27.覆水
本日2話目の投稿です。この話の前に「26.地下室」があります。ご注意ください。
「…………」
しばらくの間、私は呆然とそれを見下ろしていた。
仰向けに倒れた白骨死体。頭蓋骨は変色し、眼窩の上には、真鍮のフレームに丸レンズを嵌めこんだゴーグルがずり落ちかけた状態で引っかかっている。
骨と化した身体には、フードのついたローブがまとわりつくように残り、その下からは、ぼろぼろに朽ちたシャツと、革エプロンの硬い断片がのぞいていた。
――錬金術師の「僕」、だよね。
肋骨の隙間から生えたように、一本の短剣が突き出している。柄に巻かれた黒革は乾いてひび割れ、柄頭には斧と炎の紋様が黒ずんだ銀で象嵌されていた。
どう見ても他殺体である。
「備忘録」によれば、モーリスの死後、ここにいたのは「僕」だけだったはずなのに。
(てことは、外部から来た誰かに殺された?)
遂に救助隊が来て、何かの拍子で諍いになったとか…………。
いや。
備忘録の一節を思い出す。
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まさか、商会のやつらは僕を救けに来る気がないのか。
考えてみれば、モーリス亡き今、僕は彼らの唯一の金蔓だ。
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「僕」がどういう「金蔓」だったか知らないが、商会の差し向けた救援者なら、何らかの利益を生み出す者をわざわざ手にかけるとは考えにくい。
とすれば、ここに辿りついた別口の冒険者の仕業だろうか。
迷宮内では、見つけたアイテムを巡る争いで死傷者が出ることも間々あるというし……。
いずれにしろ、その「誰か」はここにはもういない。
死体が白骨化するまでに何年かかるか知らないけれど、この殺人があったのは相当前のことだろう。
四阿の床に堆く溜まった落ち葉といい、壊れた装置を覆い尽くすほどの木の根といい、この場所はかなり長いこと放置されていたと思われる。
ゴトッ。
「!」
すぐそこでふいに物音が聞こえ、私は反射的に身を竦めた。
その拍子に怪我した腕を動かしてしまい、骨に響いた痛みに呻く。
ゴトゴトという物音はなおも続いているが、〈防衛線〉は反応していない。
音の出所は、横倒しになったタンクの裏あたり。
油断なく身構えた私の前に、ひょこりと顔を出したのは、またしても金トサカの子ザルだった。
「あんたねえ……」
いい加減にしろよ、と思いつつも、ほっと肩の力が抜ける。
タンクの陰から出てきた子ザルは、ちょろちょろと床を走ってきたかと思うと、少し先の床にぺたりと座り込んだ。
その手には、蝋で厳重に封印された埃まみれの小瓶が握られている。
黄ばんだラベルに書かれた文字は……。
「え。ちょ、それ……っ!」
――万能薬。
そこには、確かにそう書かれていたのだ。
どんな病も、どんな怪我も、欠損した身体の一部さえ「完治」させる古代人の遺物。
「えるる?」
私の内心の焦りなど知らぬげに、子ザルは無邪気そうに一声鳴いた――。
◆◆◆
私は魔法袋を探り、苦労して「旅人のパン」を引っ張り出した。
「えっとね。その瓶とこれを、交換しない?」
瓶とパンを交互に指さし、祈るように子ザルの反応を待つ。
言葉が通じるとは思わない。それでも今の私には、どうしてもあれが必要だった。
――迷宮内で生き延びるには、痛くて片手を動かせない状況は致命的だ。
子ザルはぱちぱちと目を瞬くと、瓶を持ったまま二、三歩こちらに近づいた。
オーケー、オーケー。その調子。
私もパンを持った手を伸ばして前に出る。
子ザルはその場に立ち止まり、何やら考えこむようにこてりと首を傾けた。
その手に握られた小瓶から、私は目が離せない。
スキル〈投げ縄〉で捕まえようか。それとも。
――いっそ、殺して奪おうか。
一瞬、頭を過った暗い考えを、私は慌てて追い払った。
「旅人のパン」を床に置き、自分は一歩後ろに下がる。
ちょうど飛竜の岩棚で、子ザルがオウルディラを差し出した時のように。
その時だった。
子ザルがふいに顔を上げた。
頭上の四阿から激しい葉擦れの音が聞こえ、けたたましく騒ぎ立てるウィングエイプ達の声がそれに続く。
次の瞬間、子ザルはばさりと翼を広げ、開いたままのハッチから勢いよく外に飛び出していった。
――万能薬を持ったまま。




