29.兄妹
連休中は朝の更新がいつもより遅め(8~9時ごろ)になります
――終わった。
せめて一滴でも残っていれば。
乾ききった瓶の底を見つめて、私はがっくりとうなだれた。
兄妹が顔を見合わせる。
「瓶のことは悪かった。よがったらそれ、弁償すっから」
私は力なく首を横に振った。
大事なのは瓶じゃない。中に入ってた万能薬だ。
「そうだよ。ノラが酢になった万能薬なんかより、よっぽどいい回復薬あげるから!」
言うが早いか、岩小人の少女は、ベルトに差したトリガー式のスプレーボトルを私に向けると、シュッシュッとミスト状の液体を吹きかけた。
「ノラっ! ほがなことする時ゃ相手さちゃんと聞けって、あんだけ……!」
兄のノドが叱りつける声。
けれど私はそれどころじゃなかった。
ミストがかかった腕の肌、火ぶくれや擦り傷でぼろぼろになっていた肌が、みるみる綺麗になっていく。
左肘の痛みも嘘のように消え、ガサガサに乾いて荒れていた顔の肌まで、ナイトパックをして寝た翌朝のように、もちもちのすべすべに潤っている。
「え。今のって……」
呆然とする私に、ノドが何だかすまなそうに頭を下げた。
「上級回復薬だ。初めて来っとこで何があっかわがんねから、こっそり持ち出してきたんだけども……」
言いながら妹のスプレーボトルを取り上げ、脇についた目盛りに顔を近づける。
「あーあ。こりゃ父ちゃんが見たら一発でバレっぺよ。……ちゅうわけだがら」
兄妹は揃って私を見上げ、掌を上に向けてこちらに突き出した。
「治療費、5万Gになっからよ」
――って。
あんたら金取るんかーい!
◆◆◆
ノドノラ兄妹の話をまとめると、こうだった。
数日前から、彼らが棲む岩山の上空に転移門が開き、飛竜の群れが出てくるようになった。
かつて冒険者をしていた祖父から、転移門の向こうには迷宮があると聞いていた二人は、好奇心が抑えきれず、ノドが作った〈飛空板〉で転移門を通ってここに来た……。
「……って、危なっ!」
転移門の先がたまたまここだったからいいようなものの、デスホッパーやらウォーアントやらがうじゃうじゃいる草原の方だったらどうなっていたことか。
「平気平気。兄ちゃんもノラも強ーがら!」
「いや、そういうことではなくね……」
喋りながらも、私たちはせっせと碧玉葡萄を摘んでは、それぞれの持つ魔法袋に詰めていた。
ノドいわく、ここの果物はどれも品質が良く、持って帰れば高く売れるはずだが、中でも碧玉葡萄は超高級品だから、売るならこれ一択だそうだ。
手持ちの現金が全くないこと。カードの残額も332Gしかないことを告げると、ノドは、
「んだら、稼いで返してもらうしかねっぺな」
と、至極当然のように言った。
「その場合、私も一緒に外に連れてってもらうことになるけど?」
「んだな。里までの運賃は1000Gでいっぺよ」
「…………」
何ともしっかりしたお兄様で。
とはいえ、迷宮の外に出られるのは素直に嬉しい。
しかも行き先が人間の街ではなく、岩小人の里という点もありがたい。
カーマイン領や王都の人間なら、私のこの紅色の瞳ですぐに身許がばれるだろうけど、辺境の岩山に棲んでいる上、人里との行き来も滅多にしないというロックノーム達は、私のことなど知らないだろう。
そんなわけで、ありったけの碧玉葡萄を魔法袋に詰め込んだ私達三人は、勇んで庭園中央の転移門に向かった。
茜色に染まり始めた空の元、転移門が白く輝き、魔法陣が浮かび上がる。
ガガガガガ……
カンカンカン! カカッ、カカカカカカカッ!
おなじみの騒音と共に、天高く噴き上がる噴水のように飛竜の群れが現れた。
「今だ、走れっ!」
最後の一匹が転移門を抜けた途端、私たちは物陰から飛び出した。
「きゃっほう!」
「うらぁ!」
「えるーっ!」
真っ先にノラが、続いてノドが私の手を引いて魔法陣に飛び込んだ。
最後に何か、余計な声が聞こえた気がしたけれど……。
……魔法陣の向こうはすでに夜だった。
一面に広がる星空の下、峨々たる山並みが連なっている。
――って、ここ、ものっすごい空の上なんですけど――っ!
びゅうびゅうと吹き上げてくる風をついて、ノラの声がした。
「兄ちゃーん!〈飛空板〉はー?」
ノドは片手で私の手を掴み、もう一方の手でさかんにベルトポーチ――彼の魔法袋――を探っている。
「あれえ? ねぇな。あっちに置いてきたかもしんねぇ」
な、何ですと――っ!?
ぐんぐん近づいてくる真っ黒な山頂を見たくなくて、私はぎゅっと目を閉じた。




