21.空中庭園
涼しい風と鳥の囀りに誘われるように、私はふらふらと歩き出した。
トンネルの向こうは、崩れた石造りのベンチがところどころに置かれた遊歩道で、割れた石畳のあちこちから雑草が顔を出している。
ピピピピ、という鳥の鳴き声に顔を上げれば、どっしりとした緑の木々の隙間から、澄んだ水の輝きが見えた。
ホアーッ、ホアッホアッホアッホアッ!
バサバサバサバサ……。
頭上に差し交す枝から枝へと、翼のある白い子ザルたちが、流れるように渡っていく。
ぽとり、と音を立てて少し先の地面に落ちたのは、前世のビワに似たネフルという果実だった。
歩くたびに痛む腕を庇いながら、淡い緑色の実を拾い上げる。
薄い皮を爪で剥き、おっかなびっくり歯を立てれば、覚えのある酸味と甘味が口いっぱいに広がった。
「おい、しい…………」
ふぇ、と情けない声が出る。
しばらく止まっていた涙が再び溢れ出したのは、腕の痛みのせいか、それとも安心して気が緩んだせいなのか。
あっという間にネフルを食べ終えた私は、まだぐすぐす言いながら、水の見えた方を目指して歩き出した。
◆◆◆
ところどころ欠けた大きな石の水盤から、澄んだ水がこんこんと湧き出している。溢れた水は、やはり石造りの管から、地面に開いた排水口へと流れ落ちていた。
水盤の縁には色鮮やかな小鳥がずらりと並び、私を見ても逃げもせず、一口ごとにおじぎしながら水盤の水を飲んでいる。
(毒はなさそうだけど……)
確証はない。
(こんな時、〈鑑定〉みたいなスキルがあれば一発なのに)
結局、石の管から流れる水で手だけを洗い、飲み水は魔法袋から「汲みたての井戸水」を出した。
一息ついて見回せば、水盤の周りにはネフル以外にも、林檎サイズでさくらんぼのような味のするポリーとか、洋梨そっくりのピアラなど、迷宮の外にあるのと同じ果物がなっている。
近くにあったベンチに座り、心ゆくまでそれらを食べてから、私は再び探索に乗り出した。
水盤の先には円形の大きな広場があり、つるりとした石造りの巨大な台座が据えられている。
(――ん?)
こういう台座、前にも見たことあるような。
その時だった。
ヴン!
白い光の筋が台座を一周したかと思うと、光沢のある黒い表面に、巨大な魔法陣が浮かび上がった。
――転移門!
息を呑んだ私の前で、突如噴き上がる間欠泉のように、飛竜の群れが飛び出してきた。
ガガガガガ……
カンカンカン! カカッ、カカカカカカカッ!
たちまちあたりは工事現場さながらの大音響に包まれる。
周囲の木々から驚いた鳥たちが飛び立っていく。
見れば、飛竜の鉤爪には鶏や仔羊、中には牧羊犬や、何かの樽まで引っ掛かっていた。
ダダダダダ! ダダッ、ダダダッ!
ガンガンガン! ガンガンガンガンガン!
太い嘴を勝ち誇ったように打ち鳴らしながら、飛竜の群れは広場の上空を一周し、巣のある岩棚の方角へ飛び去っていく。
しばらくの間、呆然とその後を見送っていた私は、やがてあることに気づいてはっとした。
飛竜たちは、羊や牧羊犬を運んでいた。
迷宮の中にいるはずのない生き物を。
――この転移門は、迷宮の外に通じてる!
勇んで台座に駆け寄った私は、けれど、魔法陣に踏み込む寸前でつんのめるように立ち止まった。
言いようのない気持ち悪さが、喉元までせりあがる。
(何してるの。早く行かなきゃ)
焦る心とは裏腹に、私の足は縫いつけられたように動かない。
――〈虫の知らせ〉。
この転移門は潜るべきではないと、向こう側には何かとんでもない危険があると、私の直感が告げていた。
(でも、でも……っ!)
チャンスなのに。
せっかく外に出られるのに……!
ヴン!
葛藤を続ける私の前で、魔法陣はあっけなく消失した。
◆◆◆
「だーっ! もう、私のバカバカバカ!」
台座の前で、私は地団駄を踏んで悔しがった。
転移門が閉じると同時に、さっきまでの気持ち悪さは嘘のように消えている。
結局、あれって私の気のせいだったんじゃないの?
千載一遇のチャンスを前にびびり散らかすとか、私ってばどんだけポンコツなのよう!
「……はあ」
私は、ため息をついて顔を上げた。
こうなった以上、嘆いていても仕方がない。
それに、この転移門は近いうちにまた開く……ような気がする。
というのも――。
(ティールやセラドンみたいな辺境寄りの領地には、毎年、繁殖期の飛竜が飛来する)
その時期はあちこちで家畜が攫われたり、畑の作物が食い荒らされたりして甚大な被害が出るという。
もしその飛竜たちが、この転移門を通ってきたのなら。
岩棚のヒナは、まだ孵化したばかりだ。
飛竜たちの子育てはこの先もしばらく続くだろう。
「つまり、この近くで張り込んでいれば、次こそ外に出られるってことよ!」
てことは、次に私がやるべきはねぐらの確保。
幸い、転移門の広場の一隅に、樹齢千年はあろうかという苔むした大樹が太い根を張っていた。
地上にはみ出た根の下には、ちょうど人一人が通れるほどの隙間があり、その前にはカーテンのような蔦が垂れ下がっている。
あの中に隠れていれば、飛竜たちに見つからずに済みそうだ。
そう思って、垂れ下がった蔦を押し分けた時。
『…ラッ……イ…セ。ドラン……ノ無人……所ニヨウ……ソ』
やけに聞き覚えのある機械的な声がした。




