠だ……」
「あ、それは私の――」
言いかけた私の声は、ノラの歓声にかき消された。
「死んでる! 兄ちゃん、見て! ロックボアみんな死んでるよ!」
言うや、一直線に来た道を駆け戻っていく。
「あ、ノラっ! 行ぐな、戻ってこい!」
ノドが慌てて制止するが、ノラは全く聞く気がないようだ。
嬉々として両断されたロックボアのそばにしゃがみこむと、ベルトから小型のナイフを抜き出した。
「すんごいなー! 見て、こん牙! ノラがこんなん持って帰ったら、父ちゃん何て言うかなー」
ノドは私の手を離すと、妹の方にずんずん歩いていった。
小さなナイフで牙相手に四苦八苦しているノラの腰に腕を回し、荒っぽくイノシシから引っぺがす。
当然、ノラは嫌がって大暴れだ。
「やだやだ! 離してよ、兄ちゃん! ノラ、この牙持って帰るの! 持って帰るんだってばぁ!」
けれど、ノドはそんな妹を激しく怒鳴りつけた。
「こん馬鹿が! 死にてぇんか!」
そして空の一角を鋭く指さす。
「日の出までもういくらもねぇんだど! ほら来い!」
ノラはぼろぼろ涙をこぼしながら、それでもあきらめきれないのか「でもぅ……」とぐずぐず鼻を啜っている。
「放っといだら、これ全部石んなっちゃうんだよ? ちっとくらいいいべよう……」
「……ったぐ、しゃーんめぇな、もう」
ノドは小さく舌打ちすると、ノラを下ろし、ベルトポーチ型の魔法袋から、大鉈によく似た刃物をずるりと引っ張り出した。
「ほら、おめぇは下がっとげ」
言うや、両手に持った刃物をズドン! と獣の首に振り下ろす。
――ひええええ……。
子どもの腕なら一抱えもありそうな首が、一発できれいに落ちましたよ。
妹もワイルドだけど、兄はそれに輪をかけてワイルドだ。
(でも、何のかんの言って妹には甘いお兄ちゃんなんだ)
少し離れたところでほっこりする私を余所に、ノドは大鉈についた血をそこらの草で丁寧に拭い、打ち落とした首と一緒にベルトの魔法袋にしまいこんだ。
――いや、何であのサイズの口からでっかい物がするっと出入りするん?
その時だった。
ブオオオオオオ――ン!
大地を揺るがす獣の咆哮が、あたり一帯に響き渡った。




