30.頭上の星
「なー、ほう怒んなよ」
「…………」
「めんごい冗談だっぺよ」
「………………」
「ちっと和ませてやっかなと思っただけだっぺ」
巨大な葉っぱの形をした〈飛空板〉に乗った私たち――先頭にノド、真ん中にノラを挟んで私――は、夜の岩山の上空をふわりふわりと飛んでいた。
「兄ちゃんの冗談は、時々しゃれになんねんだ」
子どもとはいえ三人乗りには窮屈な板の上で、私の腰に抱きついたノラが上目遣いでこちらを見る。
「ノラもごめんなさいするから。許してやって」
「……いいわよ、もう」
私はため息をついて頷いた。
「ジゼル」の肉体年齢は十歳だが、前世で死んだ「私」は二十代。
いつまでも臍を曲げているのは大人げない。
それにノドは落ちている間も、ずっと私の手を離さなかったことだし。
――とはいえ、真っ暗な上空で「飛空板がない」と言われた時には、大人でもガチ泣きしそうになったけどね!
見上げれば、満天の星空だった。
太陽も月もなく、ただ明暗を繰り返すだけの、あの贋物の空とは違う。
飛竜に運ばれながら見下ろした地上の星――どこに通じるかもわからない妖精の輪の光とも違う。
(本物だ。本物の外の星空だ)
――出られたんだ、私。
本当に。
つんとした鼻の奥を誤魔化すように、私はノラの小さな頭にそっと顎を載せた。
「そら、あっこに下りっど」
ノドが指さした先は、尾根沿いのなだらかな斜面だった。
「父ちゃんらに見っかるとまずいからよ。あっこからは歩ってぐっぺ」
上級回復薬もそうだけど、どうやらこの二人、親には黙って脱け出してきたらしい。
◆◆◆
山の斜面に下りた途端、私は寒さでぶるっと震えた。
カーマイン領はすっかり春だったけど、王国北端、かつ山国でもあるティール辺境伯領はまだまだ寒い。
「飛んでる間は全然寒くなかったのに……」
両手で両腕を擦りながらそう零すと、兄妹は揃って自慢げに胸を反らした。
「向かい風の摩擦を、熱さ変えで循環させてっかんな」
「兄ちゃんの腕は、一族ん中でもぴか一だもん」
ほほう。まだ若いのに大したもんだ。
しかしそれはそれとして、私、今にも凍えそうなんだけど?
「で、ここからどれだけ歩けばいいの?」
「あとちょっと」
「すぐだっぺ、すぐ」
私は胡乱な眼差しを二人に向けた。
前世、地方にある友人の実家を訪ねた時、「バス停から歩いてすぐだから」という言葉を信じたばっかりに、炎天下を一時間以上も歩く破目になったことを思い出す。
とはいえ、他に移動手段があるでなし。
暗い山道をずんずん進む兄妹の後を、私は小走りに追いかけていった。
「ちょ、ちょっと待って! どこにいるの? 暗い! 全然見えない!」
開けた斜面を歩いているうちは、星明りで何とかついていけていた私だが、山肌を覆う木々の間に入った途端、ほとんど何も見えなくなった。
「えー? 人ん子はこんくれぇの夜目も利かねんだっぺか」
呆れたようなノドの声と共に、オレンジ色の光がぽわんと灯る。
見れば、ノドもノラもいつの間にかゴーグルをつけており、ノドのゴーグルの真ん中あたりでオレンジ色の豆電球のようなものが光っていた。
「参ったな。予備のゴーグルなんか持ってこねかったっぺよ」
てことは、あんたたちもゴーグルなしじゃ夜目が利かないってことじゃない!
内心ツッコミを入れる私の横で、ノラがごそごそと魔法袋を探る気配がした。
「ノラいっこ持ってる! これ使っていいよ!」
ずしり、と掌に載せられたのは、彼らのものより一回りは大きそうな、真鍮のフレームに丸レンズを嵌めこんだゴーグルだった。
「あー! そりゃあん時の……ノラ、持ってきちまったっぺか」
「うん! まだ使えるのに、あんなとこ置いといたらもったいないもん」
あちゃあ……。と頭を抱えるノドを見て、私はこのゴーグルの出所に気づいてしまった。
「僕」の死体についてたやつだ。
「大丈夫だよ! ノラが綺麗にしといたし、今もちゃんと使えるよ!」
正直言って抵抗はある。めっちゃある。
がしかし、この暗さでは早晩二人と逸れるか、下手をすると道を踏み外して滑落なんてことにもなりかねない。
えいやっ! と頭から被りかけて、ふとあることに思い当たった。
「……まさか、これ借りるのにもお金を取る気じゃないでしょうね」
ノドは存外真面目な調子で「うんにゃ」と首を横に振った。
「俺ら、金にはがめついけど、他人様の物は盗らねぇよ。ノラはまだ小っさいから、そこんとこよくわかってねぇけどな。あっこに先にいたのはジルだ。だからそいつはジルの物だ」
「……ふうん」
私は何だか肩透かしを食ったような気分で、重たいゴーグルをよいしょと着けた。
ノドが私の後ろに回り、私の頭に合うようにストラップを調節してくれる。
それから真鍮のフレームを何やらカチカチしていたかと思うと、ふいに視界がぱっと開けた。
スマホ画面の明るさを、一気にMAXまで上げた感じ。
さっきまで何ひとつ見えなかった木立の中が、真昼のように見通せる。
「さ、行ぐど。だいぶ時間を食っちまった。ぐずぐずしてっと夜が明けっちまう」
そう言うと、ノドはさっきよりも足を早めて歩きだした。




